三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

グレゴリオ聖歌でささげるミサ

2011年11月29日 | ミサ聖祭
ミサ当日の東京純心女子学園聖堂
(住所:東京都八王子市滝山町2-600)

待降節を翌日に控えた11月26日(土)、八王子の東京純心女子学園聖堂で「グレゴリオ聖歌でささげる主の降誕(夜半のミサ)」に与った。昨年に続き、私は再びここを訪れた。1964年創立の東京純心女子学園は、カトリック系のミッション・スクール。聖母像が見守る丘の上のキャンパスは、この日もクラブ活動に励む乙女たちの声で満たされていた。男子校を卒業した者の目には、全てが華やかで清らかに映る。秋晴れの滝山丘陵を登り、私は御聖堂に入った。

ミサ開祭に先立ち、「ミサ曲2」を作曲した石川和子シスターの短い解説があった。今年はまた、グレゴリオ聖歌の歌唱練習も行われた。ああ、五線譜が苦手な私はネウマ譜が全く読めないのに。「Amenと歌うときは、カラスがアー!アー!と鳴くようにアタックを付けて!」、メリスマ(注)は「つないで!つないで!」。石川シスターの熱血指導によって、私も「Gloria tibi Domine(主に栄光)」、「Laus tibi Christe(キリストに賛美)」などは小声で歌えるようになった。

午後2時、ミサ開祭。ラテン語による司式は、マリア会の高田裕和神父。石川シスター指揮する聖歌隊は、純心女子大関係者で結成されたコール・マリエ。私は式次第を参照しながら、聖なる調べに耳を澄ませた。入祭唱「主、我に言いたまえり」が始まる。私はこれをヨッピヒ神父のCDで聴いたが、女声合唱版は初めてだ。この日、最も美しかったのは、昇階唱「最高の覇権は汝と共にあり」。秋の夕日が差し込む聖堂の中で、汚れた心が浄化されるようであった。


東京純心女子大学
<江角記念講堂前の慈しみの聖母像>

(注):Melisma(メリスマ)。母音を長く引き延ばして装飾的に歌う唱法。

◆この日のミサ中の主な歌:
グレゴリオ聖歌による主の降誕・夜半のミサ、入祭:グレゴリオ聖歌「主、我に言いたまえり」、閉祭:グレゴリオ聖歌「天の元后」。

◆参考CD:
「グレゴリオ聖歌集」 ヨッピヒ神父指揮/ミュンスターシュヴァルツァッハ修道院聖歌隊(Archiv:F35A-50047)
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神学院ザビエル祭

2011年11月27日 | ミサ聖祭
ザビエル祭当日の日本カトリック神学院
(住所:東京都練馬区関町東2-7-10)

11月23日(水)、日本カトリック神学院(東京キャンパス)のザビエル祭に行ってきた。この神学院は教区司祭を養成する場で、東京キャンパスは哲学科1・2年生、及び神学科4年生の計27名が在籍している。その歴史は古く、1929年創立の旧東京公教大神学校に遡る。以前は東京カトリック神学院と称していたが、2009年に福岡の大神学院と合体して、日本カトリック神学院が発足。ザビエル祭は東京キャンパスの「学園祭」で、“禁域”が一般公開される。

西武新宿線の武蔵関駅で降りる。徒歩数分で神学院の森が見えてくる。正門付近に大型バスやマイクロバスが止まっていた。フロントガラスに「厚木教会」「成田教会」などの文字が見える。東京郊外から、日曜学校の子どもたちと共に、貸切バスで来ているようだ。神学院のキャンパスに入ると、その広々とした贅沢な環境に目を見張った。武蔵野の面影を残す雑木林や畑もある。学生一人あたりの校地面積は早慶上智の比ではなく、本当に恵まれている。

午前10時、ザビエル祭の開式ミサ。聖堂は立錐の余地がないほど超満員だ。福音朗読は、善きサマリア人の場面(ルカ10・25-37)。説教は大きな体の小松史朗神父。東日本大震災後、仙台教区で被災地の救援活動に取り組まれている。 小松神父は、「善きサマリア人のように『思いを遣る』。どうか今後も被災地への思いを忘れないでください」と話された。ミサ後、野外で模擬店などの行事開始。森閑とした神学院も、この日だけは賑やかな一日となった。


模擬店などで賑わうザビエル祭
<神学院から徒歩圏内の関町教会も出店>

◆開式ミサ中の主な歌:
ミサ曲2(典礼聖歌207・209・210)、入祭:典礼聖歌40「神のいつくしみを」、奉納:典礼聖歌322「愛といつくしみのあるところ」、拝領:典礼聖歌156「めぐみのパン」、閉祭:「わたしをお使いください マザー・テレサの祈り」。

◆主な参考文献など:
「神学院通信・第3号」 日本カトリック神学院編(日本カトリック神学院・2011年)
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聖体賛美式と講演会

2011年11月25日 | ミサ聖祭
式典当日のカトリック下井草教会
(住所:東京都杉並区井草2-31-25)

11月20日(日)、下井草教会で聖体賛美式に与った。私の祖父の時代は、「聖体降福式」と呼んでいた。これは、「聖体を崇拝し、聖体に在すイエズス・キリストを讃美し、其の祝福を蒙る聖式」で、「司祭は三度香を捧げ、讃美歌の終りに頌句及び祈願を朗読し、次に肩布を纏い、立って顕示台を捧持し、信者の方に向い、其上に顕示台を以て十字架の印をし、同時に之を以てイエズス・キリスト御自ら信者等を祝福し給まわんことを希う」(メイラン神父著「公教提要」)。

聖体賛美式に先立ち、幸田和生司教の講演会「教会が生きる支えとなるために(自死と震災をめぐって)」があった。私が幸田司教のお話を拝聴するのは、今回が初めてだ。講演会の副題が示す通り、非常に重い内容である。従来、教会は自死を「神に対する大罪」と教えていた。しかし、自死者が13年連続で3万人を超える日本の現実に直面し、教会も自死者の遺族や自死を考えている人たちの「苦しみを見つめ、共感をもって接していこう」と呼びかけている。

私は「自死は痛ましいが、自分とは無関係」と考えていた。 幸田司教は多くの事例を挙げ、「自死者が追い詰められた問題は、私たち自身の問題。教会は兄弟姉妹のように支え合う共同体でありたいと思います」と話された。午後3時30分、聖体賛美式。祭壇の四隅にローソクが灯り、中央に聖体顕示台が置かれた。会衆は聖歌を歌い、献香のときは跪く。聖体の前で、沈黙のうちに祈る。「主よ、教えてください。わたし自身も苦しむことを、人と共に苦しむことを」。


カトリック下井草教会を望む
<聖堂の背後に峨々と聳えるマンション群>

◆祭儀中の主な歌:
入祭:典礼聖歌395「主よわたしが悩むとき」、聖体賛美(献香):典礼聖歌321「いつくしみと愛(ウビ・カリタス)」、閉祭:典礼聖歌400「ちいさなひとびとの」。

◆主な参考文献など:
「公教提要」 メイラン神父著(天主公教会・1930年)
「自死の現実を見つめて」 カリタスジャパン啓発部会編(カトリック中央協議会・2010年)
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王であるキリストの祭日ミサ

2011年11月23日 | ミサ聖祭
王であるキリストの祭日を迎えたカトリック秋津教会
(住所:東京都清瀬市梅園3-14-18)

11月20日(日)、秋津教会で王であるキリストの祭日ミサに与った。年間第33主日のミサで、八王子教会主任司祭の稲川圭三神父が、「王であるキリストの祭日は、教会暦の最後の日曜日。その翌週の日曜日は待降節に入り、新しい一年が始まります」と話されたのを思い出す。そして、11月は「死者の月」。私は「ベトレヘムの園」で帰天された二人の外国人宣教師の慰霊を兼ねて、再び秋津教会を訪れた。お二人の名は、メイラン神父とゼノ修道士である。

1949年11月2日(死者の日)、メイラン神父は秋津教会の旧司祭館で亡くなった。戦前、八王子教会主任司祭を長く務めた「歩く宣教師」の終の棲家であった。その秋津教会のすぐ近くに、ベトレヘムの園病院の病棟がある。1982年4月24日、ここで療養していた“蟻の町の神父”ゼノ修道士が生涯を終えた。奇しくも、その日はコルベ神父とゼノ修道士らが、1930年に初来日した日であった。両先人の労苦を偲びつつ、秋が深まる「ベトレヘムの園」を散策した。

午前10時、ミサ開祭。会衆席には修道服を召されたシスターの姿も見える。ミサ曲は、高田三郎氏の「やまとのささげうた」を歌う。日本的な響きが濃厚な旋律が流れる中、私は典礼聖歌への鬱積した思いが錯綜した。カトリック教会は豊かな音楽遺産があるのに、なぜ特定の邦人作曲家に依存しているのだろう。「初めも終わりも高田三郎」「どこもかしこも高田三郎」。あれこれ懊悩しているうちに、ミサ閉祭。私は説教の内容が思い出せない体たらくとなった。


秋が深まるベトレヘムの園
<フロジャク神父の理想郷>

◆この日のミサ中の主な歌:
ミサ曲:やまとのささげうた(典礼聖歌451-455)、入祭:典礼聖歌25「栄光は世界におよび」、奉納:典礼聖歌104「シオンよ喜べ」、拝領:典礼聖歌159「門よ扉を開け」、閉祭:典礼聖歌346「勝利と力は神のもの」。

◆主な参考文献など:
「追憶の樹蔭・メイラン神父の面影」 聖ベルナデッタ会編(中央出版社・1955年)
「かぎりない愛・ゼノの生涯(改訂版)」 枝見静樹編著(清水弘文堂・1985年)
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グレゴリオ聖歌による諸聖人のミサ

2011年11月21日 | ミサ聖祭
ミサ当日のカトリック田園調布教会
(住所:東京都大田区田園調布3-43-1)

11月19日(土)、田園調布教会でグレゴリオ聖歌による諸聖人のミサに与った。東急東横線の多摩川駅で降り、季節外れの暴風雨に見舞われながら、丘の上に聳える大聖堂を目指して歩く。「ラ・ヴェルナ山」を思わせる頂上に着くと、アシジの聖フランシスコ像が冷たい雨に打たれている。大聖堂には70名ほどの会衆が集まっていた。この日のミサ中の聖歌は、田園調布教会のグレゴリオ聖歌研究会によって歌われる。また、主な式文はラテン語が用いられる。

午後2時、ミサ開祭。イントロイトゥス(入祭唱)が厳かに響く。大聖堂の豊かな残響音と相俟って、天から聖霊が降り注ぐような雰囲気に満たされた。配布されたミサレット(式次第)を参照しながら、私はこの聖なる調べに耳を澄ませた。神への賛美が溢れる旋律に、汚れた心が洗われる思いだ。田園調布教会のグレゴリオ聖歌研究会の歌唱は素晴らしく、単なるアマチュア合唱団の域を超えている。このグループは、先月の荘厳司教ミサの聖歌隊にも参加した。

福音朗読は、イエスの山上の説教の場面(マタイ5・1-12a)。司式の静一志神父は、「心の貧しい人とは、霊において貧しい人。自分の貧しさを知ることは、神様の豊かさを知ることです。その貧しさを、神様は豊かにしてくださいます」と話された。フランシスコ会司祭の静神父は、往年の名ナレーター・城達也を思わせる美声であった。本当に厳粛なミサだった。私も主祷文くらいはラテン語で覚えよう。今週の土曜日も、都内でグレゴリオ聖歌によるミサに与る予定だ。


カトリック田園調布教会のルルド
<秋雨に降り濡つ聖母像>

◆この日のミサ中の主な歌:
グレゴリオ聖歌によるミサ曲11番「オルビス・ファクトール」、入祭:グレゴリオ聖歌「すべての者は主において喜び歌え」、閉祭:グレゴリオ聖歌「天の元后」。
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