三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

復活節第6主日の聖餐式

2015年05月19日 | 聖公会の礼拝
ツタの若葉が覆う立教大学モリス館
(住所:東京都豊島区西池袋3-34-1)

安倍晋三と「国家神道原理主義」の自民党、及び「平和と福祉の党」を詐称する公明党が「戦争への道」をせっせと整えている。これらの卑劣漢どもによって、憲法第9条は殆ど死文と化してしまった。だが、最も責められるべきは、主権者としての自覚に欠けた「昭和のテレビ中毒世代」だろう。自分たちは現行憲法が保障する「平和と自由」を享受しておきながら、次世代には「恐怖と絶望」を負わせる。この国から立憲主義が滅びようとしているのに、相変わらずヘラヘラと笑っているだけ。

5月10日(日)、立教大学チャペル(日本聖公会)で復活節第6主日の聖餐式に参列した。午前10時、振り香炉と十字架を先頭に、司祭団が厳かに入堂。乳香の煙が漂う中で、「天使ミサ」のキリエを歌う。この日も唱詠聖餐式(歌ミサ)だった。福音朗読は、「人、その友のために死す。これより大いなる愛はなし」の場面(ヨハネ15・9-17)。金大原(キム・デウォン)司祭は「イエスが弟子たちや私たちを『友』と呼ばれたのは、お互いに支え合い、同じ志を持つ関係を意味します」と話された。

「今日の福音で、イエスが説かれた『愛』は、全ての人間を愛する普遍的なものというよりも、まず身近な人たちへの愛を強調されています。『神は愛』です。私たちがこの『愛』を理解するには、母親の愛ほど明らかな例はありません。神様はご自身の愛を、この世では母親を通して示してくださいます。自分の子どものためなら命さえも惜しまない人、それはお母さんです」。韓国出身の金チャプレンが話す日本語は、その説教の内容と共に格調高かった。そういえば、今日は「母の日」だった(注)


主日聖餐式後の立教学院諸聖徒礼拝堂
“ 怯(ひる)まぬ心を 主よ与えたまえ・・・(聖歌419) ”

(注):金チャプレンからの豆知識。「韓国では『母の日』の習慣はありませんが、毎年5月8日を『父母の日(オボイナル)』としてお祝いしています」。

◆聖餐式で歌われた聖歌:
ミサ曲譜1(キリエ、大栄光の歌、サンクトゥス、アニュス・デイ)、入堂聖歌:419「人ごみの街に」、続唱聖歌:488「新しいこの掟」、奉献聖歌:492「神こそ愛なり」、陪餐アンセム(聖歌隊奉唱):「心を一つに平和を求め」(18世紀ドイツ聖歌)、陪餐聖歌:497「恵みの光は」、派遣聖歌:499「さやかな光」。(番号は「日本聖公会聖歌集」による)
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復活節第5主日の聖餐式

2015年05月03日 | 聖公会の礼拝
ツタの若葉が覆う立教大学モリス館
(住所:東京都豊島区西池袋3-34-1)

海外メディアが嫌悪する「安倍ジャパン」(注)。この凶権の原動力は、愚かなニッポン人の「無関心」で成り立っている。元ドイツ大統領のヴァイツゼッカー氏は、「人々の『冷たい無関心』がホロコーストの要因」と指摘した。マザー・テレサは「愛の反対は憎しみではなく、無関心」と述べた。そして、愚かなニッポン人はテレビにしがみつき、ただヘラヘラと笑っているだけ。現行憲法で保障された権利と自由、平和を次世代に継承することも「無関心」。戦争や原発事故で次世代が苦しむことも「無関心」。

憲法記念日の5月3日(日)、立教大学チャペル(日本聖公会)で復活節第5主日の聖餐式に参列した。午前10時、振り香炉と十字架を先頭に、司祭団が厳かに入堂。乳香の煙が漂う中で、「天使ミサ」のキリエを歌う。福音朗読は、イエスの「聖霊を与える約束」の場面(ヨハネ14・15-21)。宮崎光司祭(立教大学チャプレン)は「聖霊を指す『弁護者』というギリシャ語のパラクレートスには、『傍らに立つ者』という意味があります。イエス様は傍らで必ず助ける者の存在を示されたのです」と話された。

「イエス様に従う者の生き方とは、傍らに立つ『弁護者』、すなわち『真理の霊』の力によって、理性と自由意思を持つ人間が、本当に大切なことを自分で考え、そして行動するということなのだと思います」。宮崎チャプレンの説教を聞き、私はこのような生き方を示した近現代のキリスト者を次々に思い起こした。その一人、コルベ神父の言葉。「私たちの堕落した人間性を征服し、それを霊の支配下に置くためには神の恵みが必要です。そのためには私たちはしばしば祈らなければなりません」。


1918年竣工の立教学院諸聖徒礼拝堂
“ 主は今も嘆く 不正満ちる世を・・・(聖歌182) ”

(注):最近、この傲慢で恥知らずな島国は、「ニッポンを貶めた」海外メディアに対して「報道介入」の圧力をかけている(米紙NYT、独紙FAZなど)。“全世界で最も卑しい男”の麻生太郎と愚劣なニッポン人記者団とが一緒になって、香港の中国人女性記者を公然と「嘲弄」した失態も記憶に新しい。かくして、安倍一派が「ニッポンを貶めた」と吼える度に、この傲慢で恥知らずな島国は国際的に孤立する。

◆聖餐式で歌われた聖歌:
ミサ曲譜1(キリエ、大栄光の歌、サンクトゥス、アニュス・デイ)、入堂聖歌:182「生きている主イェス」、続唱聖歌:335「よろずのもの 永遠に治む」、奉献聖歌:513「主よ わが身をとらえたまえ」、陪餐聖歌:256「地に来たまいし神」、派遣聖歌:535「あなうれし わが身も」。(番号は「日本聖公会聖歌集」による)

◆主な参考文献など:
・「過去の克服・二つの戦後」 ヴァイツゼッカー著、山本務訳(日本放送出版協会・1994年)
・「無原罪の聖母 M・コルベ神父のことば集」 セルギウス・ペシェク編(聖母文庫・1990年)
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復活前夜礼拝(イースター・ヴィジル)

2015年04月08日 | 聖公会の礼拝
聖土曜日を迎えた立教大学モリス館
(住所:東京都豊島区西池袋3-34-1)

4月4日(土)、立教大学チャペル(日本聖公会)で復活前夜礼拝(イースター・ヴィジル)に参列した。聖餐式は行われないが、夕の祈りのように聖書のみ言葉を味わいながら、日没という神秘的な雰囲気の中で、「主イエス・キリストの死への勝利に与る主の過越の夜」を祝う。ところで、この日は入学式が行われたらしく、キャンパス内は新入生を歓迎(勧誘)するサークルの看板が乱立。かつて私が入学式を迎えた日は暴風雨であった。聖歌「見よや十字の旗高し」の調べも懐かしく思い出す。

午後5時、ヴィジルは第一部「光の礼拝」で始まった。暗闇の礼拝堂の中央で、新しい火と復活のろうそくの祝別が行われ、会衆が手にするろうそくにも火が灯された。司祭は復活のろうそくを高く掲げ、「キリストの光」を朗唱しながら祭壇に進む。この流れはカトリックの復活徹夜祭に於ける光の祭儀を思わせる。ろうそくが聖卓前に安置されると、司祭と会衆は次のように応唱した。「ハレルヤ、キリストはよみがえられた」「キリストは本当によみがえられた」。ここで「復活の賛美」を力強く歌う。

照明が点灯され、第二部「み言葉の礼拝」となる。旧新約聖書の朗読を通して、神の救いの御業、また御子が救い主として遣わされた神秘を黙想。市原信太郎司祭は「大斎節を経て復活を祝う喜びと過程には、人間の考えと異なる『神の時の流れ』があり、神は人の死の先で救いの歴史を続けておられます。この喜びを、いま私たちは目にしようとしています」と話された。その神の『救いの歴史』を矮小化するのが、「あなたはすでに、救われている」宣言という被造物の不可解なポエムだろう。


復活前宵祭を祝う立教学院諸聖徒礼拝堂
“ 主の全きいけにえ 闇を打ち破り・・・(聖歌171) ”

◆復活前夜礼拝の聖書朗読箇所、及び聖歌:
第一部(光の礼拝):「復活の賛美」、第二部(み言葉の礼拝):第1朗読(創世1・1、26-31a)、第2朗読(創世22・1-2、9-13、15-18)、第3朗読(出エジプト14・15-31)、第4朗読(ローマ6・3-11)、聖歌171「小羊の宴に」、第5朗読(マルコ16・1-8)、第三部(洗礼式):聖歌513「主よ わが身をとらえたまえ」、第四部(夕の礼拝):聖歌172「あの時のように」。(聖歌番号は「日本聖公会聖歌集」による)

◆主な参考文献など:
・「私たちと礼拝」 竹内淑子、竹内謙太郎共著(聖公会出版・2003年)
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大斎節第1主日の聖餐式

2015年02月27日 | 聖公会の礼拝
冬空に映える立教大学モリス館
(住所:東京都豊島区西池袋3-34-1)

醜悪な極右のための三流紙『産経新聞』(2月11日付)に掲載された曽野綾子の「アパルトヘイト称賛」コラムが、海外メディア(AP、ロイターなど)の厳しい批判を浴びている。この曽野綾子という超右翼の俗物は「敬虔なカトリック信者」だが、御聖体を拝領したその口で「日本軍は沖縄戦の集団自決強制に関与せず」などの品性下劣な暴言を吐き続けている。もっとも、曽野は日本のカトリック教会を蝕む「あなたはもうすでに、救われている」宣言が虚構であることの「証し人」にはなっている。

2月22日(日)、立教大学チャペル(日本聖公会)で大斎節第1主日の聖餐式に参列した。教会は先週の水曜日から大斎節(四旬節)を迎えた。午前10時、司祭団が入堂。福音朗読は「荒れ野の四十日間」(マルコ1・9-13)。宮崎光チャプレンは「過去や現在に無関心であることも『誘惑』です。先月、ワイツゼッカー元ドイツ大統領が逝去されました。30年前、『荒れ野の40年』と題した戦後40周年の演説の中で、『過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる』と発言された有名な方です」と話された。

「今の日本は良心を麻痺させ、過去や現在に目を閉ざしているように見えます。私たちは平和の恵みに気付きながら、それを『誘惑』から守る力、そして『誘惑』に打ち勝つ力を、人との交わりの中で養わなければならないのです」。宮崎チャプレンの説教は示唆に富んでいた。現在、「昭和のテレビ中毒世代」は安倍晋三の「誘惑」に取り憑かれているが、私はその姿にマルティン・ニーメラー牧師がナチス独裁の恐怖を詠った詩を連想せずにはいられない。“ Vade retro satana!(退け、サタン) ”


チャペル内観(1918年竣工)
“ 「退けサタン」 主は叫ばれる・・・(聖歌130) ”

◆聖餐式で歌われた聖歌:
ミサ曲譜3(キリエ、サンクトゥス、アニュス・デイ)、入堂聖歌:129「四十日(よそか)経るまで」、続唱聖歌:130「霊に送られ」、奉献聖歌:131「荒野に送られ」、陪餐聖歌:261「神のみ子なる救いの主」、派遣聖歌:365「地にひれふして」。(番号は「日本聖公会聖歌集」による)
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顕現後第4主日の聖餐式

2015年02月07日 | 聖公会の礼拝
冬空に映える立教大学モリス館
(住所:東京都豊島区西池袋3-34-1)

先月末、元ドイツ大統領で敬虔なプロテスタント信者のヴァイツゼッカー氏が帰天された。94歳だった。永遠の安息を祈りたい。1985年、氏は戦後40周年の演説で「過去に対して眼を閉ざす者は、結局は現在に対しても盲目となります」との有名な言葉を発した。いま、極東には過去から何も学ぼうとせず、尊大な詭弁と大量の放射能汚染水を垂れ流す破廉恥な島国がある。安倍晋三や「昭和のテレビ中毒世代」にヴァイツゼッカー氏の警句を熟考するほどの知性は全くない。

2月1日(日)、立教大学チャペル(日本聖公会)で顕現後第4主日の聖餐式に参列した。午前10時、振り香炉と十字架を先頭に、司祭団が入堂。福音朗読は、汚れた霊に取りつかれた男がいやされる場面(マルコ1・21-28)。マーク・シュタール司祭(立教大学チャプレン)は、「イエスの宣教活動の始まりは、安息日の会堂からでした。そこでイエスは『教え・奇跡・いやし』という宣教の大事な3つのテーマを紹介された。しかし、これらは人間の『期待』とは全く異っています」と話された。

「会堂の人々はイエスが権威ある者と分かり、汚れた霊はイエスの命令に従った。ところで、今このチャペルに“New Face”が現れたらどうでしょう。おそらく、皆さんもカファルナウムの人々と同じ考えになるでしょう。私たちの『期待』と神様の『目的』の間には大きな隔たりがあるかもしれない。だから、顕現節はイエスの歩まれた道を通して、その隔たりを狭めることを見出す時期です」。シュタール司祭が言われた「人間の『期待』」は、「目先のご利益」と言い換えることができよう。


チャペル内観(1918年竣工)

◆聖餐式で歌われた聖歌:
ミサ曲1(キリエ、大栄光の歌、サンクトゥス、アニュス・デイ)、入堂聖歌:307「ほめたたえよ 王なる主を」、続唱聖歌:311「あまつみ使いよ イェスのみ名の」、奉献聖歌:314「みもとに集い 恵み受け」、陪餐聖歌:268「たたえよう 主のまつり」、派遣聖歌:463「主よ み言葉もて」。(番号は「日本聖公会聖歌集」による)

◆主な参考文献など:
・「過去の克服・二つの戦後」 ヴァイツゼッカー著、山本務訳(日本放送出版協会・1994年)
・「東京新聞」朝刊 (2015年2月1日付記事「ワイツゼッカー氏死去 戦争責任直視促す演説」)
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