三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

池袋聖公会(日本聖公会)

2013年09月30日 | 聖公会の教会
日本聖公会 池袋聖公会
(住所:東京都豊島区西池袋5-24-5)

9月22日(日)、池袋聖公会(日本聖公会)で聖霊降臨後第18主日の聖餐式に参列した。「1925年、関東大震災直後の失意の内にある池袋の町に希望の光となるべく建てられたのが今日の池袋聖公会です。一人の医師、諏訪幹雄兄と薬剤師、松林清次兄と共に、初代牧師、村尾昇一師(後に主教)を助け、医療と伝道の拠点として、活動を始められました。診療は献金制度として行われ、この献身的な奉仕が伝道となり、ここに集う人々は次第に増えていきました」(池袋聖公会HPより)。

1912年(大正元年)、聖公会は西池袋に新天地を求め、まず聖公会神学院が、次に立教大学が移転してきた(第二次大戦後、神学院は世田谷へ移転)。だから、この辺りは現在も聖公会の「教会銀座」となっている。池袋駅から立教通りを歩くと、立教大学池袋キャンパス内に立教学院諸聖徒礼拝堂。そのお隣りの立教小学校内に立教学院諸天使礼拝堂。そして、そこから徒歩数分圏内にあるのが、この日訪れた池袋聖公会だ(さらに、池袋界隈のご近所には目白聖公会がある)。

午前10時30分、聖餐式の始まりを告げる鐘が鳴り、司祭とアコライトが入堂。リードオルガンの懐かしい音色に合わせて、参入聖歌を歌う。この日の司式は立教大学チャプレンのマーク・シュタール司祭だった。福音朗読は「不正な管理人」のたとえ話(ルカ16・1-13)。シュタール司祭は「本当の主人は神であり、私たちは富に仕えることはできません。なぜなら、国と力と栄光は世々に限りなく、主のものだからです」と話された。この日の会衆は約30人ほど。家庭的な雰囲気が漂う教会だった。


聖堂内観(1991年竣工)

◆聖餐式で歌われた聖歌:
ミサ曲(キリエ、大栄光の歌、サンクトゥス、アニュス・デイ)、参入聖歌:420「恵みのみ神よ」、昇階聖歌:551「見よ主は救い」、奉献聖歌:310「たたえの調べを」、陪餐聖歌:256「地に来たまいし神」、退堂聖歌:491「あめなる喜び」。(番号は「日本聖公会聖歌集」による)

◆主な参考文献など:
・「聖公会神学院100年記念誌」 聖公会神学院史編纂委員会編(聖公会神学院・2011年)
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晴佐久昌英神父に抗う

2013年09月27日 | 東京のカトリック教会
カトリック多摩教会の聖母子像
(住所:東京都多摩市聖ヶ丘1-30-2)

カトリック多摩教会主任司祭・晴佐久昌英神父。「あなたは救われている。神に愛されている」と宣言し、教派を超えて「カリスマ神父」と仰がれている。だが、その過熱気味の「福音宣言」を懸念する声が『カトリック新聞』(2013年7月21日付)に掲載された。「イエスの厳しい言葉を重く受け止めない“万人救済説”は、聖書や教会の教えから逸れてはいないか。このような考え方が日本の教会で人気を博していることに衝撃を受けた」。投稿主は80代の著名な外国人司祭だった。

その晴佐久神父の五輪招致をめぐる発言。「2020年、東京オリンピックです。ついに決定です。まあ、『もっとやるべきことあるだろう』とか文句言う人もいるけれども、そういう人は、じゃあ、その『もっとやるべきこと』をやってるんですかね。私は、やるべきこともやり、さらにお祭りも素直に喜びたい」(晴佐久神父説教ブログ『福音の村』2013年9月8日付)。私は安倍晋三の恥知らずな大嘘が招いた「お祭り」を素直に喜べない。未だに原発事故と汚染水は極めて深刻な状況である。

晴佐久神父によれば、私は「『もっとやるべきことあるだろう』とか文句言う人」の一人であろう。だが、「もっとやるべきこと」につき、私は9月18日付『東京新聞』に寄せられた一女子高生の投書に共感する。「被災地の復興や原発事故の収束が全く見えない状況で、『東京は安全』という理由で五輪を推し進めた人たちは被災者を差別し、その悲痛な叫びを無視している。五輪以前に日本にはやることがたくさんあるはず」。この女子高生も「文句言う人」と非難されるのだろうか。

晴佐久神父のような「目に見える被災地支援」ができない私は、「『もっとやるべきこと』をやってるんですかね」と詰問されたら、黙ってうなだれるしかない。だが、無力な者の「やるべきこと」、それは「祈り」である。しかも、私たちは「祈り」の奇跡を体験したばかりだ。教皇フランシスコがシリアの平和のために「断食と祈り」を呼びかけられてから、世界は軍事介入を回避する動きとなった。晴佐久神父のように「私はやるべきことをやる」と豪語しなくても、静かに祈り続けている人は多いはずだ。<続く>


夕映えのカトリック多摩教会

<付記>
9月25日付『東京新聞』に「五輪開催を素直に喜べない」という一女子中学生の投書が掲載された。「政府は、もう被災地や原発事故のことなど考えていないのではないか。五輪施設を建設する前に、まずは被災地の人々を救ってほしい。私たちだけこんなに浮かれっぱなしで良いのか」。前述の女子高生と共に、こうした若い人たちこそ(たとえクリスチャンでなくても)「地の塩、世の光」であると思う。
コメント (13)
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生神女誕生祭の徹夜祷

2013年09月25日 | 東方正教会
日本正教会 東京復活大聖堂教会
(住所:東京都千代田区神田駿河台4-1-3)

9月20日(金)、正教会の東京復活大聖堂教会(通称ニコライ堂)で、生神女(しょうしんじょ)誕生祭の徹夜祷に参祷した。主日や祭日の前夜に行われる徹夜祷(晩祷)とは、時課の晩課・早課・一時課を組み合わせ、翌日の聖体礼儀に備える奉神礼のこと。「生神女誕生祭」は正教会の12大祭の一つで、ユリウス暦に基づく毎年9月21日に、「『救い』を与えるイイスス・ハリストス(イエス・キリスト)を生むマリヤの誕生を、正教会は救いの始まりとしてお祝いします」(『生神女マリヤさま』より)。

正教会も生神女マリヤに「執り成し」を祈る(これを「転達」という)。「その転達の力は偉大です。マリヤさまは、私たちの最高の模範として、神を信じ、神の言葉を受け入れ、愛に生き、人のために祈り続けておられるのです」(前掲書)。これを「生神女庇護」といいい、正教会の神学者ロースキィの言葉を借りれば、「彼女によって永遠に属する善が按配されるのである。従って彼女によってこそ天使も人間も恩恵を授かる」と表現されようか。正教会は毎年10月14日を「生神女庇護祭」として祝う。

午後6時、徹夜祷の始まりを告げる鐘と共に、ダニイル府主教と司祭が入堂。蝋燭の灯りだけが輝く聖堂内の最奥に、「印(しるし)の生神女」のイコンが幻想的に浮かび上がっている。この日は大祭の徹夜祷のため、リティヤという特別な祈祷が行われた。これは聖所中央の祭台に載せられた五餅(5つのパン)や葡萄酒などを司祭が祝福し、「大祭のよろこびを直接信徒たちと共にわかちあう」のである。まさに生神女マリヤ誕生祭のイヴだった。なお、この日の徹夜祷の所要時間は約130分。


灯りが洩れる大聖堂入口
“ 生神童貞女や、爾の生まれは全世界に喜びを知らせたり ”

<付記>
日本正教会発行の子供向け教材『生神女マリヤさま』より。「正教会がマリヤさまを『生神女』という時、それは、神さまが人となったという『藉身(せきしん。受肉の神秘のこと)』の事実を明らかに宣言しているのです。このように、正教会において、マリヤさまは必ずイイスス・ハリストスとの関連の中にいます。マリヤさまを単独でハリストスと切り離して考えることはありません。だから、単に『聖母』ではなく『生神女』という言い方が大切にされているのです」。

◆主な参考文献など:
・「ギリシア正教入門」 高井寿雄著(教文館・1980年改版)
・「生神女マリヤさま」 (日本ハリストス正教会教団 全国宣教委員会・2012年)
・「キリスト教東方の神秘思想」 ウラジーミル・ロースキィ著、宮本久雄訳(勁草書房・1986年)
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八王子復活教会(日本聖公会)

2013年09月21日 | 聖公会の教会
日本聖公会 八王子復活教会
(住所:東京都八王子市新町1-11)

9月15日(日)、八王子復活教会(日本聖公会)で聖霊降臨後第17主日の聖餐式に参列した。ここも多摩の古教会(注)の一つで、「1895年、八王子講義所として伝道が開始されました。1897年、八王子の大火により講義所も焼失。1908年、川上親麿伝道師が八王子に定住し、再び八王子講義所が開設されました。5月7日、川上伝道師により初めての礼拝が行われたことから、この日が当教会の創立記念日になり、2008年に創立百周年を迎えました」(教会案内書より)。

また、「同じ敷地にある聖公会八王子幼稚園は、1912年、当時の牧師ウォーク長老夫人によって、八王子最初の幼稚園として開園されました」(前掲書)。1930年、このアングリカンの幼稚園を意識して、カトリック八王子教会のメイラン神父が本町幼稚園を創立しことは想像に難くない。米国人宣教師ウォークが長老の在任中(1910-14年)、八王子復活教会は五日市(現あきるの市)でも宣教を始め、付属の五日市講義所が開設された。教壇と20脚のベンチがあったという。

午前10時30分、行列用十字架を先頭に司祭が入堂。この日は台風18号の影響で、外は雨が強く降っていた。福音朗読は「見失った羊」のたとえ話(ルカ15・1-10)。須賀義和司祭は「神様は私たちを探して、その罪を赦すことを願っておられる。見失った羊が戻った時、それは神様にとって大きな喜びです」と話された。礼拝後、私は須賀司祭から記念のカードをいただいた。そこには、次のような聖書の言葉があった。「 The LORD bless you and keep you.(民数6・24)」。神に感謝。


聖堂内観(2004年竣工)


聖堂外観

(注):多摩地域で百年以上の歴史を有する教会は次の通り(カッコ内の数字は創立年)。カトリック泉町教会(1877年)、カトリック八王子教会(1877年)、日本聖公会・聖マルコ教会(1885年)、日本聖公会・八王子復活教会(1908年)、日本基督教団・青梅教会(1888年)、日本基督教団・八王子教会(1905年)、日本基督教団・原町田教会(1910年)。

◆聖餐式で歌われた聖歌:
ミサ曲(キリエ、大栄光の歌、サンクトゥス、アニュス・デイ)、参入聖歌:462「飼い主わが主よ」、昇階聖歌:538「迷える小羊」、奉献聖歌:373「九十九の羊は」、陪餐聖歌:257「血しおを流し」、退堂聖歌:468「愛のみ誓いの」。(番号は「日本聖公会聖歌集」による)

◆主な参考文献など:
・「明治期 多摩のキリスト教」 沼謙吉著(法政大学多摩地域社会研究センター・2000年)
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年間第24主日のミサ

2013年09月17日 | ミサ聖祭
ある晴れた日のカトリック八王子教会
(住所:東京都八王子市本町16-3)

「福島から250キロも離れているから安心・安全」な東京五輪が決定した。メディアは半狂乱になって、「ニッポンを元気に!」「被災地に勇気を!」と絶叫している。増長したニッポンは死刑執行を再開し、消費税率を引き上げ、さらに嫌韓デモが復活した。「汚染水は完全にブロック」の妄言を受け入れたIOCの責任も重く、私のスポーツに対する嫌悪は増すばかりだ。結局、今回の五輪は“ Pour oublier Fukushima(福島を忘れるため) ”という仏紙「ル・モンド」の批判が正鵠を得ている。

9月15日(日)、カトリック八王子教会で年間第24主日のミサに与った。昨年6月以来、私にとって1年3ヶ月ぶりの八王子でのミサとなる。前主任司祭の稲川圭三神父が麻布教会に異動されてから、その後の典礼の変化に戸惑い、また八王子は自宅から近くはないこともあって(自転車で通える最寄りの教会は、高幡多摩)、何となく縁遠くなってしまった。思い起こせば、私が八王子で初めての主日ミサに与ってから、今秋で3年目を迎える。あの御聖堂の雰囲気が懐かしくなってきた。

午前7時、ミサ開祭。この日は台風18号が接近中で、外は雨が強く降っていた。福音朗読は「見失った羊」のたとえ話(ルカ15・1-10)。今年の3月から助任司祭として八王子に赴任された森一幸神父は、「今日の福音は99匹と1匹のお話ではなく、もともと100匹は一緒なのです。見失った羊が戻ってきた時、その喜びを皆で素直に受け止めることができますように」と話された。森神父が神学生だった時、この八王子教会で司牧研修されていた姿が思い出され、何となく感慨無量となった。


カトリック八王子教会聖堂
“ 主共に在(おわ)せば、乏しきを知らず・・・ ”

◆この日のミサ中の主な歌:
ミサ曲2(典礼聖歌207-210)、入祭:典礼聖歌174「わたしたちは神の民(2)」、奉納:カトリック聖歌282「まよえる小羊」、拝領:典礼聖歌156「めぐみのパン」、閉祭:典礼聖歌404「羊飼いがいて」。
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