カトリック館林教会(教会堂名:御助けの元后聖マリア)
創立:1953年 ◇ 住所:群馬県館林市大手町11-21
創立:1953年 ◇ 住所:群馬県館林市大手町11-21
東武伊勢崎線の館林駅で下車。「うどんの里」として知られる館林だが、市内には反骨の義人・田中正造(1841-1913年)を顕彰した記念館もある。正造は足尾鉱毒問題を追及し、明治天皇への直訴も辞さなかった「人道の戦士」だが、その晩年は「キリスト教への信仰を深め、洗礼を受けようとしたこともあった」。正造が最期に遺した信玄袋の中には、一冊の新約聖書が含まれていたという。「聖書を読むよりは先ず聖書を実践せよ。聖書を空文たらしむるなかれ」(田中正造翁の言葉)。
カトリック館林教会の沿革をおさらいしよう。「1884年頃から、パリ外国宣教会のカディヤック神父が館林の信徒宅を巡回していたが(有名なうどん屋の店主もミサに与っていたという)、1940年以降は信徒宅などでミサが行われるようになった。1953年、群馬県の担当を開始したフランシスコ会ニューヨーク管区は最初の宣教・司牧拠点として、高崎と館林に小教区を設立した。1957年、現在の教会が献堂されて、牧野房男神父が主任司祭として着任した」(『北関東のカトリック』から要約)。
駅から徒歩10数分ほどで、館林教会に着いた。尖塔を戴く古い聖堂に入ると、玄関先で扶助者聖母像(下写真2)がお出迎え。赤い服と青いマントに身を包み、幼子イエスを抱きながら笏(しゃく)を持ち、頭上に冠を戴くその清楚な姿は、聖ヨハネ・ボスコが創立したサレジオ会系の教会でも見かけることができる。ドン・ボスコは特に扶助者聖母を信頼し、祈っていたという。「全ての危険において聖母のお助けを願いなさい。必ず聞き入れられることを私は保証します」(ドン・ボスコの言葉)。
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現聖堂献堂:1957年
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/33/22231ad076600c029a634dfade2c348c.jpg)
カトリック館林教会の扶助者聖母像
◆主な参考文献など:
・「北関東のカトリック」 カトリック浦和教区史誌編集委員会編(カトリック浦和教区事務所・1990年)
・「田中正造」 由井正臣著(岩波新書・1984年)
・「ドン・ボスコのことば100」 サレジオ会日本管区編(ドン・ボスコ社・2012年)
・「ドン・ボスコの風 No.12」 同編集事務局編(カトリック・サレジオ修道会・2014年)