三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

カトリック磯子教会

2012年09月30日 | 神奈川のカトリック教会
カトリック磯子教会(教会堂名:聖ペトロ)
創立:1957年 ◇ 住所:神奈川県磯子区磯子3-8-14

JR根岸線の磯子駅で下車。産業道路を跨ぐ歩道橋を渡る。京浜工業地帯の煙突が林立しているのが見えた。東京湾に臨む磯子は、かつて潮干狩りができたという。高度成長期に埋め立てが進み、JR磯子駅が開業したのも1964年と比較的新しい。さて、磯子教会を目指して、国道16号(横須賀街道)を歩く。左側は丘陵地帯が続いている。往時は海の波が山裾を洗っていたのだろう。磯子教会に到着。国道16号の喧騒を忘れるような落ち着いた環境である。

磯子教会の沿革についておさらいしよう。「カトリック磯子教会は1957年3月28日に設立された教会で、聖パウロに捧げられています。以前ここは立派な屋敷と美しい庭園があり、造園当時はすぐ近くまで海だったので、数百種類の庭木や大きな石、灯篭などを、船で運んだそうです。庭に今も残る2部屋の和室が初代聖堂でした。(中略)カトリック磯子教会は、立派な和室ときれいな庭を持つ自然環境に恵まれた教会です」(磯子教会案内書より抜粋)。

敷地内に入ると、両手を広げた「復活のキリスト像」がお出迎え。台座には「聖霊に息吹かれ、共に新たな歩みを」と刻まれている。さらに、聖堂正面の右側には「ファティマの聖母像」が佇んでいた。こちらの御像は1957年の献堂以来、半世紀以上も訪れる人を見守っている。教会の敷地内は日本家屋や灯篭もあり、古いお屋敷の面影が残っている。聖堂内外でいやされる空間だ。さて、私は再びJR磯子駅へ。次は山手教会(横浜教区司教座聖堂)を訪ねよう。


現聖堂献堂:1978年

◆主な参考文献など:
・「横浜教区設立50周年記念誌」 横浜教区設立50周年記念誌編集委員会編(カトリック横浜司教区・1988年)
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年間第25主日のミサ

2012年09月26日 | ミサ聖祭
ある晴れた日のカトリック高幡教会
(住所:東京都日野市程久保4-7-14)

我らの野田佳彦首相は「2030年代までに原発をゼロにする」と大風呂敷を広げたが、舌の根の乾かぬうちに、そそくさとたたんでしまった。経団連と米国の凄まじい圧力に屈し、閣議決定を見送ったのだ。マスコミはこれを大きな問題として取り上げず、延々と中国の反日デモで大騒ぎ。もちろん、極右レイシストの石原慎太郎が重ねてきた対中挑発・差別的言動は黙殺。テレビ中毒者は原発事故の恐怖を忘れ、小ヒトラーどもに歓呼の声をあげている。

9月23日(日)、高幡教会で年間第25主日のミサに与った。この日は主任司祭の高木健次神父が不在で、代わりにルイス神父(高松教区)が司式された。午前9時、ミサ開祭。福音朗読は、弟子たちが「だれがいちばん偉いか」と議論する場面(マルコ9・30-37)。ルイス神父は、「私たちも弟子たちと同じです。皆、いちばん先になりたい。日本では子どもの頃から競争が始まっています。しかし、人生の本当の目的は、お金や成功ではありません」と話された。

「キリストと出会い、人を愛するということ。これが人生の目的です。人を愛するには、私たちは後にならなければならない。キリストは私たちを先にして、自ら最後の者となり、十字架から人を愛されたのです」。小泉政権以降、「いちばん先になりたい者」が後の人々を「自己責任」と蔑んでいる。それと同時に右傾化が進む世相には、「中韓に先を越されたくない」という経済大国ニッポンの焦りも透けて見える。何という「よこしまな時代」になってしまったのだろう。


カトリック高幡教会付近の雑木林>

◆この日のミサ中の主な歌:
ミサ曲1(典礼聖歌203-206)、入祭:典礼聖歌35「神に向かって」、奉納:典礼聖歌94「心を尽くして神をたたえ」、拝領:典礼聖歌123「主はわれらの牧者」、閉祭:カトリック聖歌13「主こそわがほまれよ」。
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イエズス会の司祭叙階式

2012年09月24日 | ミサ聖祭
叙階式を迎えた聖イグナチオ教会
(住所:東京都千代田区麹町6-5-1)

9月22日(土)、聖イグナチオ教会でイエズス会の司祭叙階式に参列した。今回の受階者は、日本人とインド人の会員2名。司式は東京教区の岡田武夫大司教である。古くは「品級」と称した叙階は、「聖職の権能(司教・司祭・助祭)を授け、これをふさわしく行なうための恩恵を与える秘跡」。司教の按手と叙階の祈りによって、新しい司祭が任命される。この日、ようやく私も「神父様が誕生する瞬間」に臨む機会に恵まれた。主聖堂は超満員であった。

午後2時、入祭の歌とともに、司祭団の大行列が入堂。聖歌隊の歌声が主聖堂の豊かな残響と相俟って美しく通る。岡田大司教はミトラ(司教冠)を戴き、バクルス(司教杖)を手にされていた。司祭叙階の儀は、ミサ中の「ことばの典礼」と「感謝の典礼」との間に行なわれた。福音朗読の後、岡田大司教は「2012年の信仰年に叙階される2人はイエズス会員です。日本に主イエスを宣べ伝えた先人のように尽力されることを祈ります」と話された。

会衆が叙階の恵みを求める諸聖人の連祷を唱えた後、岡田大司教は2人の受階者に按手された。主聖堂にオルガンの厳かな調べが流れる中、約80人の司祭団も次々に按手された。その間、2人は跪いたまま。尊い光景を目の当たりにして、私も感極まってしまう。この日、司祭に叙階されたお二人の名は、高円寺教会で主日ミサの説教をされた小暮康久神父と、極めて流暢な日本語を話されるアルン・プラカシュ・デソーザ神父。心よりお祝いを申し上げます。


聖イグナチオ教会の聖母子像>

◆この日のミサ中の主な歌:
ミサ曲(あわれみ:典礼聖歌203、栄光:典礼聖歌204、感謝:リバス師作曲、平和:読誦)、入祭:「主は水辺に立った」、アレルヤ唱:「神の国と神の義を」、諸聖人の連願:典礼聖歌343、奉納:「主の恵みの水」、拝領:「マラナタ」・「Here I am, Lord」・「Take and Receive」、閉祭:「心をつないで」。

◆主な参考文献など:
・「カトリック要理」 カトリック中央協議会編(中央出版社・1965年版)
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カトリック鍛冶ヶ谷教会

2012年09月20日 | 神奈川のカトリック教会
カトリック鍛冶ヶ谷教会(教会堂名:聖ジェラルド・マイエラ)
創立:1974年? ◇ 住所:神奈川県横浜市栄区柏陽16-1

JR大船駅で根岸線に乗り換え、本郷台駅で下車。駅前は広々としており、郊外のような雰囲気だ。鍛冶ヶ谷教会を目指して歩く。左は昭和の古い団地が並び、右は県立柏陽高等学校の校舎が建っている。学生時代の知人がここの卒業生だったことを思い出す。ちょうど春休み中だったので、校庭から部活動に励む声や吹奏楽の調べが聞こえてきた。それにしても、古い団地と校舎のコントラスト。初めて訪れた土地なのに、懐かしい雰囲気が漂う。

鍛冶ヶ谷教会に着いた。ここはカトリック系の幼稚園(鍛冶ヶ谷カトリック幼稚園)を併設しており、イエスのカリタス修道女会が運営している。ちょうど春休み中だったので、扶助者聖母が見守る園舎と園庭はひっそりとしていた。1958年に創立されたこの幼稚園に信徒が集まり始め、1974年には旧聖堂が献堂されたという(鍛冶ヶ谷教会公式サイトによる)。誰もいない聖堂で、独り静かに念祷を捧げた。部活動に励む声や吹奏楽の調べが聞こえてくる。

教会堂名の聖ジェラルド・マイエラ(1726-1755年)はレデンプトール会の修道士。子どもの頃、幼きイエズス像からパンを拝領したという体験を持つ。レデンプトール会に入会し、修道院の門番を務めながら、「貧しい人は目に見えるキリスト」と考え、これらの人々に救いの手を差しのべた。創立時の鍛冶ヶ谷教会はレデンプトール会が司牧していたので、守護聖人としてジェラルドが選ばれたのだろう。さて、私は再びJR本郷台駅へ。次は磯子教会を訪ねよう。


現聖堂献堂:1995年

◆主な参考文献など:
・「教会の聖人たち 下巻」 池田敏雄著(サンパウロ・2000年3版)

<付記>
今回より「JR根岸沿線のカトリック教会巡り」を不定期連載いたします。鍛冶ヶ谷教会から、磯子教会を経て、石川町の山手教会(横浜教区司教座聖堂)までを訪ねます。
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年間第24主日のミサ

2012年09月18日 | ミサ聖祭
年間第24主日を迎えたカトリック麻布教会
(住所:東京都港区西麻布3-21-6)

我らの野田佳彦首相が「2030年代までに原発をゼロにする」と大風呂敷を広げた。度し難いほど恥知らずなニッポン政府は、舌の根の乾かぬうちに大間原発(青森県)の建設継続を容認した。もちろん、マスコミはこれを大きな問題として取り上げず、もっぱら中国の反日デモを「黄巾の乱」のように大騒ぎしている。だから、テレビ中毒者は中国への憎悪を焚きつけられ、原発事故の恐怖や被災地の復興のことなど、すっかり忘れている(政府の思うツボ)。

9月16日(日)、麻布教会で年間第24主日のミサに与った。地下鉄の駅を出て、早朝の六本木を歩く。午前7時、ミサ開祭。私にとっては、久々の歌唱ミサである。福音朗読は、イエスが死と復活を予告された場面(マルコ8・27-35)。主任司祭の稲川圭三神父は、「今日の福音の中で、イエス様は弟子たちに、『あなたがたは、わたしを何者だと言うのか』と訊ねられました。もし私であれば、『あなたは私の命です』と申し上げたかもしれません」と話された。

「イエス様とは何者なのでしょうか。私たちと一つになることを望まれるイエス様は、既に神様の永遠がこの世に到達し、その命に私たちが結ばれているという真実を知らされたお方です。ご復活という出来事を通して、それを証しされたのです」。今日の福音の中の「ペトロの信仰告白」という個所は、昨年8月の年間第21主日のミサでも聞いた(マタイ16・13-20)。早朝の八王子教会聖堂で、稲川神父が説教を自ら手話で同時通訳されていた姿を思い出す。


カトリック八王子教会聖堂
(住所:東京都八王子市本町16-3)

◆この日のミサ中の主な歌:
ミサ曲2(典礼聖歌207-210)、入祭:典礼聖歌25「栄光は世界におよび」、奉納:典礼聖歌63「神は恵みとあわれみに満ち」、拝領:典礼聖歌97「このパンを食べ」、閉祭:典礼聖歌390「キリストのように考え」。
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