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Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

「私の軽井沢物語」

2013年09月02日 | 


実に贅沢な本です。
B5版の横型のような変形サイズで、殆ど全ページに写真が載っているのです。
大正期から戦後までの軽井沢の様子、朝吹家の豪華なポートレート。
皇室、華族、財界、政界、各方面の著名な人物との華麗なる交流。
「私の東京物語」と似ていますが、こちらの方が著者の子ども時代の思い出が
よりみずみずしく、郷愁を込めて書かれているような気がします。

そこに描かれる何と華やかな世界!
日常的に行われたという、樅の木の下の、白いクロスをかけたテーブルでのお茶会。
女中たちはイギリス製のメイドの制服を着て白いエプロンをかけ、
「マミー」(著者の母親)はオーガンジーのロングドレス、西洋の婦人は帽子とパラソル。
特に印象的だった子どもの為の「インディアン・パーティ」というのは、
”下の兄たち二人がアメリカ製の子供用インディアンの服を着て、七色の羽飾りを
つけ、パイプを持ってドラムを叩き、インディアンの三角のテントを張った”もの。
”ハリウッド映画のインディアンの話が現実に、
樅の樹々は遠いアメリカ大陸の森林に変じる。”
というのですから…
このインィアン・パーティが行われたのは、実に大正12年、関東大震災の一か月前。
そして、乗馬にテニスにゴルフにパーティに興じる毎日。

しかし、華美な生活の裏には当然、厳しい現実もあって、
大正時代のこの頃には軽井沢には水道はまだ引かれておらず、
別荘には当時”水汲みばあさん”と呼ばれた、棒縞の木綿の着物を着、
手拭を姐さんかぶりにした女の人たちが、天秤棒の前後に桶を吊るし、
小川から水を、一日に何度も何度も運んだのだそうです。
それで飲料水からお風呂の水からすべて運んでいたというのですから。

幸せだった子ども時代の思い出から一変して日本は戦争に突入。
東京から軽井沢に疎開した著者は、冬の寒さと食糧不足に苦しむことになります。
多感な思春期を経て、財閥の御曹司と結婚、離婚、そして再婚。
私としては一番知りたいその辺りのことが殆ど何の説明もないのが、とても残念。
身重の体で焼け野原の東京から軽井沢に脱出し、
食料不足の中で赤ちゃんをなんとか産んだことだけがさらりと書いてあります。
著者としては、幸せではないことについては
多くを語りたくなかったのかも知れません。

この本の中で私が一番共感を持ったのは、この部分でした。
”(家庭教師の)ミス・リーは子供たちを膝もとに寄せて、イギリスの本を沢山読んでくれた。
私はディキンズの、蛇と戦う勇敢なマングース、リキティキタヴィの話や、
ピーター・ラビット一家の話が好きだった。
「昔、昔、四匹の子ウサギがいました。その名前はフロップシー、モプシー、
コットン・テール、とピーターでした。」(中略)
イギリスの動物たちは、軽井沢の自然にぴったりしていた。
樅の大木や、小川の畔や、灌木の茂みから、今にも空色のジャケットを着た
ピーター・ラビットが飛び出してきそうだった。
ハリネズミのミセス・ティギ―・ウィンクルもそのあたりにいるかもしれない。”
子供の頃にワクワクして読んだ童話、
大人になってもそれを懐かしく思いだす気持ちだけは
富豪も庶民も変わらないのかも知れませんね。
私もピーター・ラビットの冒頭のこの文は
今でも暗記しております。

「私の軽井沢物語」 http://tinyurl.com/m7krqv3
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ちょっと残念「ハピネス」

2013年06月28日 | 


この作品は、現代のママ友の実態を描いたとして新聞雑誌など
色々なメディアで取り上げられ、読むのを楽しみにしていました。

有紗は東京ベイエリアのタワーマンションの29階に住む、30代前半の専業主婦。
夫はアメリカに単身赴任、三才の一人娘と二人で住み、近くのママ友と日々付き合っている。
同じ年頃の娘を持つママ友たちとは、一見仲良くしているように見えるが
5人の間には微妙な、しかし歴然とした格差があった。
分譲か賃貸か、家賃の高低、学歴、実家の家柄、夫の職種などによって。
有紗は、自分の秘密をひた隠しにして、精一杯背伸びして付き合っていたが…

やれやれ、と思ってしまう。
この主人公の有紗が、どうにも好きになれない。
自分に自信がなくて嘘で身を固め、見栄っ張りで人を妬みながら生きている。
自分はグループの中で「公園要員」に過ぎないという悲しい自覚を持ちながら
そのグループから離れることもできない。
子どもを有名幼稚園に入れようとするママ友たちに、
とてもそんな余裕がないのに、張り合おうとする。
5人のママ友の中で、意外な不倫関係が発覚する。
有紗自身に突きつけられた離婚問題、隠してきた過去が絡んで、
彼女は千路に迷う…

ママ友たちの狭い世界の中の閉塞感、そのくだらなさはよく伝わりますが
それ以上でもそれ以下でもない。
所詮、お洒落な女性雑誌「VERY」に連載されていた小説だと納得できるだけ。
情けない弱者が主人公であることは一向に構わないのですが
それならそれなりに矜持を見せるというか、人生の決着を引き受けて欲しいのに
どうも中途半端で…
ママ友たちの心理的駆け引きを、もっと息苦しくなるほど克明に
描いて欲しかったとも思います。

桐野夏生の「OUT」で衝撃を受けてから
「グロテスク」で舌を巻き、「柔らかな頬」「残虐記」など夢中で読んできましたが
「アイム・ソーリー・ママ」「魂萌え!」辺りからどうも失速しているようで…
ちょっと残念。
また衝撃作で驚かせて欲しいものです。

「ハピネス」 http://tinyurl.com/nhp47gk
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夢中で読んだが…ウェイバック原作「脱出記」

2013年06月11日 | 


実話から作られたという映画「ウェイバック」、こんなことが本当にあったのか!?
どうにも気になって、原作をamazonで取り寄せてみました。
「脱出記―シベリアからインドまで歩いた男たち」
スラヴォミール・ラウイッツが口述し、ロナルド・ダウニングが著したという
1956年出版「The Long Walk」の、海津正彦による翻訳本。
「発刊から50年、いまなお読み継がれる冒険ノンフィクションの白眉、
世界25カ国で翻訳されている 」(amazon)ということですが…

映画と違う点はまず、ソ連警察による拷問の様子が克明に書かれているということ。
ポーランド陸軍騎兵隊中尉だった著者ラウイッツは1939年、ソ連当局にスパイ容疑で逮捕され、
カルコフ監獄で一年に渡って過酷な取り調べを受けるのです。
「キシュカ」という、立っているだけがやっとの煙突のような細長い独房に入れられ、
糞尿は垂れ流し状態(一度も掃除されなかったという)、ここに6カ月。
その後、ここに書くのも憚れるような様々な拷問を経て、
裁判の結果は「25年の強制労働」。
家畜列車にぎゅうぎゅうに押し込まれ(一車両に60人)
ここでも身動きできず、立ったまま排泄しながら3週間。
貨車から降ろされた後、2ヶ月に渡って鎖に繋がれながら雪の中を1500キロ歩き、
そうしてシベリアの第303収容所に着いたのでした。

ここからの脱出、そして逃亡の様子は、概ね映画と同じです。
映画の登場人物には多少、脚色が加えてありますが、
驚いたことに、17歳の少女との出会いとその死も、本当に出てくるのです。
少女が集団農場から逃げてきた経緯が映画では省略してありましたが
要するに性的虐待から逃れてきたらしい。
極寒のシベリア、灼熱のゴビ砂漠、厳冬期のチベット。
飢えと渇きと寒さと暑さに何度も死にかけながら、
実際に次々と仲間を亡くしながら、ひたすら南を目指して歩いて行く。
芋虫や蛇を食べながら、凍傷や脚気や日射病に苦しみながら
それでも人間性を失わず、仲間と励まし合いながら。
モンゴルの、或いはチベットの素朴な人々から受けた精一杯のもてなしが
映画では省略されていたのが残念です。
面白くて夢中で読み終わりましたが…

しかし、面白すぎて疑問が残る。
こんなことが本当にあり得るのか?
何の装備もなく、極寒のシベリアや灼熱のゴビ砂漠や厳冬期のヒマラヤを
踏破できるものなのか?
ネットで検索してみたら、やはりフィクション疑惑があるそうです。
最終的に著者ラウイッツを含めて4人が生き残ったのに、
他の生存者の証言がまるでないこと。
雪男との邂逅など、話ができすぎていること。
イギリスBBC放送のニュースによると
ラウイッツがインドにたどり着いたと主張している1942年に
ソ連の強制収容所から恩赦で釈放されたと自分で書いている記録もあるのだそうです。
"Rawicz's own hand described how he was released from the gulag in 1942, apparently as part of a general amnesty for Polish soldiers."
(BBCnews) http://news.bbc.co.uk/2/hi/6098218.stm

何が本当なのかは皆目分かりませんが
ラウイッツというポーランド人がソ連の強制収容所で耐えがたい経験をし、
その後イギリスで結婚して幸せな家庭を持ち、
体験談の講演活動をしながら祖国ポーランドの孤児院の運営を援助し、
2004年に88歳で亡くなったことは事実のようです。

「脱出記―シベリアからインドまで歩いた男たち」http://tinyurl.com/kzcbpoz
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日常の殺意「夜行観覧車」

2013年02月09日 | 


今、テレビドラマ放映中の作品。
結果を知りたくて我慢できず、読んでしまいました。
まあこれはサスペンスなので、感想を書くまでもないかとも思ったのですが
タイムリーなので書いてみます。
同じ著者の「告白」や「贖罪」に比べると
インパクトの大きさには欠けます。
しかし「高級住宅地に住むエリート一家で起きた殺人事件」という題材、
その周辺の人々のそれぞれの家庭事情や思惑が面白い。
誰もが悩みを抱え、誰もがカッコ悪く生きている。

遠藤家の一人娘、中学生の彩花が癇癪を起して家の中で暴れる様は
見ていてつらくなるほどです。
しかしそれも結局、「自分に似て気が小さく、おとなしいだけの子」(父親の言葉)に
母親(ドラマでは主役の鈴木京香)が過剰な期待をして名門中学を受験させたのが原因か。
受験に失敗した彩花は、公立中でもいじめられて居場所をなくし、
家の中で暴れては鬱憤を晴らしているのです。
隣家のエリート一家の息子への淡い恋心が劣等感に歪められ、
憎悪にまでなり…

誰もが無様にジタバタしながら生きているのですが
わずかながらもいいところもある。
例えば高級住宅街での一番の古参ボス、小島さと子。
新参者で「この辺で一番小さな安普請の家」を建てた遠藤家を目の敵にして
その主婦をいじめまくるのですが
二言目には母親を「クソババア」呼ばわりし、「アンタなんか死ね!」と叫ぶ彩花に対して
「あなたのママは疲れているのよ。
これだけ我が子に、あんたあんたって連呼されたら、親をやめたくもなるわ。
彩花ちゃん、あなた、親をあんた呼ばわりできるほど、何がえらいって言うの?
将来、ノーベル賞でもとるのかしら?
でも、そういう人は親をあんただなんて絶対に呼ばないわね。」
と正論を吐くシーンではスッキリします。

お互いを愛し、お互いに思いやっている筈なのに
何処かで歯車が違って憎み合ってしまう家族。
この小説の中では、殺意は究極のものではなく、日常に転がっているもののようです。
結末は、意外性がないのが意外といったところか。
最後の週刊誌の記事として掲載された文が、全体をよく引き締めています。
ここをテレビではどう脚色するのかが、楽しみです。

「夜行観覧車」 http://tinyurl.com/byk4atw
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胸が痛くなる「何者」

2013年02月06日 | 


第148回直木賞受賞作。
著者の朝井リョウは、我家の次男と同い年なのです。
その彼が、自身の就活体験を基に書いたという本作、楽しみにしていました。
”影を宿しながら光を探る就活大学生の切実な歩み。
あなたの心をあぶり出す書下ろし長編小説。”(amazonより)

大学生の男女五人が、就活の情報交換をするという名目で度々集まる。
語り手である主人公拓人は学生劇団で脚本を書いており、何処か覚めた性格で
他の連中を斜めに見下ろしている。
学生バンドでヴォーカルをしている光太郎、留学経験があり英語ペラペラのリカ、
コラムニストで蹴活に否定的な隆良、精神不安定な母親に頼られている瑞月。
3年の12月に皆で集まってES(エントリーシート)を書き出す頃は皆、同一線上に並び、
「瑞月たちと集まって就活会議。仲間がいるって心強い!」(リカのツィッター)
という感じだったのが、ESで落とされる者、二次三次試験に進む者と
次第に差が広がっていく。
そして冬が終わり、春が来て…

ツィッター、FaceBookという小道具を通して現代の学生たちの会社向けの顔、
友人向けの顔、そして自分用の顔を切り分けて見せてくれる。
いつまでも理想を追いかけている友人をバカにしたり、
内定を貰った友人の会社のブラックの噂を検索したり、
公開していない別アカウントで友人のことをぼろくそに書き込んだり。

”いくらこちらから願い下げだったとしても、最終的に選ばれなかったということは、
そこまで選ばれていたのに決定的に足りない何かがあったというふうに感じてしまう。
ESや筆記試験で落ちるのと、面接で落ちるのとはダメージの種類が違う。
決定的な理由がある筈なのに、それが何なのか分からないのだ。
これまでの人生で何度も経験してきた試験のように、
数学ができなかったから、とか、作文で時間が足りなくなったから、とか、
そんな分析すらさせて貰えない。
就職活動において怖いのは、そこだと思う。
確固たるものさしがない。
ミスが見えないから、その理由がわからない。
自分が今、集団の中でどのくらいの位置にいるかが分からない。”

そして落ちる度に、全人格を否定されたような気分になって行く。
シニカルな主人公拓人に次第に共感を覚えながら読んでいくと
最後に痛烈なしっぺ返しが待ち受けている。
タイトル「何者」の意味がその時初めて、ずっしりと意味を持つのです。

昨年12月1日、就活が解禁になった日のTVニュースで
大学生のES(エントリーシート)を出す会社の数が、一人67社だと言っていました。
我家の息子たちは、幸いそれほど苦労することなく就職が決まったので
実感として分からなかったのですが、67社って凄い数です。
長く続く不況の中で、今の学生は本当に大変だと思わざるを得ません。
その学生たちの呻きや悩み、嫉妬や自己否定の苦しみは
人間の普遍的な痛みとして、我々の胸をも打つのです。
早大在学中に「桐島、部活やめるってよ」で話題を呼んだ著者朝井リョウは
著作を続けながら、某大手映画配給会社に就職したといいます。
今後の活躍が楽しみです。

「何者」 http://tinyurl.com/alqr5ag
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「はずかしそうにわらって死んだ」

2013年02月02日 | 


FBで見つけた写真。
キツネのおなかに可愛い子ウサギ。
こんな光景が本当にあるのですね。
これを見て、幼い息子たちに読み聞かせた「きつねのおきゃくさま」という
絵本を思い出しました。

はらぺこキツネは、痩せたヒヨコ、アヒル、ウサギと出会い、
丸々と太らせてから食べようと思って自分の家に連れて行きます。
毎日美味しいご飯を用意し、親切に世話をして、
ヒヨコたちから「やさしいお兄ちゃん」「親切なお兄ちゃん」
「神様みたいなお兄ちゃん」と呼ばれ、嬉しくてぼうっとなります。
最後にはヒヨコたちを守るため、自分の体を張ってオオカミと戦うのです。

”ある日。くろくも山のおおかみが下りてきたとさ。
「こりゃ、うまそうな匂いだねえ。ふんふん、ひよこに、あひるに、うさぎだな。」
「いや、まだいるぞ。きつねがいるぞ。」
言うなり、きつねは飛び出した。
きつねの体に、勇気が凛々と湧いた。
おお、戦ったとも、戦ったとも。
じつに、じつに、勇ましかったぜ。
そして、おおかみは、とうとう逃げていったとさ。

その晩。きつねは、恥ずかしそうに笑って死んだ。
丸々太った、ひよことあひるとうさぎは、虹の森に、小さいお墓を作った。
そして、世界一優しい、親切な、神様みたいな、
そのうえ勇敢なきつねのために、涙を流したとさ。”

ここで私の涙腺は決壊する。
キツネはでも、ヒヨコたちにこんなに慕われて幸せだったのだろうなあ…
あの時涙ぐんでいた息子たちも、もう覚えてはいないだろうけど、
せめて彼らの心の奥深くに沁みこんでくれていれば、と思うのです。

「きつねのおきゃくさま」 http://tinyurl.com/b9kkobc
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あのときはすまなかったなあ

2012年10月14日 | 


FBでこの写真を見つけて、「セロ弾きのゴーシュ」を思い出しました。
あの中に確かこんな風に、チェロの中に小動物が入り込むシーンがあったような。
子供の頃読んだきりでうろ覚えだったので
ネットで検索してみたら、出て来ました。
今は、ネットで全文読めちゃえるのですねえ…

”ゴーシュは町の活動写真館でセロを弾くかかりでした。
けれどもあんまりじょうずでないという評判でした。
じょうずでないどころではなくじつはなかまの楽手の中ではいちばんへたでしたから、
いつでも楽長にいじめられるのでした。”

”ゴーシュは、そのそまつな箱みたいなセロをかかえて、かべの方へ向いて口を曲げて
ぼろぼろなみだをこぼしましたが、気をとりなおして、じぶんだけたったひとり、
いまやったところをはじめからしずかに、もいちどひきはじめました。”


そしてゴーシュは、粗末な自分の家(町はずれの水車小屋)に帰ってからも
毎晩必死に練習するのですが、すると次々にお客が訪れるのです。
三毛猫、カッコウ、狸の子、野ネズミの親子。
チェロの中に入れられたのは、野ネズミの子どもでした。
彼らはゴーシュに音楽を教えてくれとか病気を治してくれと言ったりして
ゴーシュは腹を立てながらも、彼らの頼みに応じて一晩中セロを弾くのです。
そして音楽会の日を迎えるのですが…
ゴーシュは見違えるように上手になっていて、
楽長からも仲間の楽団員からも盛大に褒められるのです。


腕が未熟なセロ弾きのゴーシュが、動物の仲間たちの力を借りて毎晩必死に練習して
見事に上手になる友情と成功の物語…という認識はまあ違ってなかったと思うのですが
今になって読むと、多少違う面も見えてくる。
ゴーシュは、動物たちに対しては結構酷いこともしているのです。
猫の舌でマッチを擦ったり、カッコウを(結果的に)窓ガラスに激突させたり。
それが、強者(楽長)に苛められていた弱者であったゴーシュの
ストレスのよい発散にもなったのではないか。
そして楽団では一番下手だったゴーシュが、動物たちに対しては「先生」となり、
彼らに教えてやってるうちに自信が生まれ、
自分の欠点にも気がついたのではないか。
粗野な性格だったゴーシュに、動物たちとの交流を通して慈悲と愛情の気持ちが生まれ、
結果的に音楽を本当に理解できるようになったのではないか、等々。


まあそんな理屈をこねるまでもなく、
賢治の童話は本当に素晴らしい。
そして今も昔も、私が一番好きな箇所は、最後のこの文です。


”それからまどをあけて、いつかかっこうのとんでいった遠くの空をながめながら、
「ああかっこう。あのときはすまなかったなあ。おれはおこったんじゃなかったんだ。」
といいました。”


「セロ弾きのゴーシュ」 http://www.cello.jp/cellist/goshu/index.html
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キャベツと雑草

2012年10月01日 | 


昨日、「あざらしのキス」の短編を探して久しぶりに読み返した村上春樹の
エッセイの中で、もうひとつ印象的だったもの。
「野菜の気持ち」という短編。
”『世界最速のインディアン』という映画の中で、アンソニー・ホプキンズ演じる老人が、
「夢を追わないなんて野菜と同じだ」と言っていた。
(中略)彼は「インディアン号」という骨董級のバイクを改造して
時速三百キロを出すことを人生の目標にしている超ファンキーなじいさんで、
隣家の男の子に向かってそう言う。”
”でも話はそこですんなりとは終わらない。
男の子は「でも野菜って、どんな野菜だよ?」と聞き返す。
そういう意外な突っ込みをされるとじいさんもけっこう困って、
「ええと、どんな野菜かなあ。そうだなあ、うーん、
まあキャベツみたいなもんかなあ」と話がついゆるい方向に流れてしまう。”
(「おおきなかぶ、むずかしいアボカド」より)

”僕はだいたいにおいてそういう話のへたり方が好きなので、
だからこの映画にわりに好感を持った。”
と、著者は言っている。
私は少々驚いたのでした。
私もこの映画はかなり好きなのですが、
しかしこんな場面は少しも覚えていなかったから。
これは2005年の映画で、今から7年も前のことなので無理はないのですが。
村上春樹がこのエッセイを書いたのは、もっと前のことでしょうし。

それにしても、人によって印象に残る場面って違うなあと思うのです。
この映画の中で、誰もが忘れられないようなクライマックスのシーンなどは別にして
私が今でも覚えているのは、例えばこんなシーン。
件の老人はニュージーランドの郊外の住宅地に一人住い。
家も仕事もそっちのけで、毎日おんぼろバイクの改造に熱中している。
当然家はボロボロ、庭は雑草でボウボウ。
ある日、隣家の男が怒鳴りこんでくるのです。
庭の草をなんとかしろよ、おまえのせいでこの辺の土地の価格が下がっちまうんだよ!と。

笑ってしまいました。
なんとなれば岐阜の私の実家でも、両親が同じようなことを言って
空いている土地の管理に頭を悩ませていたから。
日本もニュージーランドも同じだなあ、と。
キャベツの話は私は覚えていませんでしたが
こんな田舎の土地を巡る言い争いのシーンなど、村上春樹はきっと
気にも留めなかったことでしょう。

写真はFBから

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昭和の大女優の意外な一面

2012年03月06日 | 


婦人画報四月号の特集「高峰秀子のレシピ」。
女優高峰の著書「台所のオーケストラ」をもとに
そのレシピやエッセイのいくつかを取り上げています。

邦画をあまり観ない私は彼女のことを
近年に亡くなった正統派美人の大女優、くらいにしか知らなかったのですが
こんなにも細やかな料理を作り、こんなにもさっぱりした江戸っ子風の文章を
書く人であったのですね。

例えば「三つ葉」の頁。
”最近の野菜や果物の風味が落ちたのか、私の鼻が鈍感になったのか知らないけれど、
三つ葉の香りにも、以前のような上品さ、爽やかさが全然ない。
だから、少し野暮っちい匂いだけれど、私は根三つ葉を専ら愛用している。
パリで藤田嗣治画伯と食べ物の話をしていたとき、私が
「日本の何が食べたいな、と思いますか?」と聞いたら、
「根三つ葉、しその葉、みょうが、ふきのとう、柚子に筆しょうがにくわいに納豆…」
とたちどころに十品ばかりをあげたのでビックリしたことがあった。
根三つ葉を見ると、だから藤田先生を思い出す。”

その三つ葉を使ったレシピ「ささみと根三つ葉のわさび醤油」は
”ごく新鮮なささみを一口大にそぎ切りにしてザルに入れ、熱湯をそそいで霜降りにして、
よく水気を切ります。。
わさびをおろして醤油と混ぜて「わさび醤油」を作ります。
(わさびはゆめゆめケチらずにたっぷり使い、鼻にツーンとくるくらいの方がおいしいのです)
わさび醤油でささみをサッとまぜて小鉢に盛り、三つ葉のみじん切りをたっぷり乗せ、
更に焼き海苔の千切りを展盛りにします。”
という、簡単で美味しそうなもの。
だけどチューブじゃなくて、本わさびが要るのね…

そして、晩年の高峰秀子・松山善三夫婦の養女になったという作家斎藤明美の
「亡き母に捧ぐ」という文章からの一節。
”松山が誰かと外で昼食を取らねばならなかったある日、高峰は私に電話を
かけてきて言ったことがある。
「今日ね、昼はラーメンでも作ってやれと思って、一人で食べたの。
丼に移すの面倒だったから、鍋で直接食べたら、唇やけどしそうになっちゃった」
「かあちゃんったら…」
言いながら、私は妙にじんときた。
この人は、自分のために料理を作るのではない。
愛する人のために、考えて、工夫して、精一杯美味しいものを作るのだ。
その人に喜んでもらうために。”



高峰秀子という人の略歴を見ると
5歳の時に子役でデビュー、生涯で三百本以上の名作に出演したと。
あの美貌で若い頃はどれだけ忙しく、どれだけちやほやされたか分からないのに
こんな繊細な料理を作り、こんな一面を持ち合わせていたとは。
「台所のオーケストラ」私も買いました。

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中国ではやはり歪められた「時が滲む朝」

2012年02月16日 | 

先日書いた日記「ママ友はいません」の楊逸氏の本が気になって読んでみました。
日本語を母語としない作家の、初の芥川賞初受賞作。

1988年、農村に生まれた主人公の浩遠が、夢と希望にあふれて大学に進学するところから
物語は始まる。
親友の志強とともに勉学に励み、学生たちと議論を重ねるうちに
”愛国”や”民主化”ということを考えるようになり、自然に民主化運動に参加する。
そこに天安門事件が起こり、呆然とした二人は酒の勢いもあって乱闘事件を起こし、
3か月拘留された後に退学処分となる。
何もかも失くした彼は農民工のどん底生活を体験した後、結婚して日本に渡り、
それでも祖国を思って地道に民主化運動を続けている…

残念ながら、それほど感動はしませんでした。
天安門事件から北京五輪前夜までの若者の半生を描くには
この枚数では短すぎて、限界があるようにも思います。
描写が淡々としすぎていて、薄っぺらな印象を禁じえません。
ただ、中国の若者が、どのようにこの20年を生き抜いてきたかを
中国人作家の口から語られたのを聞けたのは、非常に意味があることだと思います。
彼らは、ごく普通の若者だった。
官僚の汚職と腐敗に反対し、「国家興亡、匹夫有責」のスローガンのもと、
愛国者であろうとしただけだった…

そして著者の「あとがき」がとてもよかった。
”頭が自分の首についているにもかかわらず、あの人が悪い人だと教えられれば、
いくら優しくて良い人だと感じていても、「悪人」だ「悪人」だと思い込まなければいけなかったし、
口も、歌いたくない讃美歌を歌わされ、汚い罵倒語を声高々と敵に浴びせるように批判しないと
子どもといえども思想問題になってしまう。(中略)
1989年ー私は二十五歳だった。辛くて忘れたい時代である一方、懐かしくて
忘れるに忍びない時代でもあった。
その時代とその時代を生きた私、その時代に青春を捧げた大勢の中国の無名の小人物の
記念として、「時が滲む朝」は、2008年の春に書き終えた。”(あとがきから)

この小説には、これだけの切なる思いが込められていたのですね。
しかし、中国ではやはり歪めて紹介されたようです。
”残念なことに、日本では「天安門事件で民主化運動に身を投じた青年が大学を追われて
日本に渡る」となっているこの小説の紹介文を、中国のメディアではそうは伝えていない。
「中国の農村から日本に渡った中国人男性が体験した理想と現実の落差を描いた」
などと紹介されている。

”「柏木理佳 とてつもない中国」の最新記事”より
http://diamond.jp/articles/-/1548


違うんですけど…
中身を読めば分かることですが。
しかしこれ、中国では出版されたのかな…?


「時が滲む朝」 http://tinyurl.com/6tepuf5
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