炎天下のカトリック草加教会
(住所:埼玉県草加市松江1-6-11)
(住所:埼玉県草加市松江1-6-11)
聖書通読40日間を決意してから、20日が経過した。昨日の時点で「マラキ書」までを、つまり「旧約」を全て読み終えた。「読み終えた」とは言っても、やはり「字面(じづら)を追っていた」に過ぎない。今回、やや読み進む速度が上がったのは、「詩編」などの余白が多い文書があったからである。それでも、難解な「エゼキエル書」などには苦しめられた。ここ数日は少し時間的な余裕が生まれたので、「第二正典(旧約続編)」へ入る前に、預言書を再読していた。
預言書を読むときは、「聖書百科全書」と「カトリック聖書新注解書」を、文字通り座右に置いた。預言者が現れた歴史的背景を押さえるのが不可欠と痛感したし、「注解書」の助けがなければ、「エゼキエル書」のような幻視に基づく複雑な内容、突飛と思える象徴的行為の意味は分からなかった(4章や38章など)。また、37章の「枯れた骨の復活」を、私は「新約の『体の復活』を先取りしている」と曲解していたことも判明。多くの勘違いがあぶり出された。
同じことは、「ダニエル書」にも言える。7章の「四頭の大きな獣」や「日の老いたる者」などの意味を理解せず、「読んでいた」とは羞恥の至りだ。それでも「注解書」を通して、各預言者の「視点」、例えばエゼキエルが強調した「罪の個人的責任、心からの回心」などを見出したのは大きな収穫であり、私のエゼキエルに対する苦手意識もかなり減った。もちろん、「読書百遍義自ら見(あらわ)る」の実感には程遠く、そろそろ独学の限界も見えてきたようである。
カトリック加須(かぞ)教会の聖母像
(住所:埼玉県加須市富士見町3-22)
◆私の聖書通読40日間、座右の書:
「聖書辞典」(新教出版社・2010年)、「聖書百科全書」(三省堂・2000年)、「カトリック聖書新注解書」(エンデルレ書店・1980年)