三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

四旬節第1主日のミサ

2012年02月28日 | ミサ聖祭
四旬節第1主日を迎えたカトリック八王子教会
(住所:東京都八王子市本町16-3)

2月26日(日)、八王子教会で四旬節第1主日のミサに与った。この日、午前10時のミサで洗礼志願式が行われたが、私は午前7時のミサに参列。入祭のあいさつ。主任司祭の稲川圭三神父は、「灰の水曜日から、四旬節が始まりました。四旬節は、復活祭での洗礼式の準備期間として定められました」と話された。「復活祭に洗礼をお受けになる方、また洗礼を心の奥で希望されている方と共に、四旬節はその恵みを新たに受け取り直して生きる時期です」。

「洗礼を心の奥で希望されている方」・・・。私もその一人だが、未だに聖なる軛(くびき)と荷を負うことへの迷いが(ほんの少し)残っている。それでも、首都圏の教会を巡りながら、「今年の復活祭が終わったら、八王子教会で入門講座を受講しよう」と決意するまでに進歩(?)した。だが、稲川神父は4月8日の復活祭後に、麻布教会へ異動されることになり、私の青写真は夢と消えた。優柔不断が災いして、昨年秋に入門の扉を叩かなかったことが悔やまれる。

午前7時、ミサ開祭。福音朗読は、荒れ野での40日間の場面(マルコ1・12-15)。稲川神父は、「神様が共におられることを宣べ伝えながら、その真実を生きる。これがイエス様の道と思います」と話された。「洗礼を、『神様が共におられる』という実感のために用いるなら、それは的外れ。その恵みは自分以外の全ての人にもあるのです。だから、私たちはそれを告げながら、イエス様の道を歩みましょう」。 その道を求めて、私も捲土重来を期すことにしよう。


カトリック国府津教会の聖母像
(住所:神奈川県小田原市国府津4-5-57)
<光背の文字は、“Je suis l'Immaculee Conception”。意味は次回の記事で!>

◆この日のミサ中の主な歌:
ミサ曲4(典礼聖歌215-217)、入祭:典礼聖歌175「わたしは神に寄り頼む」、奉納:典礼聖歌8「荒地のかわき果てた土のように」、拝領:典礼聖歌6「あなたのいぶきをうけて」、閉祭:典礼聖歌388「ガリラヤの風かおる丘で(聞かせてください、みことばを)」。
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カトリック二宮教会

2012年02月26日 | 神奈川のカトリック教会
カトリック二宮教会(教会堂名:日本26聖人殉教者)
創立:1950年 ◇ 住所:神奈川県中郡二宮町二宮88

JR東海道線の二宮駅で下車。南口の広場に、ガラスのうさぎを抱いた少女の像が立っている。夏休みの読書感想文などで、高木敏子氏の「ガラスのうさぎ」を読まれた方も多いと思う。主人公の「敏子」は12歳。家はガラスの工芸品を作る工場だったが、1945年3月10日の東京大空襲で母と妹を失う。生き残った父は、二宮で疎開していた敏子と一緒に、新潟で暮らそうと考えた。引越しの日、二宮駅で父と汽車を待っていると、いきなり米軍機に襲われた。

待合室は凄惨な光景となり、父は機銃掃射で死亡。敏子は両親を失ったが、復員した兄とともに、戦後を生き抜いた。著者の高木氏は、「次の世代へこの悲しみを伝えたい。二度と戦争を繰り返さないために」と本書を結んでいる。残念ながら、石原慎太郎のような人々は、その願いを聞く耳を持たない。だから、多くの子どもたちに読み継がれて欲しいと思う。私の貧しい本棚には、小学生時代の愛読書が少なからず残っているが、本書もその一冊である。

二宮教会に到着。平塚教会の記事で触れたが、二宮教会もアイルランドの聖コロンバン会によって創立された。聖堂裏の松林の向こうに海が見える。「ガラスのうさぎ」の敏子も、父が亡くなった日の夜、独りで二宮海岸を訪れた。なお、「ガラスのうさぎ」とは、職人の父が作った置物のこと。空襲の焼け跡から発掘されたうさぎには、家族の思い出が刻まれているのだろう。さて、私は再び小田原行きの東海道線に乗車。次は隣駅の国府津教会を訪ねよう。


現聖堂献堂:1954年

◆主な参考文献など:
「ガラスのうさぎ」 高木敏子著、武部本一郎画(金の星社・1977年)
「横浜教区設立50周年記念誌」 横浜教区設立50周年記念誌編集委員会編(カトリック横浜司教区・1988年)
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灰の水曜日のミサ

2012年02月24日 | ミサ聖祭
灰の水曜日を迎えたカトリック八王子教会
(住所:東京都八王子市本町16-3)

「四旬節は毎年『灰の水曜日』と呼ばれる日から始まります。(中略)灰の水曜日のミサでは、式中に『灰の式』と呼ばれる儀式が行なわれます。参加者が司祭の前に進み出ますと、司祭は(中略)頭に灰を振りかけるか、灰で額に十字のしるしをします。頭から灰をかぶるのは、聖書の世界では昔から悔い改めのしるしです。自分が塵から作られ(創世記2・7)、塵に帰っていくものであることを思い出すためです」(稲川圭三著「イエスさまといつもいっしょ」より)。

2月22日(水)、八王子教会で灰の水曜日のミサに与った。教会の定めによれば、この日は「大斎・小斎」である。灰の水曜日は、「一回だけ十分に食事を摂り、他は少量の食事をする(大斎)」、かつ「鳥、獣の肉は食べない(小斎)」(年令・諸事情により免除)。イエスの40日間の断食に倣い、その受難と死を想いながら、回心と痛悔の心で四旬節を過ごす決意をする。そこで、未信者の私もこの日は簡素な食事を摂ってみた。ああ、牛丼の特盛が頭に浮かぶ。

午後7時30分、ミサ開祭。子どもや外国人を含め、多くの会衆が集まっていた。主任司祭の稲川圭三神父は、「灰の式では、司祭が『あなたは塵であり、塵に帰る』と言って、額に灰を授けます(灰で十字架を記す)」と話された。「私たちは誇るものはない塵に過ぎませんが、神様は共にいてくださるのです。これ以上のことが他にあるでしょうか」。説教の後、いよいよ灰の式。私も行列に並んで、灰のしるしを授かった。 “われこそは主の茨、編みしなり罪をもて・・・”。


夜のカトリック八王子教会聖堂
<赤い聖体ランプがともる>

◆この日のミサ中の主な歌:
ミサ曲4(典礼聖歌215-217)、入祭:典礼聖歌139「すべての人の救いを(2)」、奉納:典礼聖歌77「神よ あなたの道をしめし」、拝領:典礼聖歌118「主は豊かなあがないに満ち(2)」、閉祭:カトリック聖歌161「あわれみのみ心よ」。

◆主な参考文献など:
「イエスさまといつもいっしょ」 稲川圭三著(サンパウロ・2010年)
「カトリック祈祷書 祈りの友」 カルメロ神父編(カルメル会宇治修道院・2005年版)
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カトリック大磯教会

2012年02月22日 | 神奈川のカトリック教会
カトリック大磯教会(教会堂名:キリスト信者発見の聖母)
創立:1950年 ◇ 住所:神奈川県中郡大磯町東町2-7-1

JR東海道線の大磯駅で下車。瀟洒な三角屋根の駅舎は大正時代の建築である。大磯といえば、ラジオCMなどでおなじみの「ロングビーチ」が有名だが、古くから海浜の別荘地として栄えてきた。晩年の島崎藤村もここに移り住み、それが終(つい)の棲家となった。若き日の藤村は、明治学院の在学中に、キリスト教の洗礼を受けた。小説「桜の実の熟する時」には、その「受洗の儀式」の体験が描かれている。ちなみに、藤村の墓は大磯の地福寺にある。

大磯教会に着いた。松林の中に、瓦葺きの聖堂が建っている。教会の敷地はかなり広く、戦前の建築と思われる古い木造の信徒館や、驚いたことにテニス・コートさえもあった(教会の案内書によれば、「いつでも、どなたでもプレーできます」とのこと。要・問合)。平塚教会の記事でも触れたように、大磯教会もアイルランドの聖コロンバン会によって創立された。藤沢から真鶴までの間、湘南の海沿いに素朴な教会群が形成され、日帰り巡礼の旅も可能である。

聖堂に入る。和洋折衷の落ち着いた空間を設計したのは、スイス出身のフロイラー神父である(フロイラー師については大和教会の記事参照)。教会の案内書によれば、「どうぞゆっくり座って松の葉音や波の音の奥にある心の声に耳をすませて、静かに祈りの時をお過ごしください」とある。万葉集などに歌われた「こゆるぎの浜」は、大磯教会のすぐ近くだ。私は立ち去りがたい思いを抑えて、再び小田原行きの東海道線に乗車。次は隣駅の二宮教会を訪ねよう。


現聖堂献堂:1960年


教会敷地内の古い木造の信徒館

◆主な参考文献など:
・「新潮日本文学アルバム 島崎藤村」 三好行雄編(新潮社・1984年)
・「桜の実の熟する時」 島崎藤村著(岩波文庫・1969年)
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年間第7主日のミサ

2012年02月19日 | ミサ聖祭
年間第7主日を迎えたカトリック八王子教会
(住所:東京都八王子市本町16-3)

2月19日(日)、八王子教会で年間第7主日のミサに与った。先々週、八王子教会と同じ敷地内の本町幼稚園が創立80周年を迎えた。創立者は、当時の八王子教会主任のメイラン神父。80周年記念誌を見ると、メイラン神父が坊主頭やオカッパに囲まれた記念写真があった。さらに、卒園生の松任谷由実さんの寄稿もあった。ハンサムな西田佐市神父の思い出などを綴られている。この園庭を小さなユーミンが走り回っていたことを思うと、ちょっと感激した。

午前7時、ミサ開祭。福音朗読は、四人の男が病人を運んで来て、イエスがその人をいやされた場面(マルコ2・1-12)。主任司祭の稲川圭三神父は、「2ヶ月前、ある附属幼稚園で5歳の男の子が亡くなりました。その後、お母さんは子どもの思い出の場所を避けて、ずっと家におられたといいます」と話された。「幼稚園の関係者は、その子の追悼ミサを望まれました。昨日、私はその司式をしましたが、ご両親が来てくださるかどうかは、分かりませんでした」。

「ご両親はミサに来られました。私は亡くなった子が、いつも一緒にいる命となったことを話しました。大勢の方に支えられ、ご両親は永遠の命と愛を告げるイエス様に出会ったのだと思います」。稲川神父は会衆に問われた。「私たちにとっての“四人”とは誰でしょう。多くの人を通して、私たちは神様に出会った。だから、私たちも誰かの“四人”となりますように」。私にとっての四人は、カトリック信徒の亡き祖父だ。このように教会へ導いてくれたのだから。


八王子教会聖堂(左)と本町幼稚園園舎(右)
<現園舎はユーミン時代のものではない>

◆この日のミサ中の主な歌:
ミサ曲2(典礼聖歌207-210)、入祭:典礼聖歌41「神にいつくしみを」、奉納:典礼聖歌93「心を尽くして神をたたえ」、拝領:典礼聖歌63「神は恵みとあわれみに満ち」、閉祭:典礼聖歌393「主が手をとって起こせば」。

◆主な参考文献など:
「めぐりあい 本町幼稚園80周年記念誌」 本町幼稚園80周年実行委員会編(本町幼稚園・2012年)
「キリストを背負って六十年 メイラン神父の伝道記録」 塚本昇次著(私家版・1987年)
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