三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

洗礼志願式に向けて

2016年02月03日 | 雑記帳
2015年、主の降誕の日
(場所:調布サレジオ神学院聖堂にて)

忙しさにかまけてブログの更新を放置していたら、トップ記事に広告が表示されてしまいました。前回の記事でも触れましたが、私は昨年6月より某修道会系の教会で入門講座を受講しています。開講に当たり、主任司祭は次のように言われました。「信仰は一生の学びです。この講座はキリスト者として生きるスタートラインに過ぎません。その生きる力となるのが、神のみ言葉(聖書)と御聖体です。キリストの死と復活を信じ、希望して、キリストのように生きる。これが私たちの信仰です」。

定期的な入門講座との日程調整がつかなかったため、講義は神父様との「個人授業」のスタイルで行われています。私の勝手な都合に合わせて講義日程を組んでくださる神父様には、ただただ感謝の思いでいっぱいです。講座は聖書の勉強を終え、先日は秘跡について学びました。神父様の「熱血講義」を通して、カトリックの基本の「き」も分からなかった自分の無知に恥じ入るばかりです(汗)。いまは復習に追われていますが、機会があれば講座のふりかえりを記事にしたいと思います。

先月、神父様に「洗礼申込書」を提出し、また代父様にもお会いしました。私の守護の聖人となる洗礼名も決めました。おそらく、来月26日(土)の復活徹夜祭で洗礼のお恵みに与ることになるでしょう。思い起こせば、私は日本のカトリック教会の現状にひどく落胆し、他教派を巡ったこともありましたが、やはりカトリック信者として生きることを望みました。その理由はうまく説明できませんが、神様の不思議なお導きなのかもしれません。遅ればせながら、本年も当ブログを宜しくお願い致します。

コメント (8)
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「真実を伝え続ける絵画」展

2015年03月30日 | 雑記帳
1927年竣工の早稲田大学大隈記念講堂
(住所:東京都新宿区戸塚町1-104)

先日、早稲田大学で開催中の『真実を伝え続ける絵画-アウシュヴィッツに生きたM・コシチェルニャック展』を見てきた。ミェチスワフ・コシチェルニャック(1912-1993年)はポーランド人の画家。反ナチの政治犯として捕らえられ、アウシュヴィッツに収容されたが、そこで同房のコルベ神父と親しくなった。神父は画家に「私は死に、灰だけが世に流されるが、あなたは生き残れる。アウシュヴィッツの犯罪と、何百万人もの苦しみを世に伝えるのが、あなたの使命となるでしょう」と予言したという。

都営バスの早大正門停留所で下車。目の前の大隈講堂を仰ぐと、早大生ならずとも「都の西北」を口ずさんでしまう。この大隈講堂を見おろすように建つのが地上16階の大隈記念タワーで、そこの10階にある125記念室が「コシチェルニャック展」となっている。会場ではコルベ神父の最期の様子や収容所の出来事を描いた19枚の作品が並んでいた。とくに「Father Maksymilian Kolbe」という作品は、鉄条網がコルベ神父の頭上で交叉する構図だが、それはイエスの「荊冠」を意識したものだろう。

コシチェルニャックは、「コルベ神父が(餓死刑の)身代わりを申し出たとき、わずか数メートル離れたところにいた。一歩前へ進み出ることができなかった負い目を生涯抱き続けていた」(展示文より)。だから、画家は神父の予言通り、戦後も一貫して真実を世に伝えてきた。「貴方は、アウシュヴィッツから何を学ぶか。コシチェルニャックが命がけで描き残した絵から聞こえる声に耳を傾けていただければ幸いである」(展覧会チラシより)。多くの若い人々に見てほしい絵画展だ(4/23まで開催)。


早稲田大学會津八一記念博物館
(1925年竣工の旧図書館。今井兼次設計)

<付記>
展覧会の後、私は早稲田キャンパス内の會津八一記念博物館(上写真)で企画展『学徒たちの戦場-戦後七〇年-』も見てきた。現在、安倍晋三と「国家神道原理主義」の自民党、及び「平和と福祉の党」を詐称する公明党が「戦争への道」をせっせと整えている。「敬虔なカトリック信者」の麻生太郎が「ナチスの手口」や「八紘一宇」を称賛する危機的な状況だからこそ、私たちは戦没学徒兵の遺品から聞こえる「わだつみのこえ」に耳を傾けなければならない(4/25まで開催)。

◆主な参考文献など:
・「東京新聞」夕刊 (2015年3月16日付記事「亡き神父の遺志継ぎ描いた19枚 アウシュビッツに帰る」)
・展示図録「学徒たちの戦場-戦後七〇年-」 (早稲田大学大学史資料センター・2015年)
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ブログ記事の更新について

2014年09月04日 | 雑記帳
東京大学駒場キャンパスの時計台
(住所:東京都目黒区駒場3-8-1)

現在、私は東京大学で「市民後見人養成講座(第7期)」を受講している(一般向けの公開講座で、簡単な審査を経た後、誰でも受講できる)。「市民後見人」とは、家庭裁判所から選任された一般市民の「成年後見人」(注)で、認知症高齢者や知的障がい者らの財産管理と身上監護などの後見業務を行う。「事理を弁識する能力(判断能力)を欠く常況にある(民法7条)」本人のために契約などを締結する場合もあり、後見人には一定の法律知識(民法の財産・家族法など)が要求されている。

そのため、東大の「養成講座」は合計124時間(座学と実習)に及び、修了時の「厳格な審査」によって履修証明書が交付される。将来、私はキリスト教的愛に基づく(?)後見人として、地域の認知症高齢者や知的障がい者の方々を支えたいと望んでいるが、まず「初仕事」は父の後見であろう。後期高齢者の父は心身が弱りつつあり、たまに救急車のお世話になっている。奇しくも、東大は父の母校であり、若き日は今回の「養成講座」の会場となった900番教室(下写真)で学んでいたのである。

以上、前置きが長くなりましたが、「市民後見人養成講座」の受講期間中(2015年1月11日まで)は、ブログ記事の更新頻度がやや低くなります。10月以降は本郷キャンパスで学ぶことになり、授業日の第2・第3日曜日は教会の主日礼拝に参列することが難しくなります(聖公会の早朝聖餐式、及び本郷周辺のプロテスタント教会の夕礼拝への参列を検討しています)。また、実務演習や体験実習などのレポート作成もあるため、ブログ記事の更新は毎月3回ほどになります。何とぞご了承ください。


東京大学駒場キャンパスの講堂(900番教室)
<上写真の時計台と共に、旧制一高時代の校舎>

(注):民法に基づく「成年後見制度」とは、認知症や知的障害などで判断能力が衰えた方を支援するための国の制度である。「法定後見制度」と「任意後見制度」の2種類があり、前者は判断能力の度合いに応じて「後見」「保佐」「補助」の3類型に分かれている。ちなみに、私の学生時代は「禁治産(きんちさん)・準禁治産制度」と呼んでいた(2000年、民法の一部改正で「補助」を新設)。

◆主な参考文献など:
・「今日から成年後見人になりました」 児島明日美、村山澄江共著(自由国民社・2013年)
・「市民後見人養成テキスト」 大森彌、堀田力ほか共著(NPO法人 地域ケア政策ネットワーク・2014年)
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新教皇フランシスコ選出

2013年03月14日 | 雑記帳
カトリック藤岡教会の聖母像
(住所:群馬県藤岡市藤岡855)

「われらの教皇フランシスコのために祈らん。主願わくは、教皇を守り、かつながらえしめ、この世において幸いならしめ、敵の手にわたし給わざらんことを。汝は岩(ペトロ)なり。われこの岩(いわお)の上にわが教会を建てん。<祈願>すべての信仰(しんじゃ)の牧者、かつ主宰者にまします天主、主は御摂理によりて主のしもべなるフランシスコを教会の牧者として、これを司どらしめ給えり。願わくは、教皇の上に御慈悲をたれ・・・」(『公教会祈祷文』より「教皇のためにする祈」)。

「3月13日午後7時5分、システィーナ礼拝堂の煙突から白い煙が上がった。聖ペトロ大聖堂の鐘も鳴り響き、広場には大歓声が上がった。第266代教皇にホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿が選出され、新教皇はフランシスコと名乗ることが発表された。ベルゴリオ枢機卿は1936年12月17日、アルゼンチンの首都ブエノスアイレス生まれ。ラテン・アメリカからの教皇は初めてで、バチカン放送によるとイエズス会からも初の教皇となった」(カトリック新聞オンラインより。一部要約)。

ニッポンのメディアは偏向報道の巣窟だが、その代表格「朝日新聞」は次のように伝えた。「世界に約11億人の信者を抱えるローマ・カトリック教会は、欧米での教会離れや聖職者による性的虐待問題、内部文書流出事件など様々な問題を抱えている。新法王は就任早々、難題に向き合うことになる」。だが、カトリックの歴史を振りかえると、これまでも幾多の大きな困難を克服してきたことが分かる。「朝日」のように国家権力の走狗となる過ちを繰り返す翼賛機関には理解不能だけれど。


カトリック藤岡教会聖堂
“ New Pope, New Hope! ”

<付記>
3月13日付「ニューヨーク・タイムズ」電子版は、新教皇の横顔を次のように伝えている(意訳)。「多くのアルゼンチン人と同じく、76歳の新教皇もサッカー・ファンであり、特にサン・ロレンソがご贔屓のチームだ。貧しい自国民を思い、公邸や公用車の特権を放棄した。自炊をこなし、移動は公共の交通機関を利用。国民は親しみを込めて『ファーザー・ホルヘ』と呼んでいるが、1970年代のアルゼンチン軍事政権への対応が不十分だったとの意見もある」。
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教皇ベネディクト16世、退位表明

2013年02月13日 | 雑記帳
カトリック銚子教会の聖母像
(住所:千葉県銚子市栄町1-1448)

愛国心が旺盛なテレビ中毒者と安倍晋三らが「建国記念の日」とやらに浮かれていた2月11日(月)、バチカンでは教皇ベネディクト16世が突然の退位を表明され、全世界に衝撃を与えた(この日はまた、「ルルドの聖母」の記念日でもあった)。今月末の午後8時から「使徒座空位」が始まり、来月の復活祭までに枢機卿団のコンクラーヴェによって新教皇が選出される。カトリック中央協議会の公式サイトに訳出された教皇様の退位宣言は以下の通り(一部要約)。

「神のみ前で繰り返し良心を糾明した後、私は高齢のために、私の力はペトロの奉仕職を適切に行使するにもはや耐えないことを確信するに至りました。多くの急激な変化を伴い、信仰生活にとって深刻な意味をもつ問題に揺るがされている現代世界にあって、聖ペトロの船を統治し、福音を告げ知らせるには、肉体と精神の力がともに必要です。この力が最近の数か月に衰え、私に委ねられた奉仕職を適切に果たすことができないと自覚するまでになりました」。

今、私は使徒的勧告『愛の秘跡』を読み返している。本書の中で、教皇様は「聖体の秘跡の中で祝う愛を、自分だけのためにとどめておくことはできません」(122頁)、「宣教のわざへと導かれることなしに、聖体の食卓に近づくことはできません」(123頁)と強調されている。私は「聖体は個人的秘跡・恩恵」と(何となく)考えていたが、本書を通してミサの語源「missio(派遣)」につながる意味に気が付いた。教皇様から授かった「学恩」に心から感謝を申し上げたいと思う。


カトリック銚子教会聖堂

◆主な参考文献など:
・「使徒的勧告 愛の秘跡」 教皇ベネディクト16世著(カトリック中央協議会・2008年)
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