三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

年間第30主日のミサ

2012年10月30日 | ミサ聖祭
年間第30主日を迎えたカトリック吉祥寺教会
(住所:東京都武蔵野市御殿山1-7-8)

突然、極右レイシストの石原慎太郎が東京都知事を辞職した。憂国の思い抑え難く、新党を結成して国政に進出するという。実に無責任の極みだ。そこで、私は原発翼賛の日本経済新聞、及び脱原発の東京新聞の社説(10/26付)を読み比べてみた。ところが、両紙ともに石原新党への期待感を示し、無責任な職務放棄は糾弾しない。やはり、マスコミは石原の親衛隊だ。こうなったら、安倍晋三を党首に据えて、「大ニッポン無責任殉国党」でも結成して欲しい。

10月27日(土)、吉祥寺教会で年間第30主日のミサに与った。吉祥寺でのミサは昨年11月の年間第33主日以来だ。ロザリオ一連と「信仰年」の祈りを唱えた後、午後4時のミサ開祭。司式は助任司祭のアルディ・ハヨン神父。インドネシア出身の神言会司祭である。2009年、名古屋の南山教会で司祭叙階された後、秋田教会の助任を経て、今年の4月に吉祥寺へ赴任された。福音朗読は、イエスが盲人バルティマイをいやされた場面(マルコ10・46-52)。

アルディ神父は、「バルティマイは必死に主を呼び求め、救われた後もイエス様に従った。現代の私たちはどうでしょう。救いの恵みである洗礼を受けたのに、教会から離れている人が少なくありません。だから、私たちの『心の目』にイエス様の姿が見えるようになること。そして、いつもイエス様と結び合い、つながっていること。この信仰の姿を思い起こしましょう」と話された。私もバルティマイのように叫び続けよう。「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」。


<カトリック吉祥寺教会聖堂>

◆この日のミサ中の主な歌:
ミサ曲の賛歌は読誦。入祭:典礼聖歌90「心静かにわたしはいこう」、奉納:典礼聖歌119「主はわたしの光」、拝領:典礼聖歌159「門よ とびらを開け」、閉祭:典礼聖歌393「主が手をとって起こせば」。
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“ Sempre il Rosario ”

2012年10月26日 | 音楽を聴く
ある秋の日のカトリック調布教会
(住所:東京都調布市富士見町3-21-12)

「いつもロザリオ、なんでもロザリオ、すぐにロザリオ、みんなでロザリオ・・・」。調布教会の年間第29主日ミサで歌った「ロザリオ」の歌詞とメロディーが、私の頭の中で何度も繰り返され、耳にこびり付いてしまった。作詞は『長崎の鐘』などの著書で知られる永井隆博士(1908-1951年)、作曲は名歌「アヴェ・マリア」などを手がけたサレジオ会宣教師のチマッティ神父。なお、本記事のタイトル「Sempre il Rosario」は、イタリア語で「いつもロザリオ」という意味(らしい)。

「聖母信心の伝統的方法のうちにロザリオがある。彼(チマッティ神父)は徒歩で出掛けるときはいつもロザリオを繰っていた。生涯中どれだけとなえたであろう」(『ほほえみ、慈愛と祈りの人 チマッチ神父』より)。チマッティ資料館の作品リストによれば、「ロザリオ」が作曲されたのは、敗戦直後の1946年頃、作品番号554(又は555)に該当するものと思われる。長崎の被爆者で敬虔なカトリック信徒の永井博士と、どのように出会ってこの歌は誕生したのだろうか。

残念ながら、私の手元にあるチマッティ神父CDには「ロザリオ」が収録されておらず、作曲事情の詳しいことは分からない。当時、チマッティ神父は宮崎県に滞在していたから、長崎の永井博士と協力して、敗戦の悲哀に混乱する信徒を励ますため、「ロザリオ」の歌を作曲したのかもしれない。現在、チマッティ神父は調布サレジオ神学院の地下聖堂に眠っているが、そこには生前のチマッティ神父が弾いていたオルガンもある。最近、オーバーホールを終えたという。


カトリック館林教会の扶助者聖母像
(住所:群馬県館林市大手町11-21)

◆主な参考文献など:
・「ほほえみ、慈愛と祈りの人 チマッチ神父」 A・クレバコーレ著(ドン・ボスコ社・1991年第2版改題)

<付記>
「人類よ、戦争を計画してくれるな。原子爆弾というものがある故に、戦争は人類の自殺行為にしかならないのだ。原子野に泣く浦上人は世界に向かって叫ぶ。戦争をやめよ。ただ愛の掟に従って相互に協商せよ。浦上人は灰の中に伏して神に祈る。ねがわくば、この浦上をして世界最後の原子野たらしめたまえと」(永井隆著『長崎の鐘』より)。プロテスタント系の高校時代、私は修学旅行先の長崎国際文化会館で本書を入手した。
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カトリック浦和教会

2012年10月24日 | 埼玉のカトリック教会
カトリック浦和教会(教会堂名:幼いイエスの聖テレジア)
創立:1937年 ◇ 住所:埼玉県さいたま市浦和区常盤6-4-12

JR京浜東北線の浦和駅で降りる。浦和教会を目指して歩く。その途中、聖公会の古い礼拝堂の脇を通った。1901年創立の浦和諸聖徒教会である。現在の礼拝堂は1928年に建てられたという。私は聖公会系の学校を中退した前歴を持つが、学内に「諸聖徒」の名を戴く古い礼拝堂があったことを思い出す。入学式で歌った聖歌「見よや十字の旗高し」の勇壮な調べを、今も覚えている。機会があれば、「懺悔」を兼ねて「母校」の礼拝に参列したいと思う。

カトリック浦和教会の沿革をおさらい。1937年、「北関東を司牧する新しい教区の設立に当たって、教区長座が浦和に置かれた経緯は定かではない。イポリット・カディヤック師が北関東宣教の拠点とした宇都宮・松が峰教会と前橋教会は、1932年にそれぞれ大聖堂が新築されており、教区長座としての風格を備えていたのである。一方、浦和には1937年に仮聖堂が置かれ、1940年になって教区長座教会が建てられている」(「北関東のカトリック」より)。

「宇都宮や前橋は、(旧陸軍の)師団や連隊本部が置かれた軍事都市でもあったことなどから、教区長座が浦和に置かれたものと見られる」(前同)。約15分ほどで、浦和教会に到着。東京カテドラルや横浜の山手教会などに比べると、司教座聖堂としての浦和教会は「こぢんまり」としているようだ。聖堂に入ると、オルガニストが演奏練習をしていた。至福のときを過ごしながら、神の豊かな恵みに感謝した。さて、私は再び浦和駅へ。次は北浦和教会を訪ねよう。


現聖堂献堂:1979年


日本聖公会 浦和諸聖徒教会
(住所:埼玉県さいたま市浦和区仲町2-10-19 )

◆主な参考文献など:
・「北関東のカトリック」 カトリック浦和教区史誌編集委員会編(カトリック浦和教区事務所・1990年)
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年間第29主日のミサ

2012年10月22日 | ミサ聖祭
年間第29主日を迎えたカトリック調布教会
(住所:東京都調布市富士見町3-21-12)

読売新聞がスクープした「ips心筋移植」の朗報は、一転して「世紀の大誤報」となった。難病に苦しむ人々に精神的な混乱を与えた「読売」の社会的責任は極めて重い。ここ数年、「読売」はイエロー・ジャーナリズム全開で、改憲・大連立・大増税、そして原発維持を半狂乱のように煽っていた(ちなみに、「読売」の元社主・正力松太郎は、ニッポンの「原子力発電の父」である)。地道な取材と緻密な検証を怠ってきたツケが、今回の「虚偽報道」を招いたと言えよう。

10月21日(日)、調布教会で年間第29主日のミサに与った。甲州街道を渡り、いつものように電気通信大学の構内を横切る。このような近道(?)を通って、調布教会に到着。道沿いの鉄柵に、教会学校の子どもたちが描いた(と思われる)かわいいポスターが何枚も貼られていた。来週の28日、調布教会でバザーが開催されるという。「たのしいよ」「来てね」などのキャッチコピーから、調布教会は地域社会に広く開かれたバザーを目指していることがうかがえる。

午前10時30分、ミサ開祭。この日の説教は、サレジオ会本部(ローマ)宣教顧問のクレメンテ神父が担当された。宣教を活性化するために世界中を飛び回っておられるという。英語による説教は三島神父による通訳付き。クレメンテ神父は「宣教が難しい地域では、まず私たちがイエス様との個人的な体験を告げ知らせることが大切」と話され、会衆に次の質問をされた。「 Do you like to share your story of Jesus with other people? 」。この日は「世界宣教の日」だった。


調布サレジオ神学院、地下聖堂の扶助者聖母像
“ ♪すぐにロザリオ、みんなでロザリオ・・・(永井隆作詞) ”

◆この日のミサ中の主な歌:
ミサ曲1(典礼聖歌203-206)、入祭:典礼聖歌35「神に向かって」、奉納:典礼聖歌387「神はキリストのうちに」、拝領:典礼聖歌386「風がどこから」、閉祭:「ロザリオ」(永井隆博士作詞、チマッティ神父作曲)。
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高井戸教会(日本基督教団)

2012年10月18日 | プロテスタント
日本基督教団 高井戸教会
(住所:東京都杉並区高井戸西1-27-18)

10月14日(日)、高井戸教会(日本基督教団)の主日礼拝に参列した。カトリック荻窪教会の記事でも触れたが、ここの礼拝堂は私が卒業したプロテスタント系高校のチャペルに似ている。高井戸教会は1889年の創立で、福音主義改革長老教会の流れを汲むという。1960年代に建てられた(と思われる)礼拝堂には、正面講壇の背後に巨大なパイプオルガンが鎮座している。カトリック信徒の方々にとっては、ビックリ仰天するセッティングかもしれない。

午前10時30分、礼拝はオルガンの厳かな奏楽(ヴァルター作曲)で始まった。讃詠の讃美歌「聖なるかな」を歌う。この気高い調べは、シューベルトが作曲した「ドイツ・ミサ曲」の第5曲「Zum Sanctus」である。私は未だにカトリック教会の典礼聖歌、特に高田三郎氏の節回しに当惑しているのだが、プロテスタント教会でシューベルトの「ミサ曲」が歌われていることに驚いた。この日の説教は、聖書朗読(ルカ15・11-32)に基づく「神の愛に心を開いて」という主題。

七條真明牧師は、「今日の放蕩息子のたとえ話で、兄は弟を喜んで迎えた父に怒っている。それは、自分には理解できない神の大きな愛につまずく人間の姿です。自分を包んでいる神の大きな愛を知らずに生きてきた人間の姿が、兄の姿に託されています」と話された。私は自分を放蕩三昧の弟と見なしていたが、実は兄の姿に近いのかもしれない。頌栄の讃美歌「父・子・聖霊の」を歌う。高校時代の学年礼拝で、毎回のように歌っていたことを思い出す。


礼拝堂内観


礼拝堂外観

◆礼拝式で歌われた讃美歌:
讃詠:83「聖なるかな」、51「愛するイェスよ」、521「とらえたまえ、われらを」(聖歌隊奉唱)、149「わがたまたたえよ」、頌栄:27「父・子・聖霊の」。(番号は「讃美歌21」による)

◆参考CD:
・「シューベルト:ドイツ・ミサ曲 D.872」 ハラー指揮/ウィーン少年合唱団ほか(Philips:PHCP-1411)
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