「コーヒーは、淹れるたびに味が違う。」
ヒマだから、なんとなく断言してみたが、
要するに、私の技術と知識が未熟だということか。
たしかにこのブログにもたまに書くように、
淹れるたびにそれを実験の機会と考え、
「淹れ方」を様々に変えることも一因ではあるが、
しかし同じ淹れ方をしても、
もしくは、
したはずなのに、味が違うことは多々ある。
だいたいコーヒーは、
その総量の約2パーセントほどだけがコーヒーの成分であって、
あとの98パーセントは水分であるから、
ほんのわずかな要因にでも味は左右される。
と書いたが、これは違うな。
お茶もおそらく同じような成分比率であるのに、
お茶はそれほど大きい味の変化はない。
昨日までおいしいと思っていたお茶を、
今日になったらまずくて飲めない、ということはまずない。
どんな淹れ方をしようとも、だ。
しかし、
このコーヒーと茶の違いの答えは案外と簡単で、
お茶は、淹れ初めと終わりを分けて味見をしても、
それほど極端に味の違いを感じないが、
コーヒーの初めと終わりを分けて飲み比べれば、
それらはまったく違うことに気がつく。
濃度が違うことはもちろんである。
ここで私なりの結論を一度書いてしまえば、
コーヒーは我慢できないほどに、まずい成分が出るということ。
対してお茶は感じるほどは出ない。
だから、
ほんのわずかな手順の違い、といよりも、
ほんのタッチの違いにでも抽出に影響して、
そのまずい成分がカップに落ちてしまい、
私は今日もまずいコーヒーを飲むという結果になるのだろう。
それに加えて、とくにコーヒーは、
心理的、視覚的な要因でも味が変わるから、ひどくやっかいだ。
ヒマだから、なんとなく断言してみたが、
要するに、私の技術と知識が未熟だということか。
たしかにこのブログにもたまに書くように、
淹れるたびにそれを実験の機会と考え、
「淹れ方」を様々に変えることも一因ではあるが、
しかし同じ淹れ方をしても、
もしくは、
したはずなのに、味が違うことは多々ある。
だいたいコーヒーは、
その総量の約2パーセントほどだけがコーヒーの成分であって、
あとの98パーセントは水分であるから、
ほんのわずかな要因にでも味は左右される。
と書いたが、これは違うな。
お茶もおそらく同じような成分比率であるのに、
お茶はそれほど大きい味の変化はない。
昨日までおいしいと思っていたお茶を、
今日になったらまずくて飲めない、ということはまずない。
どんな淹れ方をしようとも、だ。
しかし、
このコーヒーと茶の違いの答えは案外と簡単で、
お茶は、淹れ初めと終わりを分けて味見をしても、
それほど極端に味の違いを感じないが、
コーヒーの初めと終わりを分けて飲み比べれば、
それらはまったく違うことに気がつく。
濃度が違うことはもちろんである。
ここで私なりの結論を一度書いてしまえば、
コーヒーは我慢できないほどに、まずい成分が出るということ。
対してお茶は感じるほどは出ない。
だから、
ほんのわずかな手順の違い、といよりも、
ほんのタッチの違いにでも抽出に影響して、
そのまずい成分がカップに落ちてしまい、
私は今日もまずいコーヒーを飲むという結果になるのだろう。
それに加えて、とくにコーヒーは、
心理的、視覚的な要因でも味が変わるから、ひどくやっかいだ。