三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

東京諸聖徒教会(日本聖公会)

2014年12月16日 | 聖公会の教会
日本聖公会 東京諸聖徒教会
(住所:東京都文京区千石2-18-4)

地下鉄三田線の千石駅で下車、日本福音ルーテル小石川教会の脇を通る。なんと聖母の御像があった。さて、日本聖公会の東京諸聖徒教会の沿革をおさらい。「この教会の歴史は1881年に麹町に開設された『九段聖公会講義所』から始まりました。一時、築地聖三一大会堂附属講義所となった後、1896年に独立を許され『諸聖徒教会』と命名されました。1907年、教勢拡大につき神田に移転、煉瓦造の大礼拝堂が建てられましたが、1923年の関東大震災で全てを失いました」。

「翌年、現在地に敷地を得て『大塚聖公会』と合同し、『東京諸聖徒教会』になり、1931年鉄筋コンクリート造りの壮麗な教会が完成しましたが、1945年の東京大空襲により廃墟と化してしまいました。1955年、焼け残った骨組みを生かし現在の形に復興し、その後も手を加えながら今に至り、2004年には国の登録有形文化財の指定を受けました」(『東京教区90年のあゆみ』より)。尖塔を戴く重厚な聖堂の設計は、立教女学院チャペルなどを手がけた米国人バーガミニ(注)である。

東京諸聖徒教会に到着。その厳かな空間は、所属信徒の郡山正画伯(元女子美大教授)による美しい聖画が随所に飾られ、祭壇画の「最後の審判」や入口上の「東方の三博士の聖母子礼拝」など、何れも聖書をテーマにした連作で、聖堂内はちょっとした「ギャラリー」のようでもある。機会があれば、この豊かな恵みの時が流れる聖餐式に参列したいと思う。なお、教会内に諸聖徒幼稚園(1933年創立)を併設しているが、建物の老朽化などにより、2015年3月をもって休園されるという。


聖堂内観(1931年竣工/1955年修復)


聖堂外観
<国の登録有形文化財に指定されている>

(注):John van Wie Bergamini(1888-1975年)。アメリカ出身の建築家。代表作に聖路加国際大学聖ルカ礼拝堂(日本聖公会)、立教女学院聖マーガレット礼拝堂(日本聖公会)、立教学院旧宣教師館など。

◆主な参考文献など:
・「東京教区90年のあゆみ」 2013フェスティバル実行委員会編(日本聖公会東京教区・2013年)
・「東京教区時報 ≪コミュニオン≫第12号」 東京教区広報委員会編(日本聖公会東京教区・2013年)
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聖救主教会(日本聖公会)

2014年11月03日 | 聖公会の教会
日本聖公会 聖救主教会
(住所:東京都江東区冬木16-5)

11月2日(日)、私は江東区にある聖救主教会(日本聖公会)で聖霊降臨後第21主日の聖餐式に参列しようと考えた。地下鉄東西線の門前仲町駅で下車。華やかな参道を歩くと、成田山東京別院の深川不動堂(下写真2)に突き当たる。元禄年間の1703年、成田山本尊の江戸出開帳が契機となって、現在の深川不動堂が開創。1862年建立の旧本堂は千葉から移築したもので、江東区の有形文化財に指定されている。この日も護摩の太鼓が響き、七五三詣りの親子連れで賑わっていた。

聖救主教会の沿革をおさらい。「1887年に英国の宣教団体の宣教師ジェームス・ウィリアムズ司祭が富岡門前仲町で伝道したことに端を発します。当初から、貧しい地域の子供たちのため、教育や医療の分野を中心に、地域への貢献を重視した宣教奉仕を行ってきました」(『東京教区90年のあゆみ』から要約)。この辺りは聖救主教会を中心に、高齢者福祉施設「深川愛の園」、聖救主福祉会「まこと保育園」、学童クラブ「キッドスクール」など、聖公会系の社会福祉施設が集中している。

聖救主教会に到着。聖堂は8階建の複合福祉施設の中にある。だが、この日は建物全体がお祭りのように大盛況。法被(はっぴ)姿の女性にお尋ねすると、「本日はバザーのため、10時半の聖餐式を9時に繰り上げたので、もう終わっていますよ」とニッコリ。Oh my God!やはり、バザーの季節は礼拝の時間を確認しなければならぬ。急遽、私は御言葉を求めて早稲田の杜へ向かうことにした。地下鉄で約15分、早稲田教会(日本基督教団)の午前11時の主日礼拝に間に合うかもしれない。


聖堂内観(1999年竣工)


真言宗 成田山東京別院 深川不動堂 旧本堂
(住所:東京都江東区富岡1-17-13)

◆主な参考文献など:
・「東京教区90年のあゆみ」 2013フェスティバル実行委員会編(日本聖公会東京教区・2013年)
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東京聖十字教会(日本聖公会)

2014年09月10日 | 聖公会の教会
日本聖公会 東京聖十字教会
(住所:東京都世田谷区若林4-18-8)

9月7日(日)、世田谷区の東京聖十字教会(日本聖公会)で聖霊降臨後第13主日の礼拝に参列した。まずは、その沿革をおさらい。「関東大震災の翌1924年、まだ畑であった借地(現在地)に、檜の生垣を巡らした小さなバラック建て教会が誕生しました。築後36年余の1961年、レイモンド建築事務所の設計で現聖堂が完成。特注の曲がった柱状合板による『蒲鉾型合掌造りの聖堂』は、世界的な建築家による建物として、今でも見学者が多く訪れます」(『東京教区90年のあゆみ』から要約)。

東急世田谷線の松陰神社前駅で下車、周辺には吉田松陰を「ご祭神」とする松陰神社がある。私の高校時代の友人がここに寄宿しながら、國學院大学に通っていたことを思い出す。その部屋を訪ねたこともあったが、個人的には「神道」が苦手だ。「敬虔なカトリック信者」でありながら、堂々とヤスクニ参拝をする麻生太郎、山谷えり子、稲田朋美らの「行状」には言葉を失う。この不可解な人々は安倍政権の「極右の重鎮」でもあるが、某カリスマ神父によれば「必ず!み~んな救われちゃう」らしい。

東京聖十字教会に到着。周囲は閑静な住宅街である。午前10時30分、礼拝の開始を告げる鐘が鳴った。この日は聖餐式ではなく、「み言葉の礼拝」(カトリックの「集会祭儀」、正教会の「代式祈祷」に相当)が行われた。司式は信徒奉事者が務め、管理牧師の福音朗読箇所(マタイ18・15-20)に基づくメッセージが代読された。私にとって「み言葉の礼拝」は初めてだったが、「聖書のみ言葉を中心に共に祈り、感謝と賛美の豊かな礼拝」(『み言葉の礼拝』式文より)を献げることができた。神に感謝。


聖堂内観(1961年竣工)


聖堂外観

<付記>
ユニークな聖堂の設計は、チェコ出身の米国人アントニン・レイモンド(Antonin Raymond:1888-1976年)。教会建築の代表作にカトリック目黒教会聖堂カトリック豊島教会聖堂、日本聖公会・聖オルバン教会礼拝堂、日本聖公会・立教学院聖パウロ礼拝堂など。なお、東京聖十字教会の聖堂内にある会衆席の長椅子(跪き台付き)も、レイモンドのデザイン。この日、私は東京聖十字教会所属の男性信徒の方から当聖堂についての様々なご教示を賜った。お心遣いに厚く御礼申し上げます。

◆み言葉の礼拝で歌われた聖歌:
ミサ曲(キリエ、大栄光の歌)。入堂聖歌:442「ともにあつまる」、昇階聖歌:472「ここに祈りの家がある」、奉献聖歌:258「人の知恵も」、退堂聖歌:417「あなたの平和の器にしてください」。(番号は「日本聖公会聖歌集」による)

◆主な参考文献など:
・「東京教区90年のあゆみ」 2013フェスティバル実行委員会編(日本聖公会東京教区・2013年)
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東京聖マリア教会(日本聖公会)

2014年08月28日 | 聖公会の教会
日本聖公会 東京聖マリア教会
(住所:東京都品川区西品川3-12-6)

8月24日(日)、東京聖マリア教会(日本聖公会)で聖霊降臨後第11主日の聖餐式に参列した。まずは、その沿革をおさらい。「1924年、関東大震災を逃れて移り住んできた人々に仕えるために、ここ西品川の地で宣教活動を始めました。翌年には、『若葉幼稚園(三ツ木幼稚園)』を開園し、地域に奉仕することを教会の中心的働きとしてきました。その後、教会は戦争によって、様々な困難を経験しますが、『地域と共に、子どもたちと共に』という教会の姿勢は変えませんでした」(教会案内書を要約)。

JR山手線の大崎駅で下車。ここ数年の再開発で、大崎は急速に変貌している。かつて、駅前に明電舎の“昭和レトロな”工場があったことを思い出す。東京聖マリア教会に到着、座席数30ほどの小さな聖堂だ。午前10時30分、聖餐式の開始を告げる鐘と共に、司祭とサーバー(侍者)が厳かに入堂。福音朗読は、ペトロの信仰告白の場面(マタイ16・13-20)。岩前宏司祭は、「ペトロの告白は教会の信仰の基盤になっている。そのような告白をするところに、イエス様の教会があるのです」と話された。

「ローマ・カトリック教会では、ペトロが初代教皇とされています。私たちの東京聖マリア教会もローマに近い信仰の基盤に立っています。そして、教会はメシアへの信仰告白を守りながら、人々の心を解きほぐす使命を担っており、それが福音ということになるのです」。この日の会衆は10数人、家庭的な雰囲気が漂う教会だ。信徒の皆さんは新来の私に対して、「ようこそ。またお越しくださいね」と温かく歓迎。確かに、ここには岩前司祭が言われたような「人々の心を解きほぐす使命」が継承されている。


聖堂内観(1981年竣工)

<付記>
この日の入堂聖歌は「イェスきみは」を歌う。カトリック聖歌288番「うるわしき」と同じ旋律で、大作曲家フランツ・リストの「十字軍騎士の行進」という作品にもコラールのように登場する。2011年、カトリック八王子教会における年間第16主日のミサで、この気高い聖歌を歌ったことを思い出す。だが、日本のカトリック教会は高田三郎らの『典礼聖歌』を押し付け、「うるわしき」などの“西欧の調べ”を駆逐しつつある。

◆聖餐式で歌われた聖歌:
ミサ曲譜(大栄光の歌、サンクトゥス、アニュス・デイ。キリエのみ読誦)。入堂聖歌:367「イェスきみは」、昇階聖歌:325「み手の中で」、奉献聖歌:418「誰もひとりだけでは」、陪餐聖歌:239「すべての民を」、退堂聖歌:420「恵みのみ神よ」。(番号は「日本聖公会聖歌集」による)

◆主な参考文献・CDなど:
・「東京教区90年のあゆみ」 2013フェスティバル実行委員会編(日本聖公会東京教区・2013年)
・CD「リスト:Marches for Brass Band」 D・ラースロー指揮/ハンガリー人民軍軍楽隊(Hungaroton:HCD-16722)
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聖パトリック教会(日本聖公会)

2014年08月18日 | 聖公会の教会
日本聖公会 聖パトリック教会
(住所:東京都立川市羽衣町3-15-24)

8月10日(日)、立川の聖パトリック教会(日本聖公会)で聖霊降臨後第9主日の聖餐式に参列した。まず、その沿革をおさらいしよう。「戦後の日本と米国の関係改善を望む人たちの間から起こった、『和解、一致と平和』を目指す歩みの中で、日米両国の聖職と信徒相互により基地の町・立川に、1957年12月1日に産声をあげました。現会堂は1996年に新しく建築され、外からすべてバリアフリーの明るい礼拝堂とホール、そして斬新なステンドグラスがあります」(『東京教区90年のあゆみ』より)。

JR南武線の西国立駅で下車。聖パトリック教会は閑静な住宅街にある。聖堂玄関の横に吊るされた古い鐘の銘を見ると、「聖ヨハネ修士会東久留米修道院 1959」と刻まれていた(下写真2)。モダンな聖堂内は洗礼盤、会衆席のニーラー(跪き台)、十字架の道行、ロザリオの聖母像などがあり、“古き良きカトリック”の雰囲気が同居している。午前10時30分、聖餐式の開始を告げる鐘が鳴り、司祭とサーバー(侍者)が厳かに入堂。福音朗読は、イエスが湖の上を歩かれた場面(マタイ14・22-23)。

菅原裕治司祭は、「弟子たちはガリラヤ湖で、恐れと不安に苛まされていました。イエス様を信じていながら、私たちは他の安全なものに頼ろうとする。そこに人間の愚かさがあります。だからこそ、私たちにはイエス様、そして聖書があるのです。本日の福音はそのことを示しています」と話された。この日の会衆は約20人(台風11号接近の影響で少なめ?)。聖パトリック教会創立時は、立川基地から米国空軍の関係者も参列していたのだろう。往年の「基地の町」の面影を見ることは難しくなってきた。


聖堂内観(1996年竣工)


聖パトリック教会聖堂に吊るされている古い鐘
(銘は「聖ヨハネ修士会東久留米修道院 1959」)

◆聖餐式で歌われた聖歌:
ミサ曲譜(キリエ、大栄光の歌、サンクトゥス、アニュス・デイ)、入堂聖歌:247「キリストの心から」、続唱聖歌:363「ガリラヤの風かおる丘で」、奉献聖歌:509「あなたは岸辺で」、陪餐聖歌:533「主を愛そう こころこめて」、退堂聖歌:550「主の言葉に堅く立つ」。(番号は「日本聖公会聖歌集」による)

◆主な参考文献など:
・「東京教区90年のあゆみ」 2013フェスティバル実行委員会編(日本聖公会東京教区・2013年)
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