三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

年間第22主日のミサ

2011年08月29日 | ミサ聖祭
年間第22主日を迎えたカトリック八王子教会
(住所:東京都八王子市本町16-3)

8月28日(日)、八王子教会で年間第22主日のミサに与った。この日はまた、夏休み最後の日曜日でもあった。久しぶりに、私が小学一年生のときの「えにっき」を読み返した。「いちばんたのしかったこと」という問いに対して、当時の私は次のように答えている。「なつやすみおたのしみかいです。(団地の)しばふでこうがいはん(校外班)のひとたちとあそびました。すいかでおめんをつくりました。かえるときおかしをもらいました」。四半世紀を越えた夏の情景が甦る。

八王子教会に到着。先週に続き、この日も秋のように涼しく、聖堂は清澄な空気に満たされていた。原発族が企む「電力需給が逼迫するような残暑」を経ずに、このまま秋を迎えて欲しいと思う。午前7時、ミサ開祭。聖歌隊のよく透る歌声が、聖堂の高い天井に美しく反響する。福音朗読は、イエスが「自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と言われた場面(マタイ16・21-27)。本日の福音の後半部分を、私は今月の初金ミサでも拝聴した。

主任司祭の稲川圭三神父は、「“自分を捨てる”とは、この世の命だけが全てという考えを捨てること、そして“自分の十字架”とは、私たちの様々な苦しみを指すのではないでしょうか」と話された。「自分で十字架を取り除こうとすると、命までも失ってしまう。だから、そのような十字架があっても、“永遠という神に信頼を置いてついて来なさい”と教えられているのだと思います」。私も自分で十字架を捨てようとする空回りは、もうやめよう。この日も祝福を授かった。


カトリック八王子教会
:司祭館兼信徒会館、:聖堂、:本町幼稚園園舎>

◆この日のミサ中の主な歌:
ミサ曲6(典礼聖歌222-225)、入祭:典礼聖歌138「すべての人の救いを」、奉納:典礼聖歌402「仕えられるためではなく」、拝領:典礼聖歌56「神のみ旨を行うことは」、閉祭:カトリック聖歌317「いざほめうたわん」。
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チマッティ神父の「アヴェ・マリア」

2011年08月25日 | 音楽を聴く
星美学園の聖母子像
(住所:東京都北区赤羽台4-2-14)

年間第19主日のミサを八王子教会で与っていたときのこと。この日は主任司祭の稲川圭三神父が不在で、代わりに関谷義樹神父が司式された。聖体拝領後の沈黙の時間、オルガンがどこかで耳にしたことのある旋律を奏で始めた。これはチマッティ神父(注)作曲の「アヴェ・マリア(恵みあふれるマリア)」ではないか。サレジオ会司祭の関谷神父に謝意を表した選曲なのだろう。 私はこの気高い調べを、今年の元旦に調布教会の新年ミサで初めて聴いた。

その後、ドン・ボスコ聖遺物巡礼の記念ミサでも聴いた。司式のコンプリ神父と会衆全員で歌ったときの感激が忘れられない。私はこの歌に強く惹かれ、ついにチマッティ神父の歌曲集CDを求めたほどだ。チマッティ神父は生涯に900曲を超える作品を残したという。現在、CDで聴けるのは膨大な遺産の一部に過ぎないが、それらが決して「粗製濫造」ではなく、また作曲家の野心でこしらえたものでもないことに驚く。まさに美しく優しい調べが溢れ出る泉なのだ。

チマッティ神父は幼少から楽才を示し、後に音楽大学を卒業。だから、単なる日曜作曲家ではなかった。「アヴェ・マリア」は、CD「心が歌う チマッティ神父」に収録されている。これはチマッティ神父記念コンサートのライヴ録音だ。合唱や独唱などでチマッティ神父の名曲が楽しめる。特に「キリストの魂よ」は、心が洗われるような旋律だ。それにしても、チマッティ神父の「アヴェ・マリア」は、古今東西の同名異曲と比べても遜色がない傑作ではなかろうか(と思う)。


チマッティ神父の歌曲CD (制作:チマッティ資料館)
<左:「マリアさまを歌う チマッティ神父」、右:「心が歌う チマッティ神父」>

(注):Vincenzo Cimatti (1879-1965年)。1926年、イタリアから宣教団長として初来日、サレジオ会の事業を極東に築く。晩年は調布サレジオ神学院長に就任。チマッティ神父の「アヴェ・マリア(Ave Maria gratia plena)」作品番号191は、チマッティ資料館のサイト内で試聴可能(CD1「心が歌う チマッティ神父」の23曲目)。

◆主な参考文献など:
「チマッティ神父・日本を愛した宣教師」 T・ボスコ、G・コンプリ共著(チマッティ資料館・2001年)
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年間第21主日のミサ

2011年08月23日 | ミサ聖祭
年間第21主日を迎えたカトリック八王子教会
(住所:東京都八王子市本町16-3)

先々週の年間第19主日、私は別々の教会で二回のミサに与ったことになる。卑近な表現であれば、ミサの「はしご」である。だが、私は何か罪を犯したような感に捕らわれ始めた。特別な理由もなく、主日に「二度もミサに与ること」は許されるのか。八王子で派遣の祝福を授かった直後に、他でも重ねてそれに与るのは、「ご利益」を貪るようだ。それに、次へ移動する時間に追われ、祭儀中も上の空になってしまう。やはり、本末転倒の「はしご」はやめよう。

8月21日(日)、八王子教会で年間第21主日のミサに与った。この日は夜半から雨が降り続き、晩秋のように寒かった。悪天候の朝にもかかわらず、聖堂内は多くの会衆が集まっている。午前7時、ミサ開祭。福音朗読は、イエスが信仰告白したペトロに天の国の鍵を授ける場面(マタイ16・13-20)。主任司祭の稲川圭三神父は、「世の出来事を通して、目に見えない“永遠というお方”の働きをペトロのように信じたとき、神はその人を幸いと呼びます」と話された。

稲川神父は手話を交え、説教を自ら同時通訳されていた。「私たちは神の小羊の食卓、ミサに招かれています。まさにイエスがおられる。そこで共に与る者は幸いの中にいます」。初金ミサの記事で触れたが、高校時代の私は神を極度に畏れていた。なるべく聖体拝領時も席に残っていたが、この日は迷いが消えて「祝福」を授かった。慈しみ深い神よ、哀れな小犬に与えてくださったパン屑よりも大きな恵みに感謝いたします。「われ主を愛す、主これを知り給う」。


カトリック八王子教会聖堂
<大きな窓越しに信仰の明かりが灯る>

◆この日のミサ中の主な歌:
ミサ曲6(典礼聖歌222-225)、入祭:典礼聖歌396「救いの道を」、奉納:典礼聖歌124「主よあなたは永遠のことば」、拝領:典礼聖歌98「しあわせな人」、閉祭:カトリック聖歌315「あわれみの」。
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クルトゥルハイムで

2011年08月19日 | ミサ聖祭
上智大学クルトゥルハイム <学内聖堂>
(住所:東京都千代田区紀尾井町7-1)

8月16日(火)、久しぶりに聖イグナチオ教会で週日ミサに与った。お盆休みのせいか、150人ほどの会衆が集まっている。福音朗読は、イエスが「金持ちが天の国に入るのは難しい」と話された場面(マタイ19・23-30)。司式のガラルダ神父は、「金持ちは天の国に“入りたくない”のです。財産を分かち合うのは損と考えるから」と話された。小泉政権以降、強欲拝金主義が「国是」となった日本は、今回の大震災を機に「分かち合い」が見直されることになろう。

「一人の人を殺すことは、その生命を奪うだけではない。彼のすべてを、その人のせつない願いや祈りまで理不尽に抹殺することです。私にはとても、そんなことはできません。たとえ基督教の信者でなくても・・・。それなのに私は結局、海軍に入団させられました。どうしようもなかったのです。義務感ではなく諦めで。愛国心ではなく恐怖で。たったひとつの救いは、同じような悩みを他の学生たちも持っているということでした」。(遠藤周作「女の一生 二部・サチ子の場合」)

ミサ後、上智大学のクルトゥルハイムを訪ねた。キャンパスは夏休みで閑散としている。「女の一生 二部・サチ子の場合」の戦没学生・修平は、この聖堂でミサに与っていた。修平は「殺すなかれ」の教えに苦しみながら、特攻隊員として出撃する。それから60数年が経過した。修平の思いも空しく、ポスト菅を狙う「肥った青年将校」は、大連立で大増税を強行したあと、「大日本帝国の栄光」が輝く国政を夢見ているようだ。戦没学生の無念は繰り返されるのか。


上智大学1号館の1階廊下
聖母病院などを手掛けたマックス・ヒンデルの設計。1932年竣工>

◆主な参考文献など:
「女の一生 二部・サチ子の場合」 遠藤周作著(新潮文庫・1986年)
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聖母の被昇天のミサ<後編>

2011年08月17日 | ミサ聖祭
聖母の被昇天の祭日を迎えたカトリック調布教会
(住所:東京都調布市富士見町3-21-12)

8月15日(月)、調布教会で聖母の被昇天のミサに与った。前日に続き、この日も私は聖母のもとへ馳せ参じた。京王線の調布駅で降り、朝の甲州街道を歩く。いつもは電気通信大学構内を横切るのだが、夏季休暇で閉門されていた。ふと青空を見上げると、セスナ機が飛んでいる。調布飛行場から離陸したのだろう。戦時中、ここは旧陸軍の戦闘機隊が駐屯していた。 「きけわだつみのこえ」の上原良司(注)は調布から九州へ移り、航空特攻で戦死した。

調布教会に到着。正門付近に、ドン・ボスコの巨大な胸像が「どん」と鎮座しているではないか。いつの間に設置されたのだろう。聖堂に入ると、50人ほどの会衆が集まっていた。サレジアン・シスターズの姿も見える。 午前8時、ミサ開祭。ジャン・メルオー神父作曲の「ミサ曲5」を歌う。悲しみを湛えたその調べは、先の大戦で犠牲となった人々を悼むレクイエムのように響く。だが、歌うのは難しかった。何しろ、私は楽譜の初見が苦手な吹奏楽部員だったので。

司式の老神父(お名前を失念しました)は、「聖母子の絆に倣い、私たちも正しい絆によって生きる時、平和が訪れます」と話された。ミサ後、私は神学院の構内を散策。チマッティ記念聖堂が閉まっていたので、玄関前のルルドにご挨拶。 聖母像を仰ぎながら、私は高校入学の頃を思い出す。学園チャペルの中で、「サンタ・マリヤの御像はどこ?」。愚かな私はカトリックとプロテスタントの違いも知らなかった。ルルドの聖母像は黙して語らず、岩屋に佇まれている。


カトリック調布教会の聖母像
<調布サレジオ神学院本館前>

(注):上原良司(1922-1945年)。戦没学生。どうぞ「きけわだつみのこえ」(岩波文庫)の冒頭を飾る上原良司の「所感」をお読みください。私が「日吉台を巡る」の記事で触れた「この学窓を去った戦没学生の無念」とは、上原良司を意識しました。
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