三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

チマッティ記念聖堂

2011年04月29日 | 東京のカトリック教会
サレジオ神学院チマッティ記念聖堂
(住所:東京都調布市富士見町3-21-12)

調布教会は、半日をかけて訪れたい。サレジオ神学院の広い敷地内には、さまざまな祈りの場所がある。調布教会の聖堂で黙想の時を過ごした後は、神学院のチマッティ記念聖堂へ。チマッティ神父の棺は、ここの地下聖堂に安置されている。地上へ出ると、白亜のチマッティ資料館が見える。ドン・チマッティの膨大な遺品と資料が展示されている。資料館の前庭には、遠藤周作氏の小説『沈黙』に登場するキアラ神父の古い墓碑が立っている(注1)

1926年、チマッティ神父を宣教団長とするサレジオ会員が初来日。ドン・ボスコの理想を通して、社会的弱者と青少年の救済事業を広げた。現在、チマッティ神父が蒔かれた種は大きく成長し、サレジオ会は都内に複数の拠点を有している(注2)。調布の記念聖堂は、ドン・チマッティが帰天した翌々年に建てられた。聖堂入口の右側では、ドン・ボスコ胸像がにこやかにお出迎え。左側の少年の立像は、ドン・ボスコの教え子だった聖ドメニコ・サヴィオである。

今年の2月、この聖堂で与ったドン・ボスコ聖遺物巡礼の記念ミサが忘れられない。聖遺物と対面したチマッティ神父の棺を前に、司式のコンプリ神父が話された。「皆さん、チマッティ神父の“アヴェ・マリア”を歌いましょう」。この歌は調布教会のレパートリーらしく、たちまち聖堂は気高い調べに満たされた。何という尊い瞬間だろう。神の豊かな恵みに感謝した。なお、この記念聖堂では毎月6日、チマッティ神父の「月命日」に、特別なミサが捧げられる。


現聖堂献堂:1967年
<キアラ神父の墓碑については、後に別記事で触れたい>


地下聖堂

(注1):小説『沈黙』の主人公ロドリゴのモデル。墓碑は司祭帽を戴く特徴的なもの。1950年、調布に移設。
(注2)碑文谷教会下井草教会三河島教会、星美学園、東京サレジオ学園、ドン・ボスコ社など。

◆主な参考文献など:
・「チマッティ神父・日本を愛した宣教師」 T・ボスコ、G・コンプリ共著(チマッティ資料館・2001年)
・「ほほえみ、慈愛と祈りの人 チマッチ神父」 A・クレバコーレ著(ドン・ボスコ社・1991年第2版改題)
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復活の主日のミサ(復活祭)

2011年04月25日 | ミサ聖祭
復活祭を迎えたカトリック八王子教会
“いざいざ喜べ わが救い主は死のくるしみに勝ち
み墓を開きて 甦がえりたり”

“全国的に広がる「自粛」のムードの中で、わたしたちは「ご復活おめでとう」を言うことにも人目を憚らなければならないのでしょうか。いいえ全く違います。ご復活の喜びとは人間の命が決して死で終わらないという真理であり、この世で愛し合った者は死を超えて出会い続けるという神秘です。苦難の淵にある今こそわたしたちは復活を喜び、主の死と復活を告げ知らせなければならないのです。”八王子教会主任司祭・稲川圭三神父(教会報「熱心」2011年4・5月号より)

御降誕節は都心の教会で与ったので、復活祭は地元の多摩地域で迎えようと考えていた。四旬節第3主日に続き、私はこの喜びの祭儀を八王子教会で与った。 午前10時のミサは混雑が予想されたので、午前7時の回に参列することにした。早朝の街を歩きながら、私は幼い頃の復活祭を思い出していた。カトリック信徒の祖父が色付けしたイースター・エッグは、毛筆で「アレルヤ、アレルヤ」と書かれている。殻をむく時に色が溶けて、白身が汚れたのを覚えている。

4月24日(日)、御復活大祝日のミサ開祭。前夜の風雨も収まり、朝から晴天に恵まれた。稲川圭三神父は、喜びを表す白い祭服を召されている。「先の大震災で亡くなられた方々に復活のお恵みがありますように」と話された。この日は高田三郎氏のミサ曲を歌う。聖体拝領後の沈黙の時、オルガンがモーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」を奏でる。何だか感極まってしまった。神の豊かな恵みに感謝しよう。 謹んで主のご復活のお慶びを申し上げます。アレルヤ。


カトリック八王子教会で頂いた復活たまご
(卵の右側にある「ミッキーマウス」にご注目)
“この日にあたりわれら喜びかつ躍らん。アレルヤ。”
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フランシスカン・チャペル・センター

2011年04月23日 | 東京のカトリック教会
フランシスカン・チャペル・センター(教会堂名:アシジの聖フランシスコ)
創立:1967年 ◇ 住所:東京都港区六本木4-2-37

東京メトロ日比谷線の六本木駅で降りる。この街を訪れたのは、片手で数えるほどの回数しかない。空は首都高速渋谷線に覆われ、その下は六本木通りの往来が激しい。猥雑な街並みから外れた閑静な一角に、フランシスカン・チャペル・センターがある。この教会は、東京で暮らしている外国人信徒のためのオアシスだ。私は「オミドウ、ドコデスカ?」を訊くことができるよう、久しぶりに英作文で頭を悩ませながら(笑)、恐々とチャペル・センターの扉を開けた。

このチャペル・センターは、フランシスコ会日本管区本部の敷地内にある。戦後、ここに多くの外国人信徒が集まり始めたことから、1967年に現在のチャペル・センターが建てられた。ミサは英語で行われているが、日本語の回もあるようだ。聖堂は2階にあり、祭壇を会衆席が「コ」の字に囲んでいる。さらに、アシジの聖フランシスコの「太陽の歌」をモチーフにしたという巨大なモザイク壁画が目を引く。伝統的な教会を見慣れた目には、極めて斬新に映る光景だ。

フランシスコ会が関東の土を踏んだのは、遠く16世紀末に遡る。 草創期の江戸市中には、フランシスコ会が建てた「ロザリオの聖母教会」や修道院などがあったという。ところが、江戸幕府はキリシタン禁制を敷く。1623年の江戸の大殉教では、フランシスコ会のガルベス神父も火あぶり刑に処せられた。現在、フランシスコ会は都内に複数の拠点を有し(注)、往時を凌ぐ勢いとなっている。その中でも、このチャペル・センターは最も国際色豊かな教会と言えるだろう。


現聖堂献堂:1967年

(注)田園調布教会三軒茶屋教会瀬田(分)教会、聖ヨゼフ修道院、聖アントニオ神学院など。

◆主な参考文献など:
「東京周辺キリシタン遺跡巡り」 高木一雄著(聖母の騎士社・1997年)
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カトリック葛西教会

2011年04月21日 | 東京のカトリック教会
カトリック葛西教会(教会堂名:聖アウグスチノ)
創立:1969年 ◇ 住所:東京都江戸川区中葛西1-10-15

営団東西線の葛西駅で降りる。湾岸エリア特有の(?)青い空が広がっている。江戸川区の公式サイトによると、葛西地域は「昭和40年代頃から、地下鉄東西線や、都営新宿線など、交通機関の発達にともなって人口が増加し、近年は高層マンションが立ち並ぶ、都心のベッドタウン」となり、「区内で最も人口が多く、転入・転出の出入りが激しい地域」であるという。有名な都立葛西臨海公園も近い。東京湾に海苔の養殖場が並んでいた時代の面影はない。

葛西教会に到着。周辺は、山の手風でも下町的でもない閑静な住宅街だ。マンションやアパートも多い。かつて、この教会は都営新宿線の船堀駅に近い松江にあった。戦後、聖アウグスチノ修道会の宣教師が「松江教会」を建てたが、信徒数の増加によって同じ江戸川区内の現在地へ移転、新たに「葛西教会」と名も改めた。13世紀にイタリアで創立された聖アウグスチノ会の日本管区本部は長崎県にあるが、この葛西教会には修道院が併設されている。

聖アウグスチノ会が初来日したのは、江戸幕府がキリシタン禁制を発する以前の1602年。アウグスチノ(アウグスティヌス:354-430年)については多言を要しないだろう。ローマ時代最大の神学者で、「告白」などの著者としても名高い。もちろん、この葛西教会の守護聖人となっている。「わたしは自分の誤謬の声で、自分の外に引きずり出され、わたしの傲慢の重みによって、深い淵に沈められていた」(「告白(上)」より)。私も聖アウグスチノに倣って回心しよう。


現聖堂献堂:1985年

◆主な参考文献など:
・「告白(上)」 聖アウグスティヌス著・服部英次郎訳(岩波文庫・1976年)
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受難の主日(枝の主日)

2011年04月19日 | ミサ聖祭
ある晴れた日のカトリック高幡教会
(住所:東京都日野市程久保4-7-14)

4月17日(日)、高幡教会で受難の主日(枝の主日)のミサに与った。この日から、イエスの受難の一週間が始まる。「枝の主日と呼ばれるのは、イエス・キリストがエルサレムへ入城する時、民衆が枝を手に持って喜び迎えたことに由来しています」「この日、教会ではイエスのエルサレム入城を記念して、ミサの前に枝の行列の儀式が行われます。司祭とすべての信徒は、祝別された枝を手に持って教会内まで行列します」(「イラストで知るカトリック教会生活」より)。

高幡教会の前庭には、既に多くの人々が集まっている。この日は晴天に恵まれ、裏山の若葉も美しい。主任司祭の加藤英雄神父は、受難を表す赤い祭服を召されている。「エルサレム入城は、イエスにとって悲しみの始まりです」と話された。十字架を先頭に、枝の行列がスタート。カトリック聖歌「しゅろの葉を」を歌いながら、人々は裏山を登り始めた。高幡教会は丘陵に抱かれるような位置のため、2階の聖堂は山側からの入堂も可能な珍しい構造となっている。

昨年の10月下旬、私は秋の夕闇せまる高幡教会を訪れた。偶然にも、主任司祭の加藤神父とお話しする機会に恵まれた。私がロザリオの祝別をお願いすると、「これはどこで買ったの。紐と木の珠のロザリオはいいね」とご快諾をいただいた。加藤神父は、来月から本所教会へ異動される。今日の受難の主日のミサに、私は祝別されたロザリオとともに与った。あの日、さまよえる未信者を温かく迎えてくださったご親切が忘れられない。ありがとうございました。


七生丘陵散策コース:高幡教会へ至る“巡礼の道”
住所:東京都日野市程久保(中央大学入口付近)

◆主な参考文献など:
「イラストで知るカトリック教会生活」 サンパウロ編(サンパウロ・1999年)
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