三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

初台教会で悔い改める

2011年01月31日 | ミサ聖祭
夕暮れのカトリック初台教会(渋谷区)

1月29日(土)、初台教会で主日ミサに与った。 昨年から都内のカトリック教会を訪ねているが、主日ミサの体験は極めて少ない。最初に与った八王子教会を含めると、片手で数える程度だろうか。聖イグナチオ教会は平日のミサに通うのみで、肝心の主日ミサは与ったことがない。今回、初台教会を再び訪れたのは、ここの所属信徒だった高田三郎氏の「歌ミサ」に参加したかったことと、舟越保武氏の描く「道行」のイエスに惹かれた(招かれた?)からである。

ミサ開祭。大聖堂の会衆は約30名ほどだろうか。決して多い人数とは言えないが、土曜の夕べに集う「主日」は、修道院の晩祷を思わせる雰囲気がいい。入祭の歌「神の注がれる目は」を歌う。祭儀は、外国人司祭(プロヴァンシェ神父?)と邦人助祭の共同司式で行われた。完全な「歌ミサ」を期待したが、この日は「栄光の賛歌」「主の祈り」などを口で唱えた。 さらに、祭儀の進行が少し速く、不慣れな私はオロオロとしてしまった。ささやかな「沈黙の時」が欲しい。

福音書朗読は、有名な「山上の説教」の場面(マタイ5・1-12a)。私の祖父が教会に通っていた時代は、「真福八端」と呼んでいたと思う。外国人司祭は流暢な日本語で、「神の光によって、私たちは清められる」と諭された。司祭の穏やかな説教に、胸を衝かれる思いがした。「平和の賛歌」を歌いながら、私は「典礼聖歌」を拒んできた頑なな心が恥ずかしくなった。高田氏への不平を言うのは、もう止めよう。 慈しみ深い主よ、心の貧しい私を憐れんでください。


カトリック初台教会大聖堂(渋谷区)
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聖パウロの回心

2011年01月29日 | ミサ聖祭
聖イグナチオ教会主聖堂(千代田区)

1月25日(火)、聖イグナチオ教会の正午ミサに与った。教会暦の「聖パウロの回心」に当たる祝日である。 入祭のあいさつで、司祭(オチョア神父?)は「回心した聖パウロに倣って、私たちも悔い改めましょう」と諭される。いつものように、無伴奏で「あわれみの賛歌」を唱えた。その直後、司祭が「天のいと高きところには神に栄光」と先唱された瞬間、私は何が起こったのか分からず、茫然となってしまった。 そう、きょうは「週日」ではなく、「祝日」だったのだ(注)

この日の使徒書朗読は、ダマスコ行きのパウロが回心する場面(使徒22・3-16)。 ところで、聖体拝領の祭儀では、「洗礼を受けていない方には、祝福をいたします」と呼びかけられる。 だが、未信者の私は末席に残っていることが多い。神の御前に立つには、まだ逡巡のようなものがあるからだ。そんな私に、アナニアがパウロに告げた言葉が響くのであった。「今、何をためらっているのです。立ち上がりなさい。その方の名を唱え、洗礼を受けて罪を洗い清めなさい」(使徒22・16)。

回心以前のパウロは、イエスを信じる者を徹底的に迫害した若者で、「家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた」(使徒8・3)。 さらに、殉教者「ステファノの殺害に賛成していた」(使徒8・1)。だから、罪を悔い改めたパウロの言葉を読むと、私は心の琴線に触れる思いがする。現実社会の醜い深層を見るたびに、どれほどパウロの手紙に救われてきたことか。「希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい」(ローマ12・12)。


聖イグナチオ教会の聖母子像

(注):「祈りの手帖」(ドン・ボスコ社)で、おさらいしました。この「栄光の賛歌」は、「待降節と四旬節以外の主日、および祝祭日に」唱えます。
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カトリック府中教会

2011年01月26日 | 東京のカトリック教会
カトリック府中教会(教会堂名:聖家族)
創立:1990年 ◇ 住所:東京都府中市府中町1-40-11

私は京王沿線に住んでいるが、府中は通過することが多く、車窓から眺めているだけだ。遠い昔、私は甲州街道沿いに一本の煙突が立っていたのを覚えている。その胴体には、「國府鶴」の大きな文字が書かれていた。酒造工場があったのだろうか。また、旧下河原線の廃線跡も印象に残っている。まだ遊歩道などが整備されず、錆びついたレールが放置されていた頃だ。現在、それらの風景は失われてしまったが、府中を通るたびに当時を思い出している。

京王線の府中駅で降りる。馬場大門のケヤキ並木を南へ進むと、武蔵の古社として名高い大國魂神社がある。つい先日、我らの菅直人首相が初詣に訪れたらしい。世相に全く疎い首相は、朗らかに「庶民大増税」の誓願を立てたのだろうか。余談はさておき、私は府中教会を目指して並木道を北へ進むことにした。教会から遠くないところには、カトリック府中墓地がある。ここに建設が予定されていた聖堂の行方については、既に世田谷教会の記事で触れた。

府中教会に着く。聖家族の白い立像が迎えてくれた。司祭館などの施設が大きく造られているのは、ここにミラノ外国宣教会の日本管区本部があった時代の名残かもしれない(現在、本部は多摩教会後方の丘陵に移転)。府中教会の歴史は約20年と浅いが、それ以前は宣教会の施設に地元の信徒が集まっていたのだろう。聖堂に入ると、パイプ椅子が整然と並んでいる。ミラノ情緒を期待すると裏切られる光景だが、どことなく家族的で親しみやすい雰囲気である。


現聖堂献堂:1978年頃?


カトリック府中教会の聖母子像
コメント (2)
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カトリック高円寺教会

2011年01月23日 | 東京のカトリック教会
カトリック高円寺教会(教会堂名:聖ヨハネ・マリア・ビアンネ)
創立:1928年 ◇ 住所:東京都杉並区高円寺南2-33-32

JR中央線の高円寺駅で降りる。南口を出て、閑静な住宅街を歩く。この辺りは各宗派の寺院が密集した「寺町」となっている。明治から大正にかけて、都心からの移転を余儀なくされたという。その読経が聞こえる一角に、高円寺教会の十字架が立っている。さらに、この教会を中心としたエリアのみが、寺町の中で“カトリックの出島”を形成している。ベリス・メルセス宣教修道女会、光塩女子学院(初等・中等・高等科)などのカトリック諸団体が集まっているからだ。

高円寺教会の歴史は古く、昭和初期にパリ外国宣教会の協力によって創立された。 東京郊外と呼ばれた地域で、戦前からの伝統を有する数少ない教会である。その敷地を見渡すと、広場の中心部が凹んでおり、周縁部に建物が配置されている。何とも不思議な地形だ。聖堂の扉を開けると、太陽の光が満遍なく注がれている。木の温もりも素晴らしい。なお、先日訪れた吉祥寺教会は、高円寺の分教会だったことを追記しておく。どちらも「寺」と付く名の教会である。

高円寺教会と隣接して、光塩女子学院の校舎がある。ここは、1931年創立のカトリック系ミッション・スクールだ。校名の「光塩」とは、聖書の言葉「世の光、地の塩」に由来するという。学園の経営母体は、ベリス・メルセス宣教修道女会(本部スペイン)。その日野修道院の敷地内に、高幡教会があることは既に述べた。ふと時計を見ると、聖イグナチオ教会の正午ミサが迫っているではないか。学院前の聖母子像に見送られながら、私は中央線の高円寺駅へと急いだ。


現聖堂献堂:1949年
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カトリック吉祥寺教会

2011年01月20日 | 東京のカトリック教会
カトリック吉祥寺教会(教会堂名:聖霊)
創立:1949年 ◇ 住所:東京都武蔵野市御殿山1-7-8

調布教会を訪ねた後、小田急の路線バスに乗って、吉祥寺を目指すことにした。古刹の深大寺や神代植物公園のある丘を越えて、ちょっとした小旅行を楽しんだ。バスが井の頭公園の森に入ると、ようやく吉祥寺教会が見えてきた。この辺りを御殿山と呼ぶのは、鷹狩りに訪れた徳川将軍の休憩所があったことによる。公園内の井の頭池は「旱魃(かんばつ)にも涸るゝ事なし」と謳われ、古くから貴重な水源であった。ここから江戸の町に流れる水道を神田上水という。

吉祥寺教会の敷地は広い。ベンチが置かれ、公園のような雰囲気だ。入口には瀟洒なマンションが建ち、その三階までを教会の施設が占める。サンパウロ(聖パウロ修道会)の売店もある。視界の奥まったところに、聖堂の三角屋根が見えた。現在、吉祥寺の信徒数は五千人を超え、都内でも有数の大教会である。かつての分教会時代を想像するのは難しい。この吉祥寺は神言修道会(注)の担当教会であり、歴代主任司祭らも神言会の出身者が多い。

私は中学・高校時代を名古屋で過ごした。自宅から数分のところに南山教会があった。そこは神言会日本管区の主聖堂である。私は東京の旧宅に引っ越す際に、ラジカセで南山教会の鐘の音を録音した。今も古いテープに懐かしい響きが残っている。教会の向こうには、南山学園ライネルス館。重厚な造りの校舎は、上智大学1号館などを手がけたマックス・ヒンデルの設計だ。この学園の経営母体も神言会である。私は吉祥寺の聖堂で、神言会との巡り会いを考えた。


現聖堂献堂:1954年
大和教会などを手がけたカール・フロイラー神父の設計>


楽廊から1階席を見おろす

(注):神言(しんげん)修道会(Society of The Divine Word)は、1875年にアーノルド・ヤンセン神父がオランダで創立した。日本管区本部は、愛知県名古屋市(昭和区南山町)にある。
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