三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

無原罪の聖マリアのミサ

2010年11月29日 | ミサ聖祭
東京純心女子学園聖堂(八王子市)

待降節に入る前日(11月27日)、東京純心女子学園聖堂で行われた「グレゴリオ聖歌による無原罪の聖マリアのミサ」に与(あずか)った。八王子の滝山丘陵にそそり立つ東京純心女子学園は、中学・高校・大学を擁するカトリック系の学校法人(1964年、長崎純心聖母会が設立)。聖母マリアが見守る丘の上のキャンパスは、クラブ活動に励む乙女たちの声で満たされていた。プロテスタント系の男子校を卒業した者の目には、すべてが華やかで清らかに映る(笑)。

学園聖堂は正門から勾配を少し上ったところにある。やや小規模な「おみどう」だが、大きく取られた窓から明るい光が一杯に差し込む。シンプルなステンドグラスの照射が美しい。ミサ開祭に先立ち、石川和子シスターによる短いレクチャーがあった。石川シスターは「ミサ曲2」などの作曲者であり、グレゴリオ聖歌の研究者。本日の聖歌隊の指揮も執っている。「高い音階には意味があります。例えば、ここのDeo(神)の歌詞では・・・」といった名調子で解説をされる。

ミサ開祭。司式は松戸教会(千葉県)の宮下良平神父。配布された小冊子をもとに、祭儀はすべてラテン語で進められた(説教などを除く)。約15名の聖歌隊は、純心女子学園の関係者で結成された「コール・マリエ」。グレゴリオ聖歌をナマで(かつ女声で)聴くのは初めてだったが、吉田秀和氏が「LP300選」(新潮文庫)で指摘するように、「《霊性》の直接的な表現」が豊かで、「リズムの自由な、純粋に《歌》であるところの音楽」だ。 全く清々しい気分になった。 神に感謝。


宵闇の東京純心女子学園聖堂
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カトリックあきる野教会

2010年11月26日 | 東京のカトリック教会
カトリックあきる野教会(教会堂名:諸聖人)
創立:1996年 ◇ 住所:東京都あきる野市伊奈1

JR五日市線の武蔵増戸駅を出て、線路沿いに西へ歩く。眼前に奥多摩の険しい山々が迫ってくる。南を流れる秋川の谷間は大悲願寺などの名刹があり、古くから文化が栄えたところ。五日市に於けるカトリックの歴史も古い。明治前期には、パリ外国宣教会のテストヴィド神父らが訪れている。今は無きカトリック秋川荘には、1996年に閉鎖された五日市教会もあった。さて、線路沿いを歩くこと10数分、右側に棚田のようなカトリック五日市霊園が見えてきた。

カトリック五日市霊園の入口で、あきる野教会の三角屋根が現れた。ここは宿泊施設もあり、教会学校などの研修に利用されている。草創期のあきる野教会は、一軒の廃屋に司祭と信徒が集い、ミサは霊園内の施設などで行なわれていたという。その廃屋の跡地に、現在の山荘を思わせる新聖堂が建っている。この日は他に訪れる人もなく、心静かに祈りを捧げた。なお、隣接するカトリック五日市霊園内にも、集会所を兼ねた小さな聖堂がある。

少し足を延ばして、内山安兵衛の墓を訪ねることにした。五日市出身の安兵衛(1865-1936年)は、明治前期の豪農民権家でカトリック信徒。旧関口天主公教会(現在の東京カテドラル)聖堂の一つは、安兵衛の有する山林の材木で献堂されたという。残念ながら、十字架が立つ墓標は発見できなかったが、安兵衛が洗礼を授かったという秋川に沿って歩き、渓谷の紅葉を楽しんだ。自然における神の栄光。 <後日、内山安兵衛の墓を訪ねた記事はこちら


現聖堂献堂:2000年


聖堂外観
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多摩カトリック小史(後編)

2010年11月25日 | 東京のカトリック教会
更地が広がる多摩平団地(日野市)。滅びゆく昭和の風景。

1936年(昭和11年)、メイラン神父が八王子教会での長い宣教を終えて、清瀬の「ベトレヘムの園」に移る。1941年(昭和16)、軍国主義を突っ走る日本は太平洋戦争の泥沼へ。外国人宣教師は特高警察の厳しい監視(暴行)を受ける。国内の戦況は悪化し、八王子教会が空襲で全焼。聖堂、伝道館などを失う。1945年(昭和20)、無謀な戦争が終わる。八王子教会の西田佐市神父は、焼け跡にバラックの仮聖堂を建て、戦後の復興に着手した。フロジャク神父は「ベトレヘムの園」に戦災孤児のための寄宿舎を開く。

1947年(昭和22)、信教の自由を保障した新憲法施行。1950年代以降、多摩地域の人口急増によって、八王子の分教会(立川・町田・豊田)が独立する。それ以前は、八王子教会の西田神父らが多摩全域を駆け巡り、信徒の自宅などで「家庭ミサ」を捧げていた。外国の修道会やケルン大司教区の援助を受け、設立された教会も相次ぐ。その一方、マンションの一室に司祭と信徒が集まり、東京教区の支援を得ながら、ついに独立の聖堂を献堂した多摩教会(1972年創立)の例は注目に値する。

時代が平成に移ると、五日市教会、福生教会などが閉鎖。多摩地域に於けるニュータウン開発の全盛期は過ぎ、深刻な少子高齢化の波が押し寄せる。教会学校が子どもの参加人数に悩む一方、急増する在日外国人のために、スペイン語などのミサが捧げられるようになった。岡田武夫大司教は「東京教区が、現代の荒れ野におけるオアシスでなければならない。泉となりたい」と述べている。明治初期、武蔵野の大地に蒔かれた福音は、これからも「からし種」の木のように大きく成長するだろう。 (文責:エウティコ)


◆主な参考文献など:
「追憶の樹蔭・メイラン神父の面影」 聖ベルナデッタ会編(中央出版社・1955年)
「叙階五十年を活きる」 西田佐市神父金祝記念事業実行委員会編(カトリック八王子教会・1987年)
「東京教区ニュース・11月号」第277号 (カトリック東京教区広報部・2010年10月25日)
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多摩カトリック小史(前編)

2010年11月23日 | 東京のカトリック教会
秋川の流れ。明治前期、外国人宣教師が訪れた奥多摩の地。

1873年(明治6)になって、ようやくキリシタン禁制は解かれたが、明治新政府が布教に寛容であったわけではない。民衆の間では「耶蘇教」に対する偏見も根強い。外国人宣教師の伝道は、言葉や習慣の違いに戸惑いながら、受難の歩みを余儀なくされた。1876年(明治9)、八王子出身の山上卓樹らが横浜の山手教会で洗礼を受け、カトリックの伝道士となる。幕末から明治初期にかけて、八王子の生糸を横浜港へ運んだ「絹の道」は、キリストの教えを多摩に伝えることになった。

1877年(明治10)、山上卓樹の故郷である元八王子(現在の八王子市泉町)に、福音の種が蒔かれた。封建時代の不条理に苦しんできた村人の間に、カトリックへの改宗者が続出する。翌年、多摩で最初の聖堂(現在の泉町分教会)が建てられ、教会付属の天主学校も出来た。パリ外国宣教会のテストヴィド神父らは、八王子を拠点に、五日市、青梅、立川、町田などを巡回伝道する。当時の多摩は自由民権運動も盛んであったが、その有力指導者にカトリック信徒が関係していたのは興味深い。

1896年(明治29)、八王子の中心地(本町)に本格的な聖堂が完成し、パリ外国宣教会のメイラン神父が長期司牧。この八王子教会が多摩伝道の“総本山”となる。昭和初期に入ると、パリ外国宣教会のフロジャク神父が、中野に「ベタニアの家」、清瀬に「ベトレヘムの園」などの結核療養施設を開く。1934年(昭和9)、2万坪の療養農園「ベトレヘムの園」に、秋津教会が建てられた。広い園内には、現在も医療・福祉・教育関連の施設が並ぶ。多摩に於けるパリ外国宣教会の足跡は大きい。 (文責:エウティコ)

後編に続く

◆主な参考文献など:
「多摩の百年(上)悲劇の群像」 朝日新聞東京本社社会部著(朝日新聞社・1976年)
「八王子教会百年」 カトリック八王子教会百年記念誌編集委員会編(同教会百年祭委員会・1977年)
「創立者フロジャク神父の小伝」 五十嵐茂雄著(ベタニア修道女会・1976年)
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ごあいさつ

2010年11月22日 | ごあいさつ
カトリック八王子教会聖堂
(住所:東京都八王子市本町16-3)

「教会の門はいつも開かれています」。この言葉に誘われ、東京郊外の多摩地域にあるカトリック教会を訪ねています。都市化の進む多摩ですが、いまなお里山などの自然が豊富で、武蔵野の面影が残っています。平日の教会は訪れる人も少なく、聖堂は静寂に包まれた「祈りの家」そのものです。都心の喧騒も聞こえません。未信者の私は、この聖なる空間に魅せられ、謙遜と畏れをもって念祷を捧げます。

数年前に『多摩の百年(上)悲劇の群像』(朝日新聞社・1976年)を読み、明治初期に「横浜から八王子の片田舎にキリスト教が飛び火した」(前掲書)事実を知るにつれ、多摩のキリスト教受容、外国人宣教師の足跡などに心が惹かれました。ことにカトリックへの親近感もありました。祖父は敬虔なカトリック信徒で、幼い私を教会に連れて行ってくれました。熱心に祈る祖父の姿を覚えています。

多摩っ子の私が、身近な教会を巡る動機は、「聖堂ウォッチング」「歴史的関心」もありますが、やはり「主を畏れ、主の道に歩む人」(詩編128)への憧れです。多摩にはノートルダムのような大聖堂はありませんが、武蔵野の大地に根を張った教会が点在しています。多摩丘陵の森に抱かれた修道院もあります。そうした教会のある光景、多摩の風土などを拙く綴ります。どうぞよろしくお願い致します。

2010年11月22日 聖セシリア殉教者の記念日に
エウティコ(Eutychus)記す。

◇略歴:カトリック系の病院で生まれ、プロテスタント系の高校を卒業、聖公会系の大学を中退。現在、京王線沿線在住。(追記:2016年3月26日、某修道会系のカトリック教会にて受洗。けがれなき聖母の騎士会会員。なお、当ブログ内には日本のカトリック教会批判等の不適切な表現を含む記事もありますが、当面それらは受洗前の「恥の記録」として残しています)
コメント (12)
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