ある晴れた日のカトリック調布教会
(住所:東京都調布市富士見町3-21-12)
(住所:東京都調布市富士見町3-21-12)
8月12日(日)、調布教会で年間第19主日のミサに与った。京王線の調布駅で下車し、甲州街道を渡って、電気通信大学の構内を横切る。夏休み中のキャンパスは閑散としていた。このような近道(?)を通って、調布教会に到着。昨年9月から、私はミサに与りながら、多摩地域のカトリック教会を再訪してきたが、今日でそれを全て終える。感慨に耽っていると、ミサの始まりを告げる鐘が鳴った。主任司祭の藤川長喜神父は、告解室の前に座っておられた。
午前8時、ミサ開祭。福音朗読は、イエスが「わたしは、天から降って来た生きたパン」と言われた場面(ヨハネ6・41-51)。司式の辻家神父は、「私たちは食べなければ、生命を維持できない。やがて身体的な命は終わってしまう。天からのパン、永遠の命を養う糧であるパンが、イエス様ご自身なのです。私たちは人生の旅路を、イエス様をいただくことによって歩むことができます」と話された。「ミサ曲5」の厳かな調べが流れる。聖堂内の残響が美しい。
ミサ後、調布駅へ戻ると、号外が配布されていた。「ニッポン、五輪のボクシングで金メダル!」と舞い上がる大手新聞社は、「紙くず製造機」そのものだ。私たちの「知る権利」には応えず、政・官・財界の「不都合な真実」は隠すくせに、こんなことで大騒ぎする必要があるのか。読売は原発再稼働を叫び、朝日・毎日さえもが半狂乱のように大増税をわめき散らしている。戦前は軍国主義を煽って、権力と一体化した過ちを、大手新聞社は再び繰り返している。
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<調布サレジオ神学院内の聖母像>
◆この日のミサ中の主な歌:
ミサ曲5(典礼聖歌218-221)、入祭:典礼聖歌121「主はわれらのささえ」、奉納:典礼聖歌321「いつくしみと愛(ウビ・カリタス)」、拝領:典礼聖歌51「神の名は」、閉祭:歌集ファイル「神の国と神の義」。