三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

ロシア正教会駐日ポドヴォリエ(本駒込)

2014年11月28日 | 東方正教会
ロシア正教会駐日ポドヴォリエ 聖ニコライ聖堂
(住所:東京都文京区本駒込2-12-17)

11月23日(日)、地下鉄丸ノ内線の本郷三丁目駅で下車し、東京大学へ向かう。前回もお知らせした通り、私は東大の一般市民向け公開講座を受講している。会場は本郷キャンパスだったので、この日も講義の合間に周辺の教会巡りに勤しんだ。東大を中心とする本郷界隈は、ちょっとした「教会銀座」の様相を呈しているが、今回はロシア正教会モスクワ総主教庁駐日ポドヴォリエの聖ニコライ聖堂を訪ねた。「ポドヴォリエ(露語で旅籠屋などの意)」は、ロシア正教会の「日本出張所」である。

駐日ポドヴォリエの沿革を概観すると、アメリカとロシア(旧ソ連)に翻弄された日本正教会の「教会分裂」の悲劇が見えてくる。戦後、日本正教会は「GHQの意向」を汲んで、米国正教会から主教を迎えることになった。この動きに反発した一部のグループはロシア正教会の帰属を望み、ポドヴォリエが“モスクワ派”の拠点となったのである。宣教の正当性やニコライ堂の取戻などを巡って、両派は米ソ冷戦のように争ったが、後の米ロ両正教会の「雪どけ」により、現在は完全に和解している。

東大正門から徒歩20分ほどで駐日ポドヴォリエに到着。玄関周りに生神女のイコンや八端十字架などがなければ、そこがロシア正教会の「出張所」とは気付かないだろう。この古い建物は「旧ロシア民間人クラブ」だったらしい。今は「権力闘争」の嵐も過ぎ去り、静かな時間が流れている。近年、駐日ポドヴォリエは主日の聖体礼儀を目黒の新聖堂(2008年成聖)で行っているため、駒込の聖ニコライ聖堂は平日の奉神礼だけのようだ。私は午後の講義が迫ってきたので、慌てて本郷へ戻った。


駐日ポドヴォリエに近い旧理研23号館。1919年竣工。
(住所:東京都文京本駒込2-28-45)

<付記>
日本正教会の「教会分裂」につき、牛丸康夫神父は次のように指摘されている。「終戦時代の混乱期において、ソ連のロシア正教会の事情も、アメリカのロシア正教会の事情も知ることは困難で、正しい情報もなかったので正しい判断を誰もが下すことはできなかった。ただ敗戦の結果、連合司令部の許可なくしては国外のどのような教会とも交渉関係をもつことはできないということだけは誰もが知っていた」(『日本正教史』より)。その後の和解への経緯は、中村健之介氏の著書『ニコライ』が詳しい。

◆主な参考文献など:
・「日本正教史」 牛丸康夫著(日本ハリストス正教会教団府主教庁・1995年再販)
・「ニコライ」 中村健之介著(ミネルヴァ書房・2013年)
・「ギリシア正教 東方の智」 久松英二著(講談社選書メチエ・2012年)
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西片町教会(日本基督教団)

2014年11月24日 | プロテスタント
日本基督教団 西片町教会
(住所:東京都文京区西片2-18-18)

11月22日(土)、地下鉄丸ノ内線の本郷三丁目駅で下車し、東京大学へ向かう。前回もお知らせした通り、私は東大の一般市民向け公開講座を受講している。会場は本郷キャンパスだったので、この日も講義の合間に周辺の教会巡りに勤しんだ。東大を中心とする本郷界隈は、ちょっとした「教会銀座」の様相を呈しているが、今回は農学部の弥生キャンパスに近い西片町教会(日本基督教団)を訪ねた。旧制一高跡地の弥生キャンパスは言問(こととい)通りを挟んで本郷キャンパスに隣接している。

西片町教会の沿革をおさらいしよう。「西片町教会は本郷区東片町に下谷教会が伝道を開始したことに端を発し、1889年3月31日、日本メソジスト駒込教会として創立されました。その後、1896年6月5日、西片町の現在位置に移転、1935年に現会堂が献堂され、爾来営々とこの地、この会堂で神を拝し、神の民の交わりを形成してきました」(教会公式サイトより転載)。夏目漱石の小説『三四郎』の広田先生も西片町の借家に移り住み、そこで三四郎と美禰子は大きな空の白い雲を見上げたのである。

弥生キャンパスの農正門(下写真2)から徒歩数分で、西片町教会に到着。塔屋付きの厳かな佇まいである。ところで、『三四郎』の広田先生の借家は「西片町十番地への三号」にあったという。そこは西片町教会裏手の住宅街だ。広田先生は日露戦争の「勝利」に沸くニッポンが「亡びるね」と予言し、「囚われちゃ駄目だ。いくら日本の為を思ったって贔屓の引倒しになるばかりだ」と憂う。今や排外的国粋主義に囚われた現代ニッポンも「贔屓の引倒し」で亡びるのか。「御旨ならば我いとわじ」(讃美歌285)。


礼拝堂内観(1935年竣工)


東京大学弥生キャンパスの農正門
(住所:東京都文京区弥生1-1-1)

◆主な参考文献・CDなど:
・「三四郎」 夏目漱石著(新潮文庫・1972年)
・「漱石全集 第五巻(坑夫・三四郎)」 夏目金之助著(岩波書店・1994年)
・CD「なつかしの讃美歌 BEST40」 鈴木啓之指揮/新日本合唱団(Pony Canyon:PCCL-00587)
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聖霊降臨後第23主日の聖餐式

2014年11月18日 | 聖公会の礼拝
晩秋に映える立教大学モリス館
(住所:東京都豊島区西池袋3-34-1)

安倍晋三にとって、北京でのAPECは愉快ではなかったはずだ。ホスト国の中国から冷遇され、韓国との首脳会談は叶わなかった。安倍にとって屈辱的だったのは、日米首脳会談を忌避したオバマ大統領が、中韓両国との首脳会談には応じたことだろう。一方、欧米のメディアは「アベノミクス」の破綻を酷評。四面楚歌の安倍は解散総選挙に逃げ込んだが、有権者の多数派「昭和のテレビ中毒世代」は、懲りずに自公独裁政権を延命させるに違いない。ニッポンは潰滅へまっしぐら。

11月16日(日)、立教大学チャペル(日本聖公会)で聖霊降臨後第23主日の聖餐式に参列した。次週の降臨節前(王であるキリスト)主日で教会暦の1年が終わり、アドヴェント(降臨節)を迎える。午前10時、振り香炉と十字架を先頭に、司祭団が入堂。福音朗読は、「タラントン」のたとえ(マタイ25・14-15、19-29)。金大原(キム・デウォン)司祭は「天の国は悪の循環から抜け出した人たちがいる所。三番目の僕(しもべ)は暗闇に追い出され、悪の循環を断ち切れたのでしょうか」と話された。

「世の中には小さくされた貧しい人々がいます。教会や大学にいると、外の暗闇が分からなくなる可能性が高い。本日の福音は『自分がいるべき所はどこなのか』と教えています。イエスは私たちをそんな場所に招かれているのではないでしょうか」。金チャプレンの説教は示唆に富んでいた。だが、来月の意味不明な衆院総選挙は「小さき者」を暗闇に追いつめることになろう。それでもこの国の人々はテレビにしがみつき、ただヘラヘラ笑いながら、懲りずに安倍晋三の虐政を支えるに違いない。


旧チャペル会館(左)とチャペル(右)の模型
“ St. Paul's will shine tonight...(第二応援歌) ”

<付記>
新チャペル会館の1階ロビーに旧チャペル会館(上写真)の模型が展示されている。この建物は1954年竣工の木造瓦葺で、赤煉瓦のチャペルに調和する佇まいだった。聖歌隊などの学生キリスト教団体でなければ、一般の学生がここに出入りする機会は少なかったろう。ただ、チャペル周辺は学生が休講などの情報をチェックする学部別掲示板があったので、旧チャペル会館を一つの「風景」として記憶する卒業(中退)生は多いはずだ。2012年、旧チャペル会館は新築のため取り壊された。

◆聖餐式で歌われた聖歌:
ミサ曲譜2(キリエ、大栄光の歌、サンクトゥス、アニュス・デイ)、入堂聖歌:3「起きよ わが心」、続唱聖歌:208「主の民よ 目を覚ませ」、奉献アンセム(聖歌隊奉唱):「Benedictus」(ヘス)、奉献聖歌:348「栄光の王なる主」、陪餐アンセム1(聖歌隊奉唱):203「この世にイェスのみ名を」、陪餐アンセム2(ハンドベル奏楽):509「あなたは岸辺で」、陪餐聖歌:248「くしき力 今あらわる」、派遣聖歌:389「主イェスよ われらの礎(いしずえ)となり」。(番号は「日本聖公会聖歌集」による)

◆主な参考文献など:
・「BRICKS AND IVY 立教学院百二十五年史図録」 同年史編集委員会編(立教学院・2000年)
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弓町本郷教会(日本基督教団)

2014年11月15日 | プロテスタント
日本基督教団 弓町本郷教会
(住所:東京都文京区本郷2-35-14)

11月9日(日)、地下鉄丸ノ内線の本郷三丁目駅で降り、東京大学へ向かう。前回もお知らせした通り、私は東大の一般市民向け公開講座を受講している。会場は本郷キャンパスだったので、この日も講義の合間に周辺の教会巡りに勤しんだ。東大を中心とする本郷界隈は、ちょっとした「教会銀座」の様相を呈しているが、今回は本郷三丁目交差点に近い弓町(ゆみちょう)本郷教会(日本基督教団)を訪ねた。その昔、芥川龍之介の旧制一高時代の学友(藤岡蔵六ら)が通っていたという。

弓町本郷教会の沿革をおさらい。「1886年、牧師・海老名弾正(えびな・だんじょう:1856-1937年)が、大いなる理想の灯のもと、多くの学生が集まるこの本郷の地に、講議所として開いたのが始まりです。日本のプロテスタント教会としては古い歴史をもち、2011年には創立125周年を迎えました。(略)教会の建物は、1920年代に建てられた鎮(ちん)ブロック造りの代表的な建造物で、教会としての構造と美を兼ね備えています」(教会案内リーフレットより)。会堂の一階に幼稚園を併設している。

東大の赤門から徒歩10分ほどで、弓町本郷教会に到着。この日は教会と幼稚園の合同バザーだった。会場内は大盛況で、風船を手にした子どもたちの姿が目立つ。私は古本コーナーで『ボンヘッファーと日本』(新教出版社・1989年)を入手した。一冊50円也。ところで、弓町本郷教会の牧師先生は私が卒業したプロテスタント系高校の大先輩である。ぜひとも「同窓のよしみ」で、日本のキリスト教界を蝕みつつある「あなたはもうすでに、救われている」宣言の影響についてお尋ねしたいものだ。


礼拝堂内観(1927年竣工)


東京大学本郷キャンパスのマンホール
<蓋に「東京帝國大學」と刻まれている>

◆主な参考文献など:
・「この人を見よ 芥川龍之介と聖書」 関口安義著(小沢書店・1995年)
・「ボンヘッファーと日本」 村上伸・森岡巌・森野善右衛門編(新教出版社・1989年)
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本郷中央教会(日本基督教団)

2014年11月12日 | プロテスタント
日本基督教団 本郷中央教会
(住所:東京都文京区本郷3-37-9)

11月8日(土)、地下鉄丸ノ内線の本郷三丁目駅で降り、東京大学へ向かう。以前もお知らせした通り、私は東大の一般市民向け公開講座を受講している。会場は本郷キャンパスだったので、この日も講義の合間に周辺の教会巡りに勤しんだ。東大を中心とする本郷界隈は、ちょっとした「教会銀座」の様相を呈しているが、今回は本郷三丁目交差点に近い本郷中央教会(日本基督教団)を訪問。夏目漱石『三四郎』ゆかりの教会と推定され(注)、また内村鑑三や野口英世が訪れていたという。

本郷中央教会の沿革をおさらい。「1890年、カナダ・メソジスト派の宣教師により『中央会堂』が創立。大衆への伝道だけでなく、インテリ層が唯物論や無神論を信奉する当時の風潮に対抗するために、学生に伝道する目的で本郷の地を選んだ。社会の改革によって多くの人々に神の救いがもたらされるようにとの思いから名称は『教会』ではなく、超教派的立場をしめすために、モーセが荒野でテントを聖所としたことに由来して『中央会堂』(日本の中央の天幕)とした」(教会公式サイトから要約)。

「『美禰子さんは会堂(チャーチ)』。美禰子の会堂へ行く事は始めて聞いた。(中略)三四郎は全く耶蘇教に縁のない男である。会堂の中は覗いて見た事もない」「やがて唱歌の声が聞えた。讃美歌というものだろうと考えた。(中略)美禰子の声もそのうちにある。三四郎は耳を傾けた」(夏目漱石『三四郎』)。現在の礼拝堂は三四郎時代のものではないが、入口上に「中央會堂」という歴史的名称が残っている。「忽然として会堂の戸が開いた。中から人が出る。人は天国から浮世へ帰る」(『三四郎』)。


礼拝堂内観(1929年竣工)
<美禰子は三四郎に聖書の“暗号”を投げかける>


東京大学本郷キャンパス内の「三四郎池
<この池の端で三四郎は美禰子を見初める>

(注):「旧本郷区には明治39(1906)年当時九つの教会があった。(略)このうち建物の外観などが本文に近いのは中央会堂(本郷中央教会)だが、三四郎が当然渡るべき電車通りを渡る記述がないのが難点」(岩波書店『漱石全集 第五巻』注解より)。

◆主な参考文献など:
・「三四郎」 夏目漱石著(新潮文庫・1972年)
・「漱石全集 第五巻(坑夫・三四郎)」 夏目金之助著(岩波書店・1994年)
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