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Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

「火花」

2015年08月08日 | 


父が生きていた頃は、毎月とっていた文藝春秋。
昔は、たまに実家に帰る度にまとめ読みするのを楽しみにしていました。
「あほが書いた小説です。あほなりに人間を見つめて書きました。」
という又吉氏の言葉に釣られて、本日発売の9月号を思わず購入。

売れない芸人の「僕」は、熱海の花火大会で先輩芸人の神谷と出会う。
師弟関係を結んだ二人の交流、芸へのもがき、空回りする人生。
笑いの真髄について、あるいは実にどうでもよいことについて
議論しながら生きて行く二人。
自分たちの芸や人生の、微細なことに拘る不器用な男たちの、不器用な生き様。
「僕」は神谷を敬愛し、彼から嫌われたり、芸人としての能力のなさを軽蔑されることを恐れている。
神谷は「僕」を弟子として目をかけ、気を配っている。
そんな二人の、何処まで本気なんだか分からない、漫才のような会話が全編を彩っている。

”神谷さんが相手にしているのは世間ではない。
いつか世間を振り向かせるかもしれない何かだ。
その世間は孤独かもしれないけれど、その寂寥は自分を鼓舞もしてくれるだろう。
僕は、結局、世間というものを剥がせなかった。
本当の地獄というのは、孤独の中ではなく、世間の中にこそある。
神谷さんは、それを知らないのだ。
僕の眼に世間が映る限り、そこから逃げる訳にはいかない。
自分の理想を崩さず、世間の観念とも闘う。”

とても「あほ」とは思えない人生観が淡々と語られます。
テンポのいい関西弁のやり取りが、愉しくてそして悲しい。
年月が経ち、「僕」は少しずつ売れて行くが、神谷は少しづつ壊れて行く。
終盤の神谷の行動はしかし、私には納得できるものではありませんでした。
あまりにもシュール過ぎるし、それに対する「僕」の反応はあまりにも
現実的過ぎる気がします。
どう着地するのかと期待しながら読んだのですが…
ちょっと残念。

「火花」 http://tinyurl.com/pr74t6f
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おれは守ってやれないからおまえが代わりに「ソウルメイト」

2015年03月03日 | 


馳星周といえば、歌舞伎町の中国人マフィアの血で血を洗う裏社会を書いた「不夜城」とか
出会い系サイトに嵌った主婦が暴力団に麻薬漬けにされていくのを書いた「M」とか
私はその二つを読んだだけで、自分とはもう無縁の作家だと思っていたのですが…
こんなに愛犬家だったなんて。

この本は、7種の犬にまつわる物語を集めた短編集です。
その中で私にもっとも印象的だったのは、ジャック・ラッセル・テリアの章。
ペットショップで可愛かったからというだけの理由で飼い始めたジャック・ラッセル犬を
どうにも制御できないと元妻に泣きつかれて
7才の息子、亮とその犬インディを短期間預かることになった康介。
離婚して以来、初めて息子に逢えた喜び。
亮に犬の躾け方を教えながら、自分の息子に触れ合えることができる喜び。
康介とその愛犬アンドレ、亮とインディとで野を駆け回ることができる喜び。
しかしそんな日々は長く続かず、亮とインディは妻の元に戻り、
康介は二度と逢えなくなってしまう。
康介にはそうされるだけの理由があって、父親に愛されたことがない彼は
息子が生まれた時その愛し方が分からず、家も息子も顧みずに遊びまわって
妻と亮を散々に傷つけたのです。
起こした会社も潰れ、家族もなくし、尾羽うち枯らして田舎に暮らす康介。
息子が愛しく思えるようになって後悔しても、時は既に遅し。
やがて愛犬アンドレも死んでしまい、息子と暮らした短い夏の日を思い出して涙する。

康介がインディにつぶやいた言葉。
「知ってるか、インディ?亮はおまえが大好きなんだぞ」
「亮を頼む。おれは守ってやれないから、おまえが代わりに亮を守ってくれ」
「頼んだぞ、インディ。おまえはジャック・ラッセルだ。
 小さな身体にライオンみたいな勇敢さを詰め込んだ犬だ。亮を守れるだろう?」



この本を読むと、著者がいかに犬を愛しているかがひしひしと伝わってきます。
虐待を受けた犬、3.11で置き去りにされた犬、癌に苦しむ犬、
読むのがつらいシーンもありますが…。
余命わずかのバーニーズ・マウンテン・ドッグの章、その最期の様子は
正に著者の最近の体験から書かれたらしい。
犬は確かにいつか死んでしまうのだけど
それでも無償の愛を捧げてくれる犬を、愛さずにはいられない。
誰にも言えないことも犬には言える。
誰にも見せられない姿も犬には見せられる。
何でも黙って受け止めてくれる、ソウルメイトだものね。
愛犬家にはたまらない一冊です。

「ソウルメイト」 http://tinyurl.com/ox729gs
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「深い河」

2015年02月01日 | 


20年以上前に読んだ遠藤周作の「深い河」を
インドから帰って読み直してみました。
「愛を求めて人生の意味を求め、人は母なる河に向き合う」
文庫本のキャッチコピー。毎日芸術賞受賞作。

5人の日本人が、それぞれの理由を抱えてインドへのツアーに参加します。
妻を突然亡くして、インドでのその転生を信じて探し求める男。
学生時代にもてあそんで捨てた男がインドで修業していると聞いた女。
太平洋戦争中ビルマで戦って死んでいった親友を弔いたい男。
それぞれの思惑を抱えて行ったインドでは、混沌の世界の中をガンジス河が
何もかもを飲み込むように、ゆったりと流れていた…

美津子という女が、昔読んだ時にはどうにも好きになれませんでした。
贅沢なマンションに住み、ボーイフレンドを何人も引き連れて遊ぶ女子大生。
学友から馬鹿にされながらも神を信じる大津という野暮ったい学生を
ほんの遊び心でからかってみる。
「神さま、あの人をあなたから奪ってみましょうか」
それだけの理由で大津を誘惑し、ちょっと遊んでボロ布のように捨てる。

しかし、その捨てた男と美津子は、人生の節目ごとに関わることになるのです。
大津という男は、子どもの頃からいじめられ、大人になっても周りと上手くやっていくことができない。
神に助けを求め一心に祈り神学性となり、
卒業後はフランスに渡って神父になろうとするがそこでも拒絶され、
遂にはインドのバラナシで死体運びのような役割に身を落とすのですが…
終盤、ガンジス河の畔でケンカに巻き込まれた大津が死にかけているところで
美津子は思わず叫ぶ。
「本当に馬鹿よ。あんな玉ねぎのために一生を棒にふって。
あなたが玉ねぎの真似をしたからって、この憎しみとエゴイズムしかない世の中が
変わる筈はないじゃないの。あなたはあっちこっちで追い出され、挙句の果て、
首を折って、死人の担架で運ばれて。
あなたは結局は無力だったじゃないの」
(「玉ねぎ」というのは二人が使う隠語で「神さま」のことです)

若い時は、この傲慢な美津子が嫌いで、大津が哀れでならなかった。
しかし今読むと、美津子の方が可哀想に思えてくる。
大津は確かに気の毒な人生を送ったのだけど、しかし彼は結局彼の思うところの
人生を全うしたのではないか。
それに引きかえ、残された美津子は、この先も信じるものもなく頼れるものもなく、
大津の無様な(見た目は)最期を脳裏から消し去ることもできず、
救いのないつらい余生をおくるのではないか。
そして美津子という女を、私も含めて神を信じない、多くの日本人の象徴として
著者は描きたかったのではないかと。

この小説の終章、十三章は「彼は醜く威厳もなく」というのです。
本の内容全体を象徴しているようなタイトルです。

「深い河」 http://tinyurl.com/cerp3kq
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扉の向こうに隠された世界「ザ・ホテル」

2014年10月13日 | 


週末の夜に読んだ本の一冊。
伝統と格式を守り続けるロンドンの超高級ホテル「クラリッジ」のホテルマンたちの知られざる
ドラマを描いた「ザ・ホテル」
作家ジェフリー・ロビンソンがそこに五カ月間滞在し、徹底的に取材して書いたといいます。
韓国の大統領訪英、アラブ首長と英国女王陛下との晩餐会などの大きな行事の裏に
どれだけホテルマンたちの努力が隠されていたか、
あるいは無理難題ふっかけるお客たちとの駆け引きの様子が、19章400ページに渡って
冷めた筆致で描かれていて面白い。

ほんの少しご紹介すると
ある客は、ゾウを手配してくれとコンシェルジュに頼んだのだそうです。
「友人たちをゾウに乗せてリージェンツ・パークをひとまわりしたいと思ってね」
「インドゾウでなくては困る。アフリカゾウならいらないから」
コンシェルジュは動物園に電話をして、ゾウを借り出すことが可能であることを確認。
しかし、それで公園を乗り回すには特別な許可が必要であり、
そのためには役所のあちこちで頭を下げて歩き回り、役人の形式主義と闘わなければならないことが
わかって、その顧客はあきらめたのだそうです。

もうひとつ笑えたのは、ホテルの備品を盗む客とホテルとの闘い。
あるテキサス人が一週間の滞在中に、カップとソーサー、コーヒーポットなど
様々なものを盗んでいったのだそうです。

”キャッシャーの前で客に挨拶をすると、総支配人は慎重にちょっとお話があるといった。
彼はなるべく愛想よく、自分の側に間違いもしくは誤解があったら許して頂きたいのだが、
実はこの週のあいだにルームサービスでお届けしたもののうち返ってこないものが沢山あるのだといった。
テキサス人はすかさず守勢を固めた。
「私が盗んだというのかね?」
これは隠し事がある人の典型的な反応だった。
「いえ、お客様。ただ、お客様が何かご存知ではないか、お伺いしているだけでございます」
「私が盗んだなど、言わない方が身のためだ」
「わかりました」
男が嘘をついておることに自信を深め、総支配人はこれ以上議論を続ける意味はないと判断した。
「きっと何かの間違いだったのでしょう。お気を悪くされたら、お詫び申し上げます」”

さて、名門ホテルの総支配人はこの客についてどう対処したか?
ポーターに、その客のカバンを、階段の上から投げ落とすように命じたのだそうです。
”帰国後、陶磁器ががらくたになっているのを見て、テキサス人はどんな顔をしただろうか?
だれも知らない。”

一泊十万円からという高級ホテルの裏側事情は、紹介したらキリがないほどあって
中々興味深いものでした。
金持ちであっても(或は金持ちだからこそか)、色々な習癖の人がいるものですね。
ちなみにこの本の中に一人だけ、日本人客も登場します。
ロンドン、メイフェア地区にあるこの五つ星ホテルの前を、私も通りました。
分不相応という気がしたので前回は寄りませんでしたが
いつかここでせめて、ランチやアフタヌーン・ティなどしてみたいものです。


ホテルク・ラリッジ (Claridge's)

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「紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている」

2014年10月02日 | 


「この工場が死んだら、日本の出版は終わる…」
絶望的状況から、奇跡の復興を果たした職人たちの知られざる闘い。
津波で破壊された日本製石巻工場の再生を描いたノンフィクション。

日本の出版用紙の約4割が日本製紙で作られ、石巻工場はその基幹工場として、
1日あたり約2500トンもの紙を生産しているのだそうです。
東京ドーム23個分の広さを持つ石巻工場全域が海に呑まれ、
瓦礫の山に覆い尽くされ、生産機能は完全にストップした。
そこから人々はどのように工場を立ち直らせて来たのか?

2013年4月、春樹の新作「色彩を持たない田崎つくると彼の巡礼の年」の
発売日のシーンから話は始まります。
各地の書店に長い行列ができ、大きな書店にはマスコミもやってきて
そのお祭り騒ぎを取材していた。
”この盛り上がりを興奮気味に見守っている人々が東北にいた。
日本製紙石巻工場の従業員たちだ。
「田崎つくる」の単行本の本文用紙は、東日本大震災で壊滅的な被害に遭いながらも、
奇跡的な復興を遂げた石巻工場の8号抄紙機、通称「8マシン」で作られているのである。”

あの本を発売日に私も買いましたが
その紙が何処で作られているかなんて、考えたこともありませんでした。
本の紙質にそんなにも違いや種類があるということも、知りませんでした。
一冊の本を作るのに、これだけの手がかけられていたのか…。

被害に遭われた人々への丁寧な取材、多数の証言によって
震災のその日から再生するまでの日々を追ったノンフィクションです。
思わず落涙する個所もあり、中々読み応えがありました。

「紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている」
http://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/112196.html



この時期、金木犀と並んで甘い香りを放つジンジャー・リリー。
私の好きな香水、グレのカボティーヌの材料にも使われているようです。
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「アンのゆりかご」村岡花子の生涯

2014年05月16日 | 


NHKの連続テレビ小説というものにまるで無縁であった私が
今「花子とアン」を見ているのは、小学生の頃「赤毛のアン」に夢中になったからです。
「アンの青春」「炉辺荘のアン」など、アン・シリーズはすべて読みましたが
その翻訳者の村岡花子という人のことはまるで知りませんでした。
昭和初期に英語が堪能であったことや、小説に出てくるお嬢さんらしい話し言葉などから
いずれ恵まれた家の出身の女性だったのだろうくらいに思っていたのですが
山梨の貧しい農家の出で、東洋英和に給費生として入ったとは。
ドラマの展開が面白いので、花子の孫が書いたという、その原作を読んでみました。

村岡花子、明治26年甲府生まれ。
父、安中逸平は貧しい茶商であったが、熱心なクリスチャンであり、社会主義者でもあった。
花子が小さい頃にその才能を認め、なんとかその才能を伸ばしてやろうと教会を通じて
東洋英和への花子の編入を画策する。
(それは長女の花子一人で、他の7人の子供たちには高等教育の機会は与えられなかった。)

花子は貧しい農家から突然、麻布のカナダ系ミッションスクール東洋英和の寄宿舎に入れられ、
華族のお嬢様たちに囲まれて困惑するが、持ち前の負けん気と才気で勉強に没頭する。
そこで8歳年上の柳原白蓮と出会い、「腹心の友」となる。
「白蓮事件」ー華族出身の美貌の歌人として名高い柳原白蓮が、九州の炭坑王伊藤伝右衛門との
結婚生活を捨てて、七歳年下の帝大生宮崎龍介の許へと走ったというものです。
姦通罪というものがあった時代、これは正に命懸けの恋であったといえるでしょう。
その白蓮と親友であったとは知りませんでした。

ネタバレになるので詳細は書きませんが、花子はやがて福音印刷の村岡敬三と結婚して
幸せな生活を送るのです。
この二人のやり取りした手紙がいくつか紹介されています。
敬三から花子への昭和7年に出された手紙。
”可愛い花子を抱寝する夜も日一日と近くなる。
腕は一杯も抱きたく、唇は軽いキス…あとは文にするを憚る。”
これが45歳の夫から39歳の妻に宛てられた手紙だというのですから…
その後、様々な苦難に襲われるのですが、二人は終生仲がよかったようです。

村岡花子の生涯のみならず、日本近代の女子教育史、女性文学史、児童文学史などが織り込まれ、
中々読み応えがある本でした。
驚いたのは、花子が活躍した場所として婦人嬌風会の名前が何度も出てきたこと。
日本基督教婦人嬌風会というのは、明治19年に設立され、一夫一婦制の適用、
公娼制度廃止、婦人参政権取得などを訴えた日本で最初に設立された婦人団体です。
そしてこの婦人嬌風会が運営する女子学生会館で、私は学生時代暮らしていたのです。
私はクリスチャンではないのですが、そこが信用できる団体のものであるということ、
評判もよかったこと、礼拝はあるがキリスト教は強制されないということで
大学時代そこに入っていたのでした。
その嬌風会で半世紀以上も前に、花子が活躍していたとは。

新宿の一角の嬌風会の敷地の中に、鉄筋コンクリートの4階建ての建物が二つあり、
一つが女子大生向けの有料の学生会館、
もう一つはDVなどから逃げ出してきた女性たちの一時的なシェルターだと聞いていました。
その建物はいつもひっそりとしていて、私がいた学生会館の華やかさと対照的でした。
今思うと、あちらの建物の女性たちは、週末など着飾って出かけ、ボーイフレンドに
送ってもらって門限ぎりぎりに帰って来る女子学生たちを、どんな思いで見ていたのか。
その頃は、考えてもみなかったのですが。

この本の中で久しぶりに出会った言葉があります。
「いま曲り角にきたのよ。曲り角を曲がった先になにがあるのかは、わからないの。
でも、きっといちばんよいものに違いないと思うの。」
「赤毛のアン」の中にあった言葉。
どんな状況でも、先を信じて歩いていくアンの言葉です。
そして花子の言葉のようでもあります。

「アンのゆりかご」村岡花子の生涯 http://tinyurl.com/nqy42qg
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「女のいない男たち」

2014年04月18日 | 


本日発売の村上春樹の新作「女のいない男たち」。
前作「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」に私はおおいに失望したので
今回の短編集を楽しみにしていたのでした。
夕食後読み出して、読み終わったばかりでまだ感想はまとまっていないのですが
感じたことをを少しばかり書いてみます。

印象としては「1Q84」以前の春樹ワールドが少し戻って来たような気がします。
前書きで著者が”ビートルズの「サージェントペパーズ」やビーチボーイズの「ペットサウンド」
のようなコンセプトアルバムを意識して書いた”と言っているだけあって
短編の題名も「ドライブ・マイ・カー」とか「イエスタディ」とか、昔懐かしいのが揃っている。

「イエスタディ」という短編には、その歌を関西弁に訳して歌う男が出てくるのですが
前書きによると”歌詞の改作に関して著作権代理人から示唆的要望を受けた”のだそうです。
なので大幅にカットされてしまって
”昨日は/あしたのおとといで
 おとといのあしたや”
だけしか出ていません。
関西弁の「イエスタディ」のフル・バージョンが見たかったな…

「ドライブ・マイ・カー」の北海道中頓別(なかとんべつ)町の問題は
新聞で読んで知っていました。
小説の中で、中頓別町出身の女性が火の付いたたばこを車の窓から捨てた際、
「たぶん中頓別町ではみんなが普通にやっていることなのだろう」と主人公が思うのです。
それに関して、「町民の防災意識は高い。『車からのたばこのポイ捨てが普通』というのは事実ではなく、
町をばかにしている。」と中頓部町の町議が異議を申し立てたというもの。
で、本作では町名は別の架空のものとなっていました。
北海道の小さな過疎の町が、春樹の小説によって世界的に有名になった方が面白いのじゃないかと
私は思ってしまうのですが。

「シェエラザード」には、私の前世はヤツメウナギだったという女性が出てくる。
ヤツメウナギ、以前、下町の有名な鰻屋に私が行った時にそのメニューがあったので
どんなものかと調べたことがあったのです。
画像を見て、そのグロさに驚きました。
口が巨大な吸盤のようになっている。
この女性は「私にははっきりとした記憶があるの。水底で石に吸い付いて、
水草にまぎれてゆらゆら揺れていたり、上を通り過ぎていく太った鱒を眺めたりしていた記憶が」
と事もなげに言うのです。


ヤツメウナギ Wikipediaより

表題作「女のいない男たち」には
”新しい消しゴムを迷いもなく半分に割って差し出す”14歳のエムという女の子と
”西風が吹くだけで勃起してしまう”14歳の僕が出てきます。
この短編集全体を無理にまとめたような作品で私には不満が残るのですが
春樹の初期の作品の匂いが少々楽しめるような気がします。
”僕のハックルベリー・フレンド。川の曲りの向こうに待っているもの…。
でもそんなものはみんなどこかに消えてしまった。
後に残されているのは古い消しゴムの片割れと、遠くに聞こえる水夫たちの哀歌だけだ。”
しかしこの作品、短かすぎ。
せっかく十四歳のみずみずしさ、そしてそれを懐かしむ切ない思いを
久しぶりに思い出したような気がしたのに。

「女のいない男たち」
http://www.amazon.co.jp/%E5%A5%B3%E3%81%AE%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%84%E7%94%B7%E3%81%9F%E3%81%A1-%E6%9D%91%E4%B8%8A-%E6%98%A5%E6%A8%B9/dp/4163900748
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Zooeyという名は…

2014年03月23日 | 


昨日のいつもの高校時代の飲み会で
その中の一人から今「フラ二―とズ―イ―」を読んでいると聞いて驚きました。
私の同級生なのですから、当然もういい歳をしたオジサンなのです。
何故に今頃サリンジャー!?
若い頃読み損なったから、というのが彼の返事でしたが。
Zooeyってどういう意味ですか?と聞かれることが今もありますので
久しぶりに書いてみます。

私のハンドル・ネームZooeyはこの小説から取りました。
もう長いこと読んでいませんが、実に青臭い、理屈っぽくて鼻持ちならない小説です。
”名門女子大で演劇や詩を学ぶグラース家の末娘フラニーは、過剰な自意識に
さいなまれ、エゴの蔓延する世の中に吐き気をもよおし、デートの最中に失神する。
心身のバランスをくずした彼女を兄ゾーイーはなんとか力づけようとして…(中略)
服装や言動の緻密な描写が暗示する登場人物たちの内面、すれ違っていく男女の心、
フラニーが神経衰弱に陥っていくまでの心の動き、妹を救うためのズーイーの奮闘、
そして、死してなお絶大な影響力を持つシーモアの思想…(野崎孝訳 amazonより)”

ほら、つまらなさそうでしょう?
今では手に取る気もしません。
しかし、いまだに覚えているということは、それだけ印象的だったのでしょうね。
多感な十代の頃、こんな冗長でつまらない小説を読んで、慰められたことが確かに
あったのだと。そのことを忘れたくなくて。
それにズーイーという、トボケタ語感が好きなのです。

最近、村上春樹がこの小説の新訳本を出したと新聞に出ていました。
そうしたら2~3日前、やはり高校時代の友人(男性)が
ヘルシンキ空港でトランジットの間、この新訳本を読んでいるという記事をFBに。
私が気になってはいるけれど、今更あまり読む気がしないとコメントすると
”「今となってはあまり読む気しない」同感です。サリンジャーは、子供でも大人でも
無い時期にのみ感情移入できる。ズ―イ―さんも面倒な時期を通り過ぎ、
無事大人になってよかったね。”という返事。
そうなんですよね…
大人になり過ぎた気がしないでもありませんが。

しかし正確に言えば、私は十代の頃もサリンジャーはちっとも好きではなかった。
それなのに、トールペイントを中心としたHPに「Banana Fish's Room」という名前を
やはりサリンジャーの小説から取ったというヘソ曲がりです。

「フラニーとズーイ」


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「ヴェネツィアの宿」

2013年10月06日 | 


近々イタリアに旅行するという友人に、(イタリアに関連する本だったら)須賀敦子が
いいよと勧めて、自分でも久しぶりに読み返してみました。
別に旅行記というわけではないのですが
若い頃に長くイタリアに住んでいたという著者の本には、イタリアのあちこちの風景と
それにまつわる彼女の想いが散りばめられているのです。

そして須賀敦子の文章は、何処か悲しい。
同じイタリア関連でも例えば塩野七生の、論理的で歯切れのよい文章に比べると、
控え目で上品で、線が細いような気がするのです。
塩野七生が今もイタリア在住、第一線で活躍中の歴史研究家であること、
須賀敦子がイタリアに留学したのは今から半世紀以上も前であること、
そして彼女が本を書き出したのは帰国後20年以上も経ってからであること、
そして幾つかの美しい著書を残して急逝してしまったことも
関係しているかもしれません。
だから須賀敦子の描くイタリアは、どれもこれも
彼女の記憶の中でうっすらと霧に包まれたような感じなのです。

須賀敦子の数少ない著書は、どれも珠玉の宝石のようですが
その中でも、自伝的な要素を多く含んだ短編集「ヴェネツィアの宿」が私は好きです。
たった6年連れ添った夫君ペッピーノが死んでゆく夏を描いた「アスフォデロの野をわたって」
亡き父君の思い出とやはりその別れの場面を描いた「オリエント・エクスプレス」は
あまりにも悲しい。

死の床にある著者の父が「ワゴン・リ社の客車の模型とオリエント・エクスプレスのコーヒー・カップ」
をお土産に求めるのです。
模型はともかく、コーヒー・カップを一体どうやって入手できるのか、途方に暮れた著者は
ミラノの中央駅に駆けつけ、オリエント・エクスプレスの車掌長に事情を説明するのです。
”ヨーロッパの急行列車でも稀になりつつある、威厳たっぷりだが人の好さがにじみ出ている、
恰幅のいいその車掌長に、私は、日本にいる父が重病で、近々彼に会うため私が東京に帰ること、
そしてその父が若い時、正確に言えば1936年に、パリからシンプロン峠を越えてイスタンブールを旅したこと、
そのオリエント・エクスプレスの車内で使っていたコーヒー・カップを持って帰って欲しいと、
人づてに頼んできたことなどを手短に話した。
ひとつだけ、カップだけでいいから欲しいんだけど、分けて頂けるかしら、と”(中略)

すると車掌長はおもむろに客車にとってかえすと、
一つのコーヒー・カップを白いリネンに包んで持たせてくれるのです。
それを持って日本に急ぎ帰国した筆者に、父君はもう焦点の定まらなくなった目を向け、
「オリエント・エクスプレス・・・・・・は?」とささやきます。

”翌日の早朝に父は死んだ。
あなたを待っておいでになって、と父を最後まで看とってくれたひとがいって、
戦後すぐにイギリスで出版された、古ぼけた表紙の地図帳を手わたしてくれた。
これを最後まで、見ておいででしたのよ、あいつが帰ってきたら、
ヨーロッパの話をするんだとおっしゃって。”


60歳を越えて書き始めたという彼女が
たった8年間の創作活動の末に近年、急逝してしまったことが惜しまれてなりません。

「ヴェネツィアの宿」 http://tinyurl.com/k432wbg
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「チーズの肉トロ」

2013年09月26日 | 


婦人画報の10月号の特集は
「究極のレシピあります 100人の献立」。
先人の知恵が生み出した「一汁三菜」という和食の基本の組み合わせが
いかにバランスよく身体によいものかということが、丁寧に解説されています。
そして、著名な料理人の自慢の料理の数々、
シェフの休日ごはん、美容研究家の勝負食などから
織田信長や千利休が手掛けた茶事の料理までを、写真入りで紹介。

その中で私が一番惹かれたのは
「作家の著作から 読む献立集」というもの。
色々な作家の料理本、あるいはエッセイの中から、
料理について書かれた文を紹介しているのです。

例えば山田風太郎の「あと千回の晩御飯」から
”わが家で愛用する料理に「チーズの肉トロ」と称するものがある。
例のとろけるチーズを薄い牛肉で握りこぶしの半分くらいに包み、
サラダ油で焼いたもので、これをナイフで切って食う。
正しくは肉のチーズトロというべきだろうが、語呂の関係で
「チーズの肉トロ」と呼んでいる。”

阿川弘之の「食味風々録」から
”昆布だしで白米を炊き上げ、別に、醤油と味醂でやや濃い味に煮込んでおいた土筆を
その上へ振りかけてむらす。十分むれたところを、杓子でかき廻せば、簡単に
つくし飯が出来上がる。調理方法は簡単だが、仄かな苦味があって、実に旨い。”

伊丹十三の「女たちよ!」から
”ところで、このキューカンバー・サンドウィッチであるが、これは実にけちくさく、
粗末な食べ物でありながら、妙においしいところがある。
胡瓜のサンドウィッチというと、みなさん、胡瓜を薄く切って、
マヨネーズをつけてパンにはさむとお考えだろう。
違うんだなあ、これが。マヨネーズなんか使うのはイギリス的じゃないんだよ。
マヨネーズじゃなくて、バターと塩、こうこなくちゃいけない。”

他にも、石井好子の「巴里の空の下オムレツのにおいは流れる」から
ウグイス色をしたセリのポタージュの作り方、
玉村豊男の「料理の四面体」から焼きナスのシリア風など、
昔読んだ本からの美味しそうな引用が山ほど。

惜しむらくは、向田邦子、この人の料理本が私は大好きなのに、
ここではなんと「卵かけご飯」が紹介されていること…
それはともかく、幼い頃読んだ「ぐりとぐら」のカステラから始まって
本に出てくる料理の、なんと美味しそうなことか。
日一日と秋らしくなってきた今日この頃、
ひとつずつじっくりと読んで、作ってみたくなりました。

婦人画報 http://www.hearst.co.jp/product/fujingaho
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