三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

続々・東方正教会の聖体礼儀<後編>

2013年06月29日 | 東方正教会
日本正教会 東京復活大聖堂教会
(住所:東京都千代田区神田駿河台4-1-3)

<前編の続き>。この日は聖体礼儀に続いて、五旬祭主日晩課が行われた。最初、私はそれが分からず、再び連祷が始まり、聖堂内を香炉で清める炉儀などが行われたので、何だか聖体礼儀の「振り出し」に戻るような動きに戸惑っていた。聖堂受付のご婦人にお尋ねすると、「これは聖神(聖霊)降臨を記念する特別な祈祷であり、また五旬節中に絶っていた伏拝という所作が再び始まります」とご教示いただいた。伏拝とは土下座(!)のように、地にひれ伏す姿勢である。

正教徒が伏拝(叩拝・大拝ともいう)するとは聞いていたが、五旬節中は主の復活を喜び祝い、それをしない習慣という。さて、晩課の流れはポロキメン(輔祭と聖歌隊との応唱)を終え、輔祭(助祭)が「膝を屈(かが)めて主に祈らん」と高誦。いよいよ「膝屈(しつくつ)祈祷」が始まる。府主教と司祭が長い祝文を誦読する間、信徒は伏拝。高齢者はもちろん、ロシア人の女性や子供たちも土下座。それは壮観な光景だった。途中の連祷を除き、通算して約30分は伏拝していたと思う。

一部の信徒は跪いていたので、私もそれに倣った(注)。聖堂内は絨毯が敷かれているが、聖イグナチオ教会のようなクッション付きの跪き台はない。両膝が痛み始めた頃、長い祝文(祈祷文)の誦読が終わった。このような祈りの姿勢を通して、神への畏敬と謙遜の心が湧いてきた。次回の聖体礼儀では、私も聖変化時におずおずと伏拝しよう。さて、晩課も終わりに近づいた。この日の奉事は聖体礼儀が始まってから約3時間40分を要したが、長丁場と感じなかったのは不思議。


大聖堂入口
“ 我が霊(たましい)や、主を讃め揚げよ・・・ ”

(注):正教会の祈りの基本姿勢は「起立」であり、聖所に椅子を置かないのが普通(ニコライ堂では若干の椅子が用意されているが、おそらく高齢者用)。だから、伏拝する場所的余裕がある。なお、ニコライ堂では聖所に未信者が入ることはできないので、聖所後方の啓蒙所というエリアで参祷することになる。

◆主な参考文献など:
・「ギリシア正教入門」 高井寿雄著(教文館・1980年改版)
・「ギリシャ正教」 高橋保行著(講談社学術文庫・1980年)
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続々・東方正教会の聖体礼儀<前編>

2013年06月25日 | 東方正教会
日本正教会 東京復活大聖堂教会
(住所:東京都千代田区神田駿河台4-1-3)

6月23日(日)、東京復活大聖堂(通称ニコライ堂)で五旬祭の主日聖体礼儀に参祷した。前回に続き、奉神礼(典礼)の流れを復習しよう。午前10時、聖体礼儀(ミサに相当)の開始を告げる鐘と共に、ダニイル府主教と司祭が厳かに入堂。ア・カペラの聖歌(注)が響く。第一部の奉献礼儀(約35分)は司祭が至聖所でパンとぶどう酒の準備をする。その間、聖所では祈り(時課経?)を捧げると同時に、升壇上で府主教の着衣式、及び聖堂内を香炉で清める全堂炉儀が行われる。

イコノスタスの王門が開き、第二部の啓蒙者のための聖体礼儀(約45分)。連祷とアンティフォン(倡和詞という聖歌)を繰り返すと、至聖所から福音経を捧持した司祭が現れる。この行列を「小聖入」と呼び、ハリストス(キリスト)の宣教活動を象徴するという。聖歌隊が「聖なる神、聖なる勇毅・・・」を歌い、輔祭(助祭)が「謹みて聴くべし」と注意を促して、使徒経と福音経の誦読(正教会訳は文語体)。その後、再び長い連祷を繰り返す。なお、説教は後述の領聖(聖体拝領)前に行う。

「ヘルヴィム(ケルビム)の歌」の天国的な調べが流れると、第三部の信者のための聖体礼儀(約75分)。至聖所から司祭がパンとぶどう酒を運んでくる。この行列を「大聖入」と呼び、ハリストスの葬送を表すという。聖変化で鐘塔の聖鐘が打ち鳴らされる瞬間(これを喜音と呼ぶ)は、最も美しく万感胸に迫るものがある。聖歌が絶えず流れ、連祷が続く。府主教の「平安にして出(い)づべし」との祝福を受け、約2時間40分の聖体礼儀が終わる。だが、この日はそうではなかった。<後編に続く>


東京復活大聖堂正門
“ 主や、光栄は爾(なんじ)に帰し、光栄は爾に帰す ”

(注):日本の正教聖歌の多くはロシア正教聖歌のメロディを流用しているが、それらを日本語の歌詞で自然に歌いこなしていることに驚く。なお、この日の聖体礼儀中に歌われた「ヘルヴィムの歌」は、ロシア聖歌の父・ボルトニアンスキー(Dmitry Bortniansky:1751-1825年)の作曲。「西のモーツァルト、東のボルトニアンスキー」とも言うべき珠玉の調べである。

<付記>
ユリウス暦に重きを置く正教会は、この日が五旬祭の主日(ペンテコステ)。領聖前の説教で、市村直巳神父は「聖神(聖霊)降臨祭を迎えました。イイスス(イエス)が天に昇られてから、私たちの傍にいて助けてくださる方、それが聖神です。『いつもあなたがたと共にいる』というイイススの約束は、聖神の降臨により果たされたのです」と話された(福音経はヨハネ7・38-52、8・12)。

◆主な参考文献・CDなど:
・「聖体礼儀のお話し」 東京大主教教区教務部編(日本ハリストス正教会教団東京大主教教区・1990年)
・「神さまの国へ ~聖体礼儀について」(日本ハリストス正教会教団 全国宣教委員会・2009年)
・「ギリシア正教入門」 高井寿雄著(教文館・1980年改版)
・CD「正教会聖歌集」 大阪・豊橋正教会聖歌隊ほか(日本ハリストス正教会教団府主務庁:CD-001)
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年間第12主日のミサ

2013年06月23日 | ミサ聖祭
夕暮れの聖イグナチオ教会
(住所:東京都千代田区麹町6-5-1)

安倍晋三と橋下徹の品性下劣な「歴史認識」は、国際社会の激しい嫌悪と非難を招いた。ところが、ニッポンのメディア(特にテレビ)は、安倍と橋下の強弁を一方的に、かつ無批判に垂れ流すだけだった。だから、テレビの言いなりになっている多くの有権者が、「安倍氏らにも一理ある。ニッポンだけが悪いんじゃない。外国からとやかく言われる筋合いはない」と開き直るのは当然だ。今なお、安倍は高い支持率を確保し、また橋下が市長職を引責辞任する気配は全くない。

無知蒙昧で尊大なニッポンとは対照的に、国際社会の良識は卑劣な戦争犯罪を否認しようとしたニッポンを決して許さなかった。だが、懲りない安倍一派は教科書から「不都合な真実」を一掃しようと躍起になっている。過去から何も学ぼうとせず、傲岸不遜な態度を取り続けるニッポン。この愚かで恥知らずな国の暴走を阻止するには、国際社会の良識、そして神の救いに委ねる他はないと思う。テレビばかり見ているニッポン人に自浄能力を期待することは極めて難しい。

6月23日(日)、聖イグナチオ教会(カトリック麹町教会)で年間第12主日のミサに与った。午前8時30分、ミサ開祭。福音朗読は、ペトロの信仰告白の場面(ルカ9・18-24)。司式のジェラルド・バリー神父は、「キリストに結ばれることによって、私たちは何でもできる。そして、キリストに倣うには聖霊の力が必要となるのです」と話された。ミサ後、私はJR四ツ谷駅から御茶ノ水へ向かった。目的はニコライ堂での聖神降臨祭(五旬祭。ペンテコステ)の聖体礼儀(ミサに相当)である。


聖イグナチオ教会、クリプタ階段室のステンドグラス

◆この日のミサ中の主な歌:
ミサ曲1(典礼聖歌203-206)、入祭:典礼聖歌64「神は私を救われる」、奉納:典礼聖歌153「流れのほとりの木のように」、拝領:(聖歌隊奉唱)、閉祭:典礼聖歌390「キリストのように考え」。
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聖霊降臨後第4主日の聖餐式

2013年06月19日 | 聖公会の礼拝
日本聖公会 聖路加国際病院 聖ルカ礼拝堂
(住所:東京都中央区明石町10-1)

6月16日(日)、聖路加国際病院の聖ルカ礼拝堂(チャペル)で聖霊降臨後第4主日の聖餐式に参列した。午前10時30分、参入の聖歌「千歳の岩よ」を歌う。福生教会の記事で触れたが、プロテスタントでも広く愛唱されている讃美歌だ。『日本聖公会聖歌集』の収録曲は幅広く、英・米聖公会の聖歌を始め、グレゴリオ聖歌やプロテスタント諸派の讃美歌を含む。それに対して、カトリックの『典礼聖歌』が少数の現代邦人作曲家に独占されているのは、実に残念でならない。

福音朗読は、罪深い女がイエスの足を涙で濡らす場面(ルカ7・36-50)。関正勝司祭は、「赦されなければ存在しえない自分。その弱さを知る者は、この女性のように愛される者となり、また隣人を愛する者となるのです」と話された。聖餐式を終えて外に出ると、チャペルの塔から正午を告げるカリヨン・チャイムが鳴っていた。このメロディーは聖歌391番「いともとうとき」であろう。気高い調べが築地の空に響き渡る。ここは立教学院の発祥地、そして芥川龍之介の生誕地だ。

礼拝後、私は聖路加チャペルから徒歩数分の築地本願寺(浄土真宗本願寺派)に寄った(「異教」の寺院を拝観するのは、我ながら無節操と思うが)。天竺風の斬新な本堂は、1934年竣工の鉄筋コンクリート造。さらに、仏教寺院としては非常に珍しく、なんと本堂内にパイプオルガンが設置され、ランチタイムコンサートも開催されている。まさか、バッハの名曲「主よ、人の望みの喜びよ」(BWV.147)や「いざ来ませ、異教徒の救い主よ」(BWV.659)なども演奏されるのだろうか。


1934年竣工の築地本願寺本堂
(住所:東京都中央区築地3-15-1)

◆聖餐式で歌われた聖歌:
ミサ曲(キリエ、大栄光の歌、サンクトゥス、アニュス・デイ)、参入聖歌:451「千歳の岩よ」、陪餐奏楽:ブクステフーデ作曲「パッサカリア」、奉献聖歌:538「迷える小羊」、派遣聖歌:553「主を慕いゆく」。(番号は「日本聖公会聖歌集」による)

◆主な参考文献・CDなど:
・「賛美歌・聖歌ものがたり 疲れしこころをなぐさむる愛よ」 大塚野百合著(創元社・1995年)
・CD「なつかしの讃美歌 BEST40」 鈴木啓之指揮/新日本合唱団(Pony Canyon:PCCL-00587)
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根津教会(日本基督教団)

2013年06月15日 | プロテスタント
日本基督教団 根津教会
(住所:東京都文京区根津1-19-6)

地下鉄千代田線の根津駅で下車。この辺りは谷根千(やねせん。谷中・根津・千駄木の総称)と呼ばれ、人気の高い下町散策コースだ。また、東京大学本郷キャンパス周辺の「教会銀座」の一端でもある。夏目漱石の『三四郎』ゆかりの本郷中央教会、芥川龍之介の学友に強い影響を与えた弓町本郷教会、東大前駅の最寄りに西片町教会、そして木造礼拝堂が美しい根津教会がある。いずれもプロテスタント教会であり、しかも戦前建築の貴重な礼拝堂が現存している。

根津教会に到着。私が礼拝堂にカメラを向けていると、下町のイナセなご老人が「大正時代に建てられたんだってさ!」と話しかけてきた。「首都圏全域に壊滅的打撃を与えた関東大震災でも、1945年の東京大空襲でも、この小さな礼拝堂は周囲の町並みと共に奇跡的に生き残りました。1910年代の木造西洋館が完全な形で東京に残っているのはとても珍しく、2001年には景観としてこの建物を愛する方々のご協力を得て、国への文化財登録も行いました」(教会案内書)。

「礼拝堂の中に入ると、先ず目につくのが説教壇の位置でしょう。それは隅にあり、会衆のための長椅子は扇型に配置されているのです。これは全会衆が牧師の説教に集中し、また牧師の真後ろにある十字架に集中できるようにという配慮で、メソジスト系キリスト教会建築の特徴です」(前同)。私が卒業したプロテスタント系高校もメソジスト派の米国人宣教師が創立したから、何となく親近感と郷愁感が湧いてくる。もっとも、我が母校のチャペルは打放しコンクリートだったが。


礼拝堂内観


礼拝堂外観
(1919年竣工。文化庁登録有形文化財)

◆主な参考文献など:
・「この人を見よ 芥川龍之介と聖書」 関口安義著(小沢書店・1995年)
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