三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

カトリック五日市霊園

2012年11月29日 | 東京のカトリック教会
カトリック五日市霊園の聖母像
(住所:東京都あきる野市伊奈1)

JR五日市線の武蔵増戸(むさしますこ)駅で下車。奥多摩の山々に囲まれ、秋川が流れるあきる野市は、1995年に五日市町と秋川市が合併して誕生した。中学校の遠足で秋川を訪れて以来、私には今も五日市の名が懐かしい。さて、線路沿いに西へ歩くこと10数分、右側の丘陵に棚田のようなカトリック五日市霊園が見えてきた。カトリック府中墓地と共に、東京大司教区が管理している墓地だ。霊園の入口には、大きな三角屋根のあきる野教会がある。

1969年、五日市霊園の第一期工事が完成。翌年には着座されたばかりの白柳誠一大司教を迎えて、死者の月の追悼ミサが行われた。日当たりの良い急斜面に、墓石や十字架が整然と並んでいる。何と、最上段に昇るためのリフト(車椅子用?)があった。お線香の匂いが漂わず、卒塔婆を見かけないのが、いかにもカトリックの墓地らしい。霊園内には聖堂(兼集会所)もある。草創期のあきる野教会は自前の聖堂がなく、ここでミサを捧げていたという。

五日市におけるカトリックの歴史は古い。明治前期、五日市の有力者・内山安兵衛は、カトリック信徒で民権運動家の山上卓樹(泉町教会献堂に尽力)の知遇を得て受洗、内山邸には聖堂が置かれた(安兵衛関連の記事はこちら)。第二次大戦後、秋川に臨む古い別荘跡にカトリック秋川荘が設立され、ここに間借りする形でカトリック五日市教会が創立(1967年)。その後、約30年を経て閉鎖されたが、明治以来の信仰の灯はあきる野教会に継承されている。


霊園遠景


<カトリック五日市霊園聖堂>

◆主な参考文献など:
・「カトリック東京教区年表」 高木一雄編(カトリック東京大司教区・1992年)
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王であるキリストの祭日ミサ

2012年11月27日 | ミサ聖祭
カトリック府中教会の聖母子像
(住所:東京都府中市府中町1-40-11)

在日米軍の「軍紀」が乱れている。米兵の犯罪が後を絶たない。だが、ニッポン政府は尖閣問題で示した「断固たる態度」で臨まない。もちろん、メディアも批判しない。それどころか、「日米同盟の深化」を傷つけまいとして事実を矮小化している。中国のアラ探しは血眼になるくせに、在日米軍が繰り返す乱暴狼藉は黙殺。だから、テレビ中毒者は「米軍は正義の味方」と信じて疑わず、ニッポンが「ジャイアンの威を借るスネ夫」に甘んじることを何とも思わない。

11月25日(日)、府中教会で王であるキリストの祭日ミサに与った。この日は典礼暦最後の主日であり、来週の待降節から新しい年度が始まる。午前8時、ミサ開祭。福音朗読は、イエスがピラトに尋問された場面(ヨハネ18・33b-37)。主任司祭のビッフィ・マウリツィオ神父は、「今日の祭日が定められたのは1925年、欧州で独裁者が台頭している時期でした。当時の教皇様(ピオ11世)は、『この世を救われる王は、キリストである』とアピールされたのです」と話された。

「今、強い日本をつくろうとする動きがあります。しかし、私たちは王であるキリストのもとで、他の国々や民族と争っても意味がない。むしろ、共に歩む道を探すべきです」。来月の総選挙で神父様の懸念は現実のものとなり、弱者と外国人を憎悪する人々によって、戦前の軍国主義と排外的国粋主義が蘇生するかもしれない。だが、テレビ中毒者が望む「強い国」は、世界から嫌悪と嘲笑の的になるだろう、「ニッポンは過去の過ちから何も学んでいない愚かな国だ」と。


カトリック銚子教会のイエス・キリスト像
(住所:千葉県銚子市栄町1-1448)

◆この日のミサ中の主な歌:
ミサ曲1(典礼聖歌203-206。栄光の賛歌は読誦)、入祭:典礼聖歌163「よろこびに」、奉納:カトリック聖歌69「我らは御身のもの」、拝領:典礼聖歌128「主を仰ぎ見て」、閉祭:典礼聖歌405「ひとつになろう」。
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「心のともしび」感謝ミサ

2012年11月23日 | ミサ聖祭
ある晴れた日の東京カテドラル関口教会
(住所:東京都文京区関口3-16-15)

先日、「維新の会」の橋下徹が遊説先の広島で「核廃絶は無理。日本はちょっと平和ぼけ」と言い放った。そして、「維新の会」代表の石原慎太郎は「核保有論」をブチ上げた。だが、例によってマスコミは橋下と石原を批判しない。それどころか、「第三極!第三極!」と大騒ぎしている。中国のアラ探しは血眼になるくせに、橋下や石原が繰り返す暴言は黙殺。だから、テレビ中毒者は小ヒトラーどもに歓呼の声をあげ、「維新の会なら何かやってくれる」と信じて疑わない。

11月23日(金)、東京カテドラルで「心のともしび」創立60周年・ラジオ放送15,000回記念の感謝ミサに与った。1952年、メリノール会司祭のハヤット神父は「カトリック善き牧者の会」を創立し、マクドナル神父と共にマスメディアを通した宣教(心のともしび運動)を展開。「暗いと不平を言うよりも、すすんで灯りをつけましょう」のモットーは広く知られている。以前はテレビ(地上波)版「心のともしび」もあったが、ラジオ版は現在も放送中(首都圏ではニッポン放送など)。

午後3時、ミサ開祭。主司式は岡田武夫大司教、そして駐日教皇大使チェノットゥ大司教が臨席された。マクドナル神父は、「46年間、私はハヤット神父と働きましたが、心のともしび運動は皆さまのお祈りによって支えられています」と話された。以前の記事でも触れたが、私の亡き祖父はテレビ版「心のともしび」をよく見ていた。遺品の中にはハヤット神父の小冊子『太陽のほほえみ』があった。だから、今日の感謝ミサは祖父の代理として参列したようなものである。


<キリストの光を放つ聖マリア大聖堂>

◆この日のミサ中の主な歌:
ミサ曲3(典礼聖歌211-214)、入祭:「主よ、あなたの愛の息吹で」、奉納:「心のともしび」、拝領:「マラナタ」、閉祭:「ごらんよ空の鳥」(すべて新垣壬敏氏の作曲。ご本人自ら聖歌隊を指揮)。

<付記>
今朝(11/23)のニッポン放送「心のともしび」を聞いてみた。おなじみのテーマ曲(ベートーヴェンの「田園」第1楽章)が流れ、ナレーターの坪井木の実さんが高見三明大司教のお話を朗読。放送時間は約5分、番組は「暗いと不平を言うよりも・・・」の名文句で終了。なお、今日のミサでは過去の放送音源を集めた記念CDが配布された。河内桃子さんの懐かしい声やテレビ版「心のともしび」のテーマ曲が収録されており、私にとっては「お宝」となった。神に感謝。

◆主な参考文献など:
・「心のともしび運動創立60周年を迎えて」 心のともしび運動本部編(カトリック善き牧者の会・2012年)
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年間第33主日のミサ

2012年11月21日 | ミサ聖祭
年間第33主日を迎えたサレジオ神学院
(住所:東京都調布市富士見町3-21-12)

石原慎太郎が「太陽の党」を結成した(実態は既存政党の名称変更。政党助成金目当ての姑息な手段)。したり顔で会見に臨んだ石原の姿は、ナチス党大会のヒトラーそのもの。だが、石原は舌の根の乾かぬうちに新党をご破算にして、橋下徹との野合を画策。まんまと「維新の会」代表に納まった。こんな無節操な人間の寄せ集めを、メディアは「第三極」ともてはやす。だから、テレビ中毒者は「石原さんや橋下さんなら何かやってくれる」と信じて疑わない。

11月18日(日)、調布教会で年間第33主日のミサに与った。神学院聖堂で祈りを捧げた後、調布教会聖堂へ。午前10時30分、ミサ開祭。福音朗読は、イエスが終わりの日を語られた場面(マルコ13・24-32)。司式の小坂正一郎神父は、「教会の年度末が近づくと、終末の教えが読まれます。私たちは滅びではなく、とこしえの星と輝く神に向かって歩むのです」と話された。閉祭の歌は、「信仰年」の公式聖歌「クレド・ドミネ(主よ、わたしは信じます)」。新曲である。

ミサ後、聖歌の歌唱練習があった。次週、「王であるキリスト」の祭日に歌う典礼聖歌367「賛美の賛歌(テ・デウム)」である。聖歌隊の方は「素晴らしい祈りの歌です」と絶賛されたが、私は「高田聖歌」独特の難解な節回しに四苦八苦。個人的には、カトリック聖歌12「われ神をほめ(テ・デウム)」の気高くシンプルな調べが好きだ。ところで、「テ・デウム」と言えば、私はヴェルディの「聖歌四篇」第4曲が思い浮かぶ。「聖歌」というよりも、「歌劇」のような傑作である。


<サレジオ神学院聖堂の扶助者聖母像>

◆この日のミサ中の主な歌:
ミサ曲2(典礼聖歌207-210)、入祭:典礼聖歌147「天は神の栄光を語り」、奉納:典礼聖歌111「主は来られる」、拝領:典礼聖歌171「わたしたちは神の民」、閉祭:「信仰年」公式聖歌「クレド・ドミネ (主よ、わたしは信じます)」(曲:教皇庁新福音化推進評議会、詞:日本カトリック司教協議会)。

◆参考CD:
・「ヴェルディ:聖歌四篇」 ムーティ指揮/スウェーデン放送合唱団ほか(EMI:CE33-5365)
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グレゴリオ聖歌による追悼ミサ

2012年11月19日 | ミサ聖祭
ある晴れた日のカトリック赤羽教会
(住所:東京都北区赤羽2-1-12)

突然、我らの野田佳彦首相が衆院を解散した。事実上の政権放棄であり、身勝手な茶番だ。来月の総選挙では、政権交代の期待をことごとく裏切った民主党が惨敗し、無責任一代男の安倍晋三を戴く自民党が返り咲くかもしれない。「美しい国(笑)」を夢見る安倍は、「戦後レジームの脱却(笑)」とやらに狂奔するだろう。ニッポンは再び世界から嘲笑の的となり、現行憲法で保障された国民の権利と自由が犯されることになっても、テレビ中毒者は正気に返らない。

11月17日(土)、赤羽教会でグレゴリオ聖歌による追悼ミサに与った。今月は「死者の月」なので、このような追悼の機会が多い。赤羽教会ではミサの約1時間前から、聖歌の歌唱練習があった。信徒の皆さんは朗々と歌われたが、私は続唱(ディエス・イレ)の難解な節回しに四苦八苦。メインとなるミサ曲は、カトリック聖歌581番「死者ミサ」である。以前、私はこのラテン語聖歌を、東京カテドラルでの荘厳司教ミサ、下井草教会での東日本大震災追悼ミサで耳にした。

午後3時、ミサ開祭。福音朗読は、イエスが「わたしは道であり、真理であり、命である」と話された場面(ヨハネ14・1-6)。司式の外国人司祭(お名前を失念しました)は、「今日は本当に素晴らしい集まりです。死者を思い、霊魂の安らぎのために祈ります。そして、亡くなられた方々も天国で私たちのために祈っているのです」と話された。厳かな聖堂にグレゴリオ聖歌の気高い調べが響く。私も亡き祖父と「御国において再会し、共に主を讃美し、永遠に楽しむこと」を祈った。


<カトリック赤羽教会聖堂>

◆この日のミサ中の主な歌:
カトリック聖歌581「死者ミサ(ラテン語聖歌)」、奉納:カトリック聖歌657「いつくしみふかき」、拝領:カトリック聖歌252「ああ主イエズスよ」、閉祭:カトリック聖歌543「サルヴェ・レジナ(ラテン語聖歌)」。
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