三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

聖金曜日(主の受難)の祭儀

2013年03月30日 | ミサ聖祭
聖金曜日を迎えたカトリック立川教会
(住所:東京都立川市錦町2-8-10)

3月29日(金)、立川教会で聖金曜日の祭儀に参列した。この日、教会は「ミサ」を捧げず、イエスの死を思う「祭儀」が行われ、それは第一部「ことばの典礼」、第二部「十字架の崇敬」、第三部「交わりの儀(聖体拝領)」という構成。聖堂に入ると、告解室の扉が開かれ、そこに既聖別の御聖体が安置されていた。私は昨年の備忘録を思い出しつつ、祭儀の始まりを待った。午後7時、司祭が沈黙のうちに入堂。チェレスティーノ・カヴァニャ神父は祭壇の前で跪かれた。

第一部「ことばの典礼」では、ヨハネによる主イエス・キリストの受難が朗読された(ヨハネ18・1~19・42)。この日は説教の代わりに十字架の犠牲への黙想となった。私にとって大切な十字架の木。それはカトリック信徒だった祖父の遺品だ(下写真)。木製の十字架はパレスチナ地方産という。現在、私の部屋の壁を飾っているが、もちろん「インテリア」の一品ではない。「 Ecce lignum crucis, in quo salus mundi pependit(見よ、世の救いの懸けられし十字架の木を)」。

教皇フランシスコは受難の主日に、「皆様はキリストの十字架を恥じてはなりません。むしろ十字架を受け入れなければなりません」と説かれた(カトリック中央協議会訳)。そして、十字架の聖ヨハネの言葉。「十字架に釘づけられたキリストだけで満足するがよい。かれとともに苦しみもし、いこいもすること。そして、そのために、内的外的のすべてにおいて、自分を無とすること」・・・。神に救いと赦しを求めながら、私はその源泉が十字架そのものにあることを忘れている。


祖父の遺品の十字架
(縦25.5cm×横13.0cm)

◆祭儀中の主な歌:
十字架の崇敬:典礼聖歌332「十字架賛歌(1)クルーチェム・トゥアム」、典礼聖歌336「十字架賛歌(2)クルス・フィデリース」、拝領:典礼聖歌82「神を敬う人の死は」。

◆主な参考文献など:
・「十字架の聖ヨハネ 小品集」 東京女子跣足カルメル会訳(ドン・ボスコ社・1991年)
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復活前主日(棕櫚の主日)の聖餐式

2013年03月27日 | 聖公会の礼拝
ある晴れた日の立教大学モリス館
(住所:東京都豊島区西池袋3-34-1)

3月24日(日)、立教大学チャペル(日本聖公会)で復活前主日の聖餐式に参列した。午前10時、振り香炉と行列用十字架を先頭に、司祭団が厳かに入堂。この日は主のエルサレム入城を記念し、棕櫚の行進が行われた。十字架捧持のアコライト(侍者)に続き、会衆は礼拝堂内を行進しながら、「ユダのわらべの」を歌った。これはテシュナー作曲の名コラールで、バッハも「ヨハネ受難曲」に採り入れている(注1)。聖歌の調べと渦巻く会衆。礼拝堂は壮観な光景となった。

ページェント形式の受難朗読の後、市原信太郎司祭(立教池袋中学・高校チャプレン)は「聖週間とは死と命の記念であり、Passion(受難)からPassage(過越)とする見方もあります。それらを経験することが聖週間なのです」と話された。また、この日は聖歌隊の大学4年生にとって、学生時代最後の礼拝奉仕だった。陪餐時に奉唱されたウィリアム・バード(注2)作曲「アヴェ・ヴェルム・コルプス」の歌声が素晴らしかった。ご卒業おめでとうございます。幸多かれと祈ります。

礼拝後、この日もキャンパスを散策した。構内の桜が満開を迎えようとしている。その西外れに南北を結ぶ小路があり、以前はそこに合格発表の掲示板が設置された。当時、私は何となく受かるだろうとは思っていたが、やはり自分の番号を見つけた時は嬉しかった。この小路沿いに校宅と呼ばれた古い洋館や宣教師館が数棟あったのも思い出す。現在、これらの建物は全て取り壊されたので、あの不思議な空気が漂っていた風景は一変した。もはや、「過ぎ去りし夢」である。


立教学院諸聖徒礼拝堂
(聖歌隊が歌う2階席の楽廊を望む)

(注1):Melchior Teshner(1584-1635年)。テシュナーの旋律は、バッハの「ヨハネ受難曲」(BWV245)第26曲のコラール「In meines Herzens Grunde(我が心の奥底に)」に登場。
(注2):William Byrd(1543?-1623年)。英国ルネサンス期の作曲家。バードと言えば、元吹奏楽部員の私は「戦いの組曲」が思い浮かぶ。フィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブルの名盤が懐かしい。

◆聖餐式で歌われた聖歌:
ミサ曲譜3-a(サンクトゥス、アニュス・デイ)、入堂聖歌:136「わが主は静かに」、行進聖歌:137「ユダのわらべの」、続唱聖歌:152「十字架のみ座(くら)」、奉献聖歌:145「血しおしたたる」、陪餐アンセム:147「裏切り者おまえは」(聖歌隊奉唱)、派遣聖歌:141「茨の冠」。(番号は「日本聖公会聖歌集」による)

◆主な参考文献・CDなど:
・「聖歌のしらべ 古今聖歌集作曲者略解」 佐藤裕著(聖公会出版・1987年)
・CD「バッハ:ヨハネ受難曲」 ガーディナー指揮/モンテヴェルディ合唱団ほか(Archiv:POCA-2522/3)
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受難の主日(枝の主日)のミサ

2013年03月25日 | ミサ聖祭
カトリック三軒茶屋教会の聖ヨセフ像
(住所:東京都世田谷区三軒茶屋2-51-32)

3月19日、聖ヨセフの祭日に教皇フランシスコ聖下の「着座式ミサ」がバチカンのサン・ピエトロ広場で執り行われた。バチカン放送局の動画を通して、私もその喜びのおすそ分けに与ることができた。当日は約20万人もの大群衆が詰めかけたという。教皇様は白いパパモビル(ジープのような教皇専用車)で登場。驚いたことに、防弾ガラスの無いオープンカー仕様だった。永田町の安全で快適な場所に引きこもり、「テロには屈しない」と喚き散らす安倍一派が滑稽に見える。

教皇様は説教で、「聖ヨセフ、アシジの聖フランシスコに倣い、被造物(特に弱者と自然環境)の守護者となりましょう」と話された。その後、教皇様がクレドの受肉の神秘の箇所(注)でお辞儀をされていた姿も印象に残った。そして、私が最も驚いたのは、東方正教会のコンスタンティノープル総主教ヴァルソロメオス1世が参列されたこと。1054年の大シスマ(東西教会の分裂)以来、初めて正教会の全地総主教がローマの着座式に臨席されたのだ。まさに、歴史的瞬間と言えよう。

その感激が冷めやらぬ3月24日(日)、東京カテドラル関口教会で受難の主日のミサに与った。聖公会の聖アンデレ教会(主教座聖堂)に比べると、さすがにカテドラルは大きい。午前8時、ミサ開祭。受難朗読(ルカ23・1-49)の後、山本量太郎神父は「今日は老いも若きもイエスを歓迎する日。その賛美の歌が響く枝の主日でありますように」と話された。さて、この日から聖週間が始まった。私は聖なる過越の三日間のうち、聖木曜日のミサ参列が難しくなってきたようである。


東京カテドラル聖マリア大聖堂
(住所:東京都文京区関口3-16-15)

(注)大斎節第2主日の記事でも触れたが、『ローマ・ミサ典礼書の総則(暫定版)』275項によれば、ニケア・コンスタンチノープル信条の受肉の神秘が唱えられる箇所では「深く頭を下げる」とある。バチカン放送局の動画の中で、教皇様は「 Et incarnatus est de Spiritu Sancto ex Maria virgine, et homo factus est...(聖霊によって、おとめマリアよりからだを受け)」の間、ずっとお辞儀をされていた。

◆この日のミサ中の主な歌:
この日は『典礼聖歌』ではなく、全て『カトリック典礼聖歌集』から選曲された(奉納の歌を除く)。だが、会衆の大半は(全くと言ってよいほど)歌っておらず、ほとんど聖歌隊員による「バリトン独唱会」の様相を呈していた。『典礼聖歌』でも痛感することだが、会衆が歌おうとしない(又は歌えない)聖歌とは何だろうか。このような光景をミサ聖祭で目にする度に、そして日本のカトリック教会の聖歌が特定少数の現代邦人作曲家に集中していることに、私は心から残念に思っている。

◆主な参考文献など:
・「キリスト教の2000年」 ミシェル・クリスチャン著(オリエンス宗教研究所・2008年)
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聖アンデレ教会(日本聖公会)

2013年03月21日 | 聖公会の教会
日本聖公会 聖アンデレ教会
(住所:東京都港区芝公園3-6-18)

3月17日(日)、聖アンデレ教会(日本聖公会)で大斎節第5主日の聖餐式に参列した。この教会の歴史は古く、「英国からの宣教師アレクサンダー・クロフト・ショウ(注)福沢諭吉の援助を受け、1879年6月4日、この地に聖堂を完成させて日本語による最初の礼拝を行いました」(教会リーフレットより)。ここは日本聖公会東京教区の主教座聖堂でもある。とはいえ、東京カテドラルと比較するのは少し酷かもしれない。もしかすると、カトリック藤が丘教会サイズかもしれない。

午前10時30分、振り香炉と行列用十字架を先頭に、司祭団が厳かに入堂。大畑喜道主教は主教冠を戴き、牧杖を手にされている。福音朗読は、イエスのたとえ話「ぶどう園と農夫」(ルカ20・9-19)。笹森田鶴司祭は、「大斎節の後半を過ごす私たちは、主イエス様が暴力の中に自ら身を委ねることを覚える週に入ろうとしています。しかし、その先に復活という希望につながる物語が用意されているのです」と話された。ちなみに、笹森司祭は東京教区初の女性牧師である。

平和の挨拶では多くの会衆と握手し合うのが「お約束」のようだ。私はおばあちゃんや小学生の男の子、そして大畑主教から握手を求められた。陪餐では笹森司祭から心のこもった祝福も授かった。なお、未信者が祝福を受ける時は、両手を胸の前で交差させた姿勢を取る(フラ・アンジェリコの名画「受胎告知」の聖母のようなポーズ)。それにしても、ここは主教座とは思えないほど、家族的な雰囲気の教会だった。聖歌の調べと共に、私は多くの喜びに満たされたのである。


聖堂内観(1996年竣工)


聖アンデレ教会(左)と聖オルバン教会(右)

(注):Alexander Croft Shaw(1846-1902年)。英国聖公会宣教師。軽井沢開発の祖として知られる。

◆聖餐式で歌われた聖歌:
ミサ曲(キリエ、サンクトゥス、アニュス・デイ)、入堂聖歌:392「神のみ住まいの」、昇階聖歌:325「み手の中で」、奉献聖歌:391「いともとうとき」、陪餐聖歌:459「どこに神はおられるか」、退堂聖歌:462「飼い主わが主よ」。(番号は「日本聖公会聖歌集」による)

<付記>
聖アンデレ教会の隣りに、聖オルバン教会がある(上写真)。ここも日本聖公会東京教区に属しているが、「礼拝の全てを英語で行っている教会」で、主に在日外国人のアングリカン(聖公会信徒)が集う。木造の素朴な礼拝堂の設計は、カトリック目黒教会聖堂などを手がけたアントニン・レーモンド。
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四旬節第5主日のミサ

2013年03月19日 | ミサ聖祭
四旬節第5主日を迎えた聖イグナチオ教会
(住所:東京都千代田区麹町6-5-1)

アベノミクス(公共事業費のバラマキ)に浮かれるニッポンとは対照的に、海外のメディアは安倍晋三への嫌悪感を隠そうとしない。米国の「タイム」誌や「ニューヨーク・タイムズ」に続き、英国の「エコノミスト」誌も安倍の極右的な妄想に懸念を示した。だが、ニッポンのメディアは安倍を批判しない。それどころか、朝日や日経などは「TPP守護神」のように褒め称えている。テレビと新聞を信じて疑わないニッポン人が、安倍に心酔するのは当然だ。この国はどうしようもない。

3月17日(日)、聖イグナチオ教会で四旬節第5主日のミサに与った。JR四ツ谷駅を出ると、ソフィア通り沿いの土手の桜がほころび始めていた。来週は満開になるだろう。午前8時30分、ミサ開祭。福音朗読は、イエスが姦通の女を赦された場面(ヨハネ8・1-11)。司式の佐々木良晴神父は、「今日の福音は聖書の中でも感動的な場面の一つです。私たちも今までイエス様から赦され、救われてきたのです。そのことを心に留めながら、四旬節は回心して祈りましょう」と話された。

奉献文では「わたしたちの教父フランシスコ」と新教皇の名前が読まれた。教皇様はコンクラーヴェ閉会のミサ説教で原稿に頼らず、しかも難しいラテン語を用いず、平易なイタリア語で話されたという。バチカン放送局の動画を見ると、教皇様が苦難にあえぐ人々に福音を知らせたいとの情熱が伝わってくるようだった。この説教全文はカトリック中央協議会の公式サイトで閲覧可能である。それにしても、システィーナ礼拝堂の厳かな典礼と気高い調べの聖歌・・・。ため息が出た。


2012年春、桜に囲まれた聖イグナチオ教会の十字架

◆この日のミサ中の主な歌:
ミサ曲4(典礼聖歌215-217)、入祭:典礼聖歌64「神はわたしを救われる」、奉納:典礼聖歌387「神はキリストのうちに」、拝領:聖歌隊奉唱、閉祭:「新しい人になるように」。
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