三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

日本に生きるドン・タシナリ

2012年02月08日 | 雑記帳
サレジオ神学院、地下聖堂の扶助者聖マリア像
(住所:東京都調布市富士見町3-21-12)

1月27日、サレジオ会のタシナリ神父(Tassinari Clodoveo)が別府で帰天された。「丁度、82年前日本の地にいらした日と同じ1月27日。 3月9日、100歳になる間際で、日本全国のカトリック司祭の最年長者でした」(チマッティ資料館公式サイト)。チマッティ神父とともに、日本で宣教された最古参のサレジアンであった。その傍ら、切支丹研究にも取り組まれ、多くの貴重な業績を残された。タシナリ神父の永遠の安息をお祈り致します。Requiescat in Pace.

1912年、タシナリ神父はイタリアで生まれた。その足跡は、評伝「日本に生きるドン・タシナリ」に詳しい。戦前の厳しい時代を経て、戦後は孤児救済に奔走し、東京サレジオ学園を創立。チマッティ師の後を継ぎ、サレジオ会日本管区長も就任。多忙の中、タシナリ神父は切支丹や、碑文谷教会の記事で触れたシドッティ師の研究に励み、切支丹燈籠などの遺物も収集された。サレジオ神学院にあるキアラ神父の墓碑もその一つ。傍らの説明板を以下に転記する。

「沈黙」のモデル、キアラ神父。 イエズス会士ジュゼッペ・キアラは1602年シチリア島で生まれ、1643年鎖国中の日本に潜入し、捕らえられて江戸の切支丹屋敷に送られた。(中略)その墓は小石川無量院(現・伝通院)にあったが、戦時中焼失した後、雑司ヶ谷共同墓地に移された。1943年タシナリ神父が墓石を発見、許可を得て練馬の神学院に移し、1950年調布神学院に移動。遠藤周作『沈黙』のロドリゴのモデルとなったのは、このキアラ神父である。”


チマッティ資料館前のキアラ神父の墓碑
<司祭帽を戴く特徴的なもの。没年(貞享二年)の刻銘あり>

“ 私たちは日本人を愛するがゆえにキリスト教を伝える。
神の子は自由であり、自分の良心に従って、すべての行動ができます。 ”
タシナリ神父の言葉 (「日本に生きるドン・タシナリ」より)

◆主な参考文献など:
「日本に生きるドン・タシナリ」 阿部徹雄著(東京書籍・1984年)
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1 コメント

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ドンタシナリの著者の長男より (阿部力)
2020-07-20 08:14:33
わたしは亡父阿部徹雄(1914-2007)の足跡を1952年のマティス、ヴラマンクそしてフジタという写真文集とし、アマゾンでも売っています。タシナリ先生のことも載っています。ご興味あればアマゾンで調べてください。
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