三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

カトリック横須賀三笠教会

2012年04月27日 | 神奈川のカトリック教会
カトリック横須賀三笠教会(教会堂名:被昇天の聖母)
創立:1948年? ◇ 住所:神奈川県横須賀市稲岡町82

京急本線の横須賀中央駅で下車。いきなり、横須賀名物「海軍カレー」を盆に戴せたカモメの水兵のマスコットがお出迎え。戦前の横須賀は海軍工廠(軍艦の造船所)などの施設があったが、現在はアメリカ海軍の横須賀基地がある。中央大通りを歩くと、映画「錨を上げて」(1945年)に出てくるような、セーラー服姿のヤンキー水兵の一団を見かけた。さらに、NHKのテレビドラマ「坂の上の雲」のポスターが随所に目立つ。今なお横須賀は「軍港の街」である。

アメリカ海軍横須賀基地のメイン・ゲート(正門)を一瞥して、横須賀三笠教会に到着。モダンな聖堂だが、この教会の歴史は幕末に遡るという。1866年、江戸幕府がフランスに製鉄所の建設を依頼し、そこで働くフランス人のためにチャペル(聖ルイ聖堂)が献堂された。明治「維新」後、製鉄所は造船所(海軍工廠の前身)となり、聖堂は横須賀市内を移転。1948年、現在地で「横須賀三笠」と改称した。 教会の周辺には、カトリック系の聖ヨゼフ病院がある。

教会から徒歩数分の三笠公園を訪ねた。東京湾に面した岸壁に、戦艦「三笠」が保存されている。意外に小さい。1905年、三笠は「日本海海戦で先頭に立って勇敢に戦い、歴史上例を見ない圧倒的な勝利」に貢献したという。だが、それを機に日本は傲慢な帝国となって、軍部が暴走したのではないか。破滅するまで省みない愚挙は、今の野田政権にも継承されているが。さて、私は東郷元帥の銅像に見送られながら、次は横須賀大津教会を訪ねることにした。


現聖堂献堂:1974年


石原慎太郎が泣いて喜ぶ戦艦「三笠」の雄姿

◆主な参考文献など:
・「横浜教区設立50周年記念誌」 横浜教区設立50周年記念誌編集委員会編(カトリック横浜司教区・1988年)
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カトリック逗子教会

2012年04月25日 | 神奈川のカトリック教会
カトリック逗子教会(教会堂名:キリスト信者の扶助なる聖母)
創立:1950年 ◇ 住所:神奈川県逗子市逗子6-8-7

JR横須賀線の逗子駅で降りる。逗子といえば、私は「真白き富士の根」という唱歌が思い浮かぶ。1910年、ボートに乗った逗子開成中学校の生徒12人が、七里ヶ浜沖の転覆事故で亡くなった。その哀悼歌が「真白き富士の根」で、アメリカの作曲家ジェレマイア・インガルス(注)の旋律をもとに、鎌倉女学校教師の三角錫子が作詞。明治期の愛唱歌として広く知られる。子どもの頃、私はこの哀歌をラジオで聴いたが、今も忘れられない調べとなっている。

逗子教会の沿革をおさらい。「1948年、オーストラリアから山手聖心教会に派遣されて外国人信徒司牧に協力していたカリネン師は、鎌倉大町教会(現由比ガ浜教会)に所属している逗子に、新たに教会を建設する為に移転し、かつて日本政界の最元老として活躍した西園寺公望公爵家の閑静な住宅を提供され、逗子教会の基礎を作ることとなった。1950年8月15日、聖母被昇天の大祝日に献堂式が行われた」(「横浜教区設立50周年記念誌」より)。

閑静な住宅街を歩くこと数分、逗子教会に着いた。教会に隣接して、カトリック系の聖マリア幼稚園・小学校がある。ここもまた、ジョン・ネイル・カリネン神父が逗子教会と共に創立した。階段を昇って聖堂に入ると、天井の高さに驚く。広い聖堂内は静ひつの空間そのものだ。時々、トンビの声が聞こえてくる。教会からは逗子海岸、1903年創立の逗子開成中学校・高等学校も近い。さて、私は新逗子駅で京急逗子線に乗車。次は横須賀三笠教会を訪ねよう。


現聖堂献堂:?年

(注):Jeremiah Ingalls(1764-1828年)。アメリカの作曲家、教会の聖歌隊長として活躍。インガルスのファースト・ネーム「Jeremiah」は、旧約の預言者「エレミヤ」と同じ。なお、「真白き富士の根(七里ヶ浜の哀歌)」の由来につき、逗子開成中学・高校の関連サイトを参照。

◆主な参考文献など:
「横浜教区設立50周年記念誌」 横浜教区設立50周年記念誌編集委員会編(カトリック横浜司教区・1988年)
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復活節第3主日のミサ

2012年04月23日 | ミサ聖祭
カトリック八王子教会聖堂
(住所:東京都八王子本町16-3)

4月22日(日)、八王子教会で復活節第3主日のミサに与った。この日、八王子教会は新しい主任司祭を迎えた。板橋教会から赴任された辻茂神父である。小学校時代の新学期に、新しい担任の先生と出会うような緊張感が甦った。午前7時、ミサ開祭。入祭のあいさつ。辻神父は、「一昨日、引っ越して来ました。今から30年ほど前、私は八王子教会で助任司祭として働いていました。また同じ地で働くことになります。よろしくお願い致します」と話された。

福音朗読は、復活したイエスが弟子たちに現れた場面(ルカ24・35-48)。辻神父は、「きょうの福音は、エマオの場面と合わせて顕現物語と言います。復活を疑う弟子たちに、イエスは聖書の言葉を説明し、姿を消されたという共通項があります」と話された。「弟子たちはイエスの傷痕を見るたび、自分たちの裏切りを痛感した。だが、イエスはそれを赦しと愛のしるしにしてくださいました」。辻神父の説教はさらに続いたが、私の理解が追いつかなかった(泣)。

新司祭の司式によって、典礼にも変化が表れた。それは「歌唱ミサ」ではなかったこと。司祭と会衆の応唱、回心の祈りを始め、感謝の祈り(奉献文)の「記念唱」や「結びの栄唱」なども読誦だった。辻神父は風邪を召されているそうだが、その影響による一時的なものだろうか。不謹慎な表現だが、従来の「歌唱ミサ」に慣れ親しんでいると、この日の典礼は「総天然色」から「モノクロ」の世界に戻ったような印象。来週以降、「歌唱ミサ」の復活を期待しよう。


カトリック八王子教会聖堂
<祭壇前の復活ろうそく>

◆この日のミサ中の主な歌:
ミサ曲1(典礼聖歌203-206)、入祭:典礼聖歌29「エルサレムをほめたたえよ」、奉納:典礼聖歌98「しあわせな人」、拝領:典礼聖歌47「神の注がれる目は(2)」、閉祭:典礼聖歌140「全世界に行って」。
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カトリック大船教会

2012年04月21日 | 神奈川のカトリック教会
カトリック大船教会(教会堂名:聖アンナ)
創立:1950年 ◇ 住所:神奈川県鎌倉市大船2-1-34

「JR大船駅に近づくと、車窓から真っ白な大船観音(全長約25m)が望まれる。大船は鎌倉への玄関口、いつも私達に優しい微笑で迎えてくれる大船観音。完成までには30年もの歳月が費やされている」(大船観音寺サイトより)。JR横須賀線の大船駅で下車。観音像の慈悲に包まれながら(?)、私はカトリック教会へ。大船といえば、有名な「松竹大船撮影所」があったことで知られる。現在、その跡地は鎌倉芸術館、鎌倉女子大学などが建っている。

蒲田教会の記事でも触れたが、私の邦画に対する第一印象は最悪であった。物心がついた頃、角川映画などを通して、邦画といえば「野蛮、内容空疎」としか思えなかった。洋画一辺倒の私が、邦画の魅力に開眼したのは、衛星放送で小津安二郎監督の作品を見てからだ。晩年の傑作「秋日和」「秋刀魚の味」などは、大船で製作された。最近の邦画は「さあ、泣け!感動しろ!」の絶叫で閉口する。小津監督が最も嫌った「感情過多」な演出が鼻につく。

大船教会に到着。「1950年、レデンプトール修道会が、大船教会を聖アンナの祝日を期して設立した」(「横浜教区設立50周年記念誌」より)。聖アンナは、聖母マリアの母。ダ・ヴィンチの名画「聖母子と聖アンナ」をご存じの方も多いと思う。聖ヨアキムと共に、外典の「ヤコブ原福音書」が聖母の両親の名を伝えている。大船教会の近くには、レデンプトール会が創立した保育園「聖アンナの園」もある。 さて、私は再び横須賀線に乗車。次は逗子教会を訪ねよう。


現聖堂献堂:1998年

◆主な参考文献など:
・「小津安二郎新発見」 松竹編(講談社+α文庫・2002年)
・「新約聖書外典」 荒井献編(講談社文芸文庫・1997年)
・「横浜教区設立50周年記念誌」 横浜教区設立50周年記念誌編集委員会編(カトリック横浜司教区・1988年)

<付記>
今回より「三浦半島のカトリック教会巡り・全5回」を不定期で連載いたします。大船から逗子、横須賀(三笠・大津)を経て、三浦海岸までのカトリック教会を巡ります。
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復活節第2主日のミサ<後編>

2012年04月19日 | ミサ聖祭
雨上がりのカトリック八王子教会
(住所:東京都八王子市本町16-3)

前編の続き>。稲川神父による最後の主日ミサが終わった。閉祭後、多くの信徒が神父様を囲み、別れを惜しんでいた。私も御礼を申し上げたかったので、聖堂の片隅で待つことに。その間、さまざまな思いが去来した。一昨年から私はある事で精神的に苦しんでいたが、昨年6月がそのピークとなった。私が救いを求めたのは、釈尊でもなく八百万の神々でもなかった。幼い頃、カトリック信徒の祖父と共に教会で跪き、手を合わせたあのお方であった。

都内のカトリック教会でミサに与り始めた頃、「説教原稿の棒読み」に出くわすたび、私は少なからず落胆した。一昨年の10月、八王子教会で初めての主日ミサに与って以来、多摩地域では希少な(?)歌唱ミサの典礼と相俟って、私は稲川神父の説教に強く惹かれるようになった。「いつも同じ話ばかりで・・・」と、神父様ご自身が指摘されたように、「神さまが共におられる神秘」が主題となった。毎回、福音の朗読箇所から、その「隠された宝」を示されていた。

私の精神的な苦しみは(聖母の取り次ぎによって)解消したが、大きな支えとなったのは、共にいてくださる神への信頼だった。その真実を見失っていた私は、稲川神父の説教を通して出会わせていただいた。「主は渇いた魂を飽かせ、飢えた魂を良いもので満たしてくださった」(詩編107・9)。さて、ようやく御礼の機会が巡ってきた。私は万感胸に迫るものがあり、言葉に詰まってしまった。改めて、神父様に感謝申し上げたいと思う。ありがとうございました。


<カトリック八王子教会聖堂>

<付記>
稲川神父の説教集が続刊された。「神さまのまなざしを生きる」(雑賀編集工房・2012年)。A5判・298頁。2010年の待降節第1主日から、2011年の年間第34水曜日までの説教70編を収録。八王子教会信徒会館受付で頒布(一冊1,000円)。読後感につき、いずれ稿を改めてご紹介したい。なお、稲川神父の説教は「原稿なし」のため、本書は信徒の方が毎回の録音を文字に起こしたものを編纂。
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