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Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

ゾッとする「精神病院にて」

2021年04月13日 | 

退屈しのぎに中野京子の「怖い絵」シリーズを読み返しています。
「怖い絵1,2,3」の他、「新怖い絵」「泣く女編」「死と乙女編」など沢山あってありがたい。
その中から特に印象的だったものをご紹介します。

怖い絵2」の中のホガース作「精神病院にて」。
1733年作、舞台はロンドンに実在したベスレヘム精神病院、通称べドラム。
主人公は画面の前に半裸で鎖に繋がれた坊主頭の若者、名前はトム・レイクウェル。
この絵はホガースの8枚組の「放蕩児一代記」の最終場面であり、それによると、トムはオックスフォード在学中に父親が死に、莫大な財産を受け継ぐ。
庶民階級の恋人サラが妊娠したのに涙金で追い払い、放蕩三昧をしてたちまち破産、債務者監獄に入れられる。
サラが用立ててくれたお金でそこを出られたものの、金持ちの老未亡人と結婚。
老妻の財産も使い果たし、必死に書き上げた戯曲が不採用になり、絶望して自殺未遂の挙句、べドラムに送られたとのこと。

トムの傍らで泣くのは、これだけの仕打ちを受けてもまだトムを愛し続ける哀れなサラ。
背後の暗がりには様々な患者たちー自らが王であると信じ込み、裸で冠を被り放尿する男、楽譜を頭に載せてバイオリンを弾く男、天文学者のつもりで丸めた紙を目に当てる男など、阿鼻叫喚の世界。
その中に、貴婦人の衣装をまとった女性とその侍女にスポットライトが当たっている。
彼女たちはお金を払って来ている金持ちの見物客だというのです。

その頃はロンドンのみならず、フランス、ドイツ、スペインなど、欧州各国どこの精神病院も似たりよったりの状況だったといいます。
パリには巨大な収容所サルペトリエールがあったが、そこには犯罪者も孤児も物乞いも売春婦も一緒くたに投げ込まれていたと。
その頃の精神病院には、なんとマスターベーションをしたという咎で放り込まれた者もいたのですって。
そして市民に有料で公開され、多くの人が見物を楽しんでいたのだそうです。
べドラムには、患者をつついて反応を楽しむための長い棒まで用意されていたと。

確かにぞっとするような絵です。
映画「アマデウス」の中にも、サリエリが入れられた不衛生な精神病院が出てきました。
全裸で鎖に繋がれた男、犬のように首輪をつけられた男などが出てきたような。
現代に生まれてよかった…



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「ティンカーベル・メモリー」

2021年03月22日 | 

景山民夫という人のことは、よく知りませんでした。
有名な小説家、放送作家であったが新興宗教にのめり込み、若くして不審な死を遂げたとか。
その程度の知識で、読んでみました。


23歳のインテリア・コーディネーターひかるが、鎌倉のアンティークショップで購入したバトラーズ・テーブルを巡って、彼女の輪廻転生の旅が始まる。
ひかるは、18世紀のスコットランドの主婦、モリーの生まれ変わりだというのです。
そしてモリーの夫ダニエルやその息子の生まれ変わりの男性たちと、導かれるように出会っていくのです。


バトラーズ・テーブルとは、四隅が上向きに折りたためて、それが取っ手になるトレイのこと。
イギリスのマナーハウスで見たことがあります。
執事(バトラー)がキッチンからお盆のようにしてお茶など運び、脚の上にセットするとテーブルになるというもの。
18世紀スコットランドのオールドパインのバトラーズ・テーブルが、ひかるの前世の旅への入り口となるのです。


前世や守護霊、転生や憑依の話がやたら出てきてなんとも荒唐無稽な世界ではありますが、宗教色を無視して、軽いSFファンタジーと思えば楽しい。
それと、この本に出てくる英国式のアンティークのインテリアや、ファッションの描写が何ともお洒落。
玄関の厚い樫の一枚板で造られた扉に取り付けられた、ライオンの頭を模した黒い鉄製のノッカー。
ジョージアン様式のローズウッド材の小テーブル、観音開きの扉を持つキャビネット。
都内のそうしたイングランド風に統一されたインテリアの家の住人は、日本人でありながら、ツィードの上着にサマーウールの薄茶色のズボン、ラウンドカラーのタッターゾルのワイシャツにタータンチェック柄のウールネクタイを締めている、という具合です。
そしてその家にはMGのTFというモデルのスポーツカーがあり、その芝生の庭にはアイルランド・セッター犬が走り回っているのです。



ティンカーベル・メモリーとは、ティンカーベルが消してしまう前のネバーランドの記憶だそうです。
生まれて来る前に消されてしまう、昔の人生の記憶。
ひかるが、幼い息子を残して早逝したモリーの意識を受け継いで出会った男性とは。
SFとしても恋愛小説としても中途半端でやや物足りない感はありましたが、
英国旅行で訪れた古い館の匂いを思い出し、そこにもう少し浸っていたくなる類の物語です。 

(写真はMGのTF、2009年にイギリスに行った際のマナーハウスの部屋)

「ティンカーベル・メモリー」 



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「風神雷神」 

2021年02月27日 | 

著者は、京都を舞台にしたアート小説をと京都新聞から依頼されたのだそうです。
そこで思い浮かんだのが、京都国立博物館にある国宝、俵屋宗達の「風神雷神図屏風」。
宗達の生涯は謎だらけということですが、1570年頃の生まれということは分かっているらしい。
そしてその安土桃山時代の1582年に、天正遣欧使節団が派遣されていたという史実。
この二つのことから、宗達を遣欧使節と一緒にローマに行かせてしまうのですから、作家の想像力って凄いですねえ。

京都の扇屋に生まれた天才少年絵師・宗達は、織田信長にその才能を気に入られる。
狩野永徳と共に描き上げた「洛中洛外図」を、信長の命によりローマの教皇のもとにまで届けることになる。
伊藤マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノからなる少年使節団と共に。
彼らは3年をかけてマカオ、インド、ポルトガル、スペイン、地中海を経てローマに向かう。
命懸けで辿り着いた彼の地にはまた、教皇グレゴリウス13世以外にも思いがけない出会いが待っていた。



1581年に信長がイエズス会宣教師ヴァリニヤノに狩野永徳筆の「安土山図屏風」を贈り、それが少年使節団によってローマ教皇グレゴリウス13世に献上されたということは、史実であるようです。
その後、絵は行方不明になっているようですが、こんな感じの物であったらしい。
あの時代にローマまで旅をするということが、どれほどの困難を極めたものであったことか。
遥かなる欧州の地で、想像を絶する異文化に彼らがどんなに感動したか、極東の地からやってきた高貴なる使者として、彼らがどんな歓待を受けたことか。
単行本上下2冊で描き上げるのは無理があるようで、かなり端折ってあるのは残念ですが、天衣無縫な少年宗達の目を通しての、そういった様子を読めるのは楽しいものです。

副題の「ユピテル、アイオロス」というのは「風神雷神」のラテン語名。
スペインでギリシヤ神話の絵を観た宗達は説明を聞くまでもなく、光の槍を手にした勇壮な「ユピテル」は雷神、風邪の袋を担ぎ青白い顔をした「アイオロス」は雷神だと気が付いた、というのです。
帰路を含めて8年もの歳月をかけて彼らが帰国した後、どんな運命が待ち受けていたのかを我々は知っているだけに、おもしろうてやがて悲しき冒険物語でした。

風神雷神」 


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差がありすぎ!と「52ヘルツのクジラたち」

2021年02月15日 | 

春の緊急事態宣言下に買ったGlidicのワイヤレス・イヤフォン。
毎日一時間ほどのタロウの散歩時に重宝していたのですが、何しろ落ちやすい。



で、ダイソーでワイヤー付きのイヤフォンを買ってみました。
こんな値段で聴けるの?と思いながら試してみたら、ちゃんと聴こえる。
しかし。
タロウの散歩の際に装着して、パンツの後ろポケットにスマホを入れたら聴こえない。
ダウンのポケットに入れても駄目、手に持ったスマホの向きを変えても駄目。
結局、一定の位置と角度に決めて、片手にスマホを捧げ持たないと聴こえないことが判明。
Glidic7千円とダイソー300円では、差がありすぎたか…




52ヘルツの鯨というのは、他の鯨が聞き取れない高い周波数で鳴くという鯨のことだそうです。
沢山の仲間がいる筈なのに、自分の声を永遠に届けられない、孤独な鯨。
親に虐待されて育った女性キナコと、母に虐待されている少年ムシの物語。
虐待されている子供は、そのことを外に訴えることができない。
その少年の声なき声を、同じ体験を持つキナコは必死に聞き取ろうとする。
「わたしはあんたの誰にも届かない52ヘルツの声を聴くよ」
今時の社会問題を、ラノベ風にさらりと書いているところに好感が持てました。
「よそもん」キナコへの、田舎特有の剥き出しの好奇心も面白い。
心に傷を負って東京から大分の海辺の村に引越しした若い女性を、地元住民は想像逞しく噂するのです。
「元風俗嬢」と見なし、あまつさえ若いのに仕事もしないとは何事だと説教しようとする。
キナコが関わった男のおばあちゃんなど、味方につけてしまえばこんな頼もしい存在もないのだけど。
良くも悪くも、田舎の人間関係は濃密ですね。

「52ヘルツのクジラたち」 


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「仏果を得ず」

2021年02月02日 | 

文楽に情熱を傾ける若者の奮闘を描く青春小説です。
人形浄瑠璃文楽は、語り部である義太夫(ぎだゆう)、話を引き立てる三味線、人形を操る人形遣いが一体となって舞台が進められます。
健(たける)は、修学旅行で観た文楽公演をきっかけに夢中になり、研修所を経てその世界に飛び込みます。

日本の伝統芸能は世襲制が多いようですが、日本芸術振興会では年一回研修生を募集し、文楽や歌舞伎の伝承者を養成しているのですね。
つまり一般人であっても、その世界に飛び込めるということです。
しかし、やはり生まれた時からその世界にいた人間とそうでない人間との差は厳しいようで、この小説の中でも、あれは研修所上がりだからという言葉が使われていました。

文楽という特殊な世界で一人前の太夫になろうと、寝ても覚めても文楽のことを考える健。
師匠の銀大夫は文楽界の重鎮だが、我儘放題なくせに奥さんには頭が上がらない老人。
健のパートナーとなる三味線の兎一郎もかなりの変わり者で、健の味方なのか敵なのか、読み進まないと分からない。
そして健と恋に落ちるシングルマザーの真智。
健と、彼を取り巻くこれらの人間たちのやり取りが、テンポの良い関西弁で交わされます。

真智が初めて健の部屋を訪れるシーン。
”「どうしはったんです。なんでここに…」
「なあ。まどろっこしいことは、なしにせえへん?」
真智は砕けた口調で、健をさえぎった。
「あんた、うちのこと好いとるやろ?」
「はい」と健は言った。声がかすれた。
「服を乾かしたいわ。部屋に上げて」”

恋愛では主導権を取られっ放しの健も、文楽の舞台では豹変します。
「仮名手本忠臣蔵」の義太夫を、健が必死に語るシーン。

”「思へば思へばこの金は、縞の財布の紫魔黄金。仏果を得よ」
ああ、哀れなり忠臣卿右衛門。いつも綺麗事ばかりで道を外さぬあんたは、けっしてこの境地に辿り着けやしないんだ。勘平の、俺の、すべてを捨て去った、捨てざるを得なかった気持ちは決してあんたには分からない。
 金色に輝く仏果などいるものか。成仏なんか絶対にしない。
生きて生きて生きて生き抜く。俺が求めるものはあの世にはない。
俺の欲するものを仏が与えてくれる筈がない。
勘平は最期の力を振り絞って絶叫する。
「ヤア仏果とは穢らはし。死なぬ死なぬ。魂魄この土にとどまつて、敵討ちの御供する!」”

「仏果を得ず」とはここから取ったのですね。
聞き慣れないタイトルと、少女漫画のようなポップな絵に彩られた表紙。
一体どんな小説なのか見当もつきませんでしたが、普段まるで縁のない世界が垣間見られて中々面白かった。
そういえば私の祖父は文楽が好きで、小さい頃に連れて行かれた思い出があります。
残念ながら私には、退屈だった覚えしかないのですが…

仏果を得ず」 

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「美しき愚かものたちのタブロー」

2021年01月18日 | 

日本に美術館を創りたい、その夢ひとつに生涯を懸けた不世出の実業家・松方幸次郎。
戦後フランスに没収されたその松方コレクションを守り、交渉し、取り戻した、
時の宰相・吉田茂、孤独な飛行機乗り・日置釭三郎、美術史研究科・田代雄一。
国立西洋美術館誕生にかけた4人の男たちの物語。

なんといっても、松方幸次郎という人物のスケールが凄い。
父親は元薩摩藩士、その後日田県知事を経て、内閣総理大臣になる。
1886年その息子として生まれた幸次郎は、イエール大学大学院を出て川崎造船所の後継者となる。
才覚と国際的感覚で軍艦造船会社にまで発展させ、財政界の巨頭となり、日本における本格的な西洋美術館の創設を目指して、私財を投げ打って欧州で数千点の有名絵画・彫刻を買い集める。
しかし世界大不況で川崎造船所は破綻し、彼のコレクションは売り立てられて国内外に散逸、第二次世界大戦末期にはフランス政府に敵国人財産として没収される。
彼は失意のうちに亡くなるが、前述の男たちの努力によって、完全ではないもののなんとか取り戻し、それを基に1959年国立西洋美術館ができあがったという話です。
4人の男たちのうち田代だけが架空の人物であるが、これは西洋美術史家の草分け、矢代幸雄をモデルにしているらしい。

その矢沢氏が
「松方さんのパリ市場における威力は大したもので、これはその大規模な買い方にもよったが、また松方さんの風貌、態度、人柄、どこから見ても、パリの本場所に出して、誰れにも引けを取らぬ世界の大實業家として通り、それがためあれほどの尊敬を博したのであろう、と私は思った。」
と言っています。(『藝術のパトロン』1958年)



松方幸次郎、どんな顔の人だったのだろうと思ってネットで検索。
なんて端正な顔、なんておちゃめな表情!
そしてロンドンで松方が一目ぼれしたという造船所の絵を描いた、フランク・ブラングィンによる肖像画がこちら。



田代が松方に、どうしてそこまで絵に夢中になるのだ?と聞かれて答えた言葉。
「僕は裕福でもなく、家族に恵まれているわけでもなく、ただ…ただひたむきに、タブローが好きで、関りをもちたい、少しでも近づきたいと、その思いひとつでここまでやって来ました。…まあ、いってみれば僕は、タブローのことばっかり考えて夢中になっている、どうしようもない愚かものです。」
タブローとは絵画のことなのです。

2年前にその国立西洋美術館で、60周年記念として松方コレクション展が開催されたのでした。
その時にこの本を読んでいたら、何をさておいてもすっ飛んで行ったでしょうに。
しかも今はコロナ禍、しかも西洋美術館は22年春まで施設整備のため休館。
なんと…

美しき愚かものたちのタブロー」 
松方コレクション展  
原田マハ・インタビュー 


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「国宝」吉田修一著

2021年01月12日 | 

任侠一家に生まれた少年が歌舞伎界に入り、稀代の女形として芸に生き抜き、歌舞伎の頂点を極めるまでを描いた小説。
人間国宝となった歌舞伎役者の壮大な一代記が、講談風の独特な語り口で綴られます。

喜久雄は長崎の極道の親分の子として生まれ、父親を殺された後、自身も暴力事件で地元を追われ、縁あって大阪の歌舞伎役者、二代目花井半次郎の家に引き取られる。
そこの同い年の一人息子・俊介と友情を育みながら、厳しい芸の稽古に耐える日々。
ある日半次郎が交通事故で舞台に立てなくなり、自身の代役として選んだのは、息子の俊介ではなく、喜久雄であった。

俊介はそれを聞いて思わず、喜久雄に「このコソ泥!」と殴り掛かるのですが
「まあ、しゃーないわ。これが誰か他の奴の評価やったら、『アホか。どこに目ついとんねん!』て文句の一つも言うんやけど、『実の息子より部屋子の方が芸が上手い』言うのがあの天下の二代目花井半次郎なら、もう諦めるしかないわ」と潔く受け入れる。
しかしその後すぐ家出をしてしまい、十年以上行方不明となるのです。

喜久雄がいよいよ三代目半次郎を襲名することになり、俊介の母親幸子が喜久雄に言う。
「もう我慢してたら、うちの方が潰れそうやから、なんでもかんでも正直に言わせてもらうけどな。この腹立ちの原因をな、突き詰めてみれば、ぜーんぶアンタや。アンタがうちに来いさえなんだら、何もかもまっすぐに進んどったに違いないねん」
「アンタ、辞退してえな」
「それくらいの恩を返して貰うくらいのことはしたで。なあ、俊ぼんのためや。アンタも俊ぼんが憎いわけやないんやろ?アンタにはまだ色んなものが待ってるかもしれんやないの。でも俊ぼんには…」
そこまで言われて喜久雄が、もうそんなに苦しまんでいいですわ、辞退しますというと、
幸子は「もう腹くくるわ。うちは意地汚い役者の女房で、母親で、お師匠はんや。こうなったら、もうどんな泥水でも飲んだるわ」
といって、喜久雄の襲名を受け入れ、その世話役一切を引き受けるのです。

その後、病気に倒れた二代目半次郎は、苦しい息をしながら
「どんなに悔しい思いをしても芸で勝負や。ほんまもんの芸は刀や鉄砲より強いねん。おまえはおまえの芸でいつか仇とったるんや。」
と喜久雄に言う。
しかし、いよいよ息を引き取るときに口にしたのは
「俊ぼーん、俊ぼーーん!」
という、実の息子の名前だったのでした。

喜久雄も俊介もその後、幾度もの裏切りや病気や策謀に遭い、十年以上も地方でドサ廻りをしたり、スキャンダルで国中から叩かれたり、両脚を失ったりと凄まじい人生を送ります。
喜久雄だけをとっても、そこに幼馴染の徳次や不良の弁天、愛人の芸子、その娘、底意地の悪い駿河屋鶴若、妻の彰子、その父親千五郎など一癖も二癖もある登場人物が複雑に絡んでくるのですが、私にとっては、息子を思いながら家のために喜久雄を受け入れたこの俊介の母親幸子の独白のシーン、父親の今わの際のシーンが、もっとも印象的でした。

この作品の取材のために著者は黒子として舞台を務め、全国を廻って200演目を観たのだそうです。
この人の芥川賞受賞作「パークライフ」は私にはピンとこなかったのですが
「怒り」「悪人」は夢中で読みました。
こんな作品を書いていたとは。
これを読んだら、歌舞伎を観たくて堪らなくなります。
今月歌舞伎座に行く筈であったのに、コロナで断念。
残念無念。

国宝」 

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「わが敵習近平」

2020年12月05日 | 

楊逸の小説は芥川賞受賞作品「時が滲む朝」の他、何冊か読みました。
文革によって幼少期に過酷な下放体験をし、その後日本に移住した著者の、これは覚悟の告発本です。

この人は「新型コロナウイルス蔓延は中国政府による人災だ」と言い切っています。
生物兵器として新型コロナウイルスをコウモリを媒介にして改変し、それを世界にばらまいたのだと。
それを証明する情報、文献などを多々並べ立てています。
当初「発生源は海鮮市場のコウモリ」と言われたが、「0号患者」と呼ばれる最初の患者(武漢ウイルス研究所勤務の女性、名前も出ている)は武漢の海鮮市場を訪れていない。
「ウイルスは武漢P4実験室から来た」のだと。

著者によると、2019年の1年間、中国の人民解放軍は、生物兵器を使ったシミュレーションを、毎月のように実地していたのだそうです。
12月の軍事演習では、南京近くの軍港で「クルーズ船で感染が発見された場合のシミュレーション」を。
これは軍事演習に参加した機関のサイトで確認できるそうですが、だからあの「ダイヤモンドプリンセス号」の感染は、ウイルスを世界に拡散させるために意図的に感染患者を乗船させたのではないかと。
そして感染源となった高齢の香港人の正体。

なんとその人は、香港のパスポートは持っていたものの、元々は中国内陸の汚職官僚で、クルーズ船に乗る直前まで刑務所にいたのだと。
何故か急に釈放され、香港から船に乗り込み、ろくに調査しないうちに死亡してしまったと。

これだけでもかなり鳥肌が立ちましたが、他にも著者の辛酸を舐めた下方体験、新疆ウイグル自治区での非道な弾圧、「再教育施設」という名前の強制収容所での拷問、中国官僚社会の腐敗しきった様子をこれでもかと。
なんと中国の刑務所関係者から流出したという「売買臓器の価格表」まで出ているのです。

ここまで書いちゃっていいのかと心配になるくらいの内容。
著者は、地獄のような共産党独裁政権の中国には帰りたくないと2011年日本国籍を取得。
中国政府に洗脳されている中国人、そして、いくらなんでも国家がそこまでしないだろうと疑わない、あまりにも人が良すぎる日本人に警鐘を鳴らしたくてこの本を書いたのだと言っています。

わが敵習近平

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「ブリット・マリーはここにいた」

2020年11月16日 | 

この夏に観た映画「ブリット・マリーの幸せなひとりだち」の原作本を読んでみました。
63歳の融通が利かない専業主婦のブリット・マリーが夫に浮気されて家を飛び出し、僻地のユースセンターの管理人兼、子供サッカーのコーチをするという粗筋は同じです。
違うのは、ブリット・マリーがより頑固で変わり者であるという点でしょうか。
社会不適応障害とか、そうした類の病名がつくのではないかと思われるような性格です。

彼女にとって、世の中の人間は二種類に大別される。
カトラリーの引き出しの中がきちんと整理されているか否か。
或いは、コーヒーカップの下にコースターを敷くか否か。
それらをしない人間を、彼女は絶対に許すことができないのです。

”フォーク。ナイフ。スプーン。その順番。
ブリット・マリーは人様を批判するような人間じゃない。まさか、とんでもない。だけれど、それ以外の順番でカトラリーの引き出しを整理しようという文明人がいるだろうか?動物じゃあるまいし。”

”若い女の子がふたたび口を開こうとしたところを、ブリット・マリーはさえぎった。
「お手数でなければ、コーヒーカップをおくものを頂けないかしら?」
プラスチックのカップをコーヒーカップと呼ぶのに自分の中の親切心を総動員している独特の口調で、そう言った。
「え?」デスクの向こうの女の子は、カップなんてその辺に隙に置けばいいという声で言った。
ブリット・マリーはできるだけ社交的に微笑んだ。
「コースターをお忘れよ。机に跡を残したくはありませんからね」”

筆者はこんな調子の乾いた筆致で、全編を皮肉っぽく書き上げています。
そしてこの本には、車のBMWが何度となく登場する。
その車に登場人物たちの行動を添わせることで、彼らの心情を説明しているとも言えます。
この作家の以前の作品「幸せなひとりぼっち」には、スゥエーデンの二大自動車メーカーのボルボとサーブが重要なキーワードとして登場していました。
フレドリック・バックマン、車が好きなのかな?

映画も随分とあっさりとした味わいでしたが、この本は更にその上を行きます。
予定調和には展開しない話の、最後の終わり方にはもう、呆れるしかない。
映画の終わり方にも呆気に取られましたが、原作の持ち味をしっかり踏襲していたのですね。

「ブリット・マリーはここにいた」


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「きのね」華やかな歌舞伎役者の…

2020年09月21日 | 

先に読んだ宮尾登美子の「きものがたり」、その中に出てきた前田青邨が表紙を描いたという「きのね」を読んでみました。
十一代目市川團十郎の妻、千代の目線から書かれた物語です。


行徳の貧しい塩焚きの家に生まれた光乃(千代)は、十八歳で歌舞伎役者宗四郎の家に女中奉公に上がります。
そこの「坊ちゃま」雪雄に仕え、以来震災や戦争を乗り越え、何処までも雪雄のために尽くします。
雪雄が他の女中に子供を作ると、その子供の世話を頼まれる。
そして良家の令嬢と結婚すると、その新居でも仕えることになる。
雪雄がチフスを発症して死にかけると、夜も寝ずに看病し、自分の血を輸血に差し出す。

やがて雪雄は離婚し、戦争で東京の家を焼き出され、親類縁者の家を頼ってあちこちを転々としますが、光乃は何処までも「坊ちゃま」について行く。
いつしか雪雄は光乃を寝屋に誘うようになったが、彼女はあくまで日陰の身であった。
身籠っても中々雪雄に言い出せず、医者にもろくに行けず、結局一人で便所で出産する。
その時生まれた男の子が十二代目團十郎、つまり今の海老蔵の父親なのですね。



十一代目團十郎は「花の海老さま」として空前のブームを巻き起こした美貌で知られ、戦後歌舞伎を代表する花形役者の一人といいますが、その性格にはかなり問題があったようです。
世渡り下手の不器用者で、気に入らないことがあるとすぐに光乃に手を挙げる。
殴る蹴るまでされて血だらけになっても、「坊ちゃまを支えられるのは私だけ」と光乃は動じない。
いつしか雪雄も光乃の真心に負けたのか、彼女を正式な妻と迎え入れるのです。

あの華やかな十一代目團十郎の顔の裏に、そうした私生活があったとは知りませんでした。
そもそも宮尾登美子がこの小説を書こうとした動機は、人気の歌舞伎役者の妻である千代夫人の、あまりに地味でつつましい姿を見たからだそうです。
この本によれば彼女は正式な妻となってからも、あくまで地味で控え目であったと。



丹念な下調べやインタビューを経てこの本は書かれたらしいのですが、光乃という女の心情を、著者はどうしてここまで子細に書き上げることができたのだろうと感嘆。
光乃は長年、我儘な「坊ちゃま」に仕えて散々な苦労をするのですが、例えば雪雄が良家の令嬢と結婚した直後の頃、嫉妬に苦しむ光乃の胸の内。
”同じ女に生まれても、このように何一つ不足のない人生を辿る人と、自分のように人の家の女中となって先の見えぬ日を送る人もあり、せめてここに並べられてあるような道具の一品なりと、将来自分が手にできるかと言えば、その望みはおそらくないものと考えなければならなかった。
これから先、苦労を知らぬ若いおかみさんと、そのおかみさんを風にも当てぬよう命懸けで守る気の強いばあやさん、そして眩しいほどの道具類に囲まれ、あくまでこの家の位で言えば一番下の、女中として暮らさねばならない自分を考えると、一瞬目の前を黒いものがよぎり、いっそ暇を取ろうかと光乃は思った。
やめてしまえば自由、夜毎天井を見つめての苦しみからも解き放たれる、帰る家がなくても、また上野の桂庵へ飛び込めば、新しい別の暮らしが始まる、と心中しきりに唆すこえがあるのに、光乃は一方ではまた、それができないのを感じている。
何故なら、この家を辞めてしまえば、雪雄はもはや手の届かない存在となり、今の場合、それは更に苦しみを増すことになるのが判っているからであった。”


きのねとは、歌舞伎で見栄を切る時や、開演を告げる時に打ち鳴らされる、拍子木の音のことです。
それはまた、雪雄からだけ呼ばれた光乃の愛称であったそうです。
この小説の大筋は事実らしいのですが、何処までが本当で何処までが脚色なのか知りたいものです。


きのね」 

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