三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

大斎節第3主日の聖餐式

2014年03月29日 | 聖公会の礼拝
日本聖公会 目白聖公会の聖母子像
(住所:東京都新宿区下落合3-19-4)

最近、岩城聰司祭が記された『聖公会の教会問答』を読んでいる。本書は現行版『祈祷書』の「教会問答」に詳細な解説を付したもので、待望の「日本聖公会のカテキズム」と言える。私は聖公会の教理について、曖昧な状態で聖餐式に臨んでいたが、本書はそれを解消する手助けとなろう。3月23日(日)、目白聖公会(日本聖公会)で大斎節第3主日の聖餐式に参列した。午前10時30分、司祭と奉仕者が厳かに入堂。福音朗読は、イエスとサマリアの女の場面(ヨハネ4・5-26、39-42)。

鈴木裕二司祭は、「私たちは直接イエスに出会うことはできないが、隣人の中にイエスを見いだすことができる。それは、イエスがサマリアの女に水を求められたように、隣人が私たちに何かを求めてきた時です。そして、サマリアの女がイエスをメシアと告白したように、隣人の中におられるイエスに『その水をください』と願うことができます。それは喉の渇きをいやす水ではなく、イエスを通して与えられた、心の渇きをいやす命の水。隣人と潤いある関係を築くことが大切です」と話された。

奉献聖歌を歌う。作曲はヘンリー・パーセル(1659-95年)。気高い調べに心が洗われるようだ。続いて、聖餐となる。『聖公会の教会問答』によれば、「聖公会の聖餐理解は、かなり幅がある」という。岩城師はカルヴァンに近い「真の臨在」に共感しつつ、カトリックやルター派との共通点も認める。「いずれにせよ、パンとぶどう酒がイエスの体と血であるということは一つの『神秘』であり、言葉や理論を超えた事柄であると言わなければなりません」。私は諸説にとらわれて、「神秘」を忘れていた。


目白聖公会 聖シプリアン聖堂
“ み神に愛され 聖なる民は・・・(聖歌389) ”

◆聖餐式で歌われた聖歌:
ミサ曲(キリエ、サンクトゥス、アニュス・デイ)、参入聖歌:49「よろこびの日よ」、昇階聖歌:131「荒野に送られ」、奉献聖歌:389「主イェスよ われらの礎となり」、陪餐聖歌:254「いざわが唇 語り伝えよ」、派遣聖歌:521「主よ 終わりまで」。(番号は「日本聖公会聖歌集」による)

◆主な参考文献・CDなど:
・「聖公会の教会問答」 岩城聰著(聖公会出版・2013年)
・CD「キングズ・カレッジ合唱団の讃美歌集」 合唱:キングズ・カレッジ聖歌隊(London:POCL-5070)
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晴佐久昌英神父を批判する

2014年03月23日 | 東京のカトリック教会
カトリック多摩教会聖堂
(住所:東京都多摩市聖ヶ丘1-30-2)

「言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる」(ルカ13・3)、「だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります」(二テモ4・3-4)。

今月15日、及び22日付の『東京新聞』朝刊に、晴佐久昌英神父の寄稿が掲載された。「宗教の普遍性」という表題だが、内容は従来の「福音“万人救済”宣言」である。そこには「救い」「必ず」「全て」の文字が躍り、聖書に替えて「キリスト教憲法」(15日付同紙)や「神仏ご自身の愛のことば」(同22日付)が登場する。「それでも、私は救われているとしか思えない」という晴佐久神父は、「キリスト教は『あなたはもうすでに、救われている』と宣言している。神は全ての人を愛しており、必ず救うからである」と結論付けた。

だが、『東京新聞』の賢明な読者は次のような疑問を抱くに違いない。「ヒトラーやスターリンも救われていたのか」「(カトリック教会が認めない)同性愛者も救われているのか」。確かに、神は全ての人の救いを望んでおられるが(一テモ2・4)、必ずしもそれが「無条件」ではないことは、聖書の多くの言葉(注1)、カテキズムの教え(注2)からも明らかだ。私たちが「救われている」のであれば、イエスが「地獄」の恐ろしさを強調されることはなかったし、カトリック教会が私審判や公審判、煉獄や地獄を教える必要もない。

晴佐久神父の「福音“万人救済”宣言」や説教(というよりも「演説」)は、人間にとって「都合の良い言葉」だけで潤色され、聖書の「不都合な真理」については沈黙する(注3)。だが、それは「一時的な平安」「その場しのぎの癒し」による「救われた気分」という錯覚に陥らせることはあっても、「霊魂の救済」とは成り得ないだろう。「なぜなら、わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、報いを受けねばならないからです」(二コリ5・10)

奇妙なことに、晴佐久神父は「どのようにして救いは実現するのか」について曖昧となる。ただ「救われる」と力説しているだけなのだ。この点、正教会のカリストス・ウェア府主教が「三つの大切な問い」を通して、「救いとは何か」を考える機会を提供された(注4)。第一は「私たちは何から救われるのか」(出発点)、第二は「私たちはどのように救われるのか」(道筋)、第三は「何に向かって救われるのか」(旅の終局)。何となく「救われている」と浮かれていた人々は、それが単なる「感傷的信仰」と気づくのではないか。

「あなたは救われたのですか」という質問に対し、ウェア府主教は次のように答えている。「『はい、救われました』とはとても答えられません。そんな風に答えたなら、救いは成就した事実、実現された事実として、もう既に今ここにあることになってしまいます。(中略)ちょうどよいのは、『救われました』と答える代わりに『神の慈憐と恵みによって、救われつつあることを信じています』と現在進行形で答えることでしょう」。さらに、「師父シソエスにならって答えましょう。『悔い改めを始めたかどうかさえも疑わしいのです』と」。

日本のカトリック教会は晴佐久神父の「福音“万人救済”宣言」に迎合しつつある。そこでは神よりも人間の都合が優先され、「フレンドリーなイエス」を拝み、十字架は単なるアクセサリーだ。「何だかよく分からないが、私たちは救われた」と小躍りしている人々は、「復活の栄光」よりも目先の「ご利益」を追い求めている。「公会議の精神」「日本人の感性に合った宣教」の掛け声と共に、こうした「救い」の世俗化は避けられそうにない。私はイエスの全てを伝えようとしない晴佐久神父とその「福音“万人救済”宣言」を批判する。

「天を仰げ、地の為に之(これ)を失ふな。地獄を眺めよ、一時の快楽(たのしみ)の為にその中に入るな。イエズス・キリストを思へ、世間の為に主を否み奉るな」(聖フランシスコ・サレジオ『信心生活の入門』より)


(注1):『聖書』マタイ7・21、マタイ10・28、マタイ13・40-43、マタイ25・41-46、マルコ9・43、黙示21・27など。
(注2):『カトリック教会のカテキズム要約』135項、171項(但し262項)、208項、210項、212-214項など。
(注3):2013年7月21日付『カトリック新聞』投書欄で「イエスの厳しい言葉を重く受け止めていない」と指摘された晴佐久神父は、「そういう言葉だけ取り出して説明することで、どれほど多くの人が苦しんできたかを考えてほしい」と反論(同日付「説教」より)。だが、晴佐久神父も「都合の良い言葉だけ取り出して説明」している。「多くの人が苦しんできた」以下の発言は同調圧力を伴った「おためごかし」だろう。晴佐久神父は「福音“万人救済”宣言」正当化のため、聖書の言葉に恣意的な「優先順位」をつけている。
(注4):「三つの大切な問い」の回答は、ウェア府主教著『私たちはどのように救われるのか』を参照。正教の「原罪」観は異なるが、本書は「救いとは何か」についての有益な示唆に富む。ご一読をお薦めする。

◆主な参考文献など:
・「カトリック教会のカテキズム要約」 日本カトリック司教協議会監訳(カトリック中央協議会・2010年)
・「カトリック要理(改訂版)」 カトリック中央協議会編(中央出版社・1992年版)
・「信心生活の入門」 聖フランシスコ・サレジオ著、戸塚文卿訳(日本カトリック刊行会・1931年)
・「私たちはどのように救われるのか」 カリストス・ウェア主教著、水口優明、松島雄一共訳(日本ハリストス正教会西日本主教教区教務部・2003年)
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横浜ハリストス正教会

2014年03月20日 | 東方正教会
日本正教会 横浜ハリストス正教会
(住所:神奈川県横浜市神奈川区松ヶ丘27-11)

3月16日(日)、横浜ハリストス正教会で聖グリゴリイ・パラマ(注)の主日聖体礼儀に参祷した。東京の山手ハリストス正教会に続き、私にとって正教会の「町の教会」は2回目。「横浜に正教が伝わったのは1878年。講義所は市内を転々としました。関東大震災後、中区山手に聖堂を建設。当時は多くの亡命ロシア人が参祷していました。1980年、老朽化した聖堂を取り壊して、現在地に新聖堂を建設。イコノスタス(聖障)はロシアの修道士によって描かれました」(教会案内書から要約)。

横浜市営地下鉄の三ツ沢下町(みつざわしもちょう)駅で下車。国道1号線を挟んで、北側に日本聖公会の横浜聖アンデレ教会、そして南側に横浜ハリストス正教会が「対峙」している(?)。小高い丘の上の住宅街の坂道を上がると、可愛いクーポル(タマネギ型の塔)を載せた聖堂が現れた。ちょうど痛悔機密(ゆるしの秘跡)の執行中で、司祭の前に信者が列を成していた。その間、誦経者が時課経(詩編など)を朗々と誦読。午前10時、鐘塔の鐘が打ち鳴らされ、聖体礼儀が始まった。

参祷者は30数名。外国人の姿もあった。福音経の誦読は、中風の人が癒された場面(マルコ2・1-12)。水野宏神父は「中風の人のように心を神に向けた時、私たちは罪の状態から脱します。罪とは神を忘れていることです」と話された。説教を除き、横浜教会も歌頌の聖体礼儀である。首都圏の「西方教会」では、歌ミサが廃れつつあるのに・・・。この日、私は親切なマトシカ(司祭夫人)から横浜教会のオリジナル絵葉書などをいただいた。物心両面で聖神の恵みに満たされた一日となった。


横浜教会 生神女庇護聖堂(1980年竣工)


聖堂外観

(注):「1368年から、この主日(大斎第2主日)はテサロニケの大主教聖グリゴリイ・パラマス(1296-1359年)の記憶が捧げられてきた。この記憶は先の主日に祝われた祭と同じ性格のものである。すなわち、ワルラアム、アキンデノス、その他の当時の異端者に対する聖グリゴリイの勝利は、正教勝利の更新として解釈される」(『私たちはどのように救われるのか』より)。聖山アトスの静寂主義を擁護した聖グリゴリイは「ビザンティン神学の最高の水準ないし最後の輝きを示すと言われる」(『キリスト教史3』より)。

<付記>
この日の聖体礼儀後、3月に永眠された方々や東日本大震災犠牲者のために祈る月例パニヒダが行われた。「永遠の記憶・・・」。約30分間、切々たる哀歌と連祷、そして乳香の煙が流れていた。パニヒダ後の水野神父のお話から。「私たち正教徒は洗礼によって、天国に与る者となっています。つまり、永眠者は私たちと違う世界にいるのではなく、いつも私たちの傍にいるのです。そのことを思い起こしながら、永眠された方々を心に留めて祈り続けましょう」。

◆主な参考文献など:
・「キリスト教史3<東方キリスト教>」 森安達也著(山川出版社・1978年)
・「私たちはどのように救われるのか」 カリストス・ウェア主教著、水口優明、松島雄一共訳(日本ハリストス正教会西日本主教教区教務部・2003年)
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正教勝利の主日の聖体礼儀

2014年03月15日 | 東方正教会
日本正教会 東京復活大聖堂教会
(住所:東京都千代田区神田駿河台4-1-3)

3月9日(日)、東京復活大聖堂教会(通称ニコライ堂)で正教勝利の主日聖体礼儀に参祷した。「正教勝利の主日」とは何か。「正教会の歴史の中で、イコンの是非が問われた時期がありました。イコンは、十戒の『刻んだ像を造ってはならない』に反するという主張が続出。『聖像破壊論争』の期間は8世紀から百年以上も続きましたが、結局イコンは正当なものと認められました。そのことを大斎の第一主日に『正教勝利の主日』と称してお祝いします」(『正教会の手引』から要約)。

正教会では先週から大斎(おおものいみ)が始まった。大斎を「正教徒は特に力を入れて取り組み、大斎の前に4週間の『準備週』(肉類などを食べ尽くす)があり、40日の『大斎』に続いて『受難週』があります」「大斎の期間、肉食をできるだけ避けます。魚肉も食べないようにします。乾酪類(乳・卵製品)も食さないようにします。酒類は、土曜・日曜以外、節制します」(『正教会の手引』から要約)。(ものいみ)とは「節制と自省によって神に心を向け、祭を祝う準備の時」なのである(注)

午前10時、聖体礼儀の開始を告げる鐘と共に、ダニイル府主教と司祭が厳かに入堂。福音経の誦読は、フィリップ(フィリポ)とナファナイル(ナタナエル)が弟子となった場面(ヨハネ1・43-51)。大川満神父は「大斎は悔い改めの期間。節制を通して、『神の言葉で生きる』のです」と話された。領聖後、東日本大震災犠牲者の永遠の安息を祈るリティヤ(死者のための祈祷)が行われた。私は「孤調の哀歌」の切々たる歌声に耳を澄ませながら、3年前のあの日を思った。「永遠の記憶・・・」。


ニコライ堂境内の大聖堂教会事務所
(J・コンドル設計の旧門衛所。1891年頃竣工)

(注):「一ヶ月以上もお肉が食べられないなんて!」。異常なほど「飲み食い」に執着する「一般のニッポン人」にとっては、大斎(おおものいみ)が「苦行」と映るかもしれない。ただし、大斎の期間でも「成長期の子供や体力のない高齢者や病者などに斎(ものいみ)はすすめられません。また外食を余儀なくされる時、あまり細かく気にしすぎて思いわずらってはいけません。斎はタブーではありません。斎は体をいじめるためではなく、いたわるために行われるべきものです」(『正教会の手引』より)。

<付記>
亜使徒聖ニコライ祭に於ける北原史門神父の説教で紹介された『聖人ニコライ事蹟伝』(2,800円)。ようやく、私はニコライ堂境内の大聖堂教会事務所(上写真)で入手した。本書と中村健之介氏の評伝『ニコライ』(ミネルヴァ書房・2013年)を併読しよう。この日は日本正教会訳聖書(A6判・1,500円)も入手。この『我主イイスス・ハリストスの新約』はニコライ大主教と漢学者の中井木菟麿(なかい・つくまろ)による歴史的な「共訳」(1901年刊)。ただし、読破するには「漢籍の素養」が求められるかもしれない。

◆主な参考文献など:
・「正教会の手引」 水口優明編著(日本ハリストス正教会教団・2013年改版)
・「ギリシア正教入門」 高井寿雄著(教文館・1980年改版)
・「日本の光照者 亜使徒聖ニコライの歩み」 及川信著(日本ハリストス正教会教団・2013年四訂版)
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大斎節第1主日の聖餐式

2014年03月10日 | 聖公会の礼拝
日本聖公会 聖アンデレ教会
(住所:東京都港区芝公園3-6-18)

戦後最悪の狂気の時代。ニッポン人は「嫌中韓」に飽き足らず、今や「反米」の憎悪に取り憑かれ、その醜悪な「攘夷思想」はオバマ政権や米国の主要メディアを困惑させている。だが、ニッポン人は「この国に生まれたことを誇りに思う」と酔い痴れながら、「世界一」の妄想に小躍りしている。確かに、ニッポンは「世界一」だ。厚顔無恥(無知)、夜郎自大(やろうじだい)な点に於いて。それは、「安倍独裁」への熱狂が如実に物語っている。過去の過ちを認めない愚かな国の成れの果て。

3月9日(日)、聖アンデレ教会(日本聖公会)で大斎節第1主日の聖餐式に参列。先週の大斎始日(灰の水曜日)から大斎節(四旬節)が始まった。午前7時30分、司祭団が厳かに入堂。大畑喜道主教は主教冠を戴き、牧杖を手にされている。福音朗読は、イエスの「荒れ野での断食」の場面(マタイ4・1-11)。笹森田鶴司祭は、「神様から私たちを離そうとする『もっともらしい考え方』を捨て、イエス様の道に倣って生きる。私たちは神様の全く新しいいのちの中に入るのです」と話された。

この日は代祷の中で東日本大震災を覚えて祈った。あの日から3年。被災地の復興は進まず、原発事故も収束していない。「絆」の大合唱はどこへやら、ニッポンは社会的弱者と隣国を罵り、せっせと原発の輸出に励み、改憲熱と排外的国粋主義に燃えている。そして、仏紙『ル・モンド』が指摘したように、2020年の東京五輪は“Pour oublier Fukushima (福島を忘れるため)”のお祭りとなる。大量の放射能汚染水を垂れ流しながら、国威発揚の狂騒に浮かれる愚かな民の成れの果て。


東京教区主教座聖堂、聖アンデレ教会
“ 糧(かて)を断つ幸を 主よ与えたまえ・・・(聖歌131) ”

<付記>
今日(3/10)は東京大空襲(1945年)があった日。私はその恐ろしさと悲惨さを、高木敏子さんの児童小説『ガラスのうさぎ』(金の星社・1977年)で初めて知った。今や『はだしのゲン』の撤去請願、『アンネの日記』破損事件などが相次ぐ「異様な国、ニッポン」。『ガラスのうさぎ』も「禁書」となってしまうかもしれない。そんな恐ろしい時代が来る前に、多くの子供たちに読み継がれて欲しいと思う。百田尚樹の『永遠の0(ゼロ)』に眩惑されるような「みっともないオトナ」にならないためにも。

◆聖餐式で歌われた聖歌:
ミサ曲は読誦。入堂聖歌:129「よそか(四十日)経るまで」、奉献聖歌:131「荒野に送られ」、退堂聖歌:130「霊に送られ」。(番号は「日本聖公会聖歌集」による)
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