三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

四旬節第3主日のミサ

2011年03月29日 | ミサ聖祭
晴天に恵まれたカトリック八王子教会
(住所:東京都八王子市本町16-3)

3月27日(日)、カトリック八王子教会で四旬節第3主日のミサに与った。この日も放射能の恐怖は続いていた。今や日本の原発は「世界の迷惑」としか思えないが、それを伝える我が国のマスコミは極めて抑制的な論調だ。中国製の冷凍ギョーザ事件の時は、集団ヒステリーのように世論を煽っていたくせに、今回は菅政権と東電を温かく見守っている。何かがおかしい。「直ちに健康への影響はない」との“大本営発表”を聞くたびに、私は疑心暗鬼になっている。

漠然とした不安を抱えてのミサとなった。八王子教会へ着くと、私は聖堂裏の西隅にあるルルドを訪ねた。これは八王子教会出身の神学生3人が司祭に叙階されるのを記念して、1954年に造られたもの。神学生の一人に、後の枢機卿となった白柳誠一師もいた。「聖ベルナルドも言わるる如く、沈むことを免れたいと思うなら、我等の目をあげ、光より離れず、切にマリアを通じて救いと憐れみを求めよう」。 当時、主任司祭だった西田佐市神父の言葉である。

聖堂に入ると、黙想会が行われていた。講師は聖パウロ修道会の澤田豊成神父。既に会衆席は超満員だ。私は講話の大半を聞き逃した。遅刻を悔い改め、ミサ開祭。主任司祭の稲川圭三神父との共同司式である。この日は手話通訳が付いていた。聴覚障害の信徒も手話で祈りを唱える。胸を打たれる姿だ。澤田神父は「四旬節中の祈り」を強調された。イエスは「明日のことまで思い悩むな」と諭される。私も悲観的になる時間を、希望を託す祈りに捧げよう。


カトリック八王子教会の「ルルドの洞窟」
初めての主日ミサ以来、私は八王子教会をよく訪れている)

◆主な参考文献など:
「叙階五十年を活きる」 西田佐市神父金祝記念事業実行委員会編(カトリック八王子教会・1987年)
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カトリック赤堤教会

2011年03月26日 | 東京のカトリック教会
カトリック赤堤教会(教会堂名:王であるキリスト)
創立:1967年 ◇ 住所:東京都世田谷区赤堤3-20-1

東急世田谷線の松原駅で下車。都内では世田谷線のような路面電車形式は珍しく、都電荒川線とともに貴重な存在となっている。東急電鉄によれば、「世田谷線は当社唯一の軌道線です。以前は旧玉川線の一部でした」。渋谷教会の記事でも触れたが、玉川線とは国道246号を走っていた路面電車のこと。1969年に廃止され、「現在は世田谷線が、その頃の面影を今に残しています」(東急電鉄)。実際は「江ノ電」のように専用軌道線を走っている。

「八月、ひどく暑いさかりに、この西松原住宅地に引越した(中略)。新宿から電車で一時間もかかる所だから家かずはまだ少ない」(遠藤周作「海と毒薬」)。中学生の頃から、私は北杜夫氏の本を愛読している。狐狸庵山人との交遊を綴った「マンボウもの」が契機となって、遠藤氏の本も読むようになった。「ぐうたらもの」は好きになれなかったが、戦時中の生体解剖事件を扱った「海と毒薬」を読んだ時の衝撃は忘れられない。その後、私は「沈黙」へと進んだ。

赤堤教会の最寄り駅は松原だが、世田谷区には松原教会が京王線の明大前駅にある。「海と毒薬」で描かれた「家かずはまだ少ない」という松原の風景は、現在ではとても想像できない。昭和20年代、赤堤の「埃っぽい道の竹藪の先の荒れ果てた日本家屋」が、ケベック外国宣教会の日本管区本部となった。併設の幼稚園に近隣の信徒が集まり、これが赤堤教会へと発展した。聖堂と園舎の周辺は桜などの樹木が繁り、敷地全体が庭園のような教会だ。


現聖堂献堂:1967年

◆主な参考文献など:
・「海と毒薬」 遠藤周作著(新潮文庫・1986年)
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習志野台団地の思い出

2011年03月24日 | 雑記帳
郷愁の公団習志野台団地
(住所:千葉県船橋市習志野台6丁目)

豊田教会志村教会の記事で、私が公団住宅で暮らしたことに触れた。そこは東京通勤圏の新京成沿線で、「千葉都民」と呼ばれた人々のベッドタウン、船橋市の習志野台団地である。私は小学5年生までの約10年間をここで過ごした。旧陸軍演習場があった習志野原に、この団地が造成されたのは1967年のこと。直方体の住棟が整然と並ぶ光景に、幼い私は「近未来都市」を予感した(笑)。公園などの緑地は団地っ子で溢れ、商店街も活気に満ちていた。

2年前、私は習志野台団地を訪れた。街はあの頃とほとんど変わっていない。私が暮らした住棟も昔のまま。団地っ子を見守ってきた木々が大きく成長している。ただ、庭のように広かった芝生が、駐車場のために大きく削られている。テレビゲーム以前の昭和50年代、この芝生で団地っ子は日が暮れるまで遊んだものだ。エアコンは全世帯に普及していなかったが、大人も子どもも自然に過ごしていたと記憶している。だが、今の私は電力浪費の生活を送っている。

国際エネルギー機関(IEA)によれば、「日本は原発の不足分を補う火力発電の余剰能力がある」という(但し、日本は東西で電気の周波数が異なる)。「計画停電」の中で、私は原発に依存しない暮らしを望むようになった。我が国では原発に消極的な立場を取ると、ある種の政治活動を連想する人々がいる。欧州では自然エネルギーを積極的に導入する国々もあると聞く。今後、私は団地の何でもない日々を思い出しながら、余剰電力の削減を心がけたい。


私が住んでいた7街区付近にて


心のふるさと、公団習志野台団地
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カトリック志村教会

2011年03月22日 | 東京のカトリック教会
カトリック志村教会(教会堂名:勤労者聖ヨセフ)
創立:1967年 ◇ 住所:東京都板橋区坂下1-38-22

地下鉄の都営三田線は、志村坂上駅を過ぎると、地上の高架線を走る。車窓から望む板橋の町並みが、初めて訪れた異国の風景のように映る。北は荒川が流れ、南は川越街道が往来している。東京の城北と呼ばれる地域は、私にとって未知の世界だ。恥ずかしながら、板橋と言えば「高島平団地」辺りしか思い出せない。ここを「日本の近代軍隊発祥の地」とする見方もある。幕末期、板橋の徳丸原で洋式調練による最初の砲術演習が行われたからだ。

都営三田線の志村三丁目駅で降りる。環八通の向こうは、高層棟が目を引く都営坂下一丁目アパートがある。団地内には、5階建ての中層タイプも幾つか並んでいる。こちらは高度成長期の建設だろうか、いかにも「昭和の団地」という風情だ。千葉の公団住宅で育った私は郷愁に駆られて、青空に映える古い団地を撮った。板橋の地図を開くと、このような中小規模の団地が点在していることに気付く。有名な高島平団地は、ここから約1.5km先の西方にある。

志村教会に着く。屋根に十字架が無ければ、保育園舎か何かに見えてしまう建物だ。聖堂は戸建住宅のような間取りで、集会室などの小部屋が配置されている。志村教会によると、この聖堂は「背もたれのない椅子を並べただけ」「何となく落ち着かず、祈りの雰囲気に乏しい」という。だが、私が訪れたこの日、広い居室を思わせる空間は、春の柔らかな日差しに照らされ、イエスが縁側で寛いでいるような雰囲気を醸し出していた。家庭的な聖堂である。


現聖堂献堂:1967年


昭和の香りが漂う都営坂下一丁目アパート

◆主な参考文献など:
「滅びゆく武蔵野 第一集」 桜井正信・岡田沢治共著(有峰書店・1971年)
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計画停電の中で

2011年03月20日 | 雑記帳
手回し充電器付のラジオ。電池不要なので、非常に重宝している。
(祖父の遺品のルルドのマリア像とともに)

私が住んでいる地域は、「計画停電」の第2グループに属している。早朝と日中は何とかしのげるが、照明と暖房が消える夜間の停電には戸惑っている。多摩地域の小児病院や老人福祉施設などが不便を強いられる一方、停電の憂いも無く、都心の高級ブティックや居酒屋などは煌々と営業する理不尽に、私は激しい憤りを感じている。「節電」の悲痛な訴えもどこへやら、相変わらず深夜放送を垂れ流しているテレビ各局にも、はらわたが煮えくり返る思いだ。

夜間の停電中は、インターネットが使えず、電化のため風呂も焚けない。暗闇の中で、私は途方に暮れるはずだった。気晴らしに、愛犬と夜の散歩に行くと、月の明かりだけが漆黒の住宅地を照らしている。澄んだ夜空に無数の星も輝いていた。信号機が消えているので、交通量は極めて少ない。信じられないほどの静けさだ。遠くに多摩ニュータウンの夜景が見える。この時間帯は停電の対象外なのだろう。夜のとばりに、愛犬と私の足音だけが響いている。

暗い部屋の中で、今も厳しい寒さと飢えに苦しむ被災地のことを考えた。多くの方々が一刻も早く救われますように。今回の停電によって、久しぶりにラジオを聴くようになった。日中は買い置きしてあった本を読んでいる。テレビなどの余剰な電気製品によって、貴重な時間を奪われていたことに気がついた。今後、電力の供給量が復旧しても、私は「計画停電」を続けようと思う。からし種ほどの小さな努力だが、原子力発電に依存しない平穏な暮らしを取り戻したい。

<次回は教会巡りの記事「カトリック志村教会」を掲載する予定です>
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