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Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

40年ぶり「ポーの一族」

2016年05月30日 | 


少女漫画雑誌を買ったなんて何十年ぶりだろう?
萩尾望都「ポーの一族」40年ぶりに登場!
少女の頃、何度読み返したか分からない漫画。

これから長きに渡って連載される(であろう)「ポーの一族」新作第一話は
まだまだ始まったばかりの序章のようで正直、私には今一つでしたが
別冊付録の「訪問者」に泣きました。
これは1980年刊の作品のようなのですが、私はもう大人になっていて知らなかったのです。
「トーマの心臓」のオスカーが、ギムナジウムに行くまでの1年間を描いている。
この作品のフアンにはとっくに周知の事実のことですから書きますが
オスカーの父親グスタフには子種がなかった。
美しい妻ヘラは、学生時代の恋人ミュラーと一夜を共にし、オスカーを授かる。
グスタフは妻の前では息子をまったく無視し、妻のいない所で可愛がった。
そしてオスカーは9歳になり、グスタフは口論からヘラを殺してしまう。
グスタフはオスカーと愛犬シュミットを連れて、当てのない旅に出る…

旅ではグスタフは息子を可愛がるが、その途中にも、息子を残して度々失踪する。
その都度オスカーは、自分は捨てられたのではないかと不安になりながら待っている。
そのオスカーの気持ちが、なんとも切ない。
老犬シュミットが死んだところでは
「もしこんどパパが出て行ったら
 もう帰っては来ないかもしれない
 だってもう シュミットがいないんだもの…」

オスカーは、父親グスタフが母親を殺したことを薄々気がつきながら
グスタフの重荷を半分肩代わりしようとする。
「神さま パパを苦しめないで
 ママ パパを許して
 お願いです」

しかしグスタフは、自分はもう駄目だ、お前をこれ以上連れて行けないと
結局オスカーを、ミュラーが校長を務めるギムナジウムに置き去りにする。
「ぼくはいつも たいせつなものになりたかった
 彼の家の中に住む 許される子どもになりたかった
 ほんとうに 家の中の子どもになりたかったのだ」

親の愛を得られない、家に居場所を見つけられない子どもの悲しみを
作者はどうしてここまでみずみずしく描けるのか?
子どもは親を選べない。
親に無視されても、虐待されても、子どもは親を求める。
何十年ぶりに、オスカーの孤独に泣きました。
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切なく悲しいお伽噺「海の仙人」

2016年05月22日 | 


久しぶりに「感想を書きたい」と思う本に出会いました。
文庫本の帯のキャッチコピーは
「孤独に向き合う男女三人と役立たずの神様が奏でる不思議なハーモニー」。
宝くじで3億円が当たり、会社を辞めて海辺の町で釣りをしながらひっそり生きる河野勝男。
浜で出逢い、河野と惹かれ合うようになる、キャリアウーマンのかりん。
河野を遠くから思い続けながら、他の男とも付き合う片桐。
その三人に「ファンタジー」と名乗る奇妙な神さまが関わって来る。

そもそも「ファンタジー」って何者なのか?
突然、河野の前に現れて
「居候に来た、別に悪さはしない」とのたまう国籍不明の男。
”「神さん?」
河野が聞き返すと、ファンタジーは憮然とした面持ちで言った。
「親戚のようなものだ、中でも俺様は一番できが悪い」”
河野は訝りながらも、しかしファンタジーを自然に受け入れて行く。

この小説の登場人物はみな心優しく、適度な距離を保ちながら相手と関わっているのです。
お互いを尊重しながら、それでも結果的には傷つけ合うことになったりする。
過酷な運命に打ちのめされ、幸せになりたくてもなれない孤独な男と女たち。
片桐の台詞。
「孤独ってえのがそもそも、心の輪郭なんじゃないか? 
外との関係じゃなくて自分のあり方だよ。背負っていかなくちゃいけない最低限の荷物だよ。
例えばあたしだ。あたしは一人だ、それに気がついてるだけマシだ」

文庫本の解説の、福田和也氏の言。
”孤独は「心の輪郭」であり、「最低限の荷物」だとするところに、絲山氏の真骨頂が現れています。
孤独から逃げ出すために他者と連なるのではなく、自らの孤独を引き受けた者だけが他者を尊重できる、と。”

こんな説明じゃ何のことだか分からないでしょうが…
これほど相手のことを思っているのに、どうして結ばれることができないのか?
ここまで酷な運命を、どうして彼らは背負わなければならないのか?
そんな疑問が喉まで出かかっているのだけど、それを口にするのが恥ずかしくなるくらい、
登場人物たちは、静かに自分の運命を受け入れて行く。
大切な人や物を失った時の喪失感、そして失うまでの果てしない怖れ、
そういったものが淡々と、しかしキッパリと描かれているのです。
孤独な人間たちの人生の一断面を綴った、切なく悲しい御伽話。
心に深く傷を負った人への静かな応援歌、という気もします。

易しい文体はテンポよく、抑えたユーモアが効いていて
150ページ余りの短い本は、すぐに読み終わってしまう。
でも何度も読み返したくなります。
私は今日、結局三回読みました。
かりんが河野に出会った日に語った
「『よだかの星』の、おまえはこれから『市蔵』と名乗れと言われたところとか、悲しかったよね」
という言葉が、実は一番共感したところだったりします。

「海の仙人」絲山秋子 
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「1Q84」とヤナーチェク

2016年03月01日 | 
オペラ「イェヌーファ」を観てから、「1Q84」の中でヤナーチェクはどのように
扱われていたのだろう?とどうにも気になって、読み返してみました。
2009年に「1Q84」1・2巻、2010年に3巻が出て、それぞれ発売日に読んだものの、
あまり好きになれず、その後読んでいなかったのです。
読んだ直後に簡単な感想も書いていますが、発売直後なのでネタバレする訳に行かず、
大雑把な印象を書きとめただけでした。
7年も経つと、程よく忘れていて丁度よい。

冒頭から、ヤナーチェクのシンフォニエッタが登場して驚きました。
小説の第一行目、首都高速道路を走るタクシーの中で、カーステレオから
この音楽を青豆は聞くのです。
青豆が愛する天吾は、高校時代の管弦楽部で、この曲をティンパニ奏者として
演奏している。
そしてこの曲はその後も、2巻にも3巻にもくり返し登場して来るのです。

村上春樹は小説の中でよく音楽を小道具として使いますが
この作品に関しては、小道具なんてものじゃない。
青豆が人を殺す時には、シンフォニエッタの冒頭のファンファーレが頭の中で鳴り響くし、
その後、彼女は、この曲のクリーヴランド管弦楽団の演奏によるレコードを購入したり
天吾がシカゴ交響楽団のレコードをかけるシーンも用意されたりしている。
青豆が世間から何か月も隠れる所では、この曲を聴くのを唯一の慰めにしているようでもある。

冒頭では分からなかったのだけど、青豆はシンフォニエッタを聴いたのをきっかけに、
別の世界へと移行したようでもあるのです。
この曲は、青豆と天吾を結びつける絆のようでもあり、
何かが起きるときの啓示のような役割をしているとも言える。
この本が発売された後、この曲のCDが日本中で売り切れになってしまったというのも
よく分かります。

春樹の、今ある世界と平行する別の次元の世界を書いた小説が私は好きだったのですが
「ねじまき鳥クロニクル」などに比べて「1Q84 」の、なんと殺伐としていることか。
「ねじまき鳥」のもうひとつの世界は、私が好きな「不思議の国のアリス」や
「ナルニア国物語」に出てくるおとぎの国に通じるものがあるのに比べ、
「1Q84 」のもう一つの世界は、山岸会、オウム真理教、連合赤軍といったところか。
エラい有名作家となると、おとぎの国で遊んでいる訳には行かないのか…
ちょっと残念。
しかもこの曲、私はどうも好きになれそうにありません。


京王プラザホテルの吊るし雛

「1Q84」 http://1q84.shinchosha.co.jp/
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「ラオスにいったい何があるというんですか?」

2016年01月16日 | 


私は「遠い太鼓」や「雨天炎天」などの、春樹の紀行文が好きなのです。
久しぶりのこの新作、楽しみにしていました。
ボストン、アイスランド、ミコノス島、NY、フィンランド、ラオス、トスカナ、熊本などを巡る、
幾つかの雑誌に書かれたものを集めたという紀行文集です。
丁度私が去年行ったばかりのミコノス島やNY(しかもヴィレッジ・ヴァンガード!)が
出て来るなんて、これは嬉しい。

一つ残念だったのは、この旅のうちの殆どはカメラマン同行で行ったらしいのに
写真がとても少ないこと。
しかもその少ない写真のうちの何枚かは、著者のポートレート。
例えば、ラオスの紀行文の中で
”僕はルアンプラアバンの街でいろんなものを目にした。
寺院の薄暗い伽藍に無数に並んだ古びた仏像や、羅漢像や、高名な僧侶の像や、
その他わけのわからない様々なフィギュアの中から、自分が個人的に気に入ったものを
見つけ出すのは、ずいぶん興味深い作業だった。”
という文の横にあるのは、ラオスのホテルのポーチで読書する著者の写真。
ポーチの白い壁と藤の椅子と著者が映っているだけ。
ルアンプラアバンの街並み、寺院の伽藍や仏像の写真なんて一枚もない。
ギリシャ編に関しては、3枚のうち3枚までに著者が映っている。
いや、作家ってやっぱり自己愛が強いのかしらん…?



タイトルの「ラオスにいったい何があるというんですか?」というのは
著者がラオスに行く途中に、中継地のハノイで、あるヴェトナム人から発せられた質問であるらしい。
ヴェトナムにない、一体何がラオスにあるというんですか?と。

(その質問に対して)
”僕は今のところ、まだ明確な答えを持たない。
僕がラオスから持ち帰ったものといえば、ささやかな土産物の他には、いくつかの光景の記憶だけだ。
でもその風景には匂いがあり、音があり、肌触りがある。
そこには特別な光があり、特別な風が吹いている。(中略)
 それらの風景が具体的に何かの役に立つことになるのか、ならないのか、それはまだわからない。
結局のところたいした役には立たないまま、ただの思い出として終わってしまうのかもしれない。
しかしそもそも、それが旅というものではないか。
それが人生というものではないか。”

ここは綺麗にまとめられすぎているような気がしますが
全体に力を抜いて書かれたような感じの、ゆるくて楽しい紀行文集です。

「ラオスにいったい何があるというんですか?」 http://tinyurl.com/h3kmupw
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「誓いーチェチェンの戦火を生きたひとりの医師の物語」

2016年01月09日 | 


チェチェン紛争をテーマにした映画「あの日の声を探して」を観た後、
ハッサン・バイエフ著の「誓いーチェチェンの戦火を生きたひとりの医師の物語」を読みました。
米原万理が「チェチェンのブラックジャック」と称しているというバイエフの本、
500ページ余の分厚い単行本なのですが、いや面白い。
夢中で読んでしまいました。

チェチェンが何処にあるのかも私は正しく知らなかった。
黒海とカスピ海の間、ロシアと中東を隔てるコーカサス山脈にある、小さな国なのだそうです。
そこでイスラム教であるが故に、16世紀イワン雷帝の時代からロシアに迫害され続けていた。
ハッサン・バイエフはそこで1963年に生まれました。

彼の数奇な生涯を簡単に表すと
虚弱体質で病気に次ぐ病気→柔道と出合い、ソヴィエトチャンピオンに→医学の道へ→
モスクワで美容整形外科医として大成功→戦時下のチェチェンに戻り、多くの負傷者を治療する→
ロシア人医師の捕虜逃亡を助処刑寸前に→重いPTSDでモスクワの精神病院に入院→
メッカ巡礼→第二次チェチェン戦争で再び砲火の下、負傷者の治療に奔走、ミサイルの直撃もくらう→
ロシア、チェチェン双方から命を狙われ、アメリカに亡命→人権活動家として表彰され、
世界にチェチェンの現状を訴える一方、医学復帰を目指す(←イマココ)

淡々と書いてある自伝なのですが、その内容が凄まじい。
ほんの一部分をご紹介すると
”毎日、何十人もの負傷者がアタギに運ばれてきた。
大腸や小腸をはじめ、肝臓や腎臓や生殖器がまるでひき肉のように潰されていた。
どれもこれも殺傷性の高い破砕性爆弾によるものだった。”
そんな戦火下において彼は
”サワークリームで患部を洗浄し、家庭の縫い糸を消毒して傷口を縫い、
暗がりの中で患者の足を切断し、大工が使う鋸を使って頭蓋骨を開き脳外科手術をし、
27時間飲まず食わずで手術を行って気絶すると、看護婦が病院の外で雪で顔をこすって起こし、
多い時は3日で70数件の手術を行った”というのです。

民家を破壊し、徹底的に略奪し、女を強姦し、男を殺すか連れて行く様は映画でも観た通り。
半死の重症を負った女は、力なく著者に言う。
”「あいつらは私たちの目の前で娘を犯しました。
シャマーノフ将軍が部下の兵士に言っていました、
『やれ、やれ、お前たちの好きなようにやれ』と」”

かの有名なヒポテラクスの誓い通り、兵士も市民も関係なく、チェチェン人とロシア人の区別もなく
治療を施した著者は、チェチェンの急進派からもロシアからも命を狙われ、何度も殺されかけ、
やむなく2000年にアメリカに亡命します。
それにも大変なドラマがあったのですが…

しかしその後も、チェチェンに住む甥のアリがロシア軍が連行される。
随分後になってアリがした話によると
”深さ4メートルの、手足も満足に伸ばせない井戸のような堅穴に放り込まれていた。
連中は毎日、日によっては一日に二度も三度も、アリを穴から引き上げて、散々殴りつけた。
股間を突かれることもあるし、腰を殴られることもあれば、顎をやられることもあった。
アリを「外科医の椅子」に座らせ、両手を背中に廻して手錠をかけ、水を入れたプラスチックの
ボトルで殴った。指や耳、唇や性器に針金をつけて、電気ショックをかけた。
そしてその後は、指の爪の間に針をさしこむのだった”
アリは穴の中に39日入れられて拷問され、著者がアメリカから二千ドルを送ってようやく
釈放されたのだそうです。

いやもう、紹介するにもキリがない。
まだ近年に、こんなことがあったのかと只々驚くばかり。
(そして今も、このようなことが世界の何処かで起り続けている)
そういえば2013年のボストン・マラソンのテロはチェチェン人の兄弟が犯人だった。
あの時はなんて酷いことをと思い、今もその気持ちは変わらないのですが、
こんな複雑な背景があったのだとは…

「誓いーチェチェンの戦火を生きたひとりの医師の物語」 http://tinyurl.com/z8c8nu2
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「星の王子さまの恋愛論」

2015年12月01日 | 


「星の王子さま」を私はあまりに好きだったので
その著者、サン・テグジュペリのことについて知ろうとは思いませんでした。
美しい著作に感動して、その作家のことを調べたらガッカリした、なんてことが
たまにありますので。
が今回、三田誠広の「星の王子さまの恋愛論」を読んでみました。
”この短い話がこれほど人々を引きつける秘密は何か。
 この物語を「挫折した愛の修復の物語」として、その謎をスリリングに解き明かす”
とはamazonのキャッチコピー。

「星の王子さま」の著者は、本名アントワーヌ・ド・サン・テグジュペリといって
貴族の生まれであったのですね。
1900年、5人姉弟の真ん中に生まれ、リヨンのお城で育ちますが
父も祖父も早くに亡くなり、経済的には大変だったようです。
9歳で学校の寄宿舎に入れられますが、夢想家でわがままな彼は
学校や生徒たちにうまく馴染めず、何度も転校したのだそうです。
最終的に落ち着いたスイスの全寮制の学校では、母親に無理を言って
高額の費用を払い、個室を与えられたのだそうです、
そこで友達も作らず一人きりで本を読み、ますます孤独を深めたのですと。

学校の寄宿舎ならともかく、後に軍隊に入った時も彼は兵舎に馴染めず、
母親に懇願して、兵舎の近くに部屋を借りて貰ったのだそうです。
無論兵役だから、夜は兵舎に帰らなくてはならなかったのですが
わずかな自由時間に一人きりになりたいというのが、彼の切なる願いだった。
”個室は城であり、星の王子さまの故郷のプラネットようなものだったのでしょう。
 友だちのいない寂しい少年、というよりも、孤独が好きな人間、それが
 サン・テグジュペリだったのではないでしょうか”とこの本は断じている。

あの「芸術は爆発だ」の岡本太郎が著作の何処かで
人生で一番つらかったのは軍隊生活だったと書いていたことを思い出しました。
岡本は今では、アスペルガー症候群の一種であったように言われています。
サン・テグジュペリもその類だったのかしらん。



その後、彼は、貴族の令嬢ルィーズと婚約するも、生活力のなさゆえに破綻。
会社の事務員になっても1年しか続かず、トラックのセールスマンになっても
1年半に1台しか売れなかったのですって。
口下手で人づきあいが苦手だったというのだから、無理もない。
紆余曲折の末、彼はパイロットとなりますが
当時パイロットというのは、社会的に保証された職業でもなく、危険極まりなかった。
本人も何度も砂漠に墜落し、瀕死の重傷を負っています。
「星の王子さま」の中の砂漠の不時着シーンは、実話に基づいていたのですね。
その後コンスエロという美しい女性と恋愛しますが
派手好きで社交的な彼女との結婚生活は、必ずしもうまくは行かなかったらしい。
「夜間飛行」という小説が有名になり、彼は名声と富とを手に入れるのですが…

「星の王子さま」を書いた翌年1943年、フランス軍パイロットとして
44歳のサン・テグジュペリは軍用機で飛び立ち、この世から姿を消したのだそうです。
星の王子さまと同様、遺骸も残さずに。

そうした著者の生涯を知ってみると、「星の王子さま」はまた、別の重みを持ってくる。
”愛というのは、蜃気楼のようなものです。
 手が届かないからこそ、美しく見える。
 それにしても、ただの絵空事を描いたのでは、言葉は力を持ちません。
 激しく胸を痛め、涙を流しながら、絞り出すようにして書かれた言葉が、読者の胸を打つのです。
「星の王子さま」という作品の中に散りばめられた言葉が、まさにそれです”
どっちにしても、悲しい本なのだけどね…



写真は高島屋名古屋店にて

「星の王子さまの恋愛論」  http://tinyurl.com/gvp345h
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「抱く女」

2015年11月06日 | 


「アウト」「グロテスク」で衝撃を受けてから
桐野夏生作品の主だったものは読んでいますが、ずっと失望し続けています。
近年の「魂萌え」「ハピネス」「だから荒野」などは、感想を書く気にもなれない。
ちょっと心に残ったのは「柔らかな頬」「残虐記」「ポリティコン」くらいか。
最新作「抱く女」は
「この主人公は、私自身だ―。1972年、吉祥寺、ジャズ喫茶、学生運動、恋愛。
「抱かれる女から抱く女へ」と叫ばれ、あさま山荘事件が起き、不穏な風が吹く七〇年代
二十歳の女子大生・直子は、社会に傷つき反発しながらも、ウーマンリブや学生運動
には違和感を覚えていた。必死に自分の居場所を求める彼女は、やがて初めての恋愛に
狂おしくのめり込んでいく―。
揺れ動く時代に切実に生きる女性の姿を描く、永遠の青春小説。」
というamazonの説明に期待して読んだのですが…

このヒロイン直子が桐野さんだなんて信じられない。
聡明さはまるでなく、愚直で浅薄で救いようがない。
学生運動に飲み込まれる時代の波に反発するのは分かるが
無頼を気取りながら、結局勉強もせず、社会運動するわけでもなく、
バイトしながら男と寝ては、無意味に生きている。
中途半端に「女の自立」を叫んだりもしてるが、殆ど内容がない。

直子が中ピ連の会合に出たシーン。
”「権力は、私たちから、産む産まないの権利さえ奪おうとしている。
私たちは、ただの子産み機械じゃない。人間です、女です。
抱かれる女から抱く女へ、というリブのスローガンがありますが、それだけじゃ足りない。
抱く女の主体的権利を、これから奪い取って、強めて行く必要があります。
そのためにも、中絶理由から『経済的理由を削る』という厚生省の案は絶対に阻止しましょう。
皆でそのために闘いましょう。」
拍手が起こった。直子は暗い顔で俯いていた。
「抱かれる女から抱く女へ」
男を抱いたつもりだったが、私は単に「抱かれる女」でしかなかったのだ。
いや、女でもなかった。ただの便壺だったとうのか。
 この屈辱と怒りをどこにぶつけたらいいのか、わからなかった。
気がついたら、立ち上がって喋っていた。
「公衆便所って言葉があるじゃないですか。あたし、最近そんなことを言われて
頭に来てるんです。男は汚物ですか。じゃ、あたしたちは汚物を入れる便壺ですかって
思います。差別するにもほどがあります。
絶対にこんな言葉を許してはいけないと思う」”

いや、「優生保護法改悪と保安処分に反対する話し合い」と
直子の「公衆便所と呼ばれたことの私怨」は関係ないと思うのですけど。
片っ端から雀荘で知り合った級友と寝る貴女、
そう言われても仕方ないと思うのですけど。

終盤、直子はバンドボーイと恋に落ち、同棲するのですが
それは発情期のサルの行動のようなもの。
恋の行方は書いてありませんが、書かなくとも分かるということか。
若さゆえの愚かさを描いたというなら、それは成功しています。

「抱く女」 http://tinyurl.com/nk4arjz
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「職業としての小説家」

2015年09月26日 | 


この本、売られ方からして変わっていました。
紀伊国屋書店が初版10万冊の9割を出版社から直接買い取り、自社店舗のほか他社の書店に限定して
供給したのだそうです。
これは売れ残りのリスクを抱えることにもなるが、ネット書店に対抗するための策だったのだとか。
新聞広告を見た先週の販売初日、我家の近くの本屋にはありませんでしたが
その翌日の夕方にはありました。

中身は、自伝的エッセィ。
村上春樹がどうやって小説家になったのか、
小説を書くということについてどう考えているのか。
正直言って、もう氏の他の本の何処かで読んだことがある話(あの有名な神宮球場の降臨の話にしても)
が多いような気がするのですが
こうして大系的にまとめるということに意味があるのでしょう(きっと)。

基本的に「誠実に生きていくために心がけるべきこと」を淡々と語ってくれるような内容です。
ストイックでモラリストな著者の姿がよく出ているようではあるのですが
あまりにも偉い人になりすぎてしまったようで、ちょっと寂しい。
私としては、もっと無名の、小説を書き始めたばかりの頃の、
女の子の扱いに戸惑って、ちょっと困った顔して「やれやれ」なんてつぶやいている、
隣にいるお兄さんのようなハルキ君、の頃の方が好きだったのです。
御本人もおっしゃってますが。
(どうがんばったところで)「すべての人を喜ばすわけにはいかない」って。

ジョン・アーヴィング(この人の小説も昔、好きでした)のエピソードが面白かったので
少々ご紹介を。
”昔、作家のジョン・アーヴィングに個人的に会って話をしたとき、彼は読者との
繋がりについて僕に面白いことを言いました。
「あのね、作家にとっていちばん大事なのは、読者にメインラインをヒットすることなんだ。
言葉はちょっと悪いけどね」。
メインラインをヒットするというのはアメリカの俗語で、静脈注射を打つ、
要するに相手をアディクト(ドラッグの常用者)にしちゃうことです。
そういう切ろうにも切れないコネクションを作ってしまう。
これは比喩としてはとてもよくわかるんだけど、イメージがかなり反社会的なので、
僕は「直通パイプ」という、より穏やかな表現を使いますが、でもまあ、
言わんとすることはおおむね同じです。”

大体、表紙からして凄い。
荒木経惟氏撮影の、大文豪のポートレイトみたい。
(実際、何度もノーベル賞候補にもなっているのだから、仕方ないのでしょうが)
かつて彼とよくコンビを組んでいた、安西水丸氏のポップなイラストなんかの
表紙の方がよかったなあ…
ああ、安西氏ももう亡くなっゃったのだった。



「職業としての小説家」 http://www.switch-store.net/SHOP/BO0068.html
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「失われた一日」

2015年09月22日 | 
久しぶりに読み返した村上春樹のジャズに関する本の中で
思いがけず心に沁み込む言葉に出逢いました。

”どんな人生にも「失われた一日」がある。
「これを境に自分の中で何かが変わってしまうことだろう。
そしてたぶん、もう二度ともとの自分には戻れないだろう」
と心に感じる日のことだ。”(マイルズ・ディビス)

”ビリー・ホリディの晩年の、ある意味では崩れた歌唱の中に、
僕が聞き取ることができるようになったのは一体何なのだろう?(中略)
ひょっとしてそれは「赦し」のようなものではあるまいかー最近になって
そう感じるようになった。
ビリー・ホリディの晩年の歌を聴いていると、僕が生きることをとおして、
あるいは書くことをとおして、これまでにおかしてきた数多くの過ちや、
これまでに傷つけて来た数多くの人々の心を、彼女がそっくりと静かに引き受けて、
それを全部ひっくるめて赦してくれているような気が、僕にはするのだ。
もういいから忘れなさいと。
それは「癒し」ではない。
僕は決して癒されたりはしない。
なにものによっても、それは癒されるものではない。
ただ赦されるだけだ。」(ビリー・ホリディ)

いずれも「ポートレイト・イン・ジャズ」から。
これは、昔読んだ若い時には、なんとも思わなかっただろうな…
あれから少しだけ歳を重ねた今だからこそ、しみじみと沁みる。
私にも「失われた一日」があった。
私の意思に関わらず、結果的にそうなってしまったことが。
生きて行くということは、得るものも多いけれど、失うものもあるのだと
当たり前のことを実感して、愕然としてしまう。
私にも「赦し」をもたらしてくれるものがあるのだろうか。
「もういいから忘れなさい」と誰が言ってくれるのだろう?

大学の図書館の文芸誌の新人賞で「風の歌を聴け」を読んで
こんな新人が出たのだと驚いた日があった。
それから勝手にこの人に親近感を持って、ずっと作品を楽しみに読んできたのだけど。
その後どんどん有名になってしまい、ノーベル賞候補とまで言われるようになり、
近年の新作に失望させられ、先週出たばかりの「職業としての小説家」ではもう、
畏れ多い文学界の大先生という感じになってしまったこの著者も
ある意味では私にとって「失われた人」の一人であるのかもしれません。


(お台場で)

「ポートレイト・イン・ジャズ」  http://tinyurl.com/prtjl88

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「スクラップ・アンド・ビルド」

2015年08月10日 | 


文藝春秋今月号に載っていたもうひとつの芥川賞作品。
それにしても純文学の感想を書くというのは難しい。
話題作であるだけに、あまりネタバレする訳にもいかないし。
前回の「火花」といいこちらといい、こういった作品を読んだという
あくまでも備忘録です、自分のための。

87歳の寝たきりに近い祖父を、28歳のその孫、健斗が在宅看護する。
「死にたい」を口癖とする老人を健斗は冷たく見つめ、
そんなに死にたいのなら協力してやろうじゃないかと考える。
手厚い介護をするように見せかけて祖父の活動を阻止し、
祖父の体を弱体化して緩慢な死への導入としようとする。
なんとも薄ら寒くなるような話です。

”今朝の新聞やチラシの束が手つかずでローテーブル上に置かれている。
することがないなら、せめて新聞の見出しを眺めるくらいのことはしたらどうだ。
まるで居候の身をわきまえていると主張しているかのように、
ここにずっと住んでいる母や健斗から許可されるまで何にも手をつけない
祖父のハリボテの奥ゆかしさに鼻白む。”

”「もう、毎日身体中が痛くて痛くて……どうもようならんし、悪くなるばぁっか。
よかことなんかひとつもなか」
背を丸め眉根を寄せ、両手を顔の前で合わせながら祖父がつぶやく。
佳境にさしかかった、と健斗は感じる。
「早う迎えにきてほしか」
高麗屋っ。中学三年の課外学習で見た歌舞伎で、友人たちと面白がり口に
しまくった屋号を思いだす。祖父の口から何百回も発された台詞を耳にしながら、
健斗は相づちをうちもせずただその姿を正視する。”

健斗には恋人もいるのですが、これがまた性欲の処理係でしかない。
日に日に弱って行く、老いさらばえた体の祖父。
眼の前で衰弱する肉体を見ながら、筋トレや自慰に励んで身体を鍛え、
体力を強化しようとする孫。
しかし、ある事件をきっかけに二人の立場は微妙なことに…
作者の、登場人物を描く目の冷やかさには驚かされるばかりです。
自虐的なユーモアも、そこには見受けられるのですが。

老人と若者の双方の立場からの、生への執着をこんなにも後味の悪いものに
描き上げるとは。
お見事、と言うべきなのでしょうか。

「スクラップ・アンド・ビルド」 http://tinyurl.com/qxuebww
コメント (8)
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