三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

年間第31主日のミサ

2011年10月31日 | ミサ聖祭
年間第31主日を迎えたカトリック渋谷教会
(住所:東京都渋谷区南平台町18-13)

10月30日(日)、渋谷教会で年間第31主日のミサに与った。この日は渋谷方面に所用があったこと、またロザリオの月の最終日曜日でもあったので、久しぶりに「やや丸顔のマリア様」にお会いしようと考えた。そういえば、私は今年5月の聖母月の最終日も、渋谷教会を訪れていた。偶然ではあるが、南平台のマリア様に導かれたのだろうか。私の母も若き日はこの教会に通って、「ノレ神父様から公教要理を学んだ」という。1964年、東京五輪の時代である。

渋谷教会に到着。南平台の丘の上は晴れ間が広がっている。この日はまた、渋谷教会の秋まつりでもあった。今年は東日本大震災の被災者支援のために、『一人ひとりにできること、繋がってるぞう 仙台・福島に!』がテーマとなった。バザー、抽選会、模擬店など、多彩な行事が行なわれる。既に大聖堂は超満員だ。 午前10時、ミサ開祭。福音朗読は、イエスが「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」と諭された場面(マタイ23・1-12)。

主任司祭の田中信明神父の説教の前に、被災地の現状報告があった。田中神父は、「日常の小さなことを通じ、被災者と繋がることが大切」と話された。ミサ後、聖堂の外は芋を洗うような大混雑に。私はドミニコ会グッズのボールペンを入手。帰宅途中、あしなが育英会の街頭募金に出会う。若い女性が震災遺児のための施設実現を訴えていた。田中神父の言葉を思い出し、私も少額を寄付。主よ、家族を失った子どもたちのそばに、いつも寄り添ってください。


秋まつり、カトリック渋谷教会の中庭
<焼きそばやフランクフルトの香ばしい匂いが漂う>

◆この日のミサ中の主な歌:
ミサ曲1(典礼聖歌203-206)、入祭:典礼聖歌64「神は私を救われる」、奉納:典礼聖歌403「友よ聞こう」、拝領:典礼聖歌123「主はわれらの牧者」、閉祭:典礼聖歌400「小さなひとびとの」。
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カトリック泉町教会

2011年10月27日 | 東京のカトリック教会
カトリック泉町教会(教会堂名:聖マリア)
創立:1877年 ◇ 住所:東京都八王子市泉町1287

西東京バスの泉町(いずみちょう)停留所で降りる。ここは八王子の中心部からバスで20数分を要し、北に浅川を望み、南西は八王子城が築かれた城山が聳えている。バスが無ければ、陸の孤島になってしまう。現在も交通アクセスが良いとは言えない泉町に、今から百年以上前の明治初期、横浜からカトリックの信仰が伝えられたのは驚きである。この泉町が下壱分方村と称していた頃、宣教に燃える青年・山上卓樹が伝道士として故郷の村に戻ってきた。

山上卓樹(1855-1931年)はカトリック信徒で民権家。 恩師のテストヴィド神父の命を受け、泉町で伝道士として活躍すると、封建時代の不条理に苦しんできた村人はカトリックに改宗する者が続出した。その勢いは卓樹が「燎原の火の如く」と評し、テストヴィド神父も「全村こぞってカトリックになる」と喜んだ。1877年、早くも天主堂(現・泉町教会)が建てられ、教会の付属学校も完成。しかし、村の大火やテストヴィド神父の死などによって、急速に勢いが衰えた。

1927年、泉町教会の創立50周年を記念して、現在の聖堂が再建された。式典には年老いた卓樹の姿もあった。戦後、この聖堂は信徒数の減少で荒廃したが、八王子教会の創立百年を機に補修・整備された。去る7月24日、私は泉町教会で年間第17主日のミサに与った。戦前の古い聖堂内は、今も卓樹やメイラン神父、往年の村人たちの賛美の歌声が残っているかのようだ。泉町教会は小さな佇まいだが、鐘楼を戴く聖堂に遠い歴史の記憶が蘇える。


現聖堂献堂:1927年
<埼玉の入間宮寺教会聖堂と似ている>


<聖堂内後方。 右手に足踏み式オルガンがある>

◆主な参考文献など:
・「多摩の百年(上)悲劇の群像」 朝日新聞東京本社社会部著(朝日新聞社・1976年)
・「八王子教会百年」 カトリック八王子教会百年記念誌編集委員会編(同教会百年祭委員会・1977年)
・「山上卓樹・カクと武相のキリスト教」 町田市立自由民権資料館編(町田市教育委員会・2006年)

<付記>
現在、泉町教会は八王子教会の分教会となっている。毎月第二・第四日曜日の主日ミサを除き、聖堂は施錠されている場合が多い。聖体訪問などで巡礼する場合は、事前に開堂時間の確認をお勧めしたい。(なお、本記事の続編「八王子・泉町を歩く」、「主の降誕(日中のミサ)」もあわせてお読みください)
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年間第30主日のミサ

2011年10月25日 | ミサ聖祭
年間第30主日を迎えたカトリック八王子教会
(住所:東京都八王子市本町16-3)

10月23日(日)、八王子教会で年間第30主日のミサに与った。私にとって初めての主日ミサから、ちょうどこの日で一年を迎えた。昨年、私は「主日デビュー」に備えて、事前に高田三郎氏のCDを聴き、「栄光の賛歌」や「使徒信条」を暗唱するなど、涙ぐましい努力を重ねていた。ところが、当日は「子どもとともにささげるミサ」で、石川和子シスターの「ミサ曲2」を歌い、「ニケア・コンスタンチノープル信条」を唱えるなど、一夜漬けが失敗したことを懐かしく思い出す。

八王子教会に到着。ミサの前に、会衆全員でロザリオの祈りを唱和。聖堂の外から、子どもたちの声が聞こえてきた。前夜から教会学校のお泊り会が行なわれているという。聖堂内は教会学校の子どもたちも参列し、大祝日ミサのように超満員となった。 午前10時、ミサ開祭。司祭の両脇に、ローソクを奉持した侍者の子どもたちが立っている。福音朗読は、イエスがファリサイ派から「律法の中で、どの掟が最も重要か」と試問された場面(マタイ22・34-40)。

主任司祭の稲川圭三神父は、「イエス様は、あなたの神である主を愛し、隣人を自分のように愛することの二つの掟を挙げられました」と話された。「さらにイエス様は、新しい掟を教えてくださいました。それは、私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい、という掟です」。ところで、この日の祭儀中に会衆の一人が倒れ、救急車で搬送される事態が起きた。稲川神父と信徒の皆さんは冷静に対応されたが、その方のために私もお祈り致します。


夜のカトリック八王子教会聖堂
<中央扉の両脇に、小さな聖水盤が取り付けられている>

◆この日のミサ中の主な歌:
ミサ曲2(典礼聖歌207-210)、入祭:典礼聖歌169「わが主をたたえよう」、奉納:典礼聖歌322「愛といつくしみのあるところ」、拝領:子供の歌「クレド(弱いものの信仰宣言)」、閉祭:子供の歌「こころをつないで」。
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荘厳司教ミサ

2011年10月23日 | ミサ聖祭
荘厳司教ミサ当日の東京カテドラル関口教会
(住所:東京都文京区関口3-16-15)

10月22日(土)、東京カテドラル聖マリア大聖堂で第21回「荘厳司教ミサ」に与った。主催者のカトリック・アクション同志会によれば、「第二ヴァチカン公会議後に教皇の定められた儀式書をアレンジすることなく(注)、伝統的なローマ・カトリックの典礼の『荘厳で聖なる美しいミサ』を、日本においてもそのままの形で実現することを目指して」行なわれる。ラテン語とグレゴリオ聖歌により、第二バチカン公会議前の「伝統的な荘厳な雰囲気」のミサを再現するという。

私は第二バチカン公会議(1962-1965年)後に生まれた。だから、それ以前のラテン語とグレゴリオ聖歌とで捧げられていた典礼を知らない。カトリック信徒だった祖父の遺品の中に、ラテン語ミサの古い解説書がある。その式次第によれば、司祭と侍者がラテン語で受け答えする場面が多く(当時は侍者を「ミサごたえ」と呼んでいた)、現在のような「会衆との対話」ではなかったことが分かる。 また、祭儀中は「天使ミサ」などのグレゴリオ聖歌が歌われていた。

東京カテドラルに到着。大聖堂は超満員である。21回目を迎えた今年の荘厳司教ミサは、全ての死者のため「レクイエム」が捧げられた。東日本大震災の影響もあるのだろう。午後3時、ミサ開祭。配布されたミサレット(式次第)に基づき、祭儀は進行する。モーツァルトの「ラクリモーザ」が大聖堂に響き渡る。その荘厳性に圧倒される一方、会衆の積極的な参加を促す現行の典礼にも大きな喜びを感じた。だが、この日の私は単なる「見物人」に過ぎなかった。


東京カテドラル関口教会のルルド
<1911年、パリ外国宣教会のドマンジェル神父により造成>

(注):往時の「トリエント・ミサ」ではなく、現行の典礼をラテン語の式文とグレゴリオ聖歌とで行なう。

◆この日のミサ(ラテン語式文による典礼)中の主な歌:
カトリック聖歌581「死者ミサ(ラテン語聖歌)」、奉納:カトリック聖歌442「やさしきみ母」、拝領:アヴェ・ヴェルム・コルプス(ギルマン)、ラクリモーザ(モーツァルト「レクイエム」K.626より)、アヴェ・マリア(サン・サーンス)、司教団退堂:カトリック聖歌12「われ神をほめ」、閉祭:讃美歌405「かみともにいまして」。

◆主な参考文献など:
「ミサ聖祭入門」 ユリウス・アブリ著(エンデルレ書店・1960年)
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聖マルコ教会(日本聖公会)

2011年10月21日 | 聖公会の教会
日本聖公会 聖マルコ教会
(住所:東京都府中市美好町3-8-2)

地元の図書館などで、多摩のカトリック史を調べていると、必ず沼謙吉氏の著作・論文にたどり着く。元高校教諭の沼氏は、明治期の多摩に於けるキリスト教史をご専門にされている。沼氏の研究成果から、私は多くの示唆を受けた。砂川村(立川市)にカトリックを伝えた元仙台藩士・竹内寿貞のこと、テストヴィド神父と共に多摩最古のカトリック泉町教会を献堂した山上卓樹のこと、八王子に東方正教会の会堂があったことなど、枚挙にいとまがない。

沼氏の著作を読み進むうちに、京王沿線に日本聖公会の古い教会があることを知った。それが、これから訪ねる府中の聖マルコ教会である。カトリック教会の巡礼中に、他教派の教会を採り上げるのは気が引けるけれども、この聖マルコ教会と、奥多摩にある日本基督教団の青梅教会とは、多摩のキリスト教史の舞台として、どうしても訪ねたいと考えていた。後者は、1888年に創立された「青梅福音教会」を前身とし、文豪・中里介山ゆかりの教会でもあるから。


京王線の分倍河原駅で降りる。旧甲州街道を西へ歩くと、聖マルコ教会の正門が見えてきた。立教大学などのチャペルを除けば、私が聖公会の教会を訪ねるは、今回が初めてだ。聖マルコ教会の歴史は古く、米国聖公会が府中に宣教師を派遣した1885年に遡る。創立時は北多摩教会と称し、ここより西方にあったという。1904年、現在地への移転を機に、聖マルコ教会と改められた。古い木造の聖堂は、明治から連綿と続く信仰の歴史が窺えるようだ。


聖堂内観(1959年竣工)

◆主な参考文献など:
・「明治期 多摩のキリスト教」 沼謙吉著(法政大学多摩地域社会研究センター・2000年)
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