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Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

「女帝小池百合子」

2020年07月09日 | 

興味本位で読んでみました。
学歴詐称問題について、何処まで突っ込んでくれるのかと期待して。


「芦屋の令嬢」として生まれたと小池氏は公言しているが、芦屋といってもかなり外れの線路脇にあった生家は、今はコインパーキングになっているそうです。
石油関連の商売をしていた父親の勇二郎氏は、常に借金取りに追われる人生であったと。
非常に見栄っ張りであった(親戚の証言)という父親は、彼女を甲南女子中学、高校に進学させます。
そこから関西学院大に受験して入学するも、中退してカイロ大学に編入。
そして首席で卒業したというのが、世間に広く知られている彼女の学歴です。


この人の学歴詐称問題については、文春の記事などで散々読んで来ましたが、本書のここまで丁寧な取材、100人を超す関係者の証言、卒業証書の写真(本物と偽物)などを見れば、これはもう否定はできない気がします。
そもそもカイロ大はアラブ世界の最高峰の大学であり、卒業するのは非常に難しく、4人に1人は卒業できないと小池氏も言っているのです。
コネでなんとか編入できたとしても、家からの仕送りも十分でなく、バイトに忙しくてろくに通学もできなかったという氏が4年間で卒業できたとは、到底思えない。
カイロ時代に小池氏と一緒に住んでいたという女性が、当時のことを微に入り細に入り証言しています。
その女性が匿名であるということが、この本の信憑性に欠ける点ではありますが、当事者でなければ知らないような細かいことを列挙し、第三者による裏打ちがあるものもあります。


著者も言っているように、政治家に学歴が必要とは必ずしも思わない。
しかし嘘をついて、その嘘を利用して今の地位を築いてきたというのは、政治家という前に人間としてどうかと思います。
その他、ここに書かれている「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」や「築地女将さん会」の人たちに対する彼女の態度が本当だとしたら、これは大ウソつきと言われても仕方ないのではないかと。


日本のジャーナリストから、詐称疑惑について問い詰められたカイロ大学は、小池氏は間違いなく卒業したと答えているらしいのですが、何しろ「大抵のことはコネとカネでなんとかなるエジプト社会」(これは私もエジプトに行った際にローカルガイドから聞きました)、どうも怪しいと思ってしまうのです。


「女帝小池百合子」 



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「介護のうしろからがんが来た!」

2020年06月23日 | 

認知症の母親の面倒を見ながら乳癌発覚、手術に至る自分の経験を冷静沈着に観察し、何処までも軽妙な篠田節で書き上げています。

癌は幸い初期のものであったようですが、色々な理由で右乳房を切除することに。
その際、再建するかそのままかという”予期しない選択”を迫られた。
”女62歳。閉経後十余年。出産、授乳経験がないので胸は垂れていないが、顔はシワ、タルミ、シミの三拍子揃った立派なばあさんだ。それが乳房再建。しかも健康な左胸はこのさき順調に垂れて行き、再建した右だけが永遠にお椀型に盛り上がっている。考えたくもない。”

結局、著者は”唯一の趣味”である水泳をするときのことを考えて、再建を選ぶのですが…
その手術の様子が事細かに書いてあり、そうなんだと驚くことしきり。

その切除・再建手術の間にも執筆活動に勤しみ、入院先の聖路加病院を探検し、
施設にいる認知症の母の面倒を見、しかもタイとパラオに旅行に行っている。
90代の母親は”攻撃的な認知症”で、老健やグループホームでも次々とトラブルを起こす。
結局、著者は”世間の非難の的となっている”精神科病院への転院を決めます。

”今のところ、私にできるのは頻繁に面会に通うことくらいだ。
世の中には自称専門家の手による認知症理解を訴える啓蒙書、美談を重ねて在宅介護を精神論で乗り切れると誤解させるタレント本や雑誌記事、介護に絡ませて家族愛を謳い上げる小説やドラマ、マンガまでが溢れている。
そんなものをいちいち糾弾する気はない。議論する気もない。
今のところ現実への対応で、手一杯だ。
一冊の本と違い、人生は死ぬまで終わらない。
悲劇も喜劇もオチもない。
老いた母のこの先は見当もつかず、自分の病気についてもわからない。
事が起きればその時はその時。その都度粛々と対応するだけだ。
最善の選択などあり得ないが、最悪の結果を回避できればまずは上等、といったところで、このエッセイを終わりたい。”

乳癌手術の前夜まで校正を入れていたという、「鏡の背面」を読んでみたくなりました。

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「あなたの人生、片づけます」

2020年06月14日 | 

この本を読むと無性に家を片づけたくなる!と友人から聞いて、私も読んでみました。
トールペイント教室などをしているので、我家は最低限には片づけているつもりですが、普段使わない部屋やクロゼットの中にはモノが溢れているのです。

今や「片づけ本」は世の中に溢れていて、今までに何冊も読んで来ました。
例えば、近藤麻理恵さんの「人生がときめく片づけの魔法」はあまりにも有名。
読んだのはもう随分前なのでうろ憶えですが、衣類、本、書類、小物など、ジャンル別にモノを収納からいったん全部出し、一つ一つ手に取って、ときめくモノだけを残せといった趣旨だったと思います。
素晴らしいとは思いますが、例えば服を一旦全部取り出すというのは、あまりにも大変。
それと、本は二度と読むことはないのだから捨てるべしというような記述があって
この人は読書の楽しみをご存知じゃないのだと思って、共感できなくなってしまったのでした。
それでも彼女が世界的に活躍し、数年前には米タイム誌の「世界で最も影響のある100人」に選ばれたのは、日本人女性として嬉しい限りです。

本書に書かれているのは四つのケース。
社内不倫に疲れた30代OL、妻に先立たれた老人、子供に見捨てられた資産家老女、何もかもにやる気を失くした主婦。
「部屋を片づけられない人間は心に問題がある」と考えている片づけ屋・大庭十萬里(おおばとまり)は、原因を探りながら対話し、説得し、汚部屋を綺麗な部屋に甦らせる。
結局、彼女が片づけるのは部屋だけではなく、登場人物たちの心なのですね。

特に第一話の不倫OLの話が、私には面白かった。
一流会社に勤める彼女の部屋が、床も見えない程にモノが散乱した汚部屋であるのは、言いたいことを言えずに溜め込んでしまう彼女の、ストレスの表れだったというのです。
身勝手な男に振り回されても、同僚女性にいいように利用されても拒否できない彼女が、お節介な片づけ屋の忠告によって、嫌なことは嫌と言えるようになり、不要な人間関係と夥しいゴミの山を一つずつ片づけていく様は、読んでいて気持ちよい。

具体的なノウハウはまったく書いてありませんが、確かにこれを読むと、不要なモノを少し片づけたくなります。
世の中には色々な片づけ本があるものです。

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「彼女たちの場合は」

2020年06月03日 | 


ニューヨークの郊外に住む従妹同士の玲那(れな)と逸佳(いつか)は、14歳と17歳という、大人でも子供でもない年齢。
逸佳は日本の高校を中退し、学校にも恋愛にも友情にも興味を持てなかったが、ただ「見る」ことだけは好きで旅を希望し、おおらかな玲那はそれを受け入れる。
まずニューハンプシャーに行き、オハイオ、テネシー、ニューメキシコ、シカゴと移動。
様々な土地で色々な人に出会いながらアメリカを旅する、ロードムービー的な構成。


人を疑うことを知らず、夢見る少女のような玲那と、何事にも否定的でちょっと斜めに構える逸佳との、対照的なコンビが面白い。
しかし二人とも長い道中ケンカもせず、それほどの苦労もせず、出会う人々は基本いい人ばかり。
優しい文章で書かれた、大人の童話のようです。
女の子二人がヒッチハイクでアメリカを横断しようとすること自体が無謀すぎる。
(この二人も危ない目には遭いかけるが、未遂ですんでいる)
二人を心配して右往左往する、それぞれの親の方が余程現実的で、自分はどっちの立場で読んでいるのだろうと思ったりします。


「逸佳には”望み”というものがないのだった。望まないことだけが沢山ある。
自分が何をどうしたいのかはわからないのに、いやだ、ということだけははっきりわかる(だから英語の中で逸佳が一番よく使う言葉は”ノー”だ)。
”ノー”だけがある逸佳にとって、”見る”ことは唯一”イエス”なことだった」


それでも、各地の景色や郷土色豊かな食事(ハンバーガーやピザやパンケーキも多いが)、そして個性的な人々と、二人のその関わりの描写につい惹き込まれます。
のんびりした旅行がどういう結末を迎えるのかと、少々苛々する思いで読んでいくと…


二人の旅は、呆気なく終わります。
そしてその後の二人と、家族の様子がさらりと書かれて仰天します。
ちょっとやられました。


「彼女たちの場合は」 



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「長いお別れ」(本)

2020年05月20日 | 

昨日観た映画の、原作を読んでみました。
アルツハイマー認知症の父親を抱えた家族の物語があまりにも綺麗に描かれていたので、著者の実体験に基づいて書かれたという原作が気になったのです。

映画と明らかに違うのは、娘が二人ではなく、三人いること。
アメリカの長女の息子が一人ではなく、二人いること。
ストーリーの枝葉末節に細かな違いはありますが、大筋はほぼ一緒です。
深刻な事態を、ユーモアというオブラートで優しくくるんで描いていることも同じ。

といいながらも、やはり認知症の父親の奇異な行動など詳細に書いてあって、これは大変だなあと思わせられるところ、多々。
私が映画で一番納得できなかったのは、認知症の父親を7年(本では10年)にもわたって介護しながら、妻曜子や娘たちが愚痴ったり爆発したり、お互いを責めたりしなかったこと。
そんなことってあるのかと思ってしまったのです。

元中学校長の夫昇平が、同窓会に出かけた筈が会場に辿り着けずに戻って来てしまう。
そこからが始まりだった。
そして病状は年を経るにつれ、どんどん悪化して行く。
言葉を忘れ、徘徊を繰り返し、尿便を漏らし、ベッドから落ちて骨折する。
それでも曜子は老々介護を厭わず、昇平を施設に入れようとはしない。
曜子のこんな独白があります。
”夫がわたしのことを忘れるですって?
 ええ、ええ、忘れてますとも。
 わたしが誰だかなんて真っ先に忘れてしまいましたよ。
 その「忘れる」という言葉には、どんな意味がこめられているのだろう。
 夫は妻の名前を忘れた。結婚記念日も、三人の娘を一緒に育てたこともどうやら忘れた。
 妻、という言葉も、家族、という言葉も忘れてしまった。
 それでも夫は妻が近くにいないと不安そうに探す。(中略)
 この人が何かを忘れてしまったからといって、この人以外の何者かに変わってしまった訳ではない”


やはり映画よりも原作の方が、心理描写が細かい分、説得力があります。
昇平は記憶や言葉を失くしたとはいえ、感情的には穏やかであったこと、そして結局、妻や娘たちからこんなにも慕われていたということなのですね。
著者の、父親への深い愛情が伝わって来るようです。

映画にも本にも出て来る、このシーンが私は一番好きです。
まだ病状が初期の頃、昇平がアメリカから来た小学生の孫につぶやくのです。
”「このごろね、いろんなことが遠いんだよ」
「遠いって?」
「いろんなことがね。あんたたちやなんかもさ」
 そう言うと祖父は穏やかに小さな孫を見て微笑んだ。”

長いお別れ」 

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ロシアの台頭、東京漂流

2020年05月13日 | 
(2017年に行ったモスクワ、ワシリー寺院)

相変わらずコロナの世界チャートを毎日見ています。
今日現在、世界全体では感染者433万人、死者29万人。
日本は15,967人、657人。
アメリカは相変わらずぶっちぎりの1位ですが、ここに来てロシアが3位に台頭してきました。



ロシアは人口1億4,450万人、首都モスクワ1,270万人であり、
人口1億2,650万人、東京1千万人弱の日本と、構成が少し似ているのです。
そして3月中旬にはロシアの感染者はまだ100人前後であり、死者は0であったというのです。
3月31日にロシアが初めて日本を抜き、4月に入ると怒涛の増大。
5月に入ると連日1万人超の増加となり、ついに今は23万人超の第3位。
死者が2,116人と少ないのが不思議ですが、この数は当てにならないという説もあるようです。
モスクワは3月30日にロックダウンを開始したというのですが、何故このようなことに?
不思議です。




ブックカバー・チャレンジ6日目
80年代のバブルに浮かれる日本の断面を、長い海外放流から帰国した著者が冷めた目で抉り取った、写真入りのエッセイ。
金属バット両親殺人事件や、秋川渓谷全裸殺人事件の舞台の写真と共に、「犬、ヒト食らう」というタイトルの見開きのカラー写真があります。
ガンジス川畔で膨れ上がった死体を野犬の群れがかぶりついているという、壮絶な写真。
著者はこれを「ヒト食えば、鐘が鳴るなり法隆寺」というコピーと共に、ウイスキーのCMに提案したが、却下されたということです。
そりゃ当然でしょうと思いながら、悩み多かった若かりし日(表向きは多分、華やかに遊び回っているように見えたでしょうが)、私は何故こんなに暗い書物に惹かれたのか?
自分の内なる闇を、今更ながら突き付けられた気がします。

PS.ここまで書いて家事をしていたら、テレビのニュースでロシアは先程第二位になったそうです。
コロナ情勢の推移、凄すぎます。


ロシアの新型コロナ感染拡大で深まる謎

東京漂流 

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小確幸って何?

2020年05月02日 | 

引きこもり生活でみんな退屈しているのか、FaceBookでは、好きな表紙の本を挙げよという本バトンだの、好きな映画を紹介しろという映画バトンだの、色々なバトンゲームが廻って来ます。


本のバトンを引き受けたのはいいけれど、本棚がグチャグチャで、好きな本が中々見つからない。
この際、整理しようと決心。
自分を奮い立たせるために、恥ずかしながら公開します。
この脈絡なく、適当に突っ込まれているグチャグチャをなんとかしなくちゃ。
これは、普段は扉が閉まっているのを開けたところです。
ここに入り切らない分は処分しするようにしていますが、もう溢れています。



で、この中からようやく選んだ、ブックカバーチャレンジ1冊目。
「うずまき猫の見つけ方」(村上春樹著)
”このところ時間はあり余るほどあるのですが、好きな読書にもあまり没頭できない。手に取るのは昔読んだ、毒にも薬にもならない、どうでもいいような本ばかり。
これなんてまさにそう。1994年にボストンに在住していた著者が「エッセイくらい気楽に楽しんで書きたい」と言っている通り、隣の猫の消息だの、車を盗まれたことだの、リスの交尾相手の選び方だの、実にどうでもいい日常の些事をのんびり書いている。安西水丸氏の絵、アメリカの風景や猫の写真がふんだんにあって、「小確幸」(小さいけれど確かな幸福、この本の中に出て来る言葉)を味わえます。”


この表紙、ヘタウマ的猫の絵が何とも可愛い。
読み直してみて、「cabin fever」という言葉が出て来たことに驚きました。
屋内に長期間閉じ込められることによって生じる閉所性発熱、ストレスの状態を表していて
今のコロナによる引きこもりから生じている問題を表す言葉でもあるようだからです。
ここでは、ヴァーモントを訪れた時に著者が聞いたこととして、
当地では冬の間に自殺や殺人件数がが激増する、雪のお蔭で家の中に閉じ込められて陰鬱な気分になるからで、それをcabin feverと呼ぶ、と言っています。

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「パスタぎらい」

2020年03月10日 | 

「テルマエロマエ」の作者ヤマザキマリが、イタリア、リスボン、エジプト、シリア、シカゴに暮らし、世界中を旅して胃袋で世界とつながった経験を美味しく綴る、食文化エッセイ。

表題の「パスタぎらい」は、イタリアでの極貧時代に「アーリオ・オリオ・エ・ペペロンチーノ」(ニンニク、塩コショウ、鷹の爪をオリーブオイルで和えただけのシンプルなパスタ)などを食べ過ぎて、もう見たくもないと思ったというところから来ているらしい。
そんな著者の、世界中の食べ物に関する蘊蓄、思い入れを楽しく読みました。
中でも印象的だったのは、日本のお弁当についての記述か。

”イタリアでも携帯用のお弁当というのは存在するが、大抵はパニーノ、
それにリンゴやジュースなどを袋に入れて「ランチボックス」とするのが常だ。
西洋人はもともと携帯する食事に対する思い入れが少ない。
貴族レベルの富裕層になれば、ゴージャスで大掛かりな「ランチボックス」もあるのだろうけれど、一般的には、外へ携帯して食べるものに美味しさを求めてはいけないのである。
携帯食は、基本的に作りたての美味しさとはかけ離れた「マズいもの」という認識が根底にあるのだろう。”


確かに。
彼女の足元にも及びませんが、私もあちこち旅行した国でお弁当を食べたことが、何度もあります。
例えば朝便の飛行機に乗るために早朝に出発する時など、ホテルのレストランがまだやっていないことがある。
そんな時に、ツアーだとホテルが朝食代わりのお弁当を持たせてくれるのですが、
その、シンプル過ぎて美味しくないサンドイッチといったら。
パサパサのパンに、ただチーズやハムが乱暴に挟んである。
日本のサンドイッチのように、レタスやトマトや茹で卵を彩りよく加え、マヨネーズや辛しバターで美味しく味付けしたものではないのです。
小さな酸っぱいリンゴやポテトチップスの小袋やヨーグルトの小カップがついて、それが四つ星ホテルの「お弁当」なのです。
最近だと、メキシコやキューバでもそうでした。
日本の美しいお弁当が、海外で話題になる筈です。


(ネットで拾った可愛いキャラ弁)

”私や息子のように海外に暮らしていてたまに日本に戻って来ると、コンビニやスーパーマーケットの安価なお弁当ですら立派なご馳走である。”
深く納得してしまいました。

パスタぎらい

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「人質の朗読会」

2020年02月25日 | 


変わったタイトルだと思って読み始めると、それがメタファでも何でもなく、
文字通りの事柄だったと知って唖然とします。
海外でテロリストによって人質となった日本人8人の、その拘束されていた期間中に
一人ずつが体験談を文章に書き、それを読み上げる朗読会が行われるのです。
しかもプロローグで、その8人が皆、特殊部隊突入の際に爆死したことも分かってしまう。
その後、朗読会を盗聴していたテロ対策政府軍の録音テープが発見されたのだと。
なんという複雑な、なんという非日常的な舞台設定!
暗澹たる思いで読み進めていくと…

”遠く隔絶された場所から、彼らの声は届いた。紙をめくる音、咳払い、慎み深い拍手で朗読会が始まる。祈りにも似たその行為に耳を澄ませるのは人質たちと見張り役の犯人、そして… ”
その人質一人ずつの物語というのが、なんとも味わいがある。
大事件が起きる訳でも、特別な何かが登場する訳でもない。
それでも、どんな人にも自分だけのささやかな物語があるのだとつくづく思う。

私が特に好きなのは「冬眠中のヤマネ」。
「僕」は有名私立中学に受かってすぐの頃、公園で縫いぐるみを売る片目の老人に出逢います。
その縫いぐるみたるや、ムカデやコウモリやオオアリクイなど可愛くない物ばかり、
しかも汚れていたり、縫い目が割けていたり、中の綿がはみ出していたり、
おまけにみんな片目が潰れているという酷い代物。
まるで売れていないみすぼらしい品々の中の「毛羽だったタオルをクルッと丸めたような物体」、
それは、冬眠中のヤマネだったのです。
その後、ひょんなことから僕は老人を、背中に負うことになる。
老人がそのお礼にとヤマネを差し出したので、お金を払おうとしても受け取らない。
「俺をおぶってくれたじゃないか」そう言って老人は泣いている。
その一言で、この老人がどんなに辛い人生を送って来たのかが分かってしまう…
”以来、冬眠中のヤマネの縫いぐるみは、ずっと僕のそばにあった。”
章毎の最後に、その朗読者の職業、年齢、何故そこにいたのかが小さく書いてあります。
この章は「医科大学眼科学教室講師・34歳・国際学会出席の帰途」と。
少年は、そのヤマネをお守りにして、その後眼医者になったのですね。

私がこのような極限の状態に置かれて、何かを語りなさいと言われたら
一体何を語るのだろうと思います。

人質の朗読会」 

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「ヴェネツィア 私のシンデレラ物語」

2020年02月16日 | 

歳の離れたイタリアの大富豪と結婚した日本女性、位にしか知らなかったチェスキーナ洋子氏。
どんな人生を送ったのかという好奇心で読んでみました。

1932年、著者は熊本の政治活動をする永江家の長女として生まれる。
白い洋館でお手伝いさんもいるという裕福な家だったが、父親は事業に失敗し、夫婦仲も悪く、結構大変な子供時代を送ったらしい。
母親が家出したり、父親が亡くなったり、叔母に引き取られたりと、思春期の3年間に三度苗字を変え、住まいも学校も変えたというのですから。
それでも彼女は音楽が好きで、ピアノを心の支えにして生きていたといいます。



芸大ハープ科に入学して上京、東京交響楽団のハープ奏者としても活動する。
その頃、芸大の学生と学生結婚、しかしこれはすぐに破綻。
1960年イタリア政府給費留学生として、ベネツィア音楽院に留学。
ここで彼女は言葉やお金に苦労しながらも、水を得た魚のように生き返る。
”ふり返ってみると、私はこれまで、自分はどこか変わっている人間ではないか、世間の常識から外れたはみ出し人間なのではないか、と、ずーっと引け目に感じていた。
ところがどうだろう、この国の人たちの、この明るさ、この率直さ!これまでの自分がバカみたいに思えた。もう、ここでは遠慮はいらないんだ、自分は自分のままでいいんだ、そう気がつくと、私は身も心もすっかり軽くなっていた。”

そんな頃に、彼女はバールで26歳上のレンツォ・チェスキーナに見初められるのです。
二人は楽しく付き合い始めるが、結婚したのは出逢ってから15年後。
その間には別れたり、彼女が他の男性と結婚しようとしたり、まあ色々あったらしい。
そもそも最初の頃は恋人として熱い時を過ごしたが、その後はずっと、父娘のような関係になってしまったというのです。
1977年に結婚したのは、70歳になったレンツォが自分の歳を実感したこと、そして彼女に全財産を残したいと考えたからだろうと、彼女は述懐しています。

その5年後、1982年にレンツォは心不全で死去。
そこから300億円の遺産を巡る、長く厳しい闘いが始まるのです。
彼女に全財産を残すというレンツォの遺書が、彼女の偽造だと遺族が起訴。
民事、刑事で訴えられ、イタリア中を騒がせたという裁判は10年の長きに渡り、最終的に彼女が勝訴を勝ち取ったのは、1993年であったと。
晴れて遺産を相続した彼女は、音楽家のパトロンとして世界的に活躍し、2015年に死去。



この本の表紙の写真は、ベネツィアのチェスキーナ家なのだそうです。
高齢になってからの彼女の顔しか知らなかったのですが、本の中には若い頃の写真も。
頑固一徹で自説を曲げないという「肥後もっこす」の、逞しい一代記でした。


「ヴェネツィア 私のシンデレラ物語」 

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