三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

五旬祭後第20主日聖体礼儀

2014年10月27日 | 東方正教会
日本正教会 東京復活大聖堂教会
(住所:東京都千代田区神田駿河台4-1-3)

裏金疑惑の小渕優子、「うちわ」問題の松島みどり、ネオナチと「ねんごろな」稲田朋美と高市早苗。こんな連中が安倍晋三の言う「ニッポンの輝く女性」なのか。そういえば、醜悪なヘイトスピーチの徒党「在特会」と親密な山谷えり子の「活躍」も際立っている。彼女は「敬虔なカトリック信者」だが、御聖体を拝領したその口で、品性下劣な妄言を吐いている。もっとも、山谷は日本のカトリック教会を蝕む「あなたはもうすでに、救われている」宣言が虚構であることの「証し人」にはなっている。

10月26日(日)、正教会の東京復活大聖堂教会(通称ニコライ堂)で、五旬祭後第20主日の聖体礼儀に参祷した。午前10時、聖体礼儀の始まりを告げる鐘と共に、ダニイル府主教と司祭が厳かに入堂。この日はロシア正教会モスクワ教区の長司祭セルギイ神父も陪祷された。福音経の誦読は、「種を蒔く人」のたとえ(ルカ8・5-15)。大川満神父は、「種が蒔かれた所は私たち自身です。道端、石地、茨に変化する私たちは良い土地とは言えず、不安定な信仰の持ち主なのです」と話された。

「そんな私たちが救われるのは、世の罪を背負った救世主の無限の愛があったからこそ。救世主なくして、私たちは救いに与ることができません。その救いは人間によるものではなく、イイスス・ハリストスの福音によります。私たちハリスティアニン(クリスチャン)の国籍は天国であって、地上の国籍ではないのです」。大川神父が言われた「国籍」。地上のそれに執着する虚しさは、ニッポンの品性下劣な極右クリスチャンども(カトリック信者の山谷えり子、曽野綾子ら)が「証し人」になっている。


ニコライ堂境内に残る旧ニコライ学院。1996年閉校。
(1895年竣工。当初はニコライ堂の附属図書館だった)


旧ニコライ学院(旧図書館)の外観
<現在、正教の教えを学ぶ伝道会は、ここで開講中>

<付記>
今年5月の瞽者の主日聖体礼儀の記事でも触れたが、旧ニコライ学院の建物(上写真)は、かつてニコライ堂の図書館だった。ニコライ大主教の後継者となったセルギイ(チホミロフ)府主教(1871-1945年)の手記によれば、関東大震災時にニコライ堂を襲った火災は「想像を絶する熱気で、図書館の三階を見ると屋根から煙が上がっている。見る間に、屋根が一瞬にして燃え上がり、五分後には二メートルを越える炎が屋根を飲み込んでしまった」という。現在は1・2階部分が残っている。

◆主な参考文献など:
・「ニコライ堂遺聞」 長縄光男著(成文社・2007年)
コメント (6)
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聖霊降臨後第19主日の聖餐式(聖シプリアン祭)

2014年10月20日 | 聖公会の礼拝
日本聖公会 目白聖公会
(住所:東京都新宿区下落合3-19-4)

先月、私は目白聖公会(日本聖公会)から「大バザー『聖シプリアン祭』へのお誘い」という葉書をいただいた。「大バザー『聖シプリアン祭』は地元の皆様に愛され、毎年恒例の行事として定着しています。今年は収益金から社会福祉施設などのお役に立てるように奉献させていただきます。皆様のご協力によって、より多くの実りが与えられるよう願っております。どうぞ10時半の礼拝からご参加ください」。というわけで、私は神の御言葉と「掘り出し物」を求めて、いそいそと目白へ。

10月19日(日)、目白聖公会で聖霊降臨後第19主日の聖餐式に参列した。午前10時30分、聖餐式の開始を告げる鐘が鳴り、司祭とサーバー(侍者)が厳かに入堂。福音朗読は、「皇帝への税金」についての問答(マタイ22・15-22)。鈴木裕二司祭は「イエスが言われた『神のもの』とは、神にかたどって創造された人間です。私たちが神に似せて造られたということ、その『神のもの』であるというしるしが、私たちに刻まれているということ。それを忘れてはならないと思います」と話された。

「銀貨に皇帝の肖像が刻まれているように、私たちにも神のかたち、神に属するものであるというしるしが刻まれているのです」。鈴木司祭の説教は示唆に富んでいた。現代のニッポン人は「神のかたち」を忘れ、ただ「ニッポン人であること」に固執している。隣国や「朝日新聞」に罵詈雑言を浴びせても、精神的な救いは得られまい。さて、礼拝後は大バザーとなる。教会前は長蛇の列。目白という土地柄を反映して、セレブな出品が目立つ。「聖シプリアン祭」は、「ご縁日」のようであった。


目白聖公会の大バザー「聖シプリアン祭」の横断幕
<聖シプリアン(聖チプリアノ司教)は3世紀の殉教者>

◆聖餐式で歌われた聖歌:
ミサ曲は読誦。参入聖歌:311「天つみ使いよ イェスのみ名の」、昇階聖歌:413「思いやりの 心そなえ」、奉献聖歌:262「なが罪赦さる 安らに行けと」、陪餐聖歌:334「すべてのものを 造りたまいし」、派遣聖歌:303「わが心は 賛美に満ちる」。(番号は「日本聖公会聖歌集」による)

◆主な参考文献など:
・「ミサの前に読む聖人伝」 C・バリョヌェボ著(サンパウロ・1990年)
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聖霊降臨後第18主日の聖餐式

2014年10月13日 | 聖公会の礼拝
日本聖公会 聖アンデレ教会
(住所:東京都港区芝公園3-6-18)

台風19号が接近中の10月12日(日)、聖アンデレ教会(日本聖公会)で聖霊降臨後第18主日の聖餐式に参列した。午前7時30分、聖餐式の開始を告げる鐘が鳴り、司祭団が厳かに入堂。大畑喜道主教は主教冠を戴き、牧杖を手にされている。福音朗読は「婚宴」のたとえ(マタイ22・1-14)。笹森田鶴司祭は、「3週前からたとえ話が続き、主イエス様の権威とは何かが示されてきました。これらは『主イエス様こそ権威である』というマタイ福音書の信仰告白でもあります」と話された。

「今日のたとえ話は、主イエス様の権威に従うということは、私たちが共に喜ぶ者になることを示している。喜びもなく、ただ婚宴に集まるだけでは、礼服を着ていないに等しい。私たちは招待状をいただいた者として、神の喜びを自分の喜びとして生きていく。神の権威はそれを促しています」。笹森司祭の説教を聞き、カトリックの稲川圭三神父が「礼服を着ないのは、神様が共にいてくださる真実を認めないこと」と言われたのを思い出した(注)。私が喜んで礼服を着る日はいつだろうか。

礼拝後、地下鉄で本郷へ向かった。先月もお知らせした通り、私は東京大学で一般市民向けの公開講座を受講している。この日から会場は本郷キャンパスとなったので、私は講義の合間に大学周辺の教会巡りにも勤しんだ。東大を中心とした本郷界隈は、ちょっとした「教会銀座」の様相を呈しているが、今回は本郷郵便局の裏にある日本福音ルーテル本郷教会を訪問(下写真2)。木のぬくもりに包まれた礼拝堂のなかで、私は講義の疲れをいやしたのである。Danke Gott(神に感謝)!


重厚な造りの東京大学医学部2号館本館
(住所:東京都文京区本郷7-3-1)


東大正門付近の日本福音ルーテル本郷教会
(住所:東京都文京区本郷6-5-13)

<付記>
2011年10月9日、カトリック八王子教会における年間第28主日のミサ説教。今回の福音朗読箇所(マタイ22・1-14:「婚宴」のたとえ)については、正教会の市村直巳神父が昨年の五旬祭後第14主日の聖体礼儀で、「婚宴の礼服は洗礼着であり、ハリストス(キリスト)を着るとは、御言葉に従って生きること」と話されたのも強く印象に残っている。私は教派を越えて、同じ御言葉を味わう機会に恵まれた。

◆聖餐式で歌われた聖歌:
ミサ曲は読誦。入堂聖歌:270「み糧を受けて」、奉献聖歌:15「来る朝ごとに」、退堂聖歌:267「命の糧よ」。(番号は「日本聖公会聖歌集」による)
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聖霊降臨後第17主日の聖餐式(主教巡回)

2014年10月06日 | 聖公会の礼拝
秋空に映える立教大学モリス館
(住所:東京都豊島区西池袋3-34-1)

台風18号が接近中の10月5日(日)、立教大学チャペル(日本聖公会)で聖霊降臨後第17主日の聖餐式に参列した。この日は教区主教巡回日で大畑喜道主教が来られ、礼拝中に洗礼堅信式が行われた(洗礼堅信:2名、堅信:4名)。堅信は教区主教が執り行う聖奠(せいてん。秘跡)である。午前10時、振り香炉と行列用十字架を先頭に、司祭団が厳かに入堂。大畑主教は主教冠を戴き、牧杖を手にされている。福音朗読は、「ぶどう園と農夫」のたとえ(マタイ21・33-43)。

大畑主教は「農夫たちは主人の愛によって雇われ、良いぶどうが実るように任せられていたが、彼らはぶどう園を自分たちのものと思い込み、暴虐の限りを尽くしました。もし農夫たちが主人の恩を知っていたら、実ったぶどうは返さなければならないはずでした。私たちも神様によって生かされているという恩を忘れ、自分中心の生き方を送っていないでしょうか。ぶどう園を我がものとしたとき、私たちはその勘違いに対する神様の思いを考えなければなりません」と話された。

「本日は多くの学生が集まっています。『神様によって生かされている』と言われても、皆さんは自分の実力で大学生になったと思っているかもしれない。しかし、神様が皆さんに本当の生き方を知ることを願って、この立教という学び舎に招かれたからこそ、今ここに私たちは集まっているのです」。僅か一年で立教を中退した私には、大畑主教の説教が心に沁みた。この「ぶどう園」から逃走した過去が本当に悔やまれる。今、再びここにいるのは、神の不思議な計らいに違いない。


礼拝堂内観(1918年竣工)
“ 主の深き悩みこそ わが罪の宥めなれ・・・(聖歌251) ”

◆聖餐式で歌われた聖歌:
ミサ曲譜2(キリエ、大栄光の歌、サンクトゥス、アニュス・デイ)、入堂聖歌:389「主イェスよ われらの礎となり」、続唱聖歌:371「移りゆく世にも」、洗礼堅信式:282「罪に苦しむ叫びを聞いた」、奉献聖歌:251「カルバリの木にかかり」、陪餐アンセム(聖歌隊奉唱):「In Thee, O Lord(詩編31:主よ、御もとに身を寄せます)」(ウィールクス)、陪餐聖歌:370「み栄えのイェスの」、派遣聖歌:507「イェスは天なる栄えを捨てて」。(番号は「日本聖公会聖歌集」による)

◆主な参考文献など:
・「私たちと礼拝」 竹内淑子、竹内謙太郎共著(聖公会出版・2003年)
コメント (2)
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