三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

カトリック館林教会

2015年06月04日 | 関東のカトリック教会
カトリック館林教会(教会堂名:御助けの元后聖マリア)
創立:1953年 ◇ 住所:群馬県館林市大手町11-21

東武伊勢崎線の館林駅で下車。「うどんの里」として知られる館林だが、市内には反骨の義人・田中正造(1841-1913年)を顕彰した記念館もある。正造は足尾鉱毒問題を追及し、明治天皇への直訴も辞さなかった「人道の戦士」だが、その晩年は「キリスト教への信仰を深め、洗礼を受けようとしたこともあった」。正造が最期に遺した信玄袋の中には、一冊の新約聖書が含まれていたという。「聖書を読むよりは先ず聖書を実践せよ。聖書を空文たらしむるなかれ」(田中正造翁の言葉)。

カトリック館林教会の沿革をおさらいしよう。「1884年頃から、パリ外国宣教会のカディヤック神父が館林の信徒宅を巡回していたが(有名なうどん屋の店主もミサに与っていたという)、1940年以降は信徒宅などでミサが行われるようになった。1953年、群馬県の担当を開始したフランシスコ会ニューヨーク管区は最初の宣教・司牧拠点として、高崎と館林に小教区を設立した。1957年、現在の教会が献堂されて、牧野房男神父が主任司祭として着任した」(『北関東のカトリック』から要約)。

駅から徒歩10数分ほどで、館林教会に着いた。尖塔を戴く古い聖堂に入ると、玄関先で扶助者聖母像(下写真2)がお出迎え。赤い服と青いマントに身を包み、幼子イエスを抱きながら笏(しゃく)を持ち、頭上に冠を戴くその清楚な姿は、聖ヨハネ・ボスコが創立したサレジオ会系の教会でも見かけることができる。ドン・ボスコは特に扶助者聖母を信頼し、祈っていたという。「全ての危険において聖母のお助けを願いなさい。必ず聞き入れられることを私は保証します」(ドン・ボスコの言葉)。


現聖堂献堂:1957年


カトリック館林教会の扶助者聖母像

◆主な参考文献など:
・「北関東のカトリック」 カトリック浦和教区史誌編集委員会編(カトリック浦和教区事務所・1990年)
・「田中正造」 由井正臣著(岩波新書・1984年)
・「ドン・ボスコのことば100」 サレジオ会日本管区編(ドン・ボスコ社・2012年)
・「ドン・ボスコの風 No.12」 同編集事務局編(カトリック・サレジオ修道会・2014年)
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カトリック高崎教会

2013年08月25日 | 関東のカトリック教会
カトリック高崎教会(教会堂名:天使の元后)
創立:1953年 ◇ 住所:群馬県高崎市高松町16

JR高崎線の高崎駅で降りる。真夏の炎天下、カトリック高崎教会を目指して歩いた。その途中、「高崎市の文化のシンボル」群馬音楽センターの脇を通った。この巨大なコンサート・ホールの設計は、カトリック目黒教会聖堂聖オルバン教会(日本聖公会)などを手がけたアントニン・レーモンド(1888-1976年)。ここを本拠として群馬交響楽団が活動している。群響とピアニストの遠山慶子さんが組んだモーツァルトのピアノ協奏曲第9番「ジュノーム」は私の愛聴盤となっている。

高崎教会の沿革をおさらいしよう。「1953年、群馬県の担当を開始したフランシスコ会ニューヨーク管区は最初の宣教・司牧拠点として、高崎と館林に小教区を設立した。高崎市は地理的位置から群馬県の表玄関と呼ばれ、高崎小教区はやがて設立される富岡と藤岡教会、明治期の群馬県の宣教拠点となった新町教会を含む、西毛地方の拠点教会の役割を果たすことになる。高松町の旧連隊跡(注)に教会堂が完成したとき、信徒数は30人であった」(『北関東のカトリック』より)。

高崎教会に到着。蒸し風呂のような聖堂内で、私は祈りつつ涼を取った。ところで、高崎市内にはカトリック系の児童福祉施設「フランシスコの町」がある。ここは様々な事情で養護を必要とする子供たちを、聖フランシスコの愛の精神に倣って育んでいるという。「悲しみのあるところに、喜びをもたらすことができますように・・・」。さて、今回の巡礼によって、私は上尾教会からスタートした高崎線の旅を終えた。次はJR八高線沿いのカトリック教会(飯能教会と藤岡教会)を訪ねる予定。


現聖堂献堂:?年


平和の元后聖マリア像

(注):旧陸軍歩兵第15連隊(高崎連隊)のこと。高崎教会のある高松町一帯は、もともと高崎城の跡地。

◆主な参考文献・CDなど:
・「北関東のカトリック」 カトリック浦和教区史誌編集委員会編(カトリック浦和教区事務所・1990年)
・「モーツァルト:ピアノ協奏曲第9番<ジュノーム>」 遠山慶子、群馬交響楽団(Camerata:25CM-3)
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カトリック新町教会

2013年06月01日 | 関東のカトリック教会
カトリック新町教会(教会堂名:聖フランシスコ・ザビエル)
創立:1895年 ◇ 住所:群馬県高崎市新町309-1

JR高崎線の新町駅で降りる。関東屈指の古教会の一つ、新町教会を目指す。その途中、明治天皇が宿泊した行在所(あんざいしょ)の脇を通った。木造の古民家が保存されている。明治天皇といえば、私は団地っ子だった頃の社会科見学を思い出す。小学校の近所で、明治天皇が陸軍近衛兵の演習の際に野営した跡地の記念碑を見た。戦前は習志野名所の一つだったが、この時は民家の陰にひっそりと埋もれていた(注)。さて、新町教会の沿革をおさらいしよう。

「1970年、新町教会は現在の鉄骨造りの新聖堂に建て替えられたが、当時の新町は紡績工場や製材、機械産業の町として、多野地方の政治・経済、交通の要衝である隣接の藤岡町と共に、工業都市ベルト地帯の一翼を担おうとしていた。教会はこの波に乗って再発足。この地は、歩く宣教師として有名なカディヤック神父の時代から、教会の文字通りの橋頭堡として、1895年に北関東で四番目の教会が建てられた輝かしい歴史を持っている」(『北関東のカトリック』)。

「北関東で四番目」とは栃木の足利教会(1883年)、上三川教会(1885年)、松が峰教会(1888年)に次ぐ創立であり、新町教会は明治期の群馬における宣教拠点となった。その頃、北関東はパリ外国宣教会のヴィグルー神父とカディヤック神父が司牧し、東京の築地教会から徒歩で(!)巡回することが多かったという。現在、新町は高崎教会の司牧管轄となったが、群馬最古のカトリック宣教の歩みを伝えている。さて、再びJR高崎線の新町駅へ。次は高崎教会を訪ねよう。


現聖堂献堂:1970年


カトリック新町教会の聖母像

(注):現在、この記念碑(明治天皇駐蹕之処の碑)は船橋市郷土資料館の敷地内に移設されている。

◆主な参考文献など:
・「北関東のカトリック」 カトリック浦和教区史誌編集委員会編(カトリック浦和教区事務所・1990年)
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