三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

カトリック東松山教会(旧聖堂)

2016年09月01日 | 埼玉のカトリック教会
カトリック東松山教会(教会堂名:聖ヤコブ)
創立:1956年 ◇ 住所:埼玉県東松山市神明町2-9-3

2016年3月、私は受洗のお恵みに与ったが、その際に様々なお祝いも戴いた。まず、所属教会(東松山教会ではありません)からは雑誌『カトリック生活』半年間の送付、次に代父様からはフランシスコ会訳『聖書』(旧・新約)の贈呈、そしてカトリック新聞社からは『カトリック新聞』5週間の送付等である。その『カトリック新聞』を通して、今年3月に埼玉の東松山教会で新聖堂の献堂式が行われた事を知った。私が東松山教会を初めて訪ねたのは2012年、以下は当時の「旧聖堂」の巡礼記である。

東松山教会の沿革をおさらいしよう。「1956年、奄美大島から飛行場跡地(エウティコ註:旧陸軍松山飛行場か)の開墾のため入植した信者の話を受け、東松山駅南の古い工場をパリ外国宣教会が土地付きで買い取り、内装して献堂されたのが始まりの東松山教会。信徒の増加と共に、1988年、旧幼稚園舎を改築して新聖堂としたが、その後、新聖堂建設計画の取り組みが始まった」(さいたま教区公式サイトより転載)。東武東上線の東松山駅で下車、徒歩10分ほどで東松山教会に到着。

教会の敷地はかなり広く、旧幼稚園の古い園舎や園庭も現存していた。今は園児たちの歓声を聞くことはなく、ただ静寂に包まれている。隣接の「旧聖堂」も森閑としていたが、却って祈りの家に相応しい雰囲気を醸し出していた。この時の訪問から約4年の歳月が流れた。件(くだん)の「新聖堂建設計画の取り組み」も実現したようである。前述の『カトリック新聞』によれば、新聖堂は「地元の木材を使用したいとの希望から、木造で建築した」という。いつかまた、東松山を訪ねたいと考えている。


旧聖堂献堂:1960年(旧園舎)


教会の敷地内にて(上写真3点とも2012年撮影)

◆主な参考文献など:
・「北関東のカトリック」 カトリック浦和教区史誌編集委員会編(カトリック浦和教区事務所・1990年)
・「カトリック新聞」第4334号 (カトリック新聞社・2016年4月17日付)
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カトリック入間宮寺教会

2015年11月06日 | 埼玉のカトリック教会
カトリック入間宮寺教会(教会堂名:主の昇天)
創立:1911年 ◇ 住所:埼玉県入間市宮寺2837

西武池袋線の入間市(いるまし)駅から、入間市博物館行きの西武バスに乗り、博物館入口停留所で下車。角を曲がると、東京のカトリック泉町教会とよく似た聖堂が出現。入口前の「入間市景観50選」の説明板を転記しよう。「毎週日曜日の朝、カランカランと鐘が響きます。(中略)宮寺教会は、明治43年(1910)、メーラン神父によって、カトリック教会としては埼玉県で最初に作られた教会です。時代を越えた普遍的な光景は今でも続いています」。畳敷きの現聖堂は、1911年の献堂である。

旧宮寺村の川嶌清蔵らは商用で八王子の泉町を訪れ、そこでカトリック伝道士の山上卓樹との知遇を得た。1886年、清蔵ら10人の村人はヴィグルー神父(パリ外国宣教会)から受洗し、宮寺での教会創立の原動力となる。その後、八王子からメイラン神父が宮寺を巡回司牧で訪れるようになり、川嶌家でミサを捧げていたが、1911年に現在の鐘塔付き聖堂が献堂された。入間市内の武蔵豊岡教会(日本基督教団)礼拝堂(ヴォーリズ設計)と共に、埼玉県に現存する貴重な教会建築と言えよう。

聖堂の内部は「畳敷きのワンルームで、一段高い祭壇の部分は板敷き。真ん中の畳を一列だけ縦使いにして、祭壇の中心性を高めている。メイラン神父の指導の下に、地元の大工が苦労して教会建築を手掛けた様子がうかがえる」(『百年誌』から要約)。祭壇の左右には、メイラン神父がパリから取り寄せた小さなステンドグラスもある(下写真2)。明治後期の古い聖堂内はメイラン神父や村人たちの賛美の歌声が残っているかのようだ。現在、入間宮寺教会は所沢教会の巡回教会となっている。


現聖堂献堂:1911年
<入間宮寺教会でのミサの様子は、こちらを参照


<メイラン神父がパリから取り寄せたステンドグラス>

◆主な参考文献など:
・「みやでら カトリック入間宮寺教会100年の歩み」 同教会百周年記念誌編纂委員会編(同教会・2011年)
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カトリック川越教会

2015年09月01日 | 埼玉のカトリック教会
カトリック川越教会(教会堂名:大天使聖ミカエル)
創立:1917年 ◇ 住所:埼玉県川越市六軒町1-17-15

JR八王子駅から川越(かわごえ)行の八高線に乗る。八王子駅構内に懐かしのディーゼル機関車(DE10形)が停まっていた(下写真2)。引退寸前の「昭和の老兵」ではあるが、その郷愁が漂うたたずまいをカメラに収めた。さて、埼玉の小江戸(こえど)と称される川越は古い城下町だが、市内には日本聖公会の川越基督教会(1878年創立)があり、その古い煉瓦造りの礼拝堂は文化庁の登録有形文化財に指定されている。そして、川越に於けるカトリック宣教の歴史も古い。

カトリック川越教会の沿革をおさらいしよう。「1912年、プラシード・メイラン神父は川越の六軒町に一千坪弱の土地を買収し、平屋の日本家屋を建て聖堂兼伝道館にした。当時の教会の敷地は麦畑と桑畑、その周囲には桐畑があり、教会は緑におおわれて、黙想には最適の雰囲気をかもしだした。1917年には(カトリック八王子教会の)巡回教会から小教区へと独立し、1933年には教会の敷地の中央に白亜の十字架鐘楼付の聖堂を建立した」(『北関東のカトリック』から要約)。

「鎖国政策をとった徳川幕府の親藩、または譜代大名の藩として繁栄した川越でカトリックの芽が育つのは、極めて困難であったに違いない。川越教会の洗礼台帳を見ても、洗礼第一号の信者は1892年とあり、キリスト教禁制の高札が撤去されてから20年近く経過している」(前掲書)。川越教会に着いた。旧聖堂の「白亜の十字架鐘楼」を模した屋根が目を引く。ここもまた、“歩く宣教師”・メイラン神父の足跡が残されていたのである。森閑とした聖堂内で、先人の遺徳を偲んだ。


現聖堂献堂:1992年


ディーゼル機関車 DE10-1073号機
(JR八王子駅構内にて。2012年撮影)

◆主な参考文献など:
・「北関東のカトリック」 カトリック浦和教区史誌編集委員会編(カトリック浦和教区事務所・1990年)
・「八王子教会百年」 カトリック八王子教会百年記念誌編集委員会編(同教会百年祭委員会・1977年)
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カトリック朝霞教会

2015年07月15日 | 埼玉のカトリック教会
カトリック朝霞教会(教会堂名:諸聖人)
創立:1971年 ◇ 住所:埼玉県朝霞市本町3-2-56

東武東上線の朝霞(あさか)駅で下車。市内には陸上自衛隊朝霞駐屯地があり、3年に1度の中央観閲式はここで行われる。陸上自衛隊がパレードする際の「陸軍分列行進曲」(注)は、戦時中の学徒出陣の記録映像でも流れていた悲愴な調べである。2015年7月、「国家神道原理主義」の自民党と「平和と福祉の党」を詐称する公明党が恐るべき「戦争法案」を強行採決しようとしている。再び「陸軍分列行進曲」と共に、若者たちが「殺し、殺される」戦場へ送られるのか。

カトリック朝霞教会の沿革をおさらいしよう。「1970年当時、司牧と宣教の空白地帯になっていた朝霞では、急速な都市化に伴う転入者の信徒が隣接する諸教会に通っていた。そのため、朝霞駅前のマンションの一室を借り、この地域の信徒を結集し、『朝霞カトリック同志会』と称して司牧と宣教を開始した。しかし、小さなマンションに大勢の信徒が出入りする問題などから、自分たちの教会を望む声が高まり、1971年に教会堂を建設した」(『北関東のカトリック』から要約)。

朝霞教会に到着。壁面にPX(パックス)の文字がなければ、ここが教会とは思えない外観である(しかも、一般の人々がPXの意味を理解しているとは思えない)。遠目には工務店かリフォーム会社の営業所のように見えてしまう(失礼!)。朝霞教会は司祭が常駐していないのだが(2012年10月訪問時)、この日は聖堂の扉が開いていた。内部は静かな祈りの空間であり、聖櫃が祭壇脇の「床の間」に安置されている。小さな聖母子像に活けた大きな花が美しい(下写真2)。


現聖堂献堂:?年


カトリック朝霞教会の聖母子像

(注):1886年、いわゆる「お雇い外国人」として来日したフランス陸軍の軍楽隊長シャルル・ルルー大尉が作曲。1897年頃、旧陸軍の公式行進曲に制定され、第二次大戦後も陸上自衛隊が演奏している。

◆主な参考文献・CDなど:
・「北関東のカトリック」 カトリック浦和教区史誌編集委員会編(カトリック浦和教区事務所・1990年)
・CD「吹奏楽大全集Vol.3 祝典行進曲」 演奏:陸上自衛隊中央音楽隊ほか(Crown:CRCI-20351)
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カトリック所沢教会

2015年06月28日 | 埼玉のカトリック教会
カトリック所沢教会(教会堂名:アシジの聖フランシスコ)
創立:1955年 ◇ 住所:埼玉県所沢市小手指町1-23-1

西武池袋線の小手指(こてさし)駅で下車。私が習志野の団地っ子だった頃、所沢界隈の航空自衛隊入間(いるま)基地で開催された「国際航空宇宙ショー」を見たことがある。米軍のF15イーグル戦闘機、P-3Cオライオン哨戒機、超大型輸送機ギャラクシーなどの最新鋭機に混じって、旧陸海軍の「零戦」や三式戦「飛燕(ひえん)」も展示されていた。記念品に「零戦」のポスターを購入した後、格納庫内で米軍楽隊の演奏を鑑賞。当時の私は安倍晋三もビックリの軍国少年だった(呆)。

カトリック所沢教会の沿革をおさらいしよう。「1955年、所沢に小教区が設立された。基地の街・所沢は、まもなく首都圏の新住宅地として信徒の流入が激しくなって行く。終戦当時、所沢に教会はなく、この地域には陸軍航空士官学校(入間)校長の徳川好敏中将の他に、幾人かの信徒が在住していた。所沢星の宮に教会堂がフランスからの献金と駐留軍信徒の拠出金で建てられた。1974年、星の宮の土地を電報電話局に譲り、現在地に移転した」(『北関東のカトリック』から要約)。

所沢教会に着いた。玄関ロビーでアシジの聖フランシスコの木像がお出迎え。木のぬくもりに満ちた聖堂(下写真1)は「日本一の宮大工」と称される金剛組が建設。同社は飛鳥時代(!)から千年以上の歴史を持つ「世界最古の企業」である。法隆寺の回廊を思わせる木の列柱が見事な聖堂内で、しばし祈りのときを過ごす。なお、近傍の入間市にある1911年創立のカトリック入間宮寺教会(下写真2。埼玉最古の聖堂)は、1955年以来、所沢小教区の所属(巡回教会)となっている。


現聖堂献堂:1997年


所沢教会の巡回教会、カトリック入間宮寺教会
(住所:埼玉県入間市宮寺2837)

◆主な参考文献など:
・「北関東のカトリック」 カトリック浦和教区史誌編集委員会編(カトリック浦和教区事務所・1990年)
・「カトリック所沢教会50年の歩み」 同教会50周年記念誌編纂委員会編(カトリック所沢教会・2005年)
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