三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

カトリック山手教会

2012年10月04日 | 神奈川のカトリック教会
カトリック山手教会(教会堂名:イエスのみ心)
創立:1862年 ◇ 住所:神奈川県横浜市中区山手44

JR根岸線の石川町駅で下車。小高い丘の上を目指して、急勾配の坂道を登る。横浜教区は坂の上の教会が多く、体力不足の私にはキツい。息切れをもよおしながら、ようやく尾根伝いの道路にたどり着いた。周辺はカトリック系の横浜雙葉、プロテスタント系のフェリス女学院など、学校施設が多い。間もなく、天を衝くような尖塔を戴く山手教会が見えてきた。ここは横浜教区の司教座聖堂で、150年前に日本再宣教の拠点となった歴史を継承している。

幕末の横浜開港によって、山下町の外国人居留地に天主堂が建てられた。これは鎖国が解かれてから最初の教会である。ここを拠点として、パリ外国宣教会が日本再宣教の使命を担った(注)。1906年、天主堂は山手へ移転し、1933年にチェコ出身のヤン・ヨセフ・スワガー(1885-1969年)設計による現在の聖堂を献堂(市認定歴史的建造物)。三廊式の美しい聖堂の左脇祭壇には、横浜天主堂時代の初代司祭を務めたジラール神父の遺骨が安置されている。

聖堂に接する庭園内に聖母像が佇んでいた。これは横浜天主堂時代の遺物で、1868年にフランスから贈られたもの。当初は天主堂の鐘楼に造られた壁龕(へきがん)の中に、ド・ロ神父(ド・ロさまそうめんなどの救貧活動で知られる)自らこれを設置した。まさしく、この聖母像は「浦上信徒発見」のプティジャン司教、そして八王子小田原に旅立つテストヴィド神父を見守っていたのである。私も巡礼のお恵みに感謝し、「天使祝詞」の祈りを古い文語体で捧げた。


現聖堂献堂:1933年


カトリック山手教会の聖母像

(注):明治初期、パリ外国宣教会の尽力によって献堂された教会は多い。都内では、東京カテドラル築地教会神田教会八王子教会本所教会麻布教会など。

◆主な参考文献など:
・「カトリック生活(特集:横浜発・日本再宣教150周年)」2012年8月号 (ドン・ボスコ社・2012年)
・「横浜教区設立50周年記念誌」 横浜教区設立50周年記念誌編集委員会編(カトリック横浜司教区・1988年)

<付記>
今回の山手教会巡礼によって、私は神奈川県内すべてのカトリック教会を訪ね終えました(聖堂再建中の横浜・末吉町教会を除く)。今月は「埼玉のカトリック教会巡り」を不定期連載する予定です。
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カトリック磯子教会

2012年09月30日 | 神奈川のカトリック教会
カトリック磯子教会(教会堂名:聖ペトロ)
創立:1957年 ◇ 住所:神奈川県磯子区磯子3-8-14

JR根岸線の磯子駅で下車。産業道路を跨ぐ歩道橋を渡る。京浜工業地帯の煙突が林立しているのが見えた。東京湾に臨む磯子は、かつて潮干狩りができたという。高度成長期に埋め立てが進み、JR磯子駅が開業したのも1964年と比較的新しい。さて、磯子教会を目指して、国道16号(横須賀街道)を歩く。左側は丘陵地帯が続いている。往時は海の波が山裾を洗っていたのだろう。磯子教会に到着。国道16号の喧騒を忘れるような落ち着いた環境である。

磯子教会の沿革についておさらいしよう。「カトリック磯子教会は1957年3月28日に設立された教会で、聖パウロに捧げられています。以前ここは立派な屋敷と美しい庭園があり、造園当時はすぐ近くまで海だったので、数百種類の庭木や大きな石、灯篭などを、船で運んだそうです。庭に今も残る2部屋の和室が初代聖堂でした。(中略)カトリック磯子教会は、立派な和室ときれいな庭を持つ自然環境に恵まれた教会です」(磯子教会案内書より抜粋)。

敷地内に入ると、両手を広げた「復活のキリスト像」がお出迎え。台座には「聖霊に息吹かれ、共に新たな歩みを」と刻まれている。さらに、聖堂正面の右側には「ファティマの聖母像」が佇んでいた。こちらの御像は1957年の献堂以来、半世紀以上も訪れる人を見守っている。教会の敷地内は日本家屋や灯篭もあり、古いお屋敷の面影が残っている。聖堂内外でいやされる空間だ。さて、私は再びJR磯子駅へ。次は山手教会(横浜教区司教座聖堂)を訪ねよう。


現聖堂献堂:1978年

◆主な参考文献など:
・「横浜教区設立50周年記念誌」 横浜教区設立50周年記念誌編集委員会編(カトリック横浜司教区・1988年)
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カトリック鍛冶ヶ谷教会

2012年09月20日 | 神奈川のカトリック教会
カトリック鍛冶ヶ谷教会(教会堂名:聖ジェラルド・マイエラ)
創立:1974年? ◇ 住所:神奈川県横浜市栄区柏陽16-1

JR大船駅で根岸線に乗り換え、本郷台駅で下車。駅前は広々としており、郊外のような雰囲気だ。鍛冶ヶ谷教会を目指して歩く。左は昭和の古い団地が並び、右は県立柏陽高等学校の校舎が建っている。学生時代の知人がここの卒業生だったことを思い出す。ちょうど春休み中だったので、校庭から部活動に励む声や吹奏楽の調べが聞こえてきた。それにしても、古い団地と校舎のコントラスト。初めて訪れた土地なのに、懐かしい雰囲気が漂う。

鍛冶ヶ谷教会に着いた。ここはカトリック系の幼稚園(鍛冶ヶ谷カトリック幼稚園)を併設しており、イエスのカリタス修道女会が運営している。ちょうど春休み中だったので、扶助者聖母が見守る園舎と園庭はひっそりとしていた。1958年に創立されたこの幼稚園に信徒が集まり始め、1974年には旧聖堂が献堂されたという(鍛冶ヶ谷教会公式サイトによる)。誰もいない聖堂で、独り静かに念祷を捧げた。部活動に励む声や吹奏楽の調べが聞こえてくる。

教会堂名の聖ジェラルド・マイエラ(1726-1755年)はレデンプトール会の修道士。子どもの頃、幼きイエズス像からパンを拝領したという体験を持つ。レデンプトール会に入会し、修道院の門番を務めながら、「貧しい人は目に見えるキリスト」と考え、これらの人々に救いの手を差しのべた。創立時の鍛冶ヶ谷教会はレデンプトール会が司牧していたので、守護聖人としてジェラルドが選ばれたのだろう。さて、私は再びJR本郷台駅へ。次は磯子教会を訪ねよう。


現聖堂献堂:1995年

◆主な参考文献など:
・「教会の聖人たち 下巻」 池田敏雄著(サンパウロ・2000年3版)

<付記>
今回より「JR根岸沿線のカトリック教会巡り」を不定期連載いたします。鍛冶ヶ谷教会から、磯子教会を経て、石川町の山手教会(横浜教区司教座聖堂)までを訪ねます。
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カトリック港南教会

2012年08月23日 | 神奈川のカトリック教会
カトリック港南教会(教会堂名:聖フランシスコ・ザビエル)
創立:1973年 ◇ 住所:神奈川県横浜市港南区上永谷1-8-10

横浜市営地下鉄(ブルーライン)の上永谷駅で下車。地下鉄なのに、ここは地上駅である。その周辺はマンションが建ち、車線が広い国道22号が通り、横浜横須賀道路(国道16号の有料道路)が立体交差して、近未来都市のようだ。さて、港南教会の沿革をおさらいしよう。1973年、「横浜市南区上永谷(現・港南区)に中区・末吉町教会の分教会として、港南教会が設立され、荒井(勝三郎)司教によって祝別された」(「横浜教区設立50周年記念誌」より)。

閑静な住宅街の坂道を登って、港南教会に到着。ここは丘陵の中腹にあり、国道22号の喧騒も聞こえてこない。私が訪れた日は枝の主日に当たり、祭壇前に棕梠(ソテツ)の葉が飾られていた。聖母像を囲む装飾も目を引く。教会堂名の聖フランシスコ・ザビエル(1506-1552年)について、私の乏しい知識を総動員しての説明は不要と思う。日本に初めてキリスト教を伝えた聖人として名高い。東京の神田教会には、ザビエルの聖遺骨が安置されている。

イエズス会を創立した聖イグナチオに誘われてから、ザビエルがその「同志」となるには、数年間の逡巡を要したという。イグナチオの自叙伝『ある巡礼者の物語』によれば、ついにザビエルは「霊操を通じて、神の奉仕に献身するようになった」と記されている。そして、ザビエルはカトリック信徒だった私の祖父の霊名であった。さて、今回の港南教会の巡礼によって、私は横浜市営地下鉄沿線の旅を終えた。来月はJR根岸沿線のカトリック教会を訪ねよう。


現聖堂献堂:1973年?

◆主な参考文献など:
・「ある巡礼者の物語」 イグナチオ・デ・ロヨラ著、門脇佳吉訳(岩波文庫・2000年)
・「横浜教区設立50周年記念誌」 横浜教区設立50周年記念誌編集委員会編(カトリック横浜司教区・1988年)
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カトリック原宿教会

2012年08月09日 | 神奈川のカトリック教会
カトリック原宿教会(教会堂名なし)
創立:?年 ◇ 住所:神奈川県横浜市戸塚区原宿町4-35-1

横浜市営地下鉄(ブルーライン)の戸塚駅で降り、藤沢駅北口行きの神奈中バスに乗る。東海道(国道1号線)を走ること約20数分、聖母の園前停留所で下車(バス停に「聖母」の名が付いているので、ちょっと感激)。国道1号線から少し歩くと、「聖母の園」の正門が見えてきた。その先には白亜の聖堂が建っている。広い園内は、自然公園に匹敵するような環境である。「マリアのみ前に 千草みだれて・・・」(カトリック聖歌351)、まさしく「聖母の園」だ。

1937年、マリアの宣教者フランシスコ修道会が戸塚にシスター養成の修道院を開いた。現在、「聖母の園と呼ばれる修道院の広大な敷地には、第一修道院、第二修道院(研修・黙想の家)、修錬院、保育園、さらに『聖母の園老人ホーム』、『聖母の園クリニック』があり、正に『緑の園』といってよく、祈り、黙想、或いは憩いの場所として使われております」(藤沢教会サイトより)。園内には、アシジの聖フランシスコ像やルルドなどもあり、別天地のようである。

原宿教会は「マリアの宣教者フランシスコ修道会戸塚修道院の聖堂を借用しております。修道院は戦後、疎開先である清瀬よりこの土地に帰ると間もなく付近住民への宣教活動も行い、1947年には最初の洗礼式が行われました。1972年には戸塚教会の巡回教会となりました」(前同)。私が訪れた日は枝の主日に当たり、祭壇前に棕梠(ソテツ)の葉が飾られていた。厳かで美しい聖堂である。さて、私は再び戸塚駅へ。次は上永谷の港南教会を訪ねよう。


現聖堂献堂:?年


<初夏。「聖母の園」のルルドにて>

◆主な参考文献など:
「横浜教区設立50周年記念誌」 横浜教区設立50周年記念誌編集委員会編(カトリック横浜司教区・1988年)
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