三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

年間第26主日のミサ<後編>

2011年09月27日 | ミサ聖祭
年間第26主日を迎えたカトリック八王子教会
(住所:東京都八王子市本町16-3)

9月25日(日)、八王子教会で年間第26主日のミサに与った。この日は祭儀中に敬老の祝福があるので、祭壇正面に「敬老者席」が設けられていた。高齢者を中心に聖堂は人が溢れ始め、信徒席後方に数列の補助席が置かれたほどである。午前10時、ミサ開祭。石川和子シスターの「ミサ曲2」を歌う。主任司祭の稲川圭三神父は手話を交えて歌われる。侍者の男の子も手話をしながら(!)歌っている。本当に神の豊かな恵みが注がれている瞬間と思う。

福音朗読は、イエスのたとえ話「二人の息子」(マタイ21・28-32)。兄は考え直して父に従ったが、弟は口先だけの返事をする。イエスは洗礼者ヨハネが示した義の道を、祭司長らが考え直して信じなかったことを指摘した。稲川神父は、「義の道とは、根源的な回心と思います。それは、神様の救いに信頼して立つということです」と話された。 「祭司長らは、自分たちは正しいと考えていた。しかし、それでは救いを望まれる神様の心には出会えないと思います」。

稲川神父は、「この話は、私にも思い当たることがあります」と告白された。教員時代の稲川神父は、恩師の下山正義神父から「自分が正しいとうぬぼれている」と婉曲に叱責された(雷が落ちた)という。「自分が正しいかどうかではなく、救いを望まれる神様というお方に信頼して生きること。洗礼者ヨハネによって、徴税人たちは信じたのです」。 司祭の説教のあと、「敬老の祝福」。会衆全員で「テ・デウム」を唱える。神様と共に、いつまでもお元気でありますように。


ミサ後のカトリック八王子教会
“ケルビムも、セラフィムも、絶間なく声高らかに
御身がほぎ歌をうたいまつる”

◆この日のミサ中の主な歌:
ミサ曲2(典礼聖歌207-210)、入祭:典礼聖歌32「神に向かって」、奉納:典礼聖歌317「キリストは人間の姿で」、拝領:典礼聖歌167「わがこころ喜びに」、閉祭:典礼聖歌402「仕えられるためではなく」。
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年間第26主日のミサ<前編>

2011年09月25日 | ミサ聖祭
年間第26主日を迎えたカトリック多摩教会
(住所:東京都多摩市聖ヶ丘1-30-2)

9月24日(土)、多摩教会で年間第26主日のミサに与った。神奈中バスの車橋停留所で下車すると、すでに日は暮れて辺りは暗くなっていた。台風15号が過ぎ去ったあと、多摩地方は一気に秋の気配が漂い始めたようだ。夜道の乞田川に沿って歩くと、煌々と輝く多摩教会が見えてきた。聖堂内から照らされるステンドグラスが美しい。このデザインは、ドミニコ会のカルペンティール神父。 「聖書と典礼」の表紙を飾る版画の作者としてご存じの方も多いと思う。

午後6時30分、ミサ開祭。会衆は70人ほどであろうか。修道服を召されたシスターの姿も見える。多摩市内にあるイエスのカリタス修道女会から来られているのだろう。 入祭のあいさつ。主任司祭の晴佐久昌英神父は、「ミサを始めるとき、すでに涙をポロリとこぼしている人がおられる。私はそれを“安心の涙”と名付けました。ここに来れば大丈夫。神様が共におられる。神様が素晴らしいわざをお始めになった。このミサがその目に見えるしるしです」と話された。

今宵の福音朗読は、イエスのたとえ話「ぶどう園で働くことを命じられた二人の息子」(マタイ21・28-32)。晴佐久神父は“福音全開”である。「ぶどう園は神の国。そこで働くこと、こんな素晴らしい話はありません。“働きなさい”と言われたことは福音です。私たちのような者に声をかけ、任せてくださったのですから。喜んでぶどう園へ行くべきです」。 さて、私はこの記事を投稿してから、本日(9/25)午前に行なわれる八王子教会の主日ミサへ行く予定である。


夜のとばりが下りるカトリック多摩教会
<ライトアップされた尖塔の十字架>

◆この日のミサ中の主な歌:
ミサ曲2(典礼聖歌207-210)、入祭:典礼聖歌32「神に向かって」、奉納:典礼聖歌402「仕えられるためではなく」、拝領:典礼聖歌54「神のみ旨を行うことは」、閉祭:カトリック聖歌12番「われ神をほめ」。
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カトリック上野毛教会

2011年09月23日 | 東京のカトリック教会
カトリック上野毛教会(教会堂名:カルメル山の聖母)
創立:1952年 ◇ 住所:東京都世田谷区上野毛2-14-25

東急大井町線の上野毛駅で降りる。多摩川に臨む閑静な住宅地を進むと、上野毛教会の特徴ある鐘楼が見えてきた。この珍しい木造聖堂の設計は、カトリック信徒の今井兼次氏(1895-1987年)。 早稲田大学の演劇博物館や皇居内の桃華楽堂などを手がけた名建築家だ。今井氏は教会建築も少なからず残したが、世田谷区内では成城教会聖堂がある。全国的な作品を挙げると、ガウディ風の双塔が聳える日本二十六聖人記念聖堂(長崎県)だろうか。

上野毛教会に着いた。ここは男子跣足カルメル修道会の上野毛修道院などがあり、かなり広い敷地だ。多摩川を望む場所に、カルメル山の聖母子像が新しく設置され、両脇に天使像が跪いている。教会堂名のカルメル山の聖母の由来は、「(イスラエル北西の)カルメル山からはガリラヤの平原を見渡すことができ、マリアが生活したガリラヤの近くであることから、カルメル会は初めから観想者であるマリアの保護のもとに自分たちを置いた」(女子パウロ会サイト)。

聖堂に入ると、成城教会とは対照的な空間が広がっている。同じ建築家が手がけたものとは思えないほどだ。木の温もりと採光のバランスが素晴らしい。正面祭壇に掲げられた十字架の上からは、カルメル山の聖母子像が見守っている。ところで、カルメル会といえば「スカプラリオ」である。これは修道士の肩布を模して、二枚の布切れをリボンで結んだ聖具。 マリアの服と見なされるスカプラリオの着用によって、「聖母への奉献の目に見えるしるし」になるという。


現聖堂献堂:1959年


“ スカプラリオのカルメル山の聖母マリアよ、
スカプラリオの恵みを授けられ・・・ ”

◆主な参考文献など:
「カトリック祈祷書 祈りの友」 カルメロ神父編(カルメル会宇治修道院・2005年版)
コメント (2)
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カトリック田園調布教会

2011年09月21日 | 東京のカトリック教会
カトリック田園調布教会(教会堂名:アシジの聖フランシスコ)
創立:1932年 ◇ 住所:東京都大田区田園調布3-43-1

東急東横線の多摩川駅で降りる。私が日吉へ通学していた頃、ここの駅名は「多摩川園」だった。田園調布とは思えないローカルな雰囲気さえ漂っていた。当時、私は講義を終えると、独りで神保町の古書店街へ繰り出していた。その途中、東横線が多摩川を越えると、いつも丘の上に聳える高い鐘楼が目に飛び込んできた。私は「神学校か何かの施設なのだろう」と考え、その厳かな佇まいに圧倒されていた。それが、これから訪ねる田園調布教会だった。

1930年、フランシスコ会の東京進出に当たっては、戸塚文卿神父の大きな援助があった(戸塚師については、小金井教会の記事を参照)。当時、宣教師として来日したジャン・ジョゼフ・デキール神父の日記によれば、「フランシスコ会が田園調布の修道院を創設するに当たり、戸塚神父の尽くされた業績は大きく、決して忘れることのできない恩人」と記されている。田園調布の小高い丘が選ばれたのは、「聖フランシスコが天の啓示を受けた山に似ていたから」という。

1932年10月4日、アシジの聖フランシスコの記念日に田園調布教会は創立された。初期の聖堂は畳敷きであったという。教会堂名のフランシスコについて、私の乏しい知識を総動員しての説明は不要と思う。信仰の有無を問わず、多くの人々から「清貧の聖人」として尊敬されている。奇しくも、フランシスコの記念日は、カトリック信徒だった私の祖父が帰天した日でもある。いつの日か、田園調布のラ・ヴェルナ山(注)に聳える大聖堂のミサに与りたいと考えている。


現聖堂献堂:1955年


聖堂正面

(注):ラ・ヴェルナ山(La Verna)はイタリア中部にある。1224年、瞑想中のフランシスコが聖痕(イエスの五つの御傷)を受けた場所。

◆主な参考文献など:
・「戸塚神父伝 神に聴診器をあてた人」 小田部胤明著(中央出版社・1989年)
・「宣教師たちの遺産・フランシスコ会カナダ管区」 平秀應編(フランシスコ会アントニオ神学院・1988年)
・「アッシジのフランチェスコ」 川下勝著(清水書院・2004年)
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年間第25主日のミサ

2011年09月19日 | ミサ聖祭
年間第25主日を迎えたカトリック八王子教会
(住所:東京都八王子市本町16-3)

9月17日(土)、八王子教会で年間第25主日のミサに与った。この日は台風15号の影響で、数分おきに天候が急変し、激しい通り雨に何度も見舞われた。私が八王子教会に着いたときは晴れ間がのぞき、聖堂前の園庭を子どもたちが走り回っていた。今週は日曜日午前のミサ参列を考えていたが、所用のため土曜日の夕方に変更した。これで3週連続の「子どもとともにささげるミサ」となった。私も「イエスさまがいちばん」を小声で歌えるようになっていた。

午後4時、ミサ開祭。不安定な天候にもかかわらず、この日も150人ほどが参列していただろうか。福音朗読は、イエスのたとえ話「ぶどう園の労働者」(マタイ20・1-16)。主任司祭の稲川圭三神父は、「ぶどう園の主人は神様、労働者は私たちです。ぶどう園で働くとは、神様を信じて生きることだと思います」と話された。ところが、ぶどう園の労働者は主人に不平を訴える。「神様を信じて生きるとは、全ての人に神様が共におられることを信じて生きることです」。

稲川神父は、続けて「私たちは(不平を訴える労働者のように)“あの人には神様がいて欲しくない”と思うときがあるかもしれません。しかし、それでは一緒にいてくださる神様の正しさを妬む者になってしまいます」と話された。私のような不平分子は、「イエスのたとえ話には、何かウラがあるのではないか」と邪推してしまう。だから、「子供のように神の国を受け入れる人」(ルカ18・17)に近づきたい。 ミサ後、聖堂を出ると、ちょうど通り雨が止んだばかりであった。


カトリック八王子教会聖堂
<聖堂後方の薔薇窓と楽廊を見あげる>

◆この日のミサ中の主な歌:(先週と同一
ミサ曲2(典礼聖歌207-210。感謝の賛歌のみ上村幸一郎詩・曲)、入祭:子供の歌「イエスさまがいちばん」、奉納:子供の歌「五つのパン」、拝領:子供の歌「神様のぬくもりのしるし」、閉祭:子供の歌「こころをつないで」。
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