三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

カトリック津久井教会

2012年03月28日 | 神奈川のカトリック教会
カトリック津久井教会(教会堂名:アシジの聖フランシスコ)
創立:1950年 ◇ 住所:神奈川県相模原市緑区中野1366-1

JR横浜線の橋本駅から、三ヶ木行きの神奈中バスに乗り、奈良井停留所で下車。ここへ来る途中、バスは津久井湖の傍を通った。この山々に囲まれた美しい湖は、人造のダム湖である(城山ダム湖)。神奈川県の上水源の一つであり、また水力発電の設備もある。小学生の頃、私は友人と津久井湖を訪れ、ボート遊びで溺れかけた苦い思い出を持つ(笑)。当時は津久井町であったが、2006年に相模原市に編入され、現在は同市の「緑区」となっている。

津久井教会に着いた。この教会は幼稚園を併設しているためか、トンガリ屋根を戴く聖堂は、童話の中に出てくるような愛らしさ。内装もまた素晴らしく、東欧の木造教会を思わせる雰囲気である。創立60年の歴史を越える津久井教会は、戦前の八王子教会主任を務めたメイラン神父と間接的な関わりがある。明治時代、メイラン神父から受洗した女性が津久井の蔵元に嫁ぎ、のちに教会を献堂する種となった。まさに「一粒の麦もし死なずば」を見る思いだ。

津久井は、「憲政の神様」と謳われた尾崎行雄(1858-1954年)の出生地として名高い。現在、津久井教会の北西にある尾崎家の跡地は、生前の業績を顕彰した「尾崎咢堂(こくどう)記念館」が建っている。咢堂先生であれば、現在の野田政権の体たらくを、どのように喝破されるだろうか。津久井には、昭和のアイドル歌手・小泉今日子が通っていた県立津久井高校もある。キョンキョンが、この自然豊かな環境で青春時代を過ごしたことを思うと感慨深い。


現聖堂献堂:1988年

◆主な参考文献など:
「横浜教区設立50周年記念誌」 横浜教区設立50周年記念誌編集委員会編(カトリック横浜司教区・1988年)
「キリストを背負って六十年 メイラン神父の伝道記録」 塚本昇次著(私家版・1987年)

<付記>
来月は、ご復活祭以降に「三浦半島のカトリック教会巡り・全5回」を不定期連載する予定です。大船から逗子、横須賀を経て、三浦海岸までのカトリック教会を巡ります。
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四旬節第5主日のミサ

2012年03月26日 | ミサ聖祭
四旬節第5主日を迎えたカトリック八王子教会
(住所:東京都八王子市本町16-3)

3月25日(日)、八王子教会で四旬節第5主日のミサに与った。来週は「受難の主日(枝の主日)」を迎え、いよいよ聖週間が始まる。ご復活祭後、主任司祭の稲川圭三神父は麻布教会へ異動される。私の中で「お別れのカウント・ダウン」が始まった。稲川神父司式の主日ミサは、この日を含めて、あと3回である。これまでの数々の説教を通して、ようやく私は「神さまが共にいてくださる神秘」に気がついた。涸れた谷の鹿が、いや野良犬が水を得たように。

午前7時、ミサ開祭。福音朗読は、「一粒の麦もし死なずば」の場面(ヨハネ12・20-33)。稲川神父は、「私たちは大地に蒔かれた一粒の麦が、豊かな実りになることを知っています。その豊かな命に出会わせてくださる大地に、信頼して委ねるならば、多くの実を結びます」と話された。「そのように、神様への信頼に身を委ねるなら、私たちに永遠という命を実らせてくださる。しかし、この世の命だけを固持するなら、いずれ世の滅びと共に消え去るでしょう」。

稲川神父は過去の体験を話された。小学校の教員時代、稲川神父は通勤前に葛西教会の朝ミサに与っていた。ある時、大切なカバンの所在が気になり始め、ミサに集中できなくなった。聖変化の祈りで「これはわたしの体である」という言葉を聞き、ハッと我に返られた。「この世の思いを捨て、神様への信頼が第一と分かりました。イエス様は十字架を通して、それを私たちに示されたのです」。煩悩まみれの私も、共にいてくださる神への信頼を銘記しよう。


<カトリック八王子教会聖堂>

◆この日のミサ中の主な歌:
ミサ曲4(典礼聖歌215-217)、入祭:典礼聖歌118「主は豊かなあがないに満ち(2)」、奉納:典礼聖歌11「荒地のかわき果てた土のように」、拝領:典礼聖歌383「イエズス・キリストへ」、閉祭:カトリック聖歌171「いばらのかむり」。
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カトリック箱根教会

2012年03月24日 | 神奈川のカトリック教会
カトリック箱根教会(教会堂名:洗礼者聖ヨハネ)
創立:1951年 ◇ 住所:神奈川県足柄下郡箱根町強羅1300-5

箱根登山鉄道の強羅(ごうら)駅で降りる。「箱根の山は天下の嶮」という。こんな険しい山を、まるで江ノ電のような古い車両(下写真参照)が、ガタゴトと健気(けなげ)に登ってきたのだ。「箱根登山鉄道は、1919年に開通したわが国唯一の本格的山岳鉄道。(中略)急勾配を車輪の力だけで登るのは、日本では箱根の登山電車だけです」(箱根登山鉄道サイトより)。そして、「山の傾面を登るためスイッチバック方式をとり入れてジグザグに登ります」(同)。

スイッチバックとは、険しい斜面を登るために、電車が方向転換すること。終点の強羅駅まで、箱根登山鉄道はスイッチバックを3回繰り返し、進行が逆向きとなる度に、運転士と車掌が入れ替わる。そんな険しい山の上に、なぜカトリック教会があるのだろう。第二次大戦後、「強羅には戦時中疎開し、そのまま残留したシャルトル聖パウロ修道女会の函嶺白百合学園、また養護施設と、マリア会修道院が存在していた」(「横浜教区設立50周年記念誌」より)。

突然、硫黄の香りが漂う山上に「カトリック村」が出現したため、教会が必要とされたらしい。周辺には、今も修道院や函嶺白百合学園(小・中・高)、強羅暁の星園(社会福祉施設)がある。駅から徒歩数分で箱根教会に到着。現在、ここは小田原教会の巡回教会となっているが、横浜でも滅多にお目にかかれない立派な聖堂に驚いた。さて、私は再び強羅駅に戻り、箱根登山鉄道で下山。かくして、「小田急小田原沿線のカトリック教会巡り」の旅を終えた。


現聖堂献堂:1951年


箱根登山鉄道モハ2形。箱根湯本駅にて。
(車両製造:1955年)

◆主な参考文献など:
・「横浜教区設立50周年記念誌」 横浜教区設立50周年記念誌編集委員会編(カトリック横浜司教区・1988年)
コメント (2)
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カトリック小田原教会

2012年03月22日 | 神奈川のカトリック教会
カトリック小田原教会(教会堂名:幼いイエスの聖テレジア)
創立:1879年 ◇ 住所:神奈川県小田原市栄町4-6-5

小田急小田原線の小田原駅で下車。小田原名物と言えば、鈴廣のかまぼこである。つい先日、私の中で同社の評価が急騰した。3月15日付「東京新聞」によれば、鈴廣は脱原発のネットワークを立ち上げ、「原発がなくても経済は回る」ことを地域から実践しようと呼び掛けた。既に全国の中小企業120社が参加を表明しているという。原発再稼働に暴走する強欲クラブの経団連を「ギャフン!」と言わせるために、私もかまぼこを食べて、鈴廣を応援しよう。

小田原教会に到着。尖塔を戴く聖堂は、長崎や函館の古教会のように美しい。小田原教会は、横浜の山手教会、末吉町教会と共に、神奈川県では百年の歴史を越えている。その沿革は、「1879年1月に小田原市内の内田家を根拠として当時、一帯の巡回布教にあたっていたパリ外国宣教会のテストヴィド師によって伝道が開始され、その3ヵ月後、受洗者がでる。小田原教会の共同体の基礎が生まれたのである」(「横浜教区設立50周年記念誌」より)。

明治初期、テストヴィド神父は「耶蘇教」への偏見と闘いながら、神奈川や多摩地方を含む広域を宣教した。戦前の八王子教会主任を務めたメイラン神父は、テストヴィド神父の足跡に驚嘆したという。その蒔かれた種は大きな木となり、現在も東京の八王子教会泉町教会、静岡の神山復生病院、そして小田原教会などがテストヴィド神父の遺産として残っている。さて、私は再び小田原駅に戻り、箱根湯本行きの小田急線に乗車。次は箱根教会を訪ねよう。


現聖堂献堂:1931年


聖堂外観

◆主な参考文献など:
「横浜教区設立50周年記念誌」 横浜教区設立50周年記念誌編集委員会編(カトリック横浜司教区・1988年)
コメント (2)
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四旬節の一日黙想会

2012年03月20日 | ミサ聖祭
四旬節第4主日を迎えたカトリック八王子教会
(住所:東京都八王子市本町16-3)

3月18日(日)、八王子教会で四旬節第4主日の一日黙想会に参加した。午前は第一講話とミサ、午後は第二講話と聖体賛美式というスケジュールで、それぞれ「赦しの秘跡」の時間が設けられている。講話の担当は、ミラノ外国宣教会日本管区長のフェルッチョ・ブランビッラスカ神父。黙想会とは、聖書の言葉に触れ、外部講師の話を聞きながら、個人が沈黙のうちに祈り考え、自らの信仰を深める「一日研修会」。四旬節や待降節に行われることが多い。

午前9時、第一講話。フェルッチョ神父は「生活の中の信仰と気づき」という主題で、「聖書の言葉に『見ないのに信じる人は、幸い』(ヨハネ20・29)とあります。信仰とは何でしょう。それは、神様を信頼すること。弱い人間を守ってくださるのは神様。そこから私たちの信仰が生まれます」と話された。その後、ミサ開祭。主任司祭の稲川圭三神父との共同司式である。ミサ後、赦しの秘跡に続き、お昼休みとなった。私は信徒会館で稲川神父の説教集を入手(注)

昼食の後、第二講話。フェルッチョ神父は「私たちの短所について考えます。カネやモノへの執着、傲慢さなど、多くの短所と闘いましょう。特に忍耐と謙虚さが必要です」と話された。「そして、笑顔で冷静に判断すること。このような自己管理が出来れば、皆幸せになります」。午後3時10分、八王子教会の“ The Longest Day ”が終わった。昨年、私はミサのみ与ったが、今年はフル・タイムで参加した。約6時間の長丁場であったが、実に清々しい気分だった。


:黙想会スケジュール、:稲川神父説教集>

(注):稲川神父説教集「神さまが共にいてくださる神秘」(雑賀編集工房・2012年)。四六判・178頁。昨年の待降節第1主日から先月の年間第7主日までの説教を収録。八王子教会信徒会館受付で頒布(一冊500円)。

◆この日のミサ中の主な歌:
ミサ曲4(典礼聖歌215-217)、入祭:典礼聖歌311「神を求めよ」、奉納:典礼聖歌321「いつくしみと愛」、拝領:典礼聖歌119「主はわたしの光」、閉祭:カトリック聖歌393「み神はみずからの」。

◆聖体賛美式の歌:
入堂:典礼聖歌61「神は残された 不思議なわざの記念を」、聖体賛美:典礼聖歌321「いつくしみと愛」、カトリック聖歌561「タントゥム・エルゴ」、退堂:典礼聖歌390「キリストのように考え」。(聖体賛美式とは?こちらの記事をご参照ください)
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