三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

聖書通読40日間・<30日目>

2012年08月31日 | 本を読む
初夏のカトリック川越教会
(住所:埼玉県川越市六軒町1-17-15)

聖書通読40日間を決意してから、30日が経過した。昨日の時点で「第二正典」まで、つまり「旧約続編」を全て読み終えた。「字面(じづら)を追っている」苦境に変化はないが、やや読み進む分量を落として、トビト、ユディトなどの物語を味わい、「知恵の書」や「シラ書」からは、好きな聖句を拾い集めていた。「エズラ記(ラテン語)」には苦しめられたが、この文書はカトリックでも正典と見なされていないので、今回は注釈参照などの深入りは避けた。

かくして、私は『旧約聖書』を「辛うじて読み終えた」が、「事典」や「辞典」などの助けがなければ、独力では不可能だった。「創世記」は順調に読み進んできた人も、「出エジプト記」の20章あたりからつまずき始め、「レビ記」で律法アレルギー(?)となり、旧約の通読を断念してしまうのではなかろうか。私も雨宮慧神父の著書『旧約聖書のこころ』と出会うまで、旧約の律法、裁く神のイメージは「新約のよさを浮き立たせるにとどまるもの」と考えていた。

「神の怒りは憎しみから生じるのではない。そこにはあわれみと慈しみが満ちている。神の怒りは愛に裏打ちされている」、「救いとはかぎりなく優しい神のまなざしに出会うことであり、おきて(律法)とはそのまなざしを見続けようとする心のこと」。私は雨宮神父の言葉によって、聖書は旧約から一貫して「神の救いの計画」が中心になっていることを認識した。 今回は旧約の関連書籍からも多くの示唆を受けた。さて、いよいよ、今日から『新約聖書』を読む。


カトリック深谷教会の聖水盤
(住所:埼玉県深谷市栄町1-48)

◆私の聖書通読40日間、座右の書:
「聖書辞典」(新教出版社・2010年)、「聖書百科全書」(三省堂・2000年)、「カトリック聖書新注解書」(エンデルレ書店・1980年)

◆主な参考文献など:
・「旧約聖書のこころ」 雨宮慧著(女子パウロ会・1989年)
・「旧約聖書の世界」 池田裕著(三省堂・1982年)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年間第21主日のミサ

2012年08月27日 | ミサ聖祭
年間第21主日を迎えたカトリック高円寺教会
(住所:東京都杉並区高円寺南2-33-32)

尖閣諸島と竹島をめぐる領土問題で、「大日本帝国の正義」を信奉する人々が狂喜乱舞している。外交による解決は望まず、過去の侵略戦争や植民地支配を改竄する好機らしい。大阪の愛国心に燃える不倫市長は今回の騒動に便乗して、従軍慰安婦問題を正当化する発言を連発。日本国内の脱原発デモを黙殺したNHKは、中国の反日デモを即日速報。テレビ中毒者は国粋主義に付和雷同し、大増税や原発再稼働のことなど、すっかり忘れている。

8月26日(日)、高円寺教会で年間第21主日のミサに与った。教会は「寺町」の中にあるが、その周辺はカトリック系の光塩女子学院や東京保育専門学校、ベリス・メルセス宣教修道女会などが集まり、カトリックの「飛地」のようだ。午前7時30分、ミサ開祭。司式は主任司祭の吉池好高神父、説教は小暮康久助祭(イエズス会)が担当された。福音朗読は、イエスが言われた「わたしの肉・血」の言葉に、多くの弟子たちがつまずく場面(ヨハネ6・60-69)。

小暮助祭は、「今日の福音では、イエス様から離れる弟子と、イエス様のもとに留まる弟子が描かれています。多くの弟子たちは、イエス様の中に人間を越えるものを見出すことができなかったのです」と話された。「だが、ペトロはイエス様がどんな方であるかを知っていた。私たちにとって『神を知る』ことが大切で、神学者アンセルムスも『知る』と『信じる』は区別できないと述べています」。来月、叙階式を迎える小暮助祭は、既に司祭の風格があった。


東京保育専門学校の聖母子像
(住所:東京都杉並区高円寺南2-32-30)

◆この日のミサ中の主な歌:
ミサ曲(読誦)、入祭:典礼聖歌76「神よ あなたのことばは(2)」、奉納・拝領:オルガン奏楽、閉祭:カトリック聖歌284「くしきぶどうの木」。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カトリック港南教会

2012年08月23日 | 神奈川のカトリック教会
カトリック港南教会(教会堂名:聖フランシスコ・ザビエル)
創立:1973年 ◇ 住所:神奈川県横浜市港南区上永谷1-8-10

横浜市営地下鉄(ブルーライン)の上永谷駅で下車。地下鉄なのに、ここは地上駅である。その周辺はマンションが建ち、車線が広い国道22号が通り、横浜横須賀道路(国道16号の有料道路)が立体交差して、近未来都市のようだ。さて、港南教会の沿革をおさらいしよう。1973年、「横浜市南区上永谷(現・港南区)に中区・末吉町教会の分教会として、港南教会が設立され、荒井(勝三郎)司教によって祝別された」(「横浜教区設立50周年記念誌」より)。

閑静な住宅街の坂道を登って、港南教会に到着。ここは丘陵の中腹にあり、国道22号の喧騒も聞こえてこない。私が訪れた日は枝の主日に当たり、祭壇前に棕梠(ソテツ)の葉が飾られていた。聖母像を囲む装飾も目を引く。教会堂名の聖フランシスコ・ザビエル(1506-1552年)について、私の乏しい知識を総動員しての説明は不要と思う。日本に初めてキリスト教を伝えた聖人として名高い。東京の神田教会には、ザビエルの聖遺骨が安置されている。

イエズス会を創立した聖イグナチオに誘われてから、ザビエルがその「同志」となるには、数年間の逡巡を要したという。イグナチオの自叙伝『ある巡礼者の物語』によれば、ついにザビエルは「霊操を通じて、神の奉仕に献身するようになった」と記されている。そして、ザビエルはカトリック信徒だった私の祖父の霊名であった。さて、今回の港南教会の巡礼によって、私は横浜市営地下鉄沿線の旅を終えた。来月はJR根岸沿線のカトリック教会を訪ねよう。


現聖堂献堂:1973年?

◆主な参考文献など:
・「ある巡礼者の物語」 イグナチオ・デ・ロヨラ著、門脇佳吉訳(岩波文庫・2000年)
・「横浜教区設立50周年記念誌」 横浜教区設立50周年記念誌編集委員会編(カトリック横浜司教区・1988年)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聖書通読40日間・<20日目>

2012年08月21日 | 本を読む
炎天下のカトリック草加教会
(住所:埼玉県草加市松江1-6-11)

聖書通読40日間を決意してから、20日が経過した。昨日の時点で「マラキ書」までを、つまり「旧約」を全て読み終えた。「読み終えた」とは言っても、やはり「字面(じづら)を追っていた」に過ぎない。今回、やや読み進む速度が上がったのは、「詩編」などの余白が多い文書があったからである。それでも、難解な「エゼキエル書」などには苦しめられた。ここ数日は少し時間的な余裕が生まれたので、「第二正典(旧約続編)」へ入る前に、預言書を再読していた。

預言書を読むときは、「聖書百科全書」と「カトリック聖書新注解書」を、文字通り座右に置いた。預言者が現れた歴史的背景を押さえるのが不可欠と痛感したし、「注解書」の助けがなければ、「エゼキエル書」のような幻視に基づく複雑な内容、突飛と思える象徴的行為の意味は分からなかった(4章や38章など)。また、37章の「枯れた骨の復活」を、私は「新約の『体の復活』を先取りしている」と曲解していたことも判明。多くの勘違いがあぶり出された。

同じことは、「ダニエル書」にも言える。7章の「四頭の大きな獣」や「日の老いたる者」などの意味を理解せず、「読んでいた」とは羞恥の至りだ。それでも「注解書」を通して、各預言者の「視点」、例えばエゼキエルが強調した「罪の個人的責任、心からの回心」などを見出したのは大きな収穫であり、私のエゼキエルに対する苦手意識もかなり減った。もちろん、「読書百遍義自ら見(あらわ)る」の実感には程遠く、そろそろ独学の限界も見えてきたようである。


カトリック加須(かぞ)教会の聖母像
(住所:埼玉県加須市富士見町3-22)

◆私の聖書通読40日間、座右の書:
「聖書辞典」(新教出版社・2010年)、「聖書百科全書」(三省堂・2000年)、「カトリック聖書新注解書」(エンデルレ書店・1980年)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年間第20主日のミサ

2012年08月19日 | ミサ聖祭
ある夏の日の聖イグナチオ教会
(住所:東京都千代田区麹町6-5-1)

8月19日(日)、聖イグナチオ教会で年間第20主日のミサに与った。この日は新宿に所用があったのだが、京王線が立体交差工事のため、一部区間が運休に。バスの代行輸送はあったが、メンドーなのでJR中央線を利用した。車内でラーゲルレーヴの『キリスト伝説集』(岩波文庫・1984年改版)を読む。イエスの生涯にちなんだ珠玉の短編(童話)集で、私の愛読書の一冊。ラーゲルレーヴ女史は、TVアニメ「ニルスのふしぎな旅」の原作者として知られている。

午前10時、ミサ開祭。私は聖イグナチオ教会で週日や初金のミサに与ったことはあるが、意外にも「主日」は今回が初めてだ(ちなみに、東京カテドラルでの主日ミサも未経験である)。ミサの10分前になると、鐘が厳かに鳴った。主聖堂は満席に近く、「おや、海外のカトリックの国へ瞬間移動したのかな」と錯覚するほどの大会衆である。福音朗読は、イエスが「わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物」と言われた場面(ヨハネ6・51-58)。

司式のヘネロソ・フローレス神父は、「御聖体の秘跡は、私たちの信仰の中で、いちばん深いところにあります。イエス様が言われた『わたしの肉・血』とは、永遠の命、つまり神様の命のこと。御聖体を通して、神様が私たちと共におられ、そして私たちも神様の内にいる。きょうの福音を聞き、その神秘を素直に受け入れ、御聖体に対する信仰を深めましょう」と話された。主聖堂にパイプオルガンが豊かに響く。来月は東京カテドラルでの主日ミサに与りたいと思う。


<四谷見附交差点から聖イグナチオ教会を望む>

◆この日のミサ中の主な歌:
ミサ曲3(典礼聖歌211-214。栄光の賛歌のみ典礼聖歌204)、入祭:カトリック聖歌13「主こそわがほまれ」、奉納:典礼聖歌183「われらはシオンで神をたたえ」、拝領:(聖歌隊奉唱)、閉祭:「主よあなたの呼ぶ声が」。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする