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Zooey's Diary

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なぜあの時、トルコは日本を助けてくれたのか?「海難1890」

2015年12月09日 | 映画


トルコに旅行した時、「エルトゥールル号事件」のことを知りました。
1890年(明治23年)オスマン帝国最初の軍艦「エルトゥールル号」は、
和歌山県串本町沖で海難事故を起こして大破、乗組員618人が暴風雨の海に投げ出される。
しかし地元住民によって懸命な救助活動が行われ、69人の命が救われた。

トルコでは小学校の教科書にも載っているというこの話、
日本ではあまり知られていないのではないでしょうか。
日本トルコ合作というこの映画を、楽しみにしていました。
「利休にたずねよ」などの田中光敏監督。



村人たちが嵐の海に飛び込み、異国の遭難者を助ける。
冷え切った遭難者の体を裸になって温め、必死になって治療する。
貧しい暮らしの中からなけなしの食料を与え、海底から遺留品を拾い集めて修繕する。
漁に出なければその日の食べ物にも事欠くという貧しい村人たちが
何の見返りもないのに仕事を休んでここまでするものかとも思いましたが
ネットでこの映画のレビューを拾い読みしたら
「串本生まれ、串本育ち」と名乗る人が
「トルコの人の救出劇はほぼ忠実に描かれています。その当時の村長が事細かに全てを
 記録しているので、串本に行ってそれを見ていただければ納得していただける」
と書いているのを見つけました。



そして時は流れ、1985年。
イラン・イラク戦争が勃発、サダム・フセインがイラン上空航空機に対して
48時間後に無差別攻撃すると宣言。
各国は救援機を飛ばし、次々と在イラン自国民を脱出させるが、
日本政府はそれができなかった。
(自衛隊機を飛ばすには国会の承認が必要などと理由は色々あったようですが
この辺は、歯ぎしりしたくなるくらい情けない)
テヘランに残された215人の日本人は絶望的になるが
日本大使館がトルコへ日本人救出を依頼、トルコ首相はそれを快く承諾。
まだ500人近く残っていたトルコ人には陸路での移動を頼み、
日本人に飛行機の席を譲ったというのです。



田中光敏監督は、その製作にまつわるインタビューの中で
トルコでの撮影時に、トルコ人の多くのエキストラから御礼を言われたと語っています。
そしてエルトゥールル号女事件の後、治療費を請求してくれと連絡してきたトルコ
政府に対して、「私たちは、目の前の人々を助けただけですので、結構です」と
3人連名で返答したお医者さんがいたことを資料の中に見つけたとも。
内野聖陽演じる医師もでき過ぎじゃないかと思ったのですが
そんな赤ひげ医師のような人が3人も実在したのですね。

日本の教科書にこそ載せて欲しい話だと思ってしまいます。

「海難1890」 http://www.kainan1890.jp/
コメント (6)
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