三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

聖書通読40日間・<10日目>

2012年08月11日 | 本を読む
炎天下のカトリック行田教会
(住所:埼玉県行田市旭町16-2)

聖書通読40日間を決意してから、10日が経過した。昨日の時点で、創世記からネヘミヤ記までを読み終えた。「読み終えた」とは言っても、それは「字面(じづら)を追っていた」に過ぎない。私は日常生活でも人名を覚えるのが苦手なので、例えば王妃イゼベルが将軍イエフを「主人殺しのジムリ」(王下9・31)と罵った場面では、わざわざ「聖書辞典」で「ジムリ」の項を参照しなければならず、あたかも英文和訳に四苦八苦する中学一年生のようであった。

また、当初は全文を「注解書」で確認しようとしたが、難解な個所(例えば創6・1-4「神の子らと人の娘たち」の解釈)を除き、今回は時間的な理由で諦めた。従って、「読み終えた」とは言っても、独善的な解釈に陥っている恐れがある。さらに「注解書」によっても、個人的に釈然としない個所もあった。「レビ記」などの微に入り細を穿つ律法(動物の血による「あがない」の意味など)、モーセの「捕虜虐殺」命令(民31・14-17)、ヨシュアの「ジェノサイド」等々。

一方、その「注解書」の概説によって、「釈然としない個所」を含む各文書の中心主題が、かすかに浮かび上がってきたのも事実である。それによって、例えば「レビ記」の退屈な条文を読むときも、「聖なる者となれ」(レビ11・44)の趣旨を意識した。ところが、「士師記」からは歴史小説のように読んだので、その背後に働く「神の御業」は見落としたようである。それにしても、私が辞典などを参照する労を厭わず、かくも書物と格闘したのは何年ぶりだろうか。


カトリック北浦和教会の聖母像
(住所:さいたま市浦和区皇山18-1)

<付記>
「聖書百科全書」(三省堂・2000年)の豊富な図版と写真は、私の貧しい読解力を視覚的に補っていることも特記したい。また、歴史的な流れの大要をつかむには、あずみ椋氏のマンガ「旧約聖書(全3冊)」(日本聖書協会)の併読が役に立った。なお、聖書通読期間中はブログ記事の更新が、やや滞りますので、悪しからずご了承ください。

◆私の聖書通読40日間、座右の書:
「聖書辞典」(新教出版社・2010年)、「聖書百科全書」(三省堂・2000年)、「カトリック聖書新注解書」(エンデルレ書店・1980年)
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