三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

復活徹夜祭・洗礼式を終えて

2016年03月30日 | ミサ聖祭
カトリック泉町教会の聖母子像
(住所:東京都八王子市泉町1287)

復活徹夜祭の3月26日(土)、私は某修道会系のカトリック教会で、受洗のお恵みに与った(上写真の泉町教会ではありません)。昨年6月から主任司祭による個人授業形式の入門講座を受講してきたが、2010年からの「教会巡り」以前、つまり私が幼い頃にカトリック信者の祖父と教会に通った時代までも振り返ると、受洗には相当に長い歳月を要した。だから、復活徹夜祭で御聖体を初めて拝領したとき、それまでの思い悩みは消え去って、キリストに結ばれたという大きな喜びに満たされたのである。

「わたしたちは入信の秘跡によってキリスト者になります。それは出発点です。古い人を捨てて、新しい人になりますが、自己中心な罪への傾きは残っています。わたしたちの命がキリストの恵みに触れられた部分はキリストのものとなり、キリストに従うものとなりますが、自己中心なところが残っていることに気づきます。『キリストが愛してくださったように人を愛する』ようになるためには、まだまだ捨てなければいけない執着や悪い習慣が残っているかもしれません」(国井健宏著『キリスト教入信』より)。

受洗前の私は自分の「舌を制御」(ヤコブ3・1-12)できず、日本のカトリック教会を「無気力で怠惰」などと罵っていた。キリストに倣って生きることに喜びを見出せない者は、教会内外の「取るに足らぬこと」に対して不平不満が湧くのだろう(と私は断言できる)。「キリスト信者は、洗礼のときに、キリストの教えとその義務とをまもると約束するのであるから、キリストのもはんにならって自分のおこないをただす義務がある」。これからの長い信仰生活、私は教皇レオ13世のこの言葉とともに歩みたいと思う。

◆主な参考文献など:
・「キリスト教入信 洗礼・堅信・聖体の秘跡」 国井健宏著(オリエンス宗教研究所・2011年)
・「けんそんのしおり」 レオ13世著、S・デランジェラ訳(ドン・ボスコ社・1953年)
コメント (7)
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