三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

神現祭(主の洗礼祭)聖体礼儀、大聖水式

2015年01月25日 | 東方正教会
日本正教会 東京復活大聖堂教会
(住所:東京都千代田区神田駿河台4-1-3)

1月18日(日)、正教会の東京復活大聖堂教会(通称ニコライ堂)で神現祭(主の洗礼祭)聖体礼儀に参祷した。旧暦に基づく正教会は今月7日に降誕祭を祝い、その12日後の19日が「主の洗礼」となる(今年は主日に繰り上げ)。さらに、この日の聖体礼儀の式順は聖大ワシリィ(注)が編纂した「特別版」であった。午前10時、聖体礼儀の開始を告げる鐘と共に、ダニイル府主教と司祭が厳かに入堂。アカペラの聖歌が流れ、乳香の煙が漂う。聖水を求める人々が続々と増えてきた。

福音経の誦読は、「主の洗礼」の場面(マルコ1・1-8)。大浪佑二神父は、「そもそも、ハリストス(キリスト)は前駆授洗イオアン(洗礼者ヨハネ)によって清められる必要はなかったが、主はへりくだって私たちの罪を担われ、悔い改めの行為を果たされました。主の洗礼祭は私たちが受けた洗礼の機密(秘跡)、私たちに与えられた恩寵を新たにする日です」と話された。大浪神父の説教は示唆に富んでいた。そろそろ、私も受洗について真剣に考える時が近づいてきたようである。

領聖(聖体拝領)後、水を成聖(祝別)する大聖水式が行われた(下写真)。ダニイル府主教は灌水棒(箒)のようなもので会衆に聖水を振りかけられ、私もその恩恵に浴した。聖水は持ち帰りができるので、信徒の皆さんはボトルなどを持参。この聖水を飲む者は聖神(聖霊)の恵みが与えられるという。そこで、私も教会事務所で購入した専用のボトルを、聖水で満タンにした。帰宅後、それを沸騰させたお湯で、一杯の紅茶を飲んだ。確かに、聖神の恵みに満たされた味わいである。


聖堂の外で行われた大聖水式


聖歌、連祷、誦経が響く大聖水式

<付記>
この日の大浪神父の説教から。「主が水の中から上がられた時、聖神(聖霊)が鳩のように降りました。ダマスコのイオアンは、この時の鳩を旧約の大洪水の終わり告げた鳩と結びつけて教えました。神様が大洪水によって地を清められた時、鳩は洪水の終わりと神様との平和の到来を告げて、オリーブの葉を箱舟に運びました。そして、主の洗礼の時には聖神が鳩のかたちに現れ、罪の赦しと新しい恵みの時代の始まりを告げたのです」。鳩が取り持つ「目からウロコ」の解き明かしだった。

(注)聖大ワシリィ(カイサリアのバシレイオス)は4世紀の優れた神学者で、カイサリアの主教。殆どの主日・祭日の聖体礼儀は聖金口(せいきんこう)イオアン編纂に拠るが、年10回だけ聖大ワシリィの「特別版」が執行される(降誕祭前日、「聖枝祭」を除く大斎期間等)。聖金口イオアン式に比べて、祈祷やそれに伴う聖歌などが長い。ちなみに、この日の聖体礼儀(大聖水式を含む)は約3時間を要した。

◆主な参考文献など:
・「ギリシア正教入門」 高井寿雄著(教文館・1980年改版)
・「正教会の手引」 水口優明編著(日本ハリストス正教会教団・2013年改版)
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主の降誕祭(クリスマス)聖体礼儀

2015年01月13日 | 東方正教会
日本正教会 東京復活大聖堂教会
(住所:東京都千代田区神田駿河台4-1-3)

12月25日(木)、正教会の東京復活大聖堂教会(通称ニコライ堂)で主の降誕祭聖体礼儀に参祷した。本来、東方正教会の旧暦に基づく「クリスマス」は年明けの1月7日であるが、ニコライ堂では日本の「クリスマス事情」を考慮して、新暦の12月25日も祝う。午前9時45分頃、私がいつものように大聖堂入口で蝋燭献金を済ませると、輔祭(助祭)が炉儀(香炉で聖堂を清める)を行っていた。奉事予定表では午前10時からとなっていたが、どうやら既に奉献礼儀が始まっていたらしい。

司祷(司式)は小野貞治神父。福音経の誦読は、占星術の学者たちが幼子と母マリアを訪ねる場面(マタイ2・1-12)。残念ながら、この日の聖体礼儀は説教が省かれたが、生神女マリヤが「悉(ことごと)く其心に蔵(おさ)めて」(ルカ2・19。正教会訳)いたように、み言葉を味わうことも必要となろう。ところで、正教会は「降誕祭」以上に「復活大祭」を盛大に祝う。これは、正教会の信仰の中心が「主の復活」にあるからだが、その「クリスマス」は俗世間の虚飾を排した厳粛なものであった。

東方正教の「クリスマス」といえば、私はアメリカの作曲家、アルフレッド・リードの「ロシアのクリスマス音楽(Russian Christmas Music)」という吹奏楽曲を思い出す。携香女の主日の記事でも触れたが、この作品は全編に正教聖歌風の旋律が散りばめられており、かつて吹奏楽部員だった私の愛好曲でもある。「東方の響き」が降誕祭の喜びを力強く歌いあげるラストは圧巻。本作はリムスキー=コルサコフの「ロシアの復活祭」と対になるだろう。謹んで主の御降誕のお慶びを申し上げます。


ニコライ堂境内を飾るイルミネーション
<ゆるキャラ系?赤鼻のトナカイさん>

◆主な参考文献・CDなど:
・「ギリシア正教入門」 高井寿雄著(教文館・1980年改版)
・CD「A Tribute to Alfred Reed」 A・リード指揮/ニュージャージー大学ウィンドEns.(Mark:3712-MCD)
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五旬祭後第25主日の聖体礼儀

2014年12月04日 | 東方正教会
日本正教会 東京復活大聖堂教会
(住所:東京都千代田区神田駿河台4-1-3)

11月30日(日)、正教会の東京復活大聖堂教会(通称ニコライ堂)で、五旬祭後第25主日の聖体礼儀に参祷した。この日からカトリックや聖公会はアドヴェントに入るが、東方正教会の旧暦に基づく「主の降誕祭」は年明けの1月7日(水)である。ただし、ニコライ堂では日本の「クリスマス事情」に配慮して、新暦の12月25日(木)も祝う。午前10時、聖体礼儀の始まりを告げる鐘と共に、ダニイル府主教と司祭が厳かに入堂。この日の福音経の誦読は、「愚かな金持ち」のたとえ(ルカ12・16-21)。

市村直巳神父は、「金持ちが愚かなのは、本当の豊かさを知らず、自分のために富を積むからです。物質的な豊かさは、時に私たちに神を忘れさせます。この世の財産が最も大切と思う人は、その奴隷となり、神の招きに応えることができません。だから、イイスス(イエス)は、このような人々は救われにくいと言われました。この世の財産に囚われることで、神に従う自由が失われます。つまり、イイススが説かれたのは、全ての人が父である神への信頼に生きる、ということなのです」と話された。

「金銭への執着は全ての悪の根源です。正教会では本日の福音について、真であり不滅の富とは物質的な財産ではなく、道徳にあると教えています。聖使徒パウエル(パウロ)が『上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい』(コロサイ3・2)と言う通りです」。この日も市村神父の説教は示唆に富んでいた。今やニッポンは強欲拝金主義に囚われ、空虚な「アベノミクス」に浮かれている。財政破綻や原発事故で潰滅する日まで、この国は「目先のカネ」に執着するだろう。


ニコライ堂境内の府主教庁。1875年竣工の旧伝道館。
(都内に現存する最古の煉瓦造洋館。伝レスカス設計)

◆主な参考文献など:
・「ギリシア正教入門」 高井寿雄著(教文館・1980年改版)
・「ニコライ堂と日本の正教聖堂」 池田雅史著(東洋書店・2012年)
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ロシア正教会駐日ポドヴォリエ(本駒込)

2014年11月28日 | 東方正教会
ロシア正教会駐日ポドヴォリエ 聖ニコライ聖堂
(住所:東京都文京区本駒込2-12-17)

11月23日(日)、地下鉄丸ノ内線の本郷三丁目駅で下車し、東京大学へ向かう。前回もお知らせした通り、私は東大の一般市民向け公開講座を受講している。会場は本郷キャンパスだったので、この日も講義の合間に周辺の教会巡りに勤しんだ。東大を中心とする本郷界隈は、ちょっとした「教会銀座」の様相を呈しているが、今回はロシア正教会モスクワ総主教庁駐日ポドヴォリエの聖ニコライ聖堂を訪ねた。「ポドヴォリエ(露語で旅籠屋などの意)」は、ロシア正教会の「日本出張所」である。

駐日ポドヴォリエの沿革を概観すると、アメリカとロシア(旧ソ連)に翻弄された日本正教会の「教会分裂」の悲劇が見えてくる。戦後、日本正教会は「GHQの意向」を汲んで、米国正教会から主教を迎えることになった。この動きに反発した一部のグループはロシア正教会の帰属を望み、ポドヴォリエが“モスクワ派”の拠点となったのである。宣教の正当性やニコライ堂の取戻などを巡って、両派は米ソ冷戦のように争ったが、後の米ロ両正教会の「雪どけ」により、現在は完全に和解している。

東大正門から徒歩20分ほどで駐日ポドヴォリエに到着。玄関周りに生神女のイコンや八端十字架などがなければ、そこがロシア正教会の「出張所」とは気付かないだろう。この古い建物は「旧ロシア民間人クラブ」だったらしい。今は「権力闘争」の嵐も過ぎ去り、静かな時間が流れている。近年、駐日ポドヴォリエは主日の聖体礼儀を目黒の新聖堂(2008年成聖)で行っているため、駒込の聖ニコライ聖堂は平日の奉神礼だけのようだ。私は午後の講義が迫ってきたので、慌てて本郷へ戻った。


駐日ポドヴォリエに近い旧理研23号館。1919年竣工。
(住所:東京都文京本駒込2-28-45)

<付記>
日本正教会の「教会分裂」につき、牛丸康夫神父は次のように指摘されている。「終戦時代の混乱期において、ソ連のロシア正教会の事情も、アメリカのロシア正教会の事情も知ることは困難で、正しい情報もなかったので正しい判断を誰もが下すことはできなかった。ただ敗戦の結果、連合司令部の許可なくしては国外のどのような教会とも交渉関係をもつことはできないということだけは誰もが知っていた」(『日本正教史』より)。その後の和解への経緯は、中村健之介氏の著書『ニコライ』が詳しい。

◆主な参考文献など:
・「日本正教史」 牛丸康夫著(日本ハリストス正教会教団府主教庁・1995年再販)
・「ニコライ」 中村健之介著(ミネルヴァ書房・2013年)
・「ギリシア正教 東方の智」 久松英二著(講談社選書メチエ・2012年)
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五旬祭後第20主日聖体礼儀

2014年10月27日 | 東方正教会
日本正教会 東京復活大聖堂教会
(住所:東京都千代田区神田駿河台4-1-3)

裏金疑惑の小渕優子、「うちわ」問題の松島みどり、ネオナチと「ねんごろな」稲田朋美と高市早苗。こんな連中が安倍晋三の言う「ニッポンの輝く女性」なのか。そういえば、醜悪なヘイトスピーチの徒党「在特会」と親密な山谷えり子の「活躍」も際立っている。彼女は「敬虔なカトリック信者」だが、御聖体を拝領したその口で、品性下劣な妄言を吐いている。もっとも、山谷は日本のカトリック教会を蝕む「あなたはもうすでに、救われている」宣言が虚構であることの「証し人」にはなっている。

10月26日(日)、正教会の東京復活大聖堂教会(通称ニコライ堂)で、五旬祭後第20主日の聖体礼儀に参祷した。午前10時、聖体礼儀の始まりを告げる鐘と共に、ダニイル府主教と司祭が厳かに入堂。この日はロシア正教会モスクワ教区の長司祭セルギイ神父も陪祷された。福音経の誦読は、「種を蒔く人」のたとえ(ルカ8・5-15)。大川満神父は、「種が蒔かれた所は私たち自身です。道端、石地、茨に変化する私たちは良い土地とは言えず、不安定な信仰の持ち主なのです」と話された。

「そんな私たちが救われるのは、世の罪を背負った救世主の無限の愛があったからこそ。救世主なくして、私たちは救いに与ることができません。その救いは人間によるものではなく、イイスス・ハリストスの福音によります。私たちハリスティアニン(クリスチャン)の国籍は天国であって、地上の国籍ではないのです」。大川神父が言われた「国籍」。地上のそれに執着する虚しさは、ニッポンの品性下劣な極右クリスチャンども(カトリック信者の山谷えり子、曽野綾子ら)が「証し人」になっている。


ニコライ堂境内に残る旧ニコライ学院。1996年閉校。
(1895年竣工。当初はニコライ堂の附属図書館だった)


旧ニコライ学院(旧図書館)の外観
<現在、正教の教えを学ぶ伝道会は、ここで開講中>

<付記>
今年5月の瞽者の主日聖体礼儀の記事でも触れたが、旧ニコライ学院の建物(上写真)は、かつてニコライ堂の図書館だった。ニコライ大主教の後継者となったセルギイ(チホミロフ)府主教(1871-1945年)の手記によれば、関東大震災時にニコライ堂を襲った火災は「想像を絶する熱気で、図書館の三階を見ると屋根から煙が上がっている。見る間に、屋根が一瞬にして燃え上がり、五分後には二メートルを越える炎が屋根を飲み込んでしまった」という。現在は1・2階部分が残っている。

◆主な参考文献など:
・「ニコライ堂遺聞」 長縄光男著(成文社・2007年)
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