三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

年間第17主日のミサ

2016年08月01日 | ミサ聖祭
1877年創立のカトリック八王子教会
(住所:東京都八王子市本町16-3)

7月24日(日)、カトリック八王子教会で年間第17主日のミサに与った。この日は八王子方面に所用があり、所属教会でミサに与ることが出来なかったからである。受洗後、八王子教会でミサに与るのは初めてだ。稲川圭三神父が主任司祭を務めていた頃、未信者の私は毎週のように八王子教会へ通っていたことを懐かしく思い出す。2012年の復活祭後、主任司祭の交代と共に、典礼のあり方や跪き台の一部撤去等の動きに当惑し、「聖座忠誠」を気取っていた私は八王子教会へ通うのを止めていた。

午前10時、ミサ開祭。主任司祭の辻茂神父と助任司祭のロールド・ザビエル神父(ミラノ外国宣教会)との共同司式である。福音朗読は、イエスが祈りについて説かれる場面(ルカ11・1-3)。辻茂神父は「信仰者にとって、祈りは呼吸のようなものです。呼吸をしなければ死んでしまうように、祈りをしなければ“神不在”となってしまう。神様のみ旨ではなく、人の思いだけに生きることが、祈らないという状態を示している。いつも神様のみ旨を聞く姿勢が、祈り続けるということだと思います」と話された。

ネットという不特定多数の人々が閲覧可能な場所では、一部の信者が「典礼のあり方」や「司教団の指針」等への批判を展開しているが、それは信者の務めではない、と受洗後の私は考えている。「洗礼は、わたしたちが、困窮する人、苦しむ人、また隣人の顔のうちにイエスのみ顔を見いだせるように助けてくれます。それはすべて、洗礼の力によるのです」(教皇フランシスコ)。私もイエスのみ顔を見いだそうと思う。そのためには、辻茂神父が言われたように、まず神のみ旨を心に留め、祈り続けたい。


現聖堂献堂:1950年

◆主な参考文献など:
・「秘跡・聖霊のたまもの・教会-教皇講話集」 教皇フランシスコ著(カトリック中央協議会・2015年)
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