久しぶりに読み返した村上春樹のジャズに関する本の中で
思いがけず心に沁み込む言葉に出逢いました。
”どんな人生にも「失われた一日」がある。
「これを境に自分の中で何かが変わってしまうことだろう。
そしてたぶん、もう二度ともとの自分には戻れないだろう」
と心に感じる日のことだ。”(マイルズ・ディビス)
”ビリー・ホリディの晩年の、ある意味では崩れた歌唱の中に、
僕が聞き取ることができるようになったのは一体何なのだろう?(中略)
ひょっとしてそれは「赦し」のようなものではあるまいかー最近になって
そう感じるようになった。
ビリー・ホリディの晩年の歌を聴いていると、僕が生きることをとおして、
あるいは書くことをとおして、これまでにおかしてきた数多くの過ちや、
これまでに傷つけて来た数多くの人々の心を、彼女がそっくりと静かに引き受けて、
それを全部ひっくるめて赦してくれているような気が、僕にはするのだ。
もういいから忘れなさいと。
それは「癒し」ではない。
僕は決して癒されたりはしない。
なにものによっても、それは癒されるものではない。
ただ赦されるだけだ。」(ビリー・ホリディ)
いずれも「ポートレイト・イン・ジャズ」から。
これは、昔読んだ若い時には、なんとも思わなかっただろうな…
あれから少しだけ歳を重ねた今だからこそ、しみじみと沁みる。
私にも「失われた一日」があった。
私の意思に関わらず、結果的にそうなってしまったことが。
生きて行くということは、得るものも多いけれど、失うものもあるのだと
当たり前のことを実感して、愕然としてしまう。
私にも「赦し」をもたらしてくれるものがあるのだろうか。
「もういいから忘れなさい」と誰が言ってくれるのだろう?
大学の図書館の文芸誌の新人賞で「風の歌を聴け」を読んで
こんな新人が出たのだと驚いた日があった。
それから勝手にこの人に親近感を持って、ずっと作品を楽しみに読んできたのだけど。
その後どんどん有名になってしまい、ノーベル賞候補とまで言われるようになり、
近年の新作に失望させられ、先週出たばかりの「職業としての小説家」ではもう、
畏れ多い文学界の大先生という感じになってしまったこの著者も
ある意味では私にとって「失われた人」の一人であるのかもしれません。

(お台場で)
「ポートレイト・イン・ジャズ」 http://tinyurl.com/prtjl88
思いがけず心に沁み込む言葉に出逢いました。
”どんな人生にも「失われた一日」がある。
「これを境に自分の中で何かが変わってしまうことだろう。
そしてたぶん、もう二度ともとの自分には戻れないだろう」
と心に感じる日のことだ。”(マイルズ・ディビス)
”ビリー・ホリディの晩年の、ある意味では崩れた歌唱の中に、
僕が聞き取ることができるようになったのは一体何なのだろう?(中略)
ひょっとしてそれは「赦し」のようなものではあるまいかー最近になって
そう感じるようになった。
ビリー・ホリディの晩年の歌を聴いていると、僕が生きることをとおして、
あるいは書くことをとおして、これまでにおかしてきた数多くの過ちや、
これまでに傷つけて来た数多くの人々の心を、彼女がそっくりと静かに引き受けて、
それを全部ひっくるめて赦してくれているような気が、僕にはするのだ。
もういいから忘れなさいと。
それは「癒し」ではない。
僕は決して癒されたりはしない。
なにものによっても、それは癒されるものではない。
ただ赦されるだけだ。」(ビリー・ホリディ)
いずれも「ポートレイト・イン・ジャズ」から。
これは、昔読んだ若い時には、なんとも思わなかっただろうな…
あれから少しだけ歳を重ねた今だからこそ、しみじみと沁みる。
私にも「失われた一日」があった。
私の意思に関わらず、結果的にそうなってしまったことが。
生きて行くということは、得るものも多いけれど、失うものもあるのだと
当たり前のことを実感して、愕然としてしまう。
私にも「赦し」をもたらしてくれるものがあるのだろうか。
「もういいから忘れなさい」と誰が言ってくれるのだろう?
大学の図書館の文芸誌の新人賞で「風の歌を聴け」を読んで
こんな新人が出たのだと驚いた日があった。
それから勝手にこの人に親近感を持って、ずっと作品を楽しみに読んできたのだけど。
その後どんどん有名になってしまい、ノーベル賞候補とまで言われるようになり、
近年の新作に失望させられ、先週出たばかりの「職業としての小説家」ではもう、
畏れ多い文学界の大先生という感じになってしまったこの著者も
ある意味では私にとって「失われた人」の一人であるのかもしれません。

(お台場で)
「ポートレイト・イン・ジャズ」 http://tinyurl.com/prtjl88