三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

グレゴリオ聖歌による「ロザリオの祝日」ミサ

2013年10月31日 | ミサ聖祭
ミサ当日のカトリック田園調布教会
(住所:東京都大田区田園調布3-43-1)

今日で「ロザリオ月」も終わり。去る10月12日(土)、カトリック田園調布教会でグレゴリオ聖歌による「聖マリア最も尊きロザリオの祝日」ミサに与った。この日の聖歌は、田園調布教会のグレゴリオ聖歌研究会によって歌われ、また主な式文はラテン語が使用された。司式は一昨年の諸聖人のミサと同じく、フランシスコ会司祭の静一志神父だった。午後2時、ミサ開祭。大聖堂にイントロイトゥス(入祭唱)が厳かに響き渡る。神への賛美が溢れる旋律に、汚れた心も洗われる思いだ。

今年は『カトリック聖歌集』505番のラテン語ミサ曲「処女聖マリアの祝日に(Cum jubilo)」が歌われた(と思う)。この気高い調べを、私はウィーン・ホーフブルクカペルレ・コーラルスコラが歌うグレゴリオ聖歌集のCDで親しんできた。福音朗読は、イエスが「幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人」と言われた場面(ルカ11・27-28)。静神父は往年の城達也氏のような美声で、「マリア様のように神の御旨を行ったとすれば、私たちもイエス様の“兄弟姉妹”となるでしょう」と話された。

閉祭の歌は「サルヴェ・レジナ(天の元后)」。実に厳かなミサであった。ただ、どうしても気になってしまうのが、こうしたグレゴリオ聖歌によるミサや荘厳司教ミサに於いて、やや懐古的な「メモリアル・イベント」の側面が感じられなくもないこと。一方で、日本のカトリック教会の現行版『典礼聖歌』が、特定少数の現代邦人作曲家に独占され、鎖国状態になっていることも残念に思う。毎回という訳ではないが、私は高田三郎氏の「マンネリズム」に耐え難い苦痛を感じてしまう時がある。


カトリック田園調布教会のルルド
“ Florete flores quasi lilium(百合のように花を咲かせ)... ”

◆この日のミサ中の主な歌:
グレゴリオ聖歌によるミサ曲「Cum jubilo」(カトリック聖歌505?)、入祭:グレゴリオ聖歌「すべての民の富める者は」、奉納:グレゴリオ聖歌「アヴェ・マリア」、拝領:グレゴリオ聖歌「百合のように花を咲かせ」、閉祭:グレゴリオ聖歌「サルヴェ・レジナ(天の元后)」。

◆主な参考CDなど:
・「グレゴリオ聖歌集」 合唱:ウィーン・ホーフブルクカペルレ・コーラルスコラ(Philips:411 140-2)
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立教チャペル聖歌隊「レクイエム奉唱会」

2013年10月27日 | 聖公会の礼拝
日本聖公会 立教学院諸聖徒礼拝堂
(住所:東京都豊島区西池袋3-34-1)

10月26日(土)、立教学院諸聖徒礼拝堂聖歌隊による第63回「レクイエム奉唱会」に参列した。「今回の奉唱会はチャペルのオルガン改修工事が終わって初めての大きなコンサートになります。そのため、一部も二部もオルガンが引き立つような曲目をご用意いたしました。一年生を正隊員として迎え、更にパワーアップした私たちの歌声と、新しくなった立派なオルガンの響き合いを、お楽しみいただければと思います。全ての逝去者の安息を祈って歌います」(聖歌隊HPより)。

この聖歌隊は立教大学公認のチャペル団体(学生キリスト教団体)で、主日の聖餐式や「歌による夕の祈り」などの礼拝奉仕を中心に、コンサートを含む幅広い活動を行っている。赤地のキャソック(スータンに相当)の上に白いサープリスをまとう装いは、ケンブリッジ辺りの伝統的な聖歌隊のようだ。部員数は50人を超え、米国出身のスコット・ショウ先生(立教大学文学部教授)が聖歌隊長を務めている(昨年、ショウ先生はオルガン奏者として東京カテドラルの独奏会に出演)。

午後6時30分、奉唱会開演。この日は台風の影響が懸念されたが、チャペル内は満席だった。今年はデュリュフレ(注)の「レクイエム」(1947年)が選曲された。先人のフォーレほど有名ではないかもしれないが、20世紀の傑作宗教曲の一つであり、グレゴリオ聖歌の「死者ミサ」がモチーフとなっている。立教の聖歌隊は、この曲の小宇宙を美しく広げたような歌声だった。チャペルの厳かな空間、オルガンの重厚な響きと相俟って、死者の永遠の安息を祈るに相応しい秋の夜となった。


奉唱会当日の立教大学モリス館
“ In paradisum deducant te Angeli...(楽園歌) ”

(注):Maurice Durufle(1902-1986年)。フランスの作曲家、オルガニスト。私は代表作「レクイエム」を英国セント・ジョンズ・カレッジ聖歌隊の輸入CDで聴いた(オルガン伴奏版)。併録の「グレゴリオ聖歌による4つのモテット」と共に、少年合唱の透明感あふれる歌声が素晴らしい。当盤の解説によれば、「デュリュフレの『ピエ・イェズ』(「レクイエム」第5曲)は、フォーレの『レクイエム』のそれを継ぐ」という。

<付記>
奉唱会の第1部は、バロック期のアンセムや聖歌などを集めたコンサート。女声、男声、そして混声による多彩な編成で、幅広い時代の音楽を聴くことができた。圧巻は黒人霊歌「ジェリコ(エリコ)の戦い」。編曲の劇的な効果によって、白熱した合唱となった。第2部の「レクイエム」では、「ピエ・イェズ」のソプラノ、「リベラ・メ」のバリトンを、何れも聖歌隊の学生がソロを担当した。音大生も顔負けの歌いぶりに驚く。崎山裕子先生(立教学院オルガニスト)の伴奏も素晴らしかった。

◆レクイエム奉唱会の曲目:
第1部:アンセム「O how amiable」(ヴォーン・ウィリアムズ)、アンセム「Ave Regina coelorum」(ミシュキニス)、聖歌389「主イェスよ われらの」(パーセル)、マニフィカート3曲(ラング、サムション、ダーク)、アンセム「Civitas sancti tui」(バード)、オルガン奏楽「カリヨン」(マリル)他、第2部:レクイエム(デュリュフレ)。

◆主な参考CDなど:
・「Durufle:Requiem, complete choral works」 合唱:セント・ジョンズ・カレッジ聖歌隊(Nimbus:NI-5599)
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日本福音ルーテル日吉教会

2013年10月23日 | プロテスタント
日本福音ルーテル日吉教会
(住所:神奈川県横浜市港北区下田町1-21-10)

10月20日(日)、日本福音ルーテル日吉教会で聖霊降臨後第22主日の礼拝に参列した。「1517年にマルチン・ルターの宗教改革によりドイツで誕生したルーテル教会は、北欧にも広がり、国民教会となりました。その後、全世界に存在するようになっています。(中略)日本福音ルーテル教会の最初の礼拝は、1893年の復活祭にアメリカから派遣された宣教師により、九州の佐賀で行われました。これが日本でのルーテル教会の伝道の始まりです」(日本福音ルーテル教会HPより)。

東急東横線の日吉駅で下車。この日は同窓会があり、久しぶりに日吉キャンパスを訪れた。以前の記事でも触れたが、私は立教を中退した翌年、日吉で失意の青春時代を過ごしていた。それでも、学生たちが「ひようら(日吉の裏)」と呼んだ賑やかな商店街をそぞろ歩きするのは楽しかった。住吉書房、文具の井口文華堂、山響楽器店、バーバー日吉、喫茶まりも、中華料理の麗郷と佐野金、キッチンくりの木、とんかつ三田。私は懐かしい店を思い出しながら、日吉中央通りを直進した。

日吉教会に到着。ここは1962年創立だが、戦前の神学校チャペル(注)を移築した礼拝堂が美しい。讃美歌の力強い歌声、敬虔な祈りの雰囲気に圧倒された。この日の説教題は「主を待ち望む人」(イザヤ30・15-18)。斎藤忠碩牧師は「魂の平安の力は神への信頼。困難に遭っても、恐れは取り除かれる。『安らかに信頼して』主を待ち望みましょう」と話された。礼拝後、福音の喜びに満たされた私は、再び日吉キャンパスに戻った。卒業以来、足を踏み入れていない部室棟を覗いてきた。


礼拝堂内観(1935年竣工/1969年移築)

(注):旧制日本ルーテル神学専門学校のこと。現在、東京都三鷹市にあるルーテル学院大学の前身。

<付記>
礼拝の流れはカトリックのミサ式次第と似ており、開会の部(開祭の儀)、みことばの部(言葉の典礼)、聖餐、又は奉献の部(感謝の典礼)、派遣の部(閉祭の儀)という構成で、聖公会の「祈祷書」のように「礼拝式文」に従って進行する。開会の部では「罪の告白」があり、これはカトリックの「回心」というよりも、聖公会の「懺悔」に近い。礼拝堂内の様式も聖公会と共通するものがあり、聖壇(祭壇)の左右に聖書朗読台と説教壇を配置。礼拝中は聖壇上の蝋燭に灯がともされる。

◆礼拝で歌われた讃美歌:
オルガン前奏:「フーガによるマニフィカート」(パッヘルベル)、87B「めぐみのひかりは」、217「あまつましみず」、讃二59「すべてのもの統(し)らす神よ」、教200「まことの神よ」、アーメン三唱。(番号は「讃美歌・讃美歌第二編」による。なお、教が付く番号は日本福音ルーテル教会編「教会讃美歌」による)
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生神女庇護祭の聖体礼儀

2013年10月19日 | 東方正教会
日本正教会 東京復活大聖堂教会
(住所:東京都千代田区神田駿河台4-1-3)

10月14日(月)、正教会の東京復活大聖堂教会(通称ニコライ堂)で生神女(しょうしんじょ)庇護祭の聖体礼儀に参祷した。「生神女庇護」は、「マリヤさまの『とりなしの祈り(転達)』が今もなされていることを伝えます。その転達の力は偉大です。マリヤさまは、私たちの最高の模範として、神を信じ、神の言葉を受け入れ、愛に生き、人のために祈り続けておられるのです」(『生神女マリヤさま』より)。就寝祭、及び誕生祭に続き、私にとっては3回目の生神女を祝う祭となる。

午前7時45分、私がいつものように大聖堂入口で蝋燭献金(100円から)を済ませると、聖堂奉仕会の方から「今、輔祭(助祭)さんが炉儀(香炉で聖堂内を清めること)を行っていますので、しばらくお待ちください」と言われた。奉事予定表では午前8時からとなっていたが、どうやら第一部の奉献礼儀が既に始まっていたらしい。この日の司祷(司式)は仙台のセラフィム大主教だった。参祷者は約30人ほどで、その半数以上がスカーフを被ったロシア系の女性とその子供たち。

「君や祝讃せよ」。午前8時5分頃、輔祭の高誦と共に、第二部の啓蒙者の聖体礼儀が始まった。聖堂内の4本の大きな柱に掲げられたイコンが燈明に照らされ、幻想的に浮かび上がっている。その中でも、南端のイコンは私のお気に入りで、勝手に「赤衣の生神女」と名付けていた。ところが、それはマリヤ様ではなく、西暦140年に致命(殉教)した「ロマの聖致命女パラスケワ(St.Paraskevi)」であった。毎回、「転達」を願っていた私に、聖パラスケワも困惑したに違いない。


大聖堂の外壁を飾る生神女庇護の聖像画
(マリヤが両手を広げてベールを持っている)

<付記:「生神女庇護」の伝承>
「西暦911年10月1日、コンスタンティノポリの教会で晩課が行なわれている最中に、突如、生神女マリヤが教会内の群衆の上に現れました。生神女のベールは横に長く伸びていました。それを見ていた佯狂者(ようきょうしゃ)聖アンドレイは、弟子エピファニイに言いました。『ご覧、分かるかね、女王が全世界のために祈っているのが』。エピファニイは答えました。『はい、私はこれを見て畏れつつ立っています』。この二人は通常イコンの右下に描かれます」(『東京復活大聖堂のイコン』より)。

◆主な参考文献など:
・「ギリシア正教入門」 高井寿雄著(教文館・1980年改版)
・「生神女マリヤさま」 (日本ハリストス正教会教団 全国宣教委員会・2012年)
・「東京復活大聖堂のイコン」 (東京復活大聖堂教会・2009年)
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清瀬聖母教会(日本聖公会)

2013年10月15日 | 聖公会の教会
日本聖公会 清瀬聖母教会
(住所:東京都清瀬市梅園1-1-25)

10月13日(日)、清瀬聖母教会(日本聖公会)で聖霊降臨後第21主日の聖餐式に参列した。「かつて結核療養の地区として知られた『清瀬』における教会の歴史は、1946年この地で闘病生活を送り、天に召された村田俊也氏の深い信仰によって福音の種が蒔かれたことに始まります。弟・敏郎氏の『ここに教会が欲しい』という一言が伝道地区開設の契機となり、1949年、最初の礼拝堂が完成し、工藤義雄主教、山田千代伝道師の派遣によって活動が開始しました」(教会案内書より)。

「翌年、多磨全生園(ぜんしょうえん)内に『聖フランシス・聖エリザベツ礼拝堂』献堂。以来、ハンセン病隔離政策という歴史を負われた、全生園の元患者(回復者)の方々との豊かな交わりの中に生かされています」(前掲書)。西武池袋線の清瀬駅で下車。カトリック清瀬教会、及びカトリック秋津教会の記事でも触れたが、清瀬は全生園を始め、ベトレヘムの園、国立東京療養所などの医療機関が集中している。現在の清瀬に戦前の「死」と「病」を想像することは少し難しくなってきた。

午前10時30分、振り香炉と行列用十字架を先頭に、司祭が厳かに入堂。福音朗読は、10人の重い皮膚病の人がいやされた場面(ルカ17・11-19)。井口諭司祭は、「皮膚病で差別された10人の中で、さらに差別された異邦人のサマリア人だけが感謝して、イエスのもとに戻った。救いとは『清め』の向こうにある『癒し』。そして、神が人を愛されていることを知る。これが信仰です」と話された。ハンセン病患者の悲しみが彷徨っているような清瀬で聞いた今日の福音は、万感胸に迫るものがあった。


聖堂内観(1999年竣工)


サイドチャペル(小聖堂)の十字架

◆聖餐式で歌われた聖歌:
ミサ曲(キリエ、大栄光の歌、サンクトゥス、アニュス・デイ)、参入聖歌:359「世にまししときの」、昇階聖歌:527「傷ついた人の」、奉献聖歌:532「エルサレムの町の」、陪餐聖歌:443「ともにあつまる」、派遣聖歌:444「山辺に向かいて」。(番号は「日本聖公会聖歌集」による)
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