三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

国際基督教大学礼拝堂(ICU教会)

2015年03月12日 | プロテスタント
国際基督教大学礼拝堂
(住所:東京都三鷹市大沢3-10-2)

小田急バスの富士重工前停留所で下車。戦前、この辺りは中島飛行機の敷地が広がっていた。同社は旧陸軍の戦闘機「隼」「疾風」等を製造した軍用機メーカーである。小学生時代の私は、これら「傑作戦闘機」のプラモデル(ハセガワの1/72シリーズ)に熱中していたことを「懺悔」しなければならない。戦後、中島飛行機の広大な跡地は富士重工業(スバル)、そして国際基督教大学(ICU)、ルーテル学院大学、東京神学大学となった。今や日本のプロテスタント神学の「聖地」である。

ICUチャペルの沿革をおさらい。「国際基督教大学教会は様々な教派のクリスチャンが共に礼拝を守る超教派(エキュメニカル)の教会です。日曜礼拝には大学教職員や学生の他、卒業生や近隣の方々が日英両語による礼拝を守っています。日本語、もしくは英語で語られる説教にはイヤホンによる同時通訳がつきますので、どなたでもご参加いただけます」(ICU教会公式サイトより)。授業期間中は「チャペル」としての大学礼拝が、日曜は「教会」としての聖日礼拝が捧げられる。

国際基督教大学に着いた。とてつもなく広いキャンパスで、正門から中心地までの距離は「ひと駅歩こう」の体力が必要だ。チャペルの扉を開けると、パイプオルガン(オーストリア・リーガー社製)の音色が響き渡っていた。どうやらオルガニストの演奏練習らしい。堂内の荘厳な雰囲気と相俟って、豊かな祈りの時を過ごすことができた。さて、木々に囲まれたチャペルを出ると、中庭の向こうに古い大学本館(下写真2)が見えた。これが戦前の旧中島飛行機三鷹研究所の建物である。


礼拝堂内観(1954年竣工)


国際基督教大学本館
(戦前の旧中島飛行機三鷹研究所本館)
コメント (7)
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日本福音ルーテル本郷教会

2014年12月10日 | プロテスタント
日本福音ルーテル本郷教会
(住所:東京都文京区本郷6-5-13)

12月6日(土)、地下鉄丸ノ内線の本郷三丁目駅で下車し、東京大学へ向かう。前回もお知らせした通り、私は東大の一般市民向け公開講座を受講している。会場は本郷キャンパスだったので、この日も講義の合間に周辺の教会巡りに勤しんだ。東大を中心とする本郷界隈は、ちょっとした「教会銀座」の様相を呈しているが、今回は東京大学正門に最も近い日本福音ルーテル本郷教会である。ここを訪れたのは、今年の10月12日以来だ。待降節に入り、典礼色が紫に変わっている。

日本福音ルーテル本郷教会の沿革をおさらい。「戦争で傷ついた人々とこの国を建て直すのに、神の愛が必要だと考えたアメリカのルーテル教会は、将来を担う若者に聖書の教えを伝えたいと東京大学(農学部)の前に本郷学生センターを開設し、英会話と聖書を通して神の愛を伝え、また学生たちが国際感覚を養うためのプログラムを展開することにしました。1956年のことです。日曜日の礼拝も同時に始められ、やがて学生たちの中からクリスチャンが生まれました」(教会案内書より)。

「教会と学生センターのためにより相応しい場所と建物が必要とされ、現在の場所に移転したのは1966年のことです。アメリカのクリスチャンたちの篤い祈りに支えられて、現在の教会堂が献堂されました。1階は事務所と集会室、2階は木のぬくもりに包まれる礼拝堂です」(前同)。誰もいない静かな礼拝堂のなかで、私の脳裏に讃美歌「主なるイェスはわが喜び」が響く。この厳かな調べはJ・クリューガー(1598-1662年)の作曲で、バッハのモテット(BWV.227)にも登場する名コラールである。


礼拝堂内観(1966年竣工)


冬空に映える東京大学安田講堂
(住所:東京都文京区本郷7-3-1)

◆主な参考CDなど:
・CD「J・S・バッハ:モテット集」 合唱:レーゲンスブルク大聖堂少年聖歌隊(Archiv:F20A-20069)
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西片町教会(日本基督教団)

2014年11月24日 | プロテスタント
日本基督教団 西片町教会
(住所:東京都文京区西片2-18-18)

11月22日(土)、地下鉄丸ノ内線の本郷三丁目駅で下車し、東京大学へ向かう。前回もお知らせした通り、私は東大の一般市民向け公開講座を受講している。会場は本郷キャンパスだったので、この日も講義の合間に周辺の教会巡りに勤しんだ。東大を中心とする本郷界隈は、ちょっとした「教会銀座」の様相を呈しているが、今回は農学部の弥生キャンパスに近い西片町教会(日本基督教団)を訪ねた。旧制一高跡地の弥生キャンパスは言問(こととい)通りを挟んで本郷キャンパスに隣接している。

西片町教会の沿革をおさらいしよう。「西片町教会は本郷区東片町に下谷教会が伝道を開始したことに端を発し、1889年3月31日、日本メソジスト駒込教会として創立されました。その後、1896年6月5日、西片町の現在位置に移転、1935年に現会堂が献堂され、爾来営々とこの地、この会堂で神を拝し、神の民の交わりを形成してきました」(教会公式サイトより転載)。夏目漱石の小説『三四郎』の広田先生も西片町の借家に移り住み、そこで三四郎と美禰子は大きな空の白い雲を見上げたのである。

弥生キャンパスの農正門(下写真2)から徒歩数分で、西片町教会に到着。塔屋付きの厳かな佇まいである。ところで、『三四郎』の広田先生の借家は「西片町十番地への三号」にあったという。そこは西片町教会裏手の住宅街だ。広田先生は日露戦争の「勝利」に沸くニッポンが「亡びるね」と予言し、「囚われちゃ駄目だ。いくら日本の為を思ったって贔屓の引倒しになるばかりだ」と憂う。今や排外的国粋主義に囚われた現代ニッポンも「贔屓の引倒し」で亡びるのか。「御旨ならば我いとわじ」(讃美歌285)。


礼拝堂内観(1935年竣工)


東京大学弥生キャンパスの農正門
(住所:東京都文京区弥生1-1-1)

◆主な参考文献・CDなど:
・「三四郎」 夏目漱石著(新潮文庫・1972年)
・「漱石全集 第五巻(坑夫・三四郎)」 夏目金之助著(岩波書店・1994年)
・CD「なつかしの讃美歌 BEST40」 鈴木啓之指揮/新日本合唱団(Pony Canyon:PCCL-00587)
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弓町本郷教会(日本基督教団)

2014年11月15日 | プロテスタント
日本基督教団 弓町本郷教会
(住所:東京都文京区本郷2-35-14)

11月9日(日)、地下鉄丸ノ内線の本郷三丁目駅で降り、東京大学へ向かう。前回もお知らせした通り、私は東大の一般市民向け公開講座を受講している。会場は本郷キャンパスだったので、この日も講義の合間に周辺の教会巡りに勤しんだ。東大を中心とする本郷界隈は、ちょっとした「教会銀座」の様相を呈しているが、今回は本郷三丁目交差点に近い弓町(ゆみちょう)本郷教会(日本基督教団)を訪ねた。その昔、芥川龍之介の旧制一高時代の学友(藤岡蔵六ら)が通っていたという。

弓町本郷教会の沿革をおさらい。「1886年、牧師・海老名弾正(えびな・だんじょう:1856-1937年)が、大いなる理想の灯のもと、多くの学生が集まるこの本郷の地に、講議所として開いたのが始まりです。日本のプロテスタント教会としては古い歴史をもち、2011年には創立125周年を迎えました。(略)教会の建物は、1920年代に建てられた鎮(ちん)ブロック造りの代表的な建造物で、教会としての構造と美を兼ね備えています」(教会案内リーフレットより)。会堂の一階に幼稚園を併設している。

東大の赤門から徒歩10分ほどで、弓町本郷教会に到着。この日は教会と幼稚園の合同バザーだった。会場内は大盛況で、風船を手にした子どもたちの姿が目立つ。私は古本コーナーで『ボンヘッファーと日本』(新教出版社・1989年)を入手した。一冊50円也。ところで、弓町本郷教会の牧師先生は私が卒業したプロテスタント系高校の大先輩である。ぜひとも「同窓のよしみ」で、日本のキリスト教界を蝕みつつある「あなたはもうすでに、救われている」宣言の影響についてお尋ねしたいものだ。


礼拝堂内観(1927年竣工)


東京大学本郷キャンパスのマンホール
<蓋に「東京帝國大學」と刻まれている>

◆主な参考文献など:
・「この人を見よ 芥川龍之介と聖書」 関口安義著(小沢書店・1995年)
・「ボンヘッファーと日本」 村上伸・森岡巌・森野善右衛門編(新教出版社・1989年)
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本郷中央教会(日本基督教団)

2014年11月12日 | プロテスタント
日本基督教団 本郷中央教会
(住所:東京都文京区本郷3-37-9)

11月8日(土)、地下鉄丸ノ内線の本郷三丁目駅で降り、東京大学へ向かう。以前もお知らせした通り、私は東大の一般市民向け公開講座を受講している。会場は本郷キャンパスだったので、この日も講義の合間に周辺の教会巡りに勤しんだ。東大を中心とする本郷界隈は、ちょっとした「教会銀座」の様相を呈しているが、今回は本郷三丁目交差点に近い本郷中央教会(日本基督教団)を訪問。夏目漱石『三四郎』ゆかりの教会と推定され(注)、また内村鑑三や野口英世が訪れていたという。

本郷中央教会の沿革をおさらい。「1890年、カナダ・メソジスト派の宣教師により『中央会堂』が創立。大衆への伝道だけでなく、インテリ層が唯物論や無神論を信奉する当時の風潮に対抗するために、学生に伝道する目的で本郷の地を選んだ。社会の改革によって多くの人々に神の救いがもたらされるようにとの思いから名称は『教会』ではなく、超教派的立場をしめすために、モーセが荒野でテントを聖所としたことに由来して『中央会堂』(日本の中央の天幕)とした」(教会公式サイトから要約)。

「『美禰子さんは会堂(チャーチ)』。美禰子の会堂へ行く事は始めて聞いた。(中略)三四郎は全く耶蘇教に縁のない男である。会堂の中は覗いて見た事もない」「やがて唱歌の声が聞えた。讃美歌というものだろうと考えた。(中略)美禰子の声もそのうちにある。三四郎は耳を傾けた」(夏目漱石『三四郎』)。現在の礼拝堂は三四郎時代のものではないが、入口上に「中央會堂」という歴史的名称が残っている。「忽然として会堂の戸が開いた。中から人が出る。人は天国から浮世へ帰る」(『三四郎』)。


礼拝堂内観(1929年竣工)
<美禰子は三四郎に聖書の“暗号”を投げかける>


東京大学本郷キャンパス内の「三四郎池
<この池の端で三四郎は美禰子を見初める>

(注):「旧本郷区には明治39(1906)年当時九つの教会があった。(略)このうち建物の外観などが本文に近いのは中央会堂(本郷中央教会)だが、三四郎が当然渡るべき電車通りを渡る記述がないのが難点」(岩波書店『漱石全集 第五巻』注解より)。

◆主な参考文献など:
・「三四郎」 夏目漱石著(新潮文庫・1972年)
・「漱石全集 第五巻(坑夫・三四郎)」 夏目金之助著(岩波書店・1994年)
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