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Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

「フォードvsフェラーリ伝説のルマン」

2020年02月09日 | 

先日観た映画「フォードvsフェラーリ」の原作本を読みました。
2011年の発刊、著者A.J.Beimeはプレイボーイ誌の編集者です。


映画がもっぱらフォード社側の目線から描かれていたのと違って、こちらはフォードとフェラーリ双方の立場から描かれています。
著者はアメリカ人なのですから、無論、フォード側に関する記述がずっと多いのですが。
イタリアの特権階級向けのスポーツカーを作るエンツォ・フェラーリが、小さな金属工場の息子として生まれ、小学校と職業訓練校にしか行っていないとは知りませんでした。
デトロイトの自動車王国の御曹司として生まれたヘンリー2世が、イェール大学でカンニングがばれ、卒業証書を貰えなかったことも知りませんでしたが。


その二人の闘いは、ル・マン24時間レースを舞台に、国同士の闘いにまで発展する。
ル・マンという、死と隣り合わせのあんな危ないレースに国をかけて血道を上げるというのが、女の私にはどうにも理解できないところなのですが
”1965年のアメリカは、スピード革命の真っ只中にあった。”
”スピードはセックスと同じだった。道に出たらアクセスを踏むのは当たり前。
危険を楽しむのは、自由になる手段だった。そんな彼らにとって、レーシング・ドライバーは自分の化身だった。男らしさと、はったりの究極。”
”初めて、レースがテレビで頻繁に放映されるようになった。度肝を抜くクラッシュやチェイスのスリルーカメラはスピードを全米のリビングルームに送り続けた。”
これらの文章を読んで、少しだけ納得した思いです。


(英語版)

映画ではあんなに悪役だったレオ・ビーブは、本書ではそんな風には書かれていない。
あの三台横並びのゴールについて、レオは確かに提案はしたようですが、シェルビーはその場ですぐに同意しているのです。
もっともそのことを、シェルビーは死ぬまで後悔していたようですが。
「ケンは一周半先を走っていたんだ。彼はレースに優勝する筈だった。
彼の心を傷つけてしまった。そして、そのまま彼は8月に亡くなってしまった」と。


自動車ビジネスの熾烈さ、自動車レースの過酷さ、そこに携わる人々の喜怒哀楽が、映画よりも詳細に読み取れます。
逆に言えば、映画はシェルビーとケン・マイルズの二人に焦点を当て、それ以外を斬り捨てた思い切りぶりが見事とも言えるのでしょうが。
原題の「Go like hell」は「 死ぬ気でぶっ飛ばせ!」といったような意味でしょうか。


フォードvsフェラーリ伝説のルマン」 

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「極夜行」

2020年01月27日 | 

「極夜」は「白夜」の反対語であり、冬の北極や南極で太陽が地平線の下に沈み、24時間中真っ暗になる現象のこと。
著者は極夜の中、グリーンランドとカナダの国境付近を四ヶ月かけて探検したのです。
その為に3年かけた準備旅の様子を書いた「極夜行前」を以前読んで、本番を書いた「極夜行」を楽しみにしていました。


北極圏の何も見えない闇の中を、二台の橇に150キロの荷物を載せ、一頭の犬とひたすら歩く。
あえてGPSを使わず、天測でと地図とコンパスだけに頼るものの、旅の初めに大事な六分儀を失くしてしまう。
以前の準備旅で、やはり死ぬ思いで置いておいた食料は、白熊や現地の漁師に食べ尽されてしまっていた。
食料にするべくジャコウウシを求めて奥地に行くも、何日かかっても獲物は見つけられない。
食料はいよいよなくなり、最悪、愛犬を食べて生き延びるしかないと思う。


”餌を減らした上、一気に進んだことで犬は急速に痩せ衰え始めていた。
寒さに強い犬種とはいえ、氷点下三十度以下での重労働である。
あばら骨が浮き出て腰回りが貧相になり、後脚から尻にかけての筋肉がごっそりなくなっていた。
身体中を撫でて確認する度に、可哀想で思わず涙が出そうになる”
だったのが
”この頃になると私はもう、犬の肉を食べることを完全に視野に入れていたからだ。
村に戻るには一カ月近くの物資が必要だが、手持ちの食料はそれには全然足りない。
だが、ここまで獲物が取れない以上、犬が死ぬのは避けられず、死んだ犬の肉を喰えば最低でも十日分の食料になる”
そして
”犬はげっそりと痩せこけ、惨めな身体つきになっていた。前日よりも明らかに腰回りの肉が削げ落ちており、日一日と小さくなっていくのがよく分かる。(中略)
身体つきだけでなく、行動にも今まで見られなかった顕著な変化が現れていた。
私に物乞いのような仕草をするようになったのだ。
犬はゆっくり立ち上がり、のろのろと私の横にやって来て、お座りの姿勢をしたまま、カロリーメイトやナッツを頬張る私を、力を失ったくぼんだ目でじーっと見つめたのだ。
お願いですからその旨そうな食い物を私にも分けてくれませんか。
本当に少しでいいんです、分けて下さい、頼みます…”


愛犬に見つめられて耐えられなくなった著者は、狼狽え、逡巡した挙句、遂に食べ物を投げ与えるのですが、それは小さなレーズン二粒だったのです。
極夜の探検というのは、それくらい厳しいものなのですね。


強烈なブリザードに度々襲われ、道に迷い、何度も死にかけますが、なんとか一頭のオオカミを仕留め、食料を確保して生還します。
私は犬好きなので、つい犬の部分ばかりを取り上げましたが、この探検の動機には哲学的な理由もあり、とにもかくにも過酷で壮絶な探検記でした。
この本があるということは、著者が無事生還できたことを意味しているのですが、それでもどうなるのやらとハラハラドキドキの連続でした。
この本の冒頭に著者の妻の出産シーンが登場し、探検記に何故?と不思議だったのですが、それが最後に見事に帰結します。


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「キネマの神様」

2020年01月18日 | 

原田マハの父親が「しょうがない人」に出て来る父親だと知って
彼女の著による父親像を、どうしても読んでみたくなりました。
で、この本。
「長いあいだ書きたかった物語をようやく書き上げた」と原田マハが言うこの本は
まさにその父親についての物語なのです。


39歳独身の歩が、不当な理由で長年勤めた会社を辞めることになったところに、
父が倒れたという知らせが届く。映画とギャンブルが趣味という父親には、多額の借金があった。
その父が雑誌「映友」に歩の文章を投稿したのをきっかけに、歩は編集部に採用される。
そして父も、映画ブログを展開することになるのだが、やがて奇跡が訪れる。


”この物語は限りなく私小説に近い。もっと細かく言うと、導入部から三分の一はほぼ自分の体験に基づいて描いている。私の父は現在八十二歳だが、かつては大変なギャンブル好きで、そのためにいつも借金を重ねていた(中略)
確かにどうしようもない、けれどどうしようもなく愛すべき存在として、この父の人となりを書き留めておきたい。そんな思いがあった。”


そして残り三分の二はファンタジーであるらしいのですが、これが面白かった。
何より、映画好きな父親のことを書いているだけあって、映画の名前が次々に出て来る。
それが私も好きな映画ばかりで、読むほどにその情景が浮かんでくる。
その映画への愛と親子の愛(あるいは憎しみ)とが、見事に絡まっています。


惜しむらくは、歩がチラシに裏に書きつけ、それを読んだ父親が勝手に投稿したという感想文が、私にはそれほど感動的な文章には思えませんでした。
それを読んだ「映友」の編集長が惚れこんで、一発で歩を編集部に採用したというのに。
しかし、その後に出現する謎のブロガーと父親との、映画についてのブログ上のやり取りはつくづくと面白い。
映画館の何処かにいるという「キネマの神様」が、この親子にどんな奇跡を与えてくれたか?
それは是非、御自分でお確かめ下さい。


原田マハの父親は確かにギャンブル狂で借金まみれの、どうしようもない、
しかし原田宗典の小説に出て来る父親よりは、愛すべき人物でした。


父の人生に願いをこめて
キネマの神様

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「しょうがない人」

2020年01月15日 | 


一人暮らしをしている著者のもとに、派出所から電話がかかって来る。
父親が無免許でバイクを運転して捕まり、身元引受人として迎えに来て欲しいという連絡だった。
書籍のセールスをしていた父親は博打にのめり込み、サラ金から追い立てられて夜逃げし、一家離散の原因となり、その後も家族に散々迷惑をかけて来た。
好き勝手なことをして家を出て、たまに連絡してくる時は金の無心ばかり。
必ず返すからと言いながら、返したためしがない。
その日も著者はウンザリしながら、派出所にいる父親と電話で話す。


”父親は何か言いかけましたが、咄嗟に上手い言い訳を思いつけなかったのでしょう、すぐに口籠り、随分長い間黙り込んだ後にようやく「申し訳ない」と呟きました。
「もういいよ。とにかくあんたは今無免許でドジを踏んで捕まって、オレが迎えに行く他ないんだろ」
「うむ…」
「行くよ。行けばいいんだろう」”


著者はそれまでの父親の姿を思い起こし、嫌々派出所には行くものの、事務的な手続きだけをして、徹底的に父親を無視しようと心に誓う。
年中サラ金から追い立てられ、家族に迷惑ばかりかける父親をつくづく情けなく思う。
しかし派出所で、うなだれる父親を執拗に叱り続ける若い警官を見て
「おいッ!おまえ…」
「おれのおやじを…何だおまえは!おれの、おやじを…」
と叫んで、嗚咽を漏らしてしまうのです。


情けない父親にも、かつては頼もしく輝かしい時代があった。
今はどんなにみすぼらしくても、家族には忘れられない過去がある。
憎みたいと思っても見捨てたいと思っても、中々できるものではない。
親子って切ないなあとつくづく思います。


原田宗典は他にも何冊もこの父親のことを小説に書いており、これはどうも私小説のようです。
原田宗典は、原田マハの兄。
つまりこの「しょうがない人」は、最近私が読みこんでいる原田マハの父親でもあるのです。
元ニューヨーク現代美術館のキュレーターであり、NYやパリやロンドンを舞台にした華麗なアート小説「ジヴェルニーの食卓」「楽園のカンヴァス」「暗幕のゲルニカ」など次々と書いている原田マハの。
英語が堪能で美術に造詣が深く、日本人にしてMOMAのキュレーターになるなんて、どんなに恵まれた家に生まれたお嬢さんかと思っていました。
驚きました。


しょうがない人


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「森瑤子の帽子」島崎今日子

2020年01月10日 | 


もう若くない女の焦燥と性を描いた「情事」ですばる文学賞受賞、38歳でデビュー。
瞬く間に流行作家となり、52歳で逝去するまでの15年間に100冊を超える本を書いた森瑤子。
その華やかなライフスタイルで世の女性の憧れとなった、グラマラス作家の評伝。

芸大でヴァイオリンを学び、ハンサムなイギリス人の夫と美しい3人の娘を持ち、
六本木と三崎、そして軽井沢に居を構え、島やヨットを買い、パーティや旅行に明け暮れる。
英語を流暢に操り、性愛や夫婦関係、母娘の葛藤についても赤裸々に語る。

若い頃、彼女の新刊が出る傍から読みましたとも。
特に息子たちが小さくて家から出られなかった頃に、夢中で読んだ気がします。
彼女の小説は軽くてスタイリッシュで、育児に追われて閉塞感いっぱいの身には夢のようであり、また切れ端の時間に読むのに丁度よかったのです。
「自分に収入がないという状態は私を鬱屈させたが、何よりもまいったのは、社会から隔離され、置き去りにされ、忘れられてしまったように感じたことだった。不安や不満で鬱々とした毎日。それが影響して夫婦の関係も最悪だった。私はまず、強烈に、自分がここにいると世界に向かって叫びたかった」(プライベート・タイム)
という独白に痛く共感し、またその小説に描かれる洗練された生活、スノビッシュな、そして機知に富んだ会話に憧れずにはいられませんでした。


今回、彼女の周りの多くの人々の証言を丹念に取られており、森瑤子の著書からだけでは分からなかった、彼女の別の姿が浮かび上がって来ました。
驚いたことは沢山ありますが、その一つ。
彼女が学生時代に心酔していた同級生の林瑤子。
「私の親友だった。彼女のヴァイオリン演奏の清潔な甘美さと、誠実な正確さを愛してやまなかった。森瑤子というペンネームは彼女の名前からもらったのである」
とまで書いているのに、林氏にとって森は親友ではなかったらしい。

夫アイヴァンや森の母親との軋轢についても、かなりの脚色が入っていたらしいこと。
アイヴァンが頑固で保守的なイギリス人であることは間違いなく真実のようですが
新婚一日目からネクタイをして朝食の卓についたという有名な話は、脚色らしい。
まあ「小説とは根も葉もある嘘である」という佐藤春夫の言葉を何度も引用していた彼女ですから。

次女マリアの言。
「ポルシェを買ったのも、島を買ったのも(夫ではなく)自分が欲しかったから。母の友人に『あなたのママはね、林真理子さんにだけは負けたくなくて島を買ったのよ』と言われたことがあった」
三女ナオミの言。
「(インターナショナルスクールに通っている頃)ママのお弁当は白いご飯にお醤油がかかって海苔一枚のってるだけ」
あれだけ美味しそうにイギリス式家庭料理を作る様を描写し、料理本まで出しているというのに。

森瑤子の最初の婚約者であり、彼女がアイヴァンと結婚してからも、誰よりも理解してくれる男友達としてエッセイなどに度々登場する亀海氏について、北方謙三は
「正直な話、その時に思ったのは、亀海さんは森さんが面倒くさかったんだろうなということ。面倒くさいというか、2人きりになりたくないというのがあって、俺を森さんとの緩衝材にしようとしてるんじゃないかってことです」と。
これも、とても意外でした。

アイヴァンが幼少期に施設にいたことや、カナダ人の恋人のことなど、ここまで書いちゃっていいの?ということも多々。
しかし後味が悪くないのは、著者の森瑤子に対する敬愛の気持ちが根底にあるからなのでしょう。
あのバブルの時代に、最も売れた作家の一人と言われる森瑤子。
彼女が、実は脆いガラスのようなその性格を、ブランドの服や宝石やポルシェやヨットで武装していたのだろうということは、容易に想像がつくことではありました。
そしてあの大きな帽子で。

森瑤子の帽子」 

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「英国の街を歩く 街にあるメッセージを読む」

2020年01月05日 | 
お正月休みに読んだ本のうちの一冊。
英文学者がロンドンや田舎町を歩きながら、路傍の看板や張り紙、人々の声から、英国文化を観察した記録。
言われなければ気がつかないような、独特の英語表現がおかしいです。
ほんの少しだけご紹介を。


トラファルガー広場に寝転がるホームレスの男の看板。
"I love you even you're unkind, selfish, or a politician."
(たとえあなたが不親切で、身勝手で、いや、政治家であっても好きです)
ホームレスで、しかもbegger(乞食)であるのに、この上から目線!
でもクスリと笑いたくなるような文言。


カンタベリーのパブの標示。
"Dogs welcome off leads. Kids must be on leads."
(犬は綱無しでも歓迎、子供は綱をつけるべし)
確かにイギリスの犬はやたらお行儀がよくて、騒ぎまわる子供よりもはるかに利口に見えます。


ロンドンでは自転車盗難も多いらしい。
"Hot spot for cycle crime."
(自転車盗難、頻発場所)
オックスフォード駅前の駐輪場。
"Be aware! Cycle thives operate in this area."
(注意!自転車泥棒の出没エリア)
operateってこんな時にも使うのね。




"There aren't many sheep in Shepard's Bush."
(シェパーズ・ブッシュに羊はたくさんいない)
これは、本には写真がなかったのですが、ネットで検索したら出て来ました。
何のこと?と思ったら、次に
"Get out of London."
Shepard's Bushはロンドン西部の地名で、これはつまり田舎に行けという、
地方へ向かう長距離バスの広告なのだそうです。


ヒースロー空港へ向かうバスの中の注意書き。
"Reportng anything unusual won't hurt you."
(不審なものを通告しても怪我するわけじゃない=不審なものを見かけたら恐れずに通告を)
これ、数年前にバスの中で見かけたのですが、意味がよく分からなかったのです。
納得しました!


「英国の街を歩く」 

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「極夜行前」

2019年10月13日 | 
「極夜」という聞き慣れない言葉は「白夜」の反対語であり、
冬の北極とか南極で太陽が地平線の下に完全に沈み、24時間中真っ暗になる現象を言うのだそうです。
本書は、そこを犬一匹と橇を引いて4か月旅をする様を描いた「極夜行」の前編であり、
3回にわたる準備の旅の記録です。
準備といっても3年がかりの旅で、GPSも衛星電話を使わない北極圏の道行は
常に死と隣り合わせであったようです。

角幡雄介という探検家の名前は知っていましたが、詳しくは知らなかったので
本書を読み進めて90頁目の、氷の途中の割れ目に落ちて死にかけた所で
「もっと雪の量が少なければ、海中に没し、潮流に流され、氷盤の下に入り込んで死亡していただろう。
死体は二度と見つからず、私の妻は結婚して僅か半年で未亡人となっていた」。
というくだりで、初めてこの人が新婚だと分かりました。
新婚でこんな危ない探検に出かけていたということにも驚きましたが。

本書に書かれた3回の準備旅のうち、1回目は六分儀を使った天測を学ぶため、
2回目は本番で同行する犬を教育するため、3回目は本番に備えて
食料燃料を各地のデポに貯蔵するためのカヤックの旅であったらしい。
私には、2回目の犬との旅が一番面白く読めました。

著者は、現地のイヌイットから、一匹の一歳犬を買い求めます。
食料や燃料を積んだ橇は150㎏にもなり、自分一人では到底引くことができない。
イヌイットの流儀に基づいて犬と共に極夜行を計画するのですが
著者は犬を飼ったことも躾けたこともがなく、ウヤミリックという名のその犬も橇を引いた経験はまだない。
文字通り手探りで始まった旅は、中々思うようには行きません。

ウヤミリックは、旅先でホームシックになったり、ご飯を食べなくなったり、
怯えて動かなくなったり、橇を引かなくなったり、著者の思うようには扱えないのです。
「なんでそんなことも分からないのか、お前はそんなに阿呆だったのかああああ!と
私は叫び出したい心境だった。元々知能が低いのか、犬とはそんなものなのか。
あるいは飼い主に似て要領が悪いのか、それとも私の教育が悪かったのか」。

しかし極夜の北極圏において、犬の反抗は、著者と犬の死を意味します。
「もはや怒りを制御できなくなった私は再びストックで何度も背中を叩き、拳を握り締めて顔面に強打の嵐を見舞った。
私のあまりの変貌に犬は信じられないという表情をし、恐怖のあまり小便をびしゃああああっと盛大に漏らした」
この他にも、著者は怒りに任せて、書き写すに堪えないようなもっと酷い折檻を繰り返す。
それでも
「私が今この瞬間、この地で生きていることを知っているのは、唯一、犬だけだった」
という旅を続けるうちに、両者は次第に心を通わせて行くのです。

氷点下30度以下の極寒の世界。
ウサギを20羽殺しその毛皮を縫い合わせて防寒着を作り、海鳥を何十羽も仕留めて干し肉を作り、
ジャコウウシを射殺してその強烈なアンモニア臭のする肉を食べ(時にはウジが何百匹も蠢く腐った肉も)
海象(説明がなくて何のことか分からなかったがセイウチのことらしい)に何度も襲われ、
北極熊の襲来に怯え、凍傷になりかけ、孤独と暗闇と極寒と恐怖に耐え、
そこまでして著者は何故に極夜行を目指すのか。
「万物を規定し、私たちの生命を律動させる太陽がない世界というのは、一体どういう世界なのだろう?
長期間そこに身を置くと何を思い、身体と精神はどのような反応を見せるのか?」

準備編の紀行記でも350頁、結構な読み応え。
本編を読むのが楽しみです。

極夜行前」 

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「ブリューゲルの家族」

2019年10月10日 | 

この本は、著者に一人の女性読者が送った25通の手紙という形で構成されています。
ごくごく平凡な女性であるという五十代の女性は、知恵遅れの24歳の、天使のような一人息子と
その息子を人生の汚点だと見なす、エリートの冷たい夫と暮らしています。
ある日、たまたま見たブリューゲルの絵の中に、我が子の姿を見つけたと言います。
それが「ネーデルランドの諺」。



先月、六本木の「見たことがないブリューゲル展」で私も観た絵。
この絵の真ん中の下あたりに描かれている、大きな樽を抱えた男。
その「愚かしいばかりに膨らんだ頬をして、眼はきょろんと上を向いている」男が
自分の息子そのままだというのです。
この男の絵は、「陽だまりを運ぶ男」と解説にあるのだそうで、
そんな意味のない、しかし温かいことをすることも息子にピッタリだと。
そして彼女は、ブリューゲルの様々な絵に、幸福や不幸、温もりや冷淡を見い出し、
天使のような息子と、心の通わない夫との日常に重ねて行くのです。

ブリューゲルの絵一つ一つに色々なエピソードが書き込まれるのですが
中でも私が特に好きなのは、第11章の「豚の前に薔薇を撒く」。
同じく「ネーデルランドの諺」の中の、真ん中の下の方にいる青いターバンの男。
「豚の前に薔薇を撒く」というのは、無駄な仕事をするという意味なのだそうです。

ある日、女性の息子が行方不明になってしまい、必死に探すが見つからない。
そこへ近所の顔見知りのお婆さんが、隣町にいたという息子を連れて来てくれる。
女性は泣いて喜んで、その老婆に御礼として綺麗なブラウスを買って贈る。
淡いグレイとブルーの花模様で銀色のラインが入っているというそのブラウスを
夫は、あんな婆さんに、豚に真珠だとあざ笑い、
実際、その地味な老婆がその服を着ている姿を女性も見たことはなかった。
その後まもなく老婆は心臓の病で亡くなるのですが、息を引き取る間際に、
あのブラウスを着せてお棺に入れてくれと言ったのだそうです。
「よく似合ったんですよ、あの方。普段は構わないなりしていらしたけれど、
ほんとは顔立ちのいい方でしょう。だからあのブラウスを着て、見違えるほど、
伯爵夫人になったみたいに綺麗だったのですよ」と、その場にいた人の言葉。
しみじみとあたたかい話ではありませんか。
ブリューゲルの絵から広がる、独特の世界を楽しませて頂きました。


ブリューゲルの家族」 



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「十五の夏」

2019年09月17日 | 


「一九七五年、高一の夏休み。40日間のソ連・東欧一人旅。
異能の元外交官にして作家・神学者である“知の巨人"の思想と行動の原点」(amazon)
確かにあの時代に十五歳であの辺りを廻ったというのは凄いことだと思いますが
一日の朝ご飯から移動手段まで、ここまで詳細に書く必要があるのかと思うこともしばしば。
枝葉末節部分を削れば430頁×2の分厚い上下本までにならなかったでしょうに。
しかし、外国人の自由な旅行をまったく認めていなかったあの時代のソ連、
何故そこでなければならなかったのかということが次第に分かって来て
著者の若き日々の思考回路を紐解いていくような楽しみがあります。
上下巻この連休に読了。

十五の夏」 



オマケ 
連休最終日に次男がご飯を食べに来ました。
タロウへのお土産は、やはり瞬殺されました 。

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鉞子(エツコ) 世界を魅了した「武士の娘」の生涯

2019年09月03日 | 


先に読んだ「武士の娘」は中々面白かったのですけれど
杉本鉞子の自伝的小説というそれは、殆どエッセイに近い形のものでした。
具体的なことはあまり書いてなかったので、こちらの本を読んでみました。
内田義雄著、杉本鉞子の初の評伝。


父は長岡藩の筆頭家老で、藩の役職を追われた没落士族・稲垣平助であり、
維新後はいわゆる武士の商法で零落する様が、この本には詳しく書いてあります。
その長男・央は慶應義塾に入学するも酒に溺れてすぐに退学、その後軍隊を経て
人生再起を誓って渡米するが、騙されて一文無しに。
その時助けてくれたのが、後に鉞子の夫となる杉本松雄。
松雄は京都の魚問屋の息子で早くに父を亡くし、苦労の末20歳で渡米、
サンフランシスコで下働きから始め、自分の店を持つまでになったのだそうです。


明治5年生まれの鉞子は14歳の時、家の取り決めによってその松雄と婚約することに。
上京して海岸女学校(後の青山学院)で2年、東洋英和女学校で4年間、
アメリカ人の女性宣教師たちから、英語を含めてみっちり学ぶ。
郷里長岡で厳格な武士の教育を受けた鉞子は、東京のミッションスクールで
解放的な女性の生き方を知ったようで、ここで洗礼も受けています。
ところがその後、浅草の小学校で5年間、教師として働いているのです。
これは「武士の娘」には全く出て来なかったので驚きました。
どうもこれは「全額給付生」として卒業後の奉仕活動で返済するためであったらしい。


その後アメリカに渡ってからのことは「武士の娘」に書いてあった通り。
ところが10年ほどして松雄の店は破産、そのため鉞子が二人の娘と日本に帰っているうちに
松雄は急性盲腸炎で48歳の若さで急死してしまうのです。
その辺のことも「武士の娘」にはサラリとしか触れられていませんでした。
鉞子が「アメリカの母上」と呼んでいたウイルソン夫人は著書に登場しますが
その姪のフローレンスのことはまったく出て来ません。
彼女はフローレンスと深い友情を結び、お互いに支え合い、生涯の友となります。
「武士の娘」の著述、発刊に当たってもフローレンスの力添えがなくてはあり得なかったようですが
フローレンス自身が、自分の名前は出してくれるなと願ったそうなのです。


「武士の娘」は自伝的小説と言いながら
乳母から聞いた日本の昔話や、郷里の四季や祭りごとの様子、アメリカで受けた真心や友情、
そんなことを綴る抒情的な言葉で溢れています。
つらかったこと、苦労したことは殊更に描きたくない、
それも武士の娘としての矜持だったのかもしれませんね。
1950年(昭和25年)東京にいた78歳の鉞子が亡くなる3ヶ月ほど前に、
イギリスから「武士の娘」の再販の知らせが届いたのだそうです。
病床の彼女は日本娘と桜の花のカバーに包まれた美しいその本を手に取って
「私の本が再版されて広く世界の若い方に読まれるのは嬉しいことです。今の日本の若い方にも是非読んで頂きたい、世界で最も封建的と言われる日本のサムライの娘の物語にも、民主主義の人々の心を打つ何ものかがあるのです」
と語ったということです。


鉞子 世界を魅了した「武士の娘」の生涯



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