三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

カトリック戸塚教会

2012年06月28日 | 神奈川のカトリック教会
カトリック戸塚教会(教会堂名:聖ペトロ)
創立:1950年 ◇ 住所:神奈川県横浜市戸塚区矢部町641

「お前はクリスチャンか、とある人に聞かれたら捨吉はもはや以前に浅見先生の教会で洗礼を受けた時分の同じ自分だとは答えられなかった。日曜日曜にきまった会堂へ通い説教を聞き讃美歌を歌わなければ済まないことをしたと考えるような信者かたぎからはだいぶ離れて来た。(中略)では、お前は神を信じないか、とまたある人に聞かれたら自分は幼稚ながらも神を求めているものの一人だと答えたかった」(島崎藤村著「桜の実の熟する時」より)。

JR横須賀線の戸塚駅で下車。東口周辺には、明治学院大学横浜校舎がある。1980年代にブームとなった郊外型キャンパスの一つだろう。プロテスタント系の明治学院といえば、やはり東京の白金台である。島崎藤村はここで学び、クリスチャンとなった。「桜の実の熟する時」の主人公・捨吉は藤村自身であり、明治学院での若き日々が描かれている。藤村もこの小説を「自分の著作の中で、年若き読者に勧めてみたいと思うものの一つ」と評している。

西口から徒歩10分ほどで、戸塚教会に到着。丘の上に立つ聖堂は、企業の研修センターのように見える。当初、駅近辺にあった戸塚教会は、1975年に「都市計画によって移転せざるを得なくなり、将来のためも併せ考慮して、代償金をもって、戸塚区中和田、及び戸塚の2ヶ所」に教会を設立した(「横浜教区設立50周年記念誌」より)。さて、私は横浜市内のJR京浜東北・横須賀沿線の旅を終え、次回は横浜市内の私鉄沿線のカトリック教会を訪ねよう。


現聖堂献堂:1998年

◆主な参考文献など:
・「桜の実の熟する時」 島崎藤村著(岩波文庫・1969年)
・「横浜教区設立50周年記念誌」 横浜教区設立50周年記念誌編集委員会編(カトリック横浜司教区・1988年)
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洗礼者聖ヨハネの誕生の祭日ミサ

2012年06月26日 | ミサ聖祭
ミサ当日のカトリック高幡教会
(住所:東京都日野市程久保4-7-14)

やはり、我らの野田佳彦首相は、「原発再稼働」と「大増税」を強行した。我が祖国・ニッポンは、政・官・財界(及び電力総連などの御用組合)の凄まじい強欲が支配する「独裁専制国家」であり、マスコミはその暴政におもねる「翼賛機関」である。テレビとともに、「スカイツリー」「生活保護バッシング」「AKB総選挙」などで大騒ぎしていた人々は、それでも正気に返らない。ソドムとゴモラのように滅びる日まで、ニッポンは強欲拝金主義に狂奔するのだろう。

6月24日(日)、高幡教会で洗礼者聖ヨハネの誕生の祭日ミサに与った。福音朗読は、ザカリアとエリサベトの子、洗礼者ヨハネ誕生の場面(ルカ1・57-66、80)。バプテスマのヨハネといえば、イエスの伝記映画「偉大な生涯の物語」(1965年・アメリカ)で、チャールトン・ヘストン扮するヨハネが“ Repent!(悔い改めよ) ”と叫んでいたシーンを思い出す。ヨルダン川の対面で、マックス・フォン・シドー扮するイエスは、ヨハネにこう言われた。“ Baptize me, John ”

午前9時、ミサ開祭。主任司祭の高木健次神父は、「クリスマスの半年前に生まれた洗礼者ヨハネは、キリストを迎えるため、人々に心の準備をさせた。私たちもイエス様に出会う前から、神様はその準備をして、呼びかけられているのです」と話された。「準備をしてくださる神様の御心を思い起こし、その契機となった人たちや出来事に感謝しましょう」。ミサ後、聖堂脇に色鮮やかな紫陽花(あじさい)が咲いているのに気がついた。そこで、パチリと一枚(上写真)。


東京都日野市の七生丘陵散策コース
<カトリック高幡教会の脇を通ります>

◆この日のミサ中の主な歌:
ミサ曲1(典礼聖歌203-206)、入祭:典礼聖歌85「神をほめたたえよ」、奉納:典礼聖歌63「神は恵みとあわれみに満ち」、拝領:典礼聖歌68「神よ あなたのいぶきを」、閉祭:カトリック聖歌31「ほめよたたえよ」。
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武蔵豊岡教会(日本基督教団)

2012年06月22日 | プロテスタント
ある晴れた日の武蔵豊岡教会
(住所:埼玉県入間市河原町8-6)

6月17日(日)、埼玉の武蔵豊岡教会(日本基督教団)の主日礼拝に参列した(ミサに与った後、プロテスタント教会の礼拝へ行くのは、我ながら無節操と思うが)。私にとっては、プロテスタント系高校を卒業して以来の礼拝である。武蔵豊岡教会を選んだのは、有名なヴォーリズ(注)が設計した礼拝堂に惹かれていたこともあった(カトリック入間宮寺教会と共に、「入間市景観50選」に指定されている)。この教会の沿革については、後日稿を改めたいと思う。

午前10時30分、礼拝はオルガンの奏楽で始まった。招詞(礼拝へ招く聖書の言葉を朗読)に続き、讃詠「聖なるかな」を歌う。高校時代が甦る懐かしい調べ。カトリックの典礼聖歌と単純に比較はできないが、讃美歌の「喜び歌う」勢いには圧倒される。不協和音を顧みず、私も久々に熱唱。交読(答唱詩編に相当)と信仰告白、聖書朗読と説教(及び祈祷)後にも、それぞれ讃美歌を歌う。祝祷(派遣の祝福に相当)前には、頌栄「父・子・聖霊の」を歌った。

この日の説教題は「もう一つの幻」(ハバクク2・1-4)。栗原清牧師は、「預言者ハバククは悲痛な叫びをあげ、神は『もうひとつの幻』、つまり『神に従う人は信仰によって生きる』と答えられた。私たちは神から与えられた命の中で生きる。この原点に立ち返ることが信仰の力強さであり、どんな状況でも絶望することはないのです」と話された。高校時代は気付かなかったが、私はプロテスタントの敬虔な祈りを、この日の礼拝で初めて知った。<聖餐式の記事に続く>


現礼拝堂竣工:1923年
<メソジスト派の伝統を汲む建築様式>


敷地内に残る旧教会堂「天佑堂」

(注):ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(William Merrell Vories:1880-1964年)。アメリカ出身の建築家。日本に於けるプロテスタント礼拝堂の設計多数(明治学院礼拝堂日本福音ルーテル市川教会など)。その傍ら、メンソレータム(メンターム)でおなじみの近江兄弟社を創立。

◆礼拝式で歌われた讃美歌:
讃詠:83「聖なるかな」、2「聖なるみ神は」、51「愛するイェスよ」、573「光かかげよ、主のみ民よ」、頌栄:27「父・子・聖霊の」。(番号は「讃美歌21」による)

<謝辞>
「初めての方ですか?」。武蔵豊岡教会信徒の皆さんは、闖入者である私に温かく声をかけてくださった。受付の男性信徒の方からは、礼拝堂のご説明をいただいた上、礼拝作法に不慣れな私のために同席もしてくださった。あらためて御礼を申し上げます。ありがとうございました。この日、武蔵豊岡教会を初めて訪れた「新来者」は、私を含めて10人(!)だった。
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年間第11主日のミサ

2012年06月20日 | ミサ聖祭
カトリック清瀬教会の聖ロレンソ・ルイス像
(住所:東京都清瀬市松山2-21-12)

6月17日(日)、清瀬教会で年間第11主日のミサに与った。この清瀬教会の祭壇正面の左側には、見慣れない御像がある。その聖人の名は、聖ロレンソ・ルイス(Lorenzo Ruiz)。「フィリピン人としては最初の、これまでのところ唯一の聖人」である。1636年、ロレンソ・ルイスは宣教師とともに、切支丹迫害の嵐が吹き荒れる日本に上陸。長崎で処刑され、聖トマス西と15殉教者の一人となった。この御像は清瀬教会のフィリピン人信徒が寄贈したものであろう。

「原発中毒の国・日本を捨て、カトリックの国・フィリピンに亡命したい」と妄想している内に、午前8時のミサ開祭。福音朗読は、イエスのたとえ話「からし種」の場面(マルコ4・26-34)。主任司祭の伊藤淳神父は、「聖体の祭日に続き、本日も御聖体とミサについてお話しします。会衆も祭司の一人であり、ミサを行っているという意識が必要です」と話された。「御聖体は私たちの中に入るためにパンの形になられた。そのことを心に留めて、御ミサに与りましょう」。

この日、私は清瀬教会から徒歩数分の距離にある聖公会の清瀬聖母教会に寄った(他教派の礼拝堂を拝観するのは、我ながら無節操と思うが)。礼拝堂内は磔刑のイエス像の大十字架や聖母子像などがあり、カトリック教会も驚く「カトリック的」な雰囲気(?)。私は聖公会系の学校を中退した前歴があるので、今日ここを訪れたのは、その懺悔の目的が無いわけではない。入学式で歌った聖歌「見よや十字の旗高し」の勇壮な調べは、今もよく覚えている。


日本聖公会 清瀬聖母教会
(住所:東京都清瀬市梅園1-1-25)

◆この日のミサ中の主な歌:
ミサ曲1(典礼聖歌203-206)、入祭:典礼聖歌2「あかつきとともにめざめ」、奉納・拝領:オルガン奏楽、閉祭:カトリック聖歌265「しらべもたえに」。

◆主な参考文献など:
・「東京教区ニュース・11月号」第287号 (カトリック東京教区広報部・2011年11月)
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からし種と絹の道

2012年06月18日 | 多摩の風景
八王子から輸出用の生糸を運んだ「絹の道
(住所:東京都八王子市鑓水)

6月16日(土)、八王子の緑濃き山間にある「絹の道資料館」を訪ねた。八王子は養蚕と織物が盛んであった。その生糸は海外から珍重され、幕末期に横浜へ運ぶ「絹の道」が開通。資料館がある鑓水(やりみず)地区は、生糸商の豪邸が並んでいたという。だが、生糸バブルが崩壊し、商人たちは次々と没落。鑓水地区は再び静かな里山になった。この資料館も生糸商の屋敷跡に建っている。館内は絹の道や鑓水商人に関する資料が展示されている。

館内の一角に、「西洋文明の道」というコーナーがある。「生糸が運ばれた道をたどって、横浜から各地にキリスト教の布教が行われました。多摩地方では、最初に福音を伝えたのは、カトリックのテストヴィド神父で、1877年のことです。神父は翌年、布教の拠点として、下壱分方村に、聖マリア教会(泉町教会)を設立しています」(展示パネル)。鑓水には当時の古道が今も残っている。ここを往来したであろう、テストヴィド神父と山上卓樹の姿が偲ばれる。

資料館を見学した後、八王子教会で年間第11主日のミサ(土曜日夕方の子どもミサ)に与った。福音朗読は、イエスのたとえ話「からし種」の場面(マルコ4・26-34)。主任司祭の辻茂神父は、「イエス様は神の国を大自然の営みにたとえられた。神様に支えられ人は育つ。私たちはその力に委ねていくことを教えられています」と話された。閉祭の歌を子供たちと一緒に歌う。絹の道を通って蒔かれた種が、八王子に大きな枝を張っている、と歴史浪漫に浸る。


絹の道資料館は入館無料です。
(住所:東京都八王子市鑓水989-2)

◆この日のミサ中の主な歌:
ミサ曲2(典礼聖歌207-210。感謝の賛歌のみ上村幸一郎詩・曲)、入祭:子供の歌「祈ってごらん わかるから」、奉納:子供の歌「先ず神の国を」、拝領:子供の歌「あかしびと」、閉祭:子供の歌「心をつないで」。
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