三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

顕現後第3主日の聖餐式

2014年01月29日 | 聖公会の礼拝
日本聖公会 聖路加国際病院 聖ルカ礼拝堂
(住所:東京都中央区明石町10-1)

1月26日(日)、聖路加国際病院の聖ルカ礼拝堂(日本聖公会)で顕現後第3主日の聖餐式に参列した。午前10時30分、司祭と奉仕者が厳かに入堂。パイプオルガンの壮麗な音色が響き渡る。福音朗読は、イエスの宣教開始の場面(マタイ4・12-23)。ケビン・シーバー司祭は「イエス様が宣言された“天の国”とは、神の憐れみのもと、この世で人々が円満に生きる社会。私たちはそれを実現する救い主と共に歩みましょう、険しい道のりにも喜びと平安があります」と話された。

この日は聖ルカ礼拝堂聖歌隊によって、美しいアンセム「アヴェ・ヴェルム・コルプス」が奉唱された。作曲者のエルガー(1857-1934年)は数多くの楽曲を手がけたが、代表作は行進曲「威風堂々」とヴァイオリン曲「愛の挨拶」であろうか。個人的には序曲「コケイン(首都ロンドンにて)」も挙げたい。中学一年生の時、たまたまFMラジオで耳にしてから、ずっと愛聴している。エルガーの作風は気高くて、どことなく郷愁的だ。そして、この聖ルカ礼拝堂の厳かな空間に調和している。

礼拝後、築地界隈を散策。聖路加看護大学の一角に、「芥川龍之介生誕の地」の説明板がある。1892年当時、龍之介の生家は牧場付きの牛乳販売業「耕牧舎」を営んでいた(注)。「私は築地の何とか云ふさびしい通で生まれたのでした。家のうしろが小さな教会でこンもりした柊の木立の間から、古びた煉瓦の壁が見えて、時々やさしい歌の声が其中からもれて来た」(芥川未定稿)。私の関心は昔の牧歌的風景よりも、その近くの「小さな教会」だ。今度、古地図で調べてみよう。


聖ルカ礼拝堂内観
“ なぐさめの声こそ 旅路行く人の力・・・(聖歌512) ”

(注):『築地外国人居留地』(雄松堂出版・1988年)の著者・川崎晴朗氏の調査により、龍之介の生家「耕牧舎」跡地は聖ルカ礼拝堂の北辺であることが判明した。詳細は雄松堂書店HPの関連記事を参照。

◆聖餐式で歌われた聖歌:
ミサ曲譜(キリエ、大栄光の歌、サンクトゥス、アニュス・デイ)、オルガン前奏:「主の祈り」(メンデルスゾーン)、参入聖歌:514「主の声に応え」、続唱アンセム(聖歌隊奉唱):「アヴェ・ヴェルム・コルプス(尊きみからだ)」(エルガー)、奉献聖歌:525「世の波さわげど」、陪餐聖歌(聖歌隊奉唱):553「主を慕いゆく」、陪餐奏楽:「主の祈り」(バッハ)、派遣聖歌:512「み使いのたたえ歌は」。(番号は「日本聖公会聖歌集」による)

◆主な参考文献・CDなど:
・「この人を見よ 芥川龍之介と聖書」 関口安義著(小沢書店・1995年)
・CD「エルガー:行進曲≪威風堂々≫他」 メニューイン指揮/ロイヤル・フィル(Virgin:VJCC-23110)
・CD「エルガー:ヴァイオリン協奏曲」 チョン(Vn)、ショルティ指揮/ロンドン・フィル(London:POCL-3154)
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神現祭(主の洗礼祭)の聖体礼儀

2014年01月24日 | 東方正教会
日本正教会 東京復活大聖堂教会
(住所:東京都千代田区神田駿河台4-1-3)

1月8日付『東京新聞』に「大人は選挙で子どもを守って」と訴える女子中学生の悲痛な声が寄せられた。「『秘密保護法』に不安を感じています。危険が迫っているのに、選挙を棄権する大人が多い。子どもには選挙権がありません。『あの時、選挙に行けば良かった』と思ってからでは遅いのです」。だが、この国のオトナはテレビにしがみつき、ただヘラヘラと笑っているだけ。私はこの女子中学生と同じ14歳のアンネ・フランクが悪政の「連帯責任」に触れた言葉(注1)を思い出す。

1月19日(日)、東京復活大聖堂教会(通称ニコライ堂)で聖体礼儀に参祷した。この日は五旬祭後第30主日、そして12大祭の一つである神現祭(主の洗礼祭)だった。ユリウス暦(旧暦)に基づく正教会は今月7日に降誕祭を祝い、その12日後の19日が主の洗礼となる。しかも、この日の聖体礼儀の式順は聖大ワシリィ(注2)が編纂した「特別版」であった。午前10時、聖体礼儀の開始を告げる鐘と共に、ダニイル府主教と司祭が厳かに入堂。ア・カペラの聖歌が流れ、乳香の煙が漂う。

福音経の誦読は「主の洗礼」の場面(マタイ3・13-17)。中西裕一神父は「私たちは受洗時の誓いを守り抜く。神現祭はそれを思い起こす日です」と話された。聖体礼儀後、水を成聖(祝別)する大聖水式があった。ダニイル府主教は灌水棒のようなもので会衆に聖水を振りかけられ、私もその恩恵に浴した。聖水は持ち帰りができるので、信徒の皆さんはボトルなどを持参。この聖水を飲む者には聖神(聖霊)の恵みが与えられるという。来年のために私は一升瓶を用意しておこう(?)。


大聖水式への神品(聖職者)たちの行進
“ 直に水より上る時、天開け聖神鴿の如く其上に降る・・・ ”

(注1):「戦争の責任は、偉い人たちや、政治家、資本家だけにあるとは思いません。そうではなく、名もない一般の人たちにも責任があるのです。そうでなかったら、世界じゅうの人びとは、とっくに立ちあがって、革命を起こしていたでしょう!」(『アンネの日記』1944年5月3日付より)。結局、選挙を棄権したニッポンの無責任なオトナは安倍晋三の暴政に加担して、将来の世代に絶望(無理心中)を強要している。

(注2):聖大ワシリィ(カイサリアのバシレイオス)は4世紀の優れた神学者で、カイサリアの主教。殆どの主日・祭日の聖体礼儀は聖金口(せいきんこう)イオアン編纂に拠るが、年10回だけ聖大ワシリィの「特別版」が執行される(降誕祭前日、「聖枝祭」を除く大斎期間など)。聖金口イオアン式に比べて、祈祷やそれに伴う聖歌などが長い。ちなみに、この日の聖体礼儀(大聖水式を含む)は約3時間30分を要した。

◆主な参考文献など:
・「アンネの日記」 アンネ・フランク著、深町眞理子訳(文春文庫・1986年)
・「ギリシア正教入門」 高井寿雄著(教文館・1980年改版)
・「正教会の手引」 水口優明編著(日本ハリストス正教会教団・2013年改版)
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聖公会神学院諸聖徒礼拝堂(日本聖公会)

2014年01月19日 | 聖公会の教会
日本聖公会 聖公会神学院諸聖徒礼拝堂
(住所:東京都世田谷区用賀1-12-31)

東急田園都市線の用賀駅で下車。聖公会神学院の歴史をおさらいするに当たり、早速『東京教区90年のあゆみ』から要約してみよう。「1911年、聖公会神学院は芝栄町に仮校舎で創立。その前年パン・アングリカン協議会からの献金で池袋に校地を購入。1912年に校舎、寄宿舎などは池袋に竣工され、礼拝堂は遅れて1914年に聖別、聖アンデレ礼拝堂と名付けられた。1944年、文部省から閉校に追い込まれたが、『普公神学塾』として聖職者の養成を続けた」。

「1945年、『普公神学塾』も閉鎖、同年4月の空襲で建物は殆ど灰燼に帰した。戦争終結により塾を10月に再開させた。1946年に聖公会神学院として文部省から認可され、塾は発展的解消を見た。英米の諸教会の援助と池袋校地の売却金で湯島の岩崎邸を購入し移転。その後、1953年に世田谷へ移転し、2011年に創立100年を迎え、聖職養成の任務を継続している」。聖公会神学院に到着。キャンパス周辺は閑静な住宅街である。松林の中に佇む礼拝堂が印象的。

私が立教の学生だった頃、チャペルなどのレンガ校舎群から北西の地に新学院グラウンドという敷地があった。これが神学院の池袋時代の跡地(注)である。「新学院」の名は神学院が転じたものらしい。体育実技の授業はここで行われ、私は「大学生になっても体育か。イヤだなあ」と思いつつ、サッカーボールをチンタラと追っていたものだ、かつて神学生が敬虔な祈りを捧げていたその場所で・・・。現在、グラウンド跡地には、立教池袋中学・高校が建っている。


礼拝堂内観(1953年竣工)

(注):当時の神学院池袋校舎は、「構内敷地は六千坪余り、花崗岩の門を入ると運動場を左にして桜樹の並木道あり、正面に木造二階建の本館があった。(中略)本館から渡り廊下が西側の寄宿舎に通じていたが、研学生活と共同生活の中心である敬虔生活を象徴して、本館と寄宿舎の中間に赤煉瓦建の礼拝堂があった」(『聖公会神学院100年記念誌』より)。

◆主な参考文献など:
・「東京教区90年のあゆみ」 2013フェスティバル実行委員会編(日本聖公会東京教区・2013年)
・「聖公会神学院100年記念誌」 聖公会神学院史編纂委員会編(聖公会神学院・2011年)
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神愛教会(日本聖公会)

2014年01月14日 | 聖公会の教会
日本聖公会 神愛教会
(住所:東京都荒川区東日暮里5-18-8)

1月12日(日)、神愛教会(日本聖公会)で主イエス洗礼の日(顕現後第1主日)の聖餐式に参列した。JR山手線の日暮里(にっぽり)駅で下車。神愛教会の沿革をおさらいするに当たり、『東京教区90年のあゆみ』から引用してみよう。「1906年、下谷万年町の『いろは長屋』で後藤粂吉師が教会と幼稚園を始めました。神愛教会が100年前、貧しい人々の中で誕生したことを私たちは誇りに思います」。神愛教会に到着。モダンな聖堂の上の十字架がお出迎え。

聖堂内はカテドラルの小聖堂サイズだが、会衆席は主の食卓を囲むような配置である。午前10時30分、司祭と奉仕者が入堂。福音朗読は、イエスの洗礼の場面(マタイ3・13-17)。李民洙(イ・ミンス)司祭は「洗礼で救われた私たちは、神の国の宣教の働き手でもあります。その神の声を受け止める個々人の信仰的感性が問われています」と話された。この日の会衆は18人。家庭的な雰囲気が漂う教会だ。礼拝後の愛餐会は豚汁らしく、その香ばしい匂いも漂ってきた。

礼拝後、日暮里駅の西口から谷中(やなか)の瑞輪寺(日蓮宗)に寄った(「異教」の寺院を拝観するのは、我ながら無節操と思うが)。この辺りは寺町で、様々な宗派の寺院が密集している。今回、瑞輪寺を訪ねたのは、ここに遠藤周作氏の小説『沈黙』に登場した“転び伴天連”のフェレイラ神父(注)の墓があるからだ。結局、林立する墓石群から、それを発見することはできなかったが、「キチジロー」そのものの私は、今後も「フェレイラの影」を追い続けるかもしれない。


聖堂内観(1998年竣工)


日蓮宗本山 瑞輪寺 本堂
(住所:東京都台東区谷中4-2-5)

(注):クリストファン・フェレイラ神父(1580-1650年)。ポルトガル出身のイエズス会宣教師。江戸幕府の禁教令下、長崎潜伏中に捕縛され、穴吊りの拷問で棄教。その後、沢野忠庵と名乗り、長崎奉行所の通詞を勤めたという。フェレイラの墓は長崎から品川を経て、1941年に瑞輪寺へ移葬された。

◆聖餐式で歌われた聖歌:
ミサ曲譜(キリエ、大栄光の歌、サンクトゥス、アニュス・デイ)、入堂聖歌:119「ほめたたえよ」、続唱聖歌:441「み言(ことば)は人となり」、奉献聖歌:112「博士ら星に」、陪餐聖歌:108「闇のとばり」、退堂聖歌:117「ヨルダン川で」。(番号は「日本聖公会聖歌集」による)

◆主な参考文献など:
・「東京教区90年のあゆみ」 2013フェスティバル実行委員会編(日本聖公会東京教区・2013年)
・「東京周辺キリシタン遺跡巡り」 高木一雄著(聖母の騎士社・1997年)
・「沈黙」 遠藤周作著(新潮文庫・1981年)
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降誕後第2主日の聖餐式

2014年01月09日 | 聖公会の礼拝
立教チャペル前の創立者ウィリアムズ主教像
(住所:東京都豊島区西池袋3-34-1)

1月5日(日)、立教大学チャペル(日本聖公会)で降誕後第2主日の聖餐式に参列した。2014年最初の主日礼拝である。翌日から大学の授業が始まることもあり、会衆席は学生の姿が多かった。午前10時、振り香炉と行列用十字架を先頭に、司祭団が厳かに入堂。福音朗読前の昇階聖歌は「まぶねの中に」(注)。プロテスタント系の男子高時代、私たちもこの讃美歌をクリスマス礼拝で“熱唱”していたことを思い出す。もちろん、ウィーン少年合唱団のような歌声ではなかったけれど。

福音朗読は、占星術の学者たちが幼子イエスを訪問した場面(マタイ2・1-12)。宮崎光チャプレンは「神様からの最大の“贈り物”がイエス・キリストですから、三博士の贈り物(黄金・乳香・没薬)は神様への感謝の応答と言えます。つまり、人の行動の全てが神様への応答から始まります。その応答は感謝から始まり、全てに感謝する生き方こそ喜びの道となります」と話された。私も福音の喜びに感謝しながら、今年こそは「心に広い道を見ている人(詩編84・6)」として歩みたい(と思う)。

礼拝後、チャペルの受付で日本聖公会東京教区の記念誌『東京教区90年のあゆみ』(A4判・64頁)を入手した。昨年の教区成立90周年を機に発行されたものだが、各教会・学校・諸施設の歴史が貴重な写真と共にまとめられている。詳細な「東京教区歴史年表」や「現存しない教区史上の教会」などの諸資料も興味深い。先日の新年礼拝で入手した大畑喜道主教の説教集に続き、私にとっては何よりの「お年玉プレゼント」になった(但し、この『記念誌』は1冊200円の有償頒布)。神に感謝。


冬休み中の立教大学池袋キャンパス
“ まぶねの中に 産声あげ・・・(聖歌357) ”

(注):作詞は東中野教会(日本基督教団)初代牧師の由木康(1896-1985年)。「きよしこの夜」の訳詞者としても有名。作曲は明治学院などで音楽を講じた安部正義(1891-1974年)。オラトリオ「ヨブ」などの作品がある。この邦人コンビによる「まぶねの中に」(1930年)は、キリストの生涯を気高く歌い上げた白眉の讃美歌である。海外でも「MABUNE」のタイトルで愛唱されているという。

◆聖餐式で歌われた聖歌:
ミサ曲譜1(キリエ、大栄光の歌、サンクトゥス、アニュス・デイ)、入堂聖歌:353「天地の初めに」、続唱聖歌:357「まぶねの中に」、奉献聖歌:356「緑も深き」、陪餐聖歌:261「神のみ子なる」、派遣聖歌:363「ガリラヤの風かおる丘で」。(番号は「日本聖公会聖歌集」による)

◆主な参考文献・CDなど:
・「聖歌のしらべ 古今聖歌集作曲者略解」 佐藤裕著(聖公会出版・1987年)
・CD「なつかしの讃美歌 BEST40」 鈴木啓之指揮/新日本合唱団(Pony Canyon:PCCL-00587)
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