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Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

「きものがたり」宮尾登美子の世界

2020年09月13日 | 

若い頃に作って長年実家に放置したままだった着物を、去年頃から少しずつ着始めました。
今、着付け教室にも通っている身として、着物の本などにも目が行くようになりました。


作家宮尾登美子の、着物にまつわるエッセイ集。
綺麗なカラー写真がふんだんにあり、美しい着物歳時記となっています。
「幸せを羽織る」「花を纏う」「糸をあやなす」といった言葉、あるいは「葡萄鼠(えびねず)色」など色の和名のなんと美しいこと!
著者がいつくしむ数々の着物を通して語った、彼女の人生を垣間見ることができます。
昔読んだ「櫂」「仁淀川」「序の舞」「朱夏」「寒椿」などの作品に絡むエピソードが散りばめられ、宮尾登美子の世界に浸ることもできます。



宮尾登美子、高知の遊郭で芸妓紹介業を営む父と愛人の間に生まれる。
実母は女義太夫。12歳で父母が離別し、義母に育てられる。
戦中、国民学校の教師と結婚し満洲に渡り、命からがら引き揚げてくる。
その様子は作品の中に繰り返し出てきますが、客観的な彼女の人生の輪郭も知りたくて、林真理子の「綴る女-評伝・宮尾登美子」を以前、読んでみました。


「淡い鼠紫色に梅満月の色留袖」

詳細は忘れましたが、丹念な下調べやインタビューに裏付けされた宮尾登美子の軌跡に触れることができました。
ただ、敬愛する宮尾大先生の評伝を私ごときが書くなんておこがましいと言っている割には、宮尾が第一志望の高等女学校を落ちてコンプレックスを持っていたことや、有名作家となって新聞社社長、出版社社長など有名人との交流は華やかなものだったが、心許せる女友達はあまりいなかったことなど、結構辛辣じゃないのと思ったような覚えが…
そう受け取った私の見方の方が、意地悪なのかもしれませんが。



「きのね」の取材で前田青邨未亡人宅に行った時の格子の紬。
本著によると、前田未亡人は萩江節の達人であり、画家夫人だけに極めて厳しい審美眼の持ち主、訪問客がある時はまず覗き穴から見て、服装が気に入らない時は会ってくれないという噂が。
何を着ようか散々迷ってこれに決めたが、未亡人から開口一番「いい趣味でござんすね、そのお召し物」と言われてホッとしたのだそうです。

きものがたり」 

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「ジョン万次郎 海を渡ったサムライ魂」

2020年09月07日 | 

ごく若い頃に井伏鱒二の「ジョン万次郎漂流記」を読みましたが、中身を綺麗に忘れた状態で、アメリカ版のこの本を読んでみました。
マーギー=プロイス著「Heart of a Samurai」邦題は「ジョン万次郎 海を渡ったサムライ魂」。
著者は児童文学者で、この本は2011年にニューベリー賞オナー受賞、アメリカでも話題になったといいます。
幕末土佐の貧しい漁師の家に生まれた万次郎は、14歳の時に漂流しアメリカの捕鯨船に助けられ、船長ホイットフィールドに引き取られ、アメリカで4年間学校に通い、英語数学航海術などを学んだ。
この本はアメリカに初めて渡った日本人といわれる万次郎の、成長・冒険物語です。


万次郎が実際に書いたスケッチや手紙をふんだんに挟み、架空の人物も多少加え、言葉も習慣も異なる地で彼がどのように生き抜いていったかを、生き生きと描いています。
19世紀のアメリカ東部の町で、万次郎は奇異の目で見られる。
学校でも熾烈ないじめを受けるのですが、いじめの親玉トムに乗馬での走競争を申し込む。
その競争でのワンシーン。
”自分の下で道が後ろに流れ、まぶしい新緑の森が凄い速さで後ろへ飛び、空はうごめく青い空に見える中、気づいた。これが、自由だ。この国では誰もが将来に希望を持てる。願いや夢を持つことができる。よし、それに専念しよう。今、このとき、自分の願いは勝つことだ。”


これはアメリカ人に受けるだろうなあという描写があちこちに。
無論よいことばかりではなく、万次郎は陰湿な差別も受けます。
船長は彼を教会に連れて行くのですが受け入れて貰えず、何度も教会を変えたという資料が残っているそうです。


その後、万次郎はまた捕鯨船に乗ったり、西部に金を掘りに行った後、11年ぶりに日本に帰ります。
鎖国中の日本では外国帰りは罪人であり、2年近くも牢に入れて散々調べられた挙句、ようやく帰郷を許される。
そして下級武士に取り上げられるのですが、漁師の息子が侍になるとは、当時の日本では考えられないことだったと。
後にペリーが江戸湾にやって来たこともあって、通訳、そして将軍の相談役となって活躍する。
児童文学なので物足りない面もありましたが、アメリカ人の視点から描いた万次郎ということで、中々新鮮に読めました。


ジョン万次郎 海を渡ったサムライ魂」 

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「1ミリの後悔もない、はずがない」

2020年08月25日 | 

これを読むとヒリヒリする、という感想を何処かで見かけて読んでみました。
五編の短編集です。


油井は、アル中の父親のせいでしょっちゅう夜逃げを余儀なくされる家庭の長女。
中学生の時、長身で喉仏の美しい桐原という同級生に出会い、惹かれ合う。
”桐原と出会って初めて、自分は生まれてよかったのだと思えた。彼を好きになると同時に、少しだけ自分を好きになれた。桐原が私を大事にしてくれたから。あの日々があったから、その後どんなに人に言えないような絶望があっても、私は生きてこられたのだと思う”


油井がその後結婚する雄一は、幸せな幼少期を送っていた。
貧しいけれども仲の良い両親、ホッとする思いで読んでいくと、雄一が小三の時に母が事故死してしまう。
雄一と弟は施設に預けられ、頻繁に来てくれていた父親は次第に来なくなり、ついに音信不通になる。
雄一は施設を出て、一人きりで必死に働き、夜間の大学に行く。
”自分を含め、その大学の夜間部には訳ありの人間が多かった。両親が揃っていて、二人とも日本人で、何の依存症もなくて、兄弟姉妹は引きこもりじゃなくて、家庭内暴力をふるう人もいない、精神的支配もない、お金にも苦労していない。そんな家庭はめったになかった”


中学生の時に桐原を好きだった加奈子は、夫との仲も冷え切り、怠惰な毎日を送っていた。
”中学生だった私は、もうすぐ四十。私たちは瞬きをするごとに年を取っていく。
この調子でいけば、目が覚めたらいつのまにか二十年経過、そんな日が来るかもしれない。
私は二十年後も、今と同じように諦めているのだろうか。
うしなう絶望は怖いからと、自分では何も変えようとせず、日々に流されて。
もしかすると、それがまたこの先の後悔に繋がるかもしれないのに。
二十年後の私は、今の私が一体何をしたら喜ぶのだろう”


それぞれの登場人物が、色々な形で関わっています。
十代の頃の、今よりも研ぎ澄まされた、甘酸っぱくそしてやるせない思いが、章の中のあちこちに隠れていて、断面からひょっこりと顔を出すようです。
大人になって長いこと忘れかけていた思い、封じ込めておきたかった思い。
少々粗削りで雑な組み立てですが、確かにヒリヒリさせられる文章です。


「1ミリの後悔もない、はずがない」

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「少年と犬」

2020年08月21日 | 

歌舞伎町の中国人マフィア社会を描いた「不夜城」の著者、馳星周は実は大変な愛犬家で、愛犬のためにかつて東京から軽井沢に引越し、その生活を綴ったブログを書いています。
その著者が犬を描いた小説が今回直木賞を取ったというので、楽しみにしていました。


第一章「男と犬」窃盗団の運び屋になった男は、痩せこけた犬を見過ごすことができなかった。
第二章「泥棒と犬」窃盗団を裏切り故国を目指す男は、犬を守り神にしようとした。
第三章「夫婦と犬」冷え切った関係を修復するべくもない夫婦は、犬をそれぞれ別の名で呼んだ。
第四章「娼婦と犬」風俗で男に貢いでいるのにその男に裏切られた女は、負傷した犬を獣医に連れて行った。
第五章「老人と犬」自分の死期を知っていた孤独な老猟師に、犬は寄り添った。
第六章「少年と犬」震災のショックで言葉を失くし引きこもりになった少年は、犬を見て微笑んだ。


シェパードと和犬のミックスという犬「多問」はそれぞれの章で、幸薄く、人生に疲れた孤独な人々に束の間の癒しと愛を与えます。
しかし、多聞は決してそこに安住することはなかった。
どんなに可愛がってもらっても、いつも何処か遠くを見つめている。
多聞が何を追い求めているのか、読者も探しながら章を追うことになります。


予定調和ではありますが、最終章では落涙。
釜石から熊本まで、飼い主ですらなかった少年を探し求めて犬が旅するなんて、そんなことある訳ないだろうとか、そんな賢い犬がいる訳がないだろうとか言いたくもなりますが、これは、生涯の多くの部分を犬たちと過ごしてきたという著者の、犬へのラブレター、或いは感謝状ではないかと思えてきます。
我家のタロウのような、何の役にも立たない駄犬であっても、そこにいるというだけで感謝したくなる、犬とはそういう存在なのですから。
さらっと読める、愛犬家にはたまらない一冊です。


「少年と犬」 

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「東京奇譚集」

2020年08月10日 | 

村上春樹の「一人称単数」を読んで、その中の「品川猿の告白」の前編が収められている「東京奇譚集」を読み返してみました。
2005年の発売で、ブログを始める前だったので私は読後感想を書いていない。
結構面白いのにということで今更ですが、簡単な感想文を書いてみました。


五編の短編が収められています。
孤独なピアノ調律師が偶然出会った女性を通して姉との和解を果たす「偶然の旅人」。
サーファーの息子を喪くした母の人生を描く「ハナレイ・ベイ」。
「パンケーキを用意しておいて」と妻に行ったきり、姿を消した男を探す話「どこであれそれが見つかりそうな場所で」。
初めて自分の女と確信できたと思えた女性に去られてしまった小説家の話「日々移動する腎臓のかたちをした石」。
そして「品川猿」。


ここでは「品川猿」についてネタバレします。
若い女性みずきは、時折自分の名前が思い出せなくなり、カウンセラーに相談する。
カウンセリングで過去の記憶をたどり、高校時代に自分に名札を託した級友のことを思い出す。
そしてその名札と、彼女の名前を盗んだのは、一匹の猿だった。
品川の下水道に隠れ住んでいる猿は、女性に恋い焦がれるあまり、その名を盗むという性癖があるのだと。
「わたしはたしかに人さまの名前を盗みます。しかしそれと同時に、名前に付帯しているネガティブな要素をも、いくぶん持ち去ることになるのです」
「選り好みはできません。そこに悪しきものごとが含まれていれば、わたしたち猿はそれをも引き受けます。全部込みでそっくり引き受けるのです」
そしてみずきの名前と共に猿が盗んでいた「悪しきものごと」、それは、
みずきが母親から愛されていないという事実だった。
「このお猿さんの言う通りです。そのことは私にもずっとわかっていました。でもそれを見ないようにして、今まで生きてきたんです。目をふさいで、耳をふさいで」
そしてみずきは悲しい決意をする。
「私の名前が戻ってくれば、それでいいんです。私はそこにある物事と一緒に、これからの人生を生きていきます。それは私の名前であり、私の人生ですから」


「すべてをあるがままに受け入れるしかない」は、この本のテーマであるように思います。
理不尽であれなんであれ、人生はそんなものなのだと。


「品川猿」についてどうでもいいことをもう一つ。
物語の前半、自分の名前を思い出せないことに困ったみずきは、細くてシンプルな銀製のブレスレットを買い求め、そこに名前を彫って貰います。
四六時中それを身に着け、名前を忘れたら見るようにと。
みずきの悩みはそれで少し解消されるのですが、しかし銀のブレスレットを年中身に着けていたら、すぐに黒ずんで汚らしくなってしまう。
ここはやはり、金かプラチナでなければ。
春樹先生、女性のアクセサリーについてもうちょっと勉強しなくちゃね。


東京奇譚集」 

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「一人称単数」

2020年08月08日 | 

6年ぶりの短編集ということで、おおいに期待したのですが。
しかも表紙が、今までの春樹の作品とまるで違う。
パステルカラーのイラスト調で、公園のベンチと長い髪の少女が描かれている。
帯には「短編小説はひとつの世界の切り口だ 世界は流れていく 物語が光景をとどめる」と。
どんな世界が待ってるの?とワクワクせずにはいられないではありませんか。


結論から言うと、がっかり。
最後の書き下ろしの表題作「一人称単数」に至っては、後味が悪いばかり。
私が面白さを読み取れないだけなのか?
これを褒める人も、世の中にはいるのかしらん。


その中でもまだ味わいがあると思った「品川猿の告白」について。
「僕」が群馬の田舎の安宿に泊まって温泉に浸かっていると突然、猿が入って来て「お湯の具合はいかがでしょうか?」と尋ねるのです。
そして「背中をお流ししましょうか」と。
僕は混乱しながらも、断ったら悪いような気がして猿に任せます。
そしてその夜、ビールを飲みながら猿とゆっくり話すのです。


猿は自分の孤独と苦しみを打ち明けます。
自分の特異な性癖に苦しみながらも、それなりの対処法も猿は心得ている。
客観的に見たら、それがどんなにあり得ない、奇異なものであるとしても。
そして自分の今までの「愛の記憶」は、それが結実しない一方的なものであったとしても、生きていく上での貴重な熱源になっているのだと。


「品川猿」という作品が2005年の「東京忌憚集」にあったので、それも読み返してみました。
そこでは、猿にまとわりつかれた側の女性目線で書かれています。
その時に比べたら、猿も歳取ったなあ、品川を追放され高崎山を経て苦労したんだなあとしみじみ。
こんな荒唐無稽な話の登場人物(猿)に思わず同情したくなるのが、春樹作品の力と言えるのかな。


表紙のイラストは、中の一編「ウイズ・ザ・ビートルズ」を描いたものでした。
”「ウイズ・ザ・ビートルズ」のLPを抱えていたあの美しい少女とも、あれ以来出会っていない。彼女はまだ、1964年のあの薄暗い高校の廊下を、スカートのすそを翻しながら歩き続けているのだろうか?今でも十六歳のまま、ジョンとポールとジョージとリンゴの、ハーフシャドウの写真をあしらった素敵なジャケットを、しっかり大事に胸に抱きしめたまま。”
この作品では、このラスト3行が一番好きです。


一人称単数」 

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「平場の月」

2020年08月02日 | 

中学の同級生であった二人の男女(青砥と須藤)が地元で三十数年ぶりに再会したことから始まる、50代の恋愛小説です。
ともにバツイチ、触れられたくない過去や、老親や、病気やしがらみなど色々なモノを抱えていて、惹かれ合ったからといって若者のようにすぐに燃え上がることはない。
しかし、孤独を恐れる気持ち、相手をいとおしみ、一緒にいたいと思う気持ちは若者も中年も変わりはない、その二人の心情が綴られていきます。


かなり変わった文体です。
書き出しが
”病院だったんだ。昼過ぎだったんだ。おれ腹がすいて、おにぎり喰おうと思ったんだ。おにぎりか、菓子パンか、助六か、なんかそういうのを買おうと売店に寄ったら、あいつがいたんだ。おれすぐ気づいちゃったんだ。あれ? 須藤? って言ったら、あいつ、首から提げた名札をちらっと見て、いかにも、みたいな顔してうなずいたんだ。いかにもわたしは須藤だが、それがなにか? みたいな。”
若者用のケータイ小説?何処が中年のしっとりした恋愛話?
と思って読んでいくと、二人の意味不明なブツ切り会話、特に女性(須藤)の乱暴な言葉遣いに更に困惑します。
"「なんだ、青砥か」須藤はちいさな顎を少し上げ、不敵というか、満足げというか、堂々たるというか、そんな笑みを浮かべた。そうだ、それだ。青砥の知っている、須藤の、いつもの、笑い顔だ”
が、二人の出会いの場面。
出て来る小物も、Line、ユニクロ、コンビニ、発泡酒、廃棄処分の弁当、安アパート。
二人の狭い世界から一歩も出ず、閉塞感に息が詰まりそうになります。
どうしてこの小説が山本周五郎賞を?と腹が立ってきます。


ところが読み進むにつれ、なんとも言えない味わいが出て来る。
深刻な病気を抱えて同情されそうになったシーンで、須藤が彼に言う言葉。
「日本一気の毒なヤツを見るような目で見るなよ」。
そして須藤の、多分一番、彼女らしくない台詞は
「青砥には充分助けてもらってるよ。青砥は甘やかしてくれる。この歳で甘やかしてくれるひとに会えるなんて、もはやすでに僥倖だ」
それは何処までも自分で頑張ろうとした須藤の、精一杯の愛情表現だったのです。


須藤の最後の選択には、泣けました。
いくらなんでも分別があり過ぎるだろう!もっと手放しで甘えろよ、須藤!
と、私も乱暴な言葉で責めたくなりました。
久々に、余韻が残る恋愛小説でした。

平場の月」 
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あでやかな花、「鏡の背面」

2020年07月27日 | 

雨が止むのを待って昨日の夕方、タロウの散歩に行った時に見かけた花。
6時半頃だったでしょうか。
なんとも妖艶にレースを広げた、カラスウリの花。
これは夜にだけ咲いて、朝にはしぼんででしまいます。
こんなにもあでやかなのは、花粉を媒介してくれる夜行性のガを誘うためなのだそうです。



薬物依存やDV被害者の女性たちが暮らすシェルターで火災が発生、入居者を救って亡くなったのは、聖母として慕われていたそこの代表者だった。
しかしその遺体が別人と判明、何人もの男を殺した毒婦のものであった。
聖母と毒婦は何処で入れ替わったのか、本当の聖母は何処に行ったのか?
500項余の分厚い本、著者の筆力でグイグイ読ませますが、後味は非常によくないのです。
この設定はやはり無理があるのではないかと思ってしまいます。
あり得ない設定にこれだけの項数を費やして、最後にストンと腑に落ちるのを期待したのですが、残念ながらそうはいきませんでした。
私にとっては非常に納得できない終わり方でしたが、結局、善は悪を駆逐したのだと信じたいところです。

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「セヘルが見なかった夜明け」

2020年07月21日 | 

小さな薄い本です。
短い12の短編が入っています。
著者のセラハッティン・デミルタシュはトルコのクルド系民族出身で、現在も政治犯として服役中ということです。
そんな人が書いた本として読むとなると、嫌でも少々身構える気になります。
しかし第一章は刑務所に住みつく雀の夫婦を擬人化した軽い話で、少々肩透かしを食らう訳ですが。


12の短編中、何といっても表題作の「セヘル」が印象的でした。
こちらだけネタバレします。
22歳のセヘルは、縫製工場に自宅から通う、純真な娘です。
工場の同僚ハイリに密かに恋心を抱いていたが、一度お茶をしただけという関係。
そのハイリがある日工場の帰りに、セヘルを車で送って行くという。
セヘルが車に乗ると、そこにはハイリの男友達2人も乗っており、そしてセヘルは森に連れて行かれて、輪姦されます。
破かれた服、血だらけの体でセヘルがようやく家に帰ると、母親は泣いて娘を抱きしめます。
静かにお湯で清められたセヘルは、初めて絶叫し、号泣する。
異様な様子で帰宅したセヘルを見、その絶叫や号泣を聞いた隣人がセヘルの父親に連絡して、父親、兄がすぐ帰宅する。
セヘルの伯父たちも集まってきて、親族会議が開かれる。
母親が必死にセヘルを守ろうとすると、セヘルの兄ハーディが「首を突っ込むな、母さん。俺たちの名誉の問題なんだ」と。
そしてセヘルは再び森に連れて行かれ、家族によって銃殺されるのです。


父親はセヘルの弟、15歳のエンギンに銃を渡す。
”セヘルは地面に跪いた。
エンギンは姉のうなじに銃口を押し付けた。銃身は震えていた。
「エンギン、あんたにこの身を捧げるからね。怖がるんじゃないわよ。
(中略)牢屋に入ったら身体に気をつけるのよ」と幼い弟を元気づけた。”


いやはや。
「名誉殺人」(honor killing)とは、
”婚姻拒否、強姦を含む婚前・婚外交渉、「誤った」男性との結婚・駆け落ちなど自由恋愛をした女性、さらには、これを手伝った女性らを「家族の名誉を汚す」ものと見なし、親族がその名誉を守るために私刑として殺害する風習。
アムネスティ・インターナショナルは、名誉殺人が行われている国および地域として、バングラデシュ、トルコ、ヨルダン、パキスタン、ウガンダ、モロッコ、アフガニスタン、イエメン、レバノン、エジプト、ヨルダン川西岸、ガザ地区、イスラエル、インド、エクアドル、ブラジル、イタリア、スウェーデン、イギリスを挙げている”(Wikipedia)
上の説明で列挙された国の中にイタリア、スウェーデン、イギリスが入っているのは、欧州へ移民が広がっているからということのようです。


イスラム圏の本や映画にしばしば出て来る「名誉殺人」。
この場合エンギンが牢屋に入るということは、一応無罪放免ではないのか。
それでも、それほど重い罪ではないようです。
トルコはイスラム圏の中でも非常に寛容な国と言われ、実際トルコを旅行した時も女性は肌を露出した服を着ていた人も多かったし(観光客も多いでしょうが)、アルコールなども自由で、街は活気に溢れていました。
そのトルコで、今年になってまだこんな本が書かれたとは・・・
トルコの中でも、クルド人地域は特殊であるという説もあるようですが。


「セヘルが見なかった夜明け」 

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「奇妙な死刑囚」

2020年07月19日 | 

アメリカで29歳の時に身に覚えのない強盗殺人容疑で逮捕され、
死刑判決を受けて、30年間独房で過ごしたアンソニー・レイ・ヒントンの手記。
1985年、アラバマ州のレストランの店長が現金を奪われ、銃で撃たれた。
店長は一命をとりとめたが、彼が犯人をヒントンだと言ったことから、ヒントンは逮捕された。
その時ヒントンは24キロ離れた倉庫で働いており、退社時刻の記録も残っているというのに。
別の強盗殺人事件の容疑もかけられ、死刑判決を受けて独房に送られる。
上訴をするもことごとく駄目であったが、1999年に人権派のブライアン・スティーブンソンが弁護人になり、紆余曲折を経て2015年に釈放される。
その30年間の闘いを描いた、魂の叫びのような手記です。


アリバイもあり、犯行時に使われた銃が彼の家から押収された銃とはまるで違うということが分かっていても死刑判決が下りたのは、ひとえに彼が黒人であるからということのようです。
最初に送られたジェファーソン郡刑務所の、アッカー警部補はこう言います。
「いいか、お前が何をしていようが、何をしていなかろうが、関係ない。正直な所、おれはな、お前の仕業じゃないと思っている。だが、そんなことはどうでもいいんだ。お前がやっていないのなら、お前の兄弟の誰かがやったことになる。お前は自分の責任じゃないのに罰を受けるんだよ。」
「お前が有罪判決を受ける理由を五つ、説明できるぞ。
その一、お前が黒人だから。
その二、ある白人がお前に撃たれたと証言する筈だから。
その三、この事件の担当が白人の地区検事だから。
その四、裁判官も白人だから。
その五、陪審員も全員、白人になるだろうから。」


(アンソニー・レイ・ヒントン本人)

ゴキブリやネズミが年中出入りし、死刑囚たちの汗や体液や糞尿が匂う劣悪なホールマン監獄。
30年間に彼の独房の前を通って処刑台に連れて行かれたのは、54人。
彼の無実を信じて祈り続けた母親は、2002年に癌で死去。
そんな中で彼は、何度も絶望に襲われながらもあきらめず、希望とユーモアを忘れなかったといいます。
他の死刑囚とも積極的に関わり、読書クラブを作り、監房でもひとかどの人物と見なされ、刑務官でさえ悩みを彼に打ち明けていたと弁護士ブライアンは言うのです。


ヒントンの冤罪が晴れて釈放されたのは、今からほんの5年前。
これではBlack Lives Matter運動が納まらない筈だと、改めて思いました。


「奇妙な死刑囚 」


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