三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

チマッティ神父の「月命日」ミサ

2015年08月11日 | ミサ聖祭
1951年竣工の調布サレジオ神学院本館
(住所:東京都調布市富士見町3-21-12)

1981年、教皇ヨハネ・パウロ2世は『広島平和アピール』の中で、次の言葉を繰り返された。「過去をふり返ることは将来に対する責任を担うことです」。1985年、旧西ドイツのヴァイツゼッカー元大統領は戦後40周年の演説の中で、次のような警告を発した。「過去に対して眼を閉ざす者は、結局は現在に対しても盲目となります」。2015年、愚劣な安倍ジャパンは過去から何も学ぼうとせず、恐るべき戦争法案と原発再稼働とによって、自壊の道を歩み始めた。「悟りのない民は滅びる」(ホセア4・14)。

8月6日(木)、調布のチマッティ記念聖堂で、チマッティ神父の取次ぎを願うミサに与った。毎月6日の「月命日」は、チマッティ神父の遺徳を偲ぶミサが捧げられている。午前10時30分、ミサ開祭。学校が夏休みのため、聖堂内には子どもたちの姿もあった。入祭の歌「刈り入れは」を歌う。荘厳なミサ曲など、主な歌はチマッティ神父の作曲である。司式は、チマッティ資料館館長のコンプリ神父。福音朗読は、主の変容の場面(マルコ9・2-10)。この日は主の変容の祝日で、広島原爆忌と重なっていた。

コンプリ神父は、「救いとは何でしょうか。死や病気から逃れることでしょうか。救いはこの世のあと、すなわち『永遠のいのち』にあります。今日の福音の『主の変容』は、私たちにその確信を与えています。イエズス様は十字架の苦しみから復活されました。だから、私たちもこの世の苦難を乗り越え、やがて永遠に『生きる』ことになります」と話された。戦後70年目の2015年、退廃的な「昭和のテレビ中毒世代」は、この世の損得勘定に執着するだけ。それが愚劣な安倍ジャパンの狂気を黙殺している。


調布サレジオ神学院前のドン・ボスコ像
(1951年頃、チマッティ神父がイタリアに発注)

◆この日のミサ中の主な歌:
チマッティ神父のミサ曲(1940年作の日本語ミサ曲)、入祭:「刈り入れは」、拝領:「輝ける聖母マリア」、閉祭:「アヴェ・マリア」(以上、チマッティ神父作曲)。

◆主な参考文献など:
・「教皇ヨハネ・パウロ2世『広島平和アピール』1981」(カトリック中央協議会社会福音化推進部・2011年)
・「過去の克服・二つの戦後」 ヴァイツゼッカー著、山本務訳(日本放送出版協会・1994年)
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6 コメント

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Unknown (セシリア)
2015-08-17 20:56:56
はじめまして、欧州在住カトリック信者です。
しばらく前に、東京都内の教会を検索していてエウティコさんのブログにたどり着きました。主要な数枚の写真と簡潔な説明文、また、参考文献なども記していらっしゃるのにとても感激しました。丁寧なガイドブックのようです。
写真を選んで記事をまとめるのは、なかなか時間もかかると思いますが、これからも楽しみにしていますので、是非、ゆっくりペースでも続けて下さい!よろしくお願い致します
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はじめまして。 (エウティコ)
2015-08-24 15:02:49
セシリアさん、はじめまして。

返信が遅くなりまして、申し訳ありませんでした。
遠く欧州からこの拙いブログをご覧いただき、誠にありがとうございます。

2010年の秋頃から首都圏のカトリック教会を巡るようになりましたが、東京と神奈川を経て、現在は千葉と埼玉のカトリック教会を(たま~に)ブログ記事に掲載しています。最近は思うように時間が取れないのですが、今度は北関東(群馬・栃木)周辺の教会を巡る予定です。

私は今年6月から、修道会系の教会でカトリック入門講座を受講しています。主任司祭による「熱血講義」の復習やノート整理などで、机に向かう時間が多くなりました。現在は旧約の学びを終え、来月から新約に入ります。講義は来年の3月頃まで続く予定ですが、もしかすると復活徹夜祭で受洗のお恵みに与るかもしれません。

日本のカトリック教会の現状を口汚く罵っていた私ですが、やはり祖父のカトリック信仰の影響で、カトリックから離れることは出来ませんでした。ちょっとした「先祖返り」のようですが・・・。
返信する
お祈りしています (セシリア)
2015-08-29 02:01:24
こんにちは。お返事ありがとうございました。記事を少しずつ読ませていただいていますが、エウティコさんはいつも丁寧にお返事をされていて、第三者でもなんだか嬉しくなってしまいます。

カトリック入門講座を受講されていらっしゃるのですね。私なんかよりもずっとたくさんの知識がおありで、ごミサにもたくさん与っていらっしゃるし、カトリック教会内の様々な問題についてもよくご存知で、ご自分の考えも持っていらっしゃるので、“入門”講座ではつまらないのでは?と思います。このまま順調に続けることができ、そして、受洗のお恵みに与れることをお祈りしています。

何でも近付けば近付くほど、良い面と同時に嫌な面も見えてきますものね。エウティコさんが「罵っていた」というのが、凄くよくわかります。私も悲しくなることが多いですし、離れていた時期もあります。うちは、曾祖母がカトリックでした。祖母は教会にも行っており、いつも小さな十字架を首から下げていましたが、洗礼を受けることはありませんでした。いろんな事情や考えがあったと思いますが、母にも私にもわかりません。

長々とすみませんでした。これからも、楽しみにしています!
返信する
ありがとうございます。 (エウティコ)
2015-08-31 17:38:32
セシリアさん、こんにちは。
遠く欧州からお祈りをありがとうございます。

毎回の入門講座は「目からウロコ」の連続で、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」(使徒8・31)の現実を痛感しています。講義を通して、個人的な多くの勘違いや誤解にも気付きました。講師の主任司祭は学究肌の「老僧」ともいうべきお歳ですが、青年のような若々しさで「熱血講義」をされています。筆が追いつかず、ノートをとるのが大変です。

セシリアさんも信仰生活や教会の「現実」に悩まれたのですね。私も「カトリックはもうダメだ、完全に決別してやる」と息巻いていましたが、結局、放蕩息子のようにスゴスゴと(どのツラ下げて)帰還しました。おそらく、私は今後も様々な「現実」に失望するかもしれませんが、それ以上に神様が色々な希望の種を用意されていることも見出していきたいと思います。

昨日(8/30)、聖イグナチオ教会で年間第22主日のミサに与りました。閉祭の歌はカトリック聖歌13「主こそわがほまれ」。祖父と教会に通っていた頃が思い出されて、ちょっとでした。
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Unknown (なな)
2015-10-03 22:18:01
初めまして。
興味深く拝見しています。
各地の教会見聞録。面白いです。
カトリックの入門講座について 
できましたら どんなことを学んでいるのか 記事にお願いできないかと・・思いました。
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はじめまして。 (エウティコ)
2015-10-07 11:40:13
ななさん、はじめまして。

返信が遅くなりまして、申し訳ありませんでした。
いつもこの拙いブログをご覧いただき、誠にありがとうございます。

現在、私は某修道会系の教会でカトリック入門講座を受講しています。その内容や印象については、いずれ「中間報告」として記事にまとめたいと考えております。どうかいましばらくお待ちください。m(__)m

ちなみに、講義スタイルは「個人授業」です。定期的な入門講座との調整がつかなかったのですが、神父様が私の「一方的な都合」に合わせた講義日程を組んでいただきました。「一匹の迷える小羊」にホワイトボードを用いながらの熱血講義は、ただただ感謝の思いでいっぱいです。
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