三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

カトリック豊四季教会

2015年04月16日 | 千葉のカトリック教会
カトリック豊四季教会(教会堂名:平和の元后聖マリア)
創立:1971年 ◇ 住所:千葉県流山市長崎2-444-1

JR常磐線の柏駅で、東武野田線に乗り換える。私が習志野の団地っ子だった頃、柏市内の戸建て住宅に引っ越す計画があった。そこは現在の市立柏第四小学校付近だったと思う。土地が湿気を含んでいたらしく、新築の家の周りに小さな緑色のアマガエルが多くいたことを覚えている。結局、理想の土地探しに東奔西走していた母が東京の多摩地域に「乳と蜜の流れる場所」(?)を見つけたので、私が「柏っ子」になることはなかった。さて、ようやく電車は豊四季(とよしき)駅に着いた。

カトリック豊四季教会の沿革をおさらい。「当教会は松戸教会から出発しており、柏地区の信徒の急増により、 1971年に 『柏教会』として最初の教会が献堂されました。 約240坪の土地に聖堂・ホールが所狭しと建てられ、駐車場も2台分しかありませんでした。1991年、流山市の現在地に移転し、白柳大司教により献堂式が行われました。この時、教会名も『柏教会』から『豊四季教会』と改称し、主任司祭にスカボロ宣教会のハクシャ神父が赴任されました」(東京大司教区サイトから要約)。

豊四季教会に着いた。そこは緑豊かな雑木林に囲まれていて、教会の裏手にはボーイスカウトのキャンプ場もあった。小鳥のさえずりを聴きながら、白亜の聖堂内で小さな念祷を捧げる。その後、広い前庭にたたずむ聖母像に別れを告げてから、教会に近い豊四季台団地(下写真2)を散策することにした。整然と並ぶ住棟間の緑地と松の木に何ともいえない郷愁を感じてしまう。ここから旧柏教会に通った団地っ子もいたに違いない。現在、豊四季台団地は建替えが急ピッチで進んでいる。


現聖献堂:1991年


団地マニアの聖地(?)、公団豊四季台団地
(住所:千葉県柏市豊四季台。2012年5月訪問)

◆主な参考文献など:
・献堂20周年記念誌「からし種 1971年~1991年」 (カトリック豊四季教会・1991年)
コメント (2)
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カトリック東金教会

2015年03月18日 | 千葉のカトリック教会
カトリック東金教会(教会堂名:聖家族)
創立:1959年 ◇ 住所:千葉県東金市東金251-2

JR東金(とうがね)線の東金駅で下車。「東金市は、東京都心まで約60キロメートル、千葉県のほぼ中央部に位置しています。人口は約6万人で温暖な気候に恵まれ、平野部は良質な田園地帯が太平洋に向かって広がり、丘陵地は山武杉の森林に覆われています」(東金市公式サイトより)。東金は九十九里浜(くじゅうくりはま)に近い。私は習志野の団地っ子だった頃、よく海水浴に訪れていたものだ。砂浜の生き物、貝殻拾い、焼きハマグリの香りを懐かしく思い出す。

カトリック東金教会の沿革をおさらいしよう。「カトリック東金教会は、1959年3月に、東京教区の今田健美(こんだ・たけみ)神父によって献堂式が行われ、茂原(もばら)教会の巡回教会としてスタートしました。このころの信徒数は7~8人の小さな集まりでした。これから7年後の1967年に、小教区として認められ、念願の東金教会となったのです。当教会には、千葉寺、茂原、鴨川などから多くの司祭が来て、信徒たちを支えてくださいました」(東京大司教区サイトから転載)。

駅から徒歩10分ほどで、カトリック東金教会に着いた。閑静な住宅街の中に、塔屋付きの古い聖堂が建っている。「平日だから閉まっているかもしれない」と思われた聖堂の扉が開いていた。そこはかとない郷愁が漂う空間の中で、金色(こんじき)の聖櫃を前に静かな祈りの時を過ごす。耳を澄ませば、九十九里浜からの潮騒が聞こえてきそうである(?)。さて、上り電車の到着が近づいてきたので、再び東金駅へ向かう。終点の大網で外房線に乗り換えて帰京することにしよう。


現聖堂献堂:1967年?


聖堂内の聖母像
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カトリック木更津教会

2015年03月06日 | 千葉のカトリック教会
カトリック木更津教会(教会堂名:聖コールマン)
創立:1952年 ◇ 住所:千葉県木更津市富士見3-1-13

JR内房線の木更津(きさらづ)駅で降りる。ここは東京湾に面した古い港町だが、駅前の商店街は少しさびれている印象。このローカルな「木更津」の名を全国的にしたのは、2002年放映のテレビドラマ「木更津キャッツアイ」(TBS系)かもしれない。だが、戦前の木更津は「軍隊の町」であり、旧海軍航空隊の基地があった。敗戦直後の1945年8月19日、マニラで米国との降伏受理協議に臨む日本代表団を乗せた飛行機(特殊な塗装を施した「緑十字機」)は、ここから南方へ飛び立った。

カトリック木更津教会の沿革をおさらい。「その歴史は1884年頃のパリ外国宣教会の房総伝道に遡る。第二次大戦後は進駐軍の蒲鉾兵舎が聖堂の時期もあった。1951年、木更津海岸の埋立地に仮の教会が建てられた。これが木更津教会の始まりである。1955年 、司祭・信者の信仰と努力、及びアイルランドからの暖かい寄付によって現聖堂が献堂。近隣には新日本製鉄(現・新日鐵住金)君津製鉄所等があり、九州から転勤してきた方も多くおられる」(東京大司教区サイトから要約)。

木更津港を右に眺めながら、カトリック木更津教会に到着。木造平屋の聖堂は質実剛健の造りだが、祈りの家に相応しい雰囲気がある。木更津教会も聖コロンバン会(The Missionary Society of St.Columban)の「房総伝道」によって建てられた教会の一つである。聖コルンバヌスの名を戴くこの宣教会は、1916年にアイルランドで創立された(日本管区は東京)。戦後、聖コロンバン会が房総、及び湘南地域のカトリック教会を次々に設立・司牧(注)した働きは、もっと注目されてもよいと思う。


現聖堂献堂:1955年


聖堂内の聖母子像

(注):鴨川教会、木更津教会、五井教会、佐原教会、館山教会、千葉寺教会銚子教会東金教会、茂原教会。東京・神奈川では豊島教会藤沢教会平塚教会大磯教会二宮教会国府津教会など。

◆主な参考文献など:
・「千葉県の戦争遺跡をあるく」 千葉県歴史教育者協議会編(国書刊行会・2004年)
・「横浜教区設立50周年記念誌」 教区設立50周年記念誌編集委員会編(カトリック横浜司教区・1988年)
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カトリック五井教会

2015年02月19日 | 千葉のカトリック教会
カトリック五井教会(教会堂名:勤労者聖ヨセフ)
創立:1965年 ◇ 住所:千葉県市原市五井中央西1-33-10

JR内房線の五井(ごい)駅で下車。この辺りは東京湾に面した京葉工業地帯で、石油コンビナートなどが集中している。私は習志野の団地っ子だった頃、小学校の社会科見学(注)で新日鐡(現・新日鐵住金)の君津製鉄所を訪れたことがある。この時、スラブ(鋼片)が大きな厚板になる工程を見学した。鉄の熱気でビニールの保護手袋が茶褐色に変わったことを覚えている。今や「鉄は国家なり」の熱気は冷めつつあり、ニッポンの鉄鋼業は中韓両国の猛追を受けている。

カトリック五井教会の沿革をおさらい。「1965年、聖コロンバン会によって教会の基礎が創められました。それをさかのぼる1959年頃から、京葉工業地帯の企業が操業を開始し、九州から転勤してきた信者のために、千葉寺から聖コロンバン会の神父が来られ公民館を借りてミサが捧げられていました。工業地帯の発展と共に、信者も増し聖堂が狭くなり、1984年に新聖堂、司祭館の献堂式が10月28日、白柳大司教のもと執り行われました 」(東京大司教区サイトから要約)。

カトリック五井教会に着いた。天を衝くような十字架の塔を仰ぐ。工業地帯の教会にふさわしく、労働者の保護聖人である聖ヨセフの名を戴いている。頭上から光が降り注ぐ聖堂で、しばし念祷と黙想の時を過ごす。さて、再びJR五井駅に戻ると、反対側のホームに小湊(こみなと)鉄道の気動車が停車中(下写真)。首都圏の鉄道ファンなら一度は見ておきたい「非電化ローカル私鉄」である。その何とも言えない昭和レトロな風貌が、房総の秘境・養老渓谷への旅愁を誘う。


現聖堂献堂:1984年


小湊鉄道のキハ200形気動車

(注):貸切バスに分乗して、市・県内の公共機関や工場施設、名所旧跡などを見学する校外授業。「社会科」の一環とはいえ、小学生にとっては「遠足気分」だった。船橋中央卸売市場、栗山浄水場、千葉県庁、千葉市郷土館(現市立郷土博物館)、成田山新勝寺などを巡ったことを思い出す。

◆主な参考文献など:
・「千葉県の歴史散歩」 千葉県高等学校教育研究会歴史部会著(山川出版社・1973年)
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カトリック銚子教会

2015年02月13日 | 千葉のカトリック教会
カトリック銚子教会(教会堂名:王であるキリスト)
創立:1951年 ◇ 住所:千葉県銚子市栄町1-1448

JR総武本線の銚子駅で下車。ここは利根川河口の港町で、太平洋の大海原に面している。銚子は全国屈指の醤油の生産地でもある。ところで、私は習志野の団地っ子だった頃、小学校の遠足で犬吠埼(いぬぼうさき)灯台を訪れたことがある。その時、ヤマサ醤油の工場も見学した。醤油醸造の記録映画を視聴したことを覚えている。工場見学の記念品として、全員に醤油の小びんがプレゼントされた。そういうわけで、いまだに私は「お醤油はヤマサ」と決めている(笑)。

カトリック銚子教会の沿革をおさらいしよう。「1951年 、銚子教会は東京教区の教会として聖コロンバン会によって創立されました。初代主任司祭は信徒から慕われたオサリバン神父でした。以来、聖コロンバン会の司祭が司牧を担当し、2001年には創立50年を迎えることができました。小さな教会にもかかわらず、オサリバン神父は教会霊園の建造、創設以来の古い聖堂、司祭館の建て替えに着手され、それを実現されました」(カトリック東京大司教区サイトから要約)。

カトリック銚子教会に着いた。教会の敷地はかなり広く開放的だ。その脇を「ぬれせんべい」でお馴染みの銚子電鉄が走っている。聖堂内は海鳥の白を思わせる明るい空間で、祈りに適した静謐が保たれている。現在の銚子教会は水産関係の会社で働く外国人信徒も訪れ、インターナショナルな雰囲気という。私は敷地内の聖母子像に別れを告げた後、JR銚子駅へ向かった。銚子電鉄の構内に懐かしい京王電鉄2010系(下写真2)が停車中。私は予期せぬ再会を喜んだ。


現聖堂献堂:1951年


銚子電鉄で活躍する元京王電鉄2010系

◆主な参考文献など:
・「千葉県の歴史散歩」 千葉県高等学校教育研究会歴史部会著(山川出版社・1973年)
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